秋田実季、そのトラブルの連続

2015年11月29日 17:10

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/29(日) 15:23:37.20 ID:EqQyOhlD
前に秋田実季のネタが出たけど家督を親父から継いだ時からトラブルの連続だったんだなと思う

・家督相続後、戸沢や南部たちに支援された従兄の豊島通季と湊系家臣団に造反される
・由利十二頭や津軽の助力もあって一応豊島たちを撃退し秋田家当主の座を守る
・湊系家臣団を抑えこむことには一応成功するものの遺恨はずっと燻り続ける
・湊合戦のこともあり津軽為信独立を支援したことで南部信直にはさぞ恨まれたろう
・小田原参陣時には蠣崎氏にちゃっかり離反・独立される
・その後南部の調略で重臣・五十目兵庫に離反される
・比内浅利領をヒャッハーしたことで浅利独立騒動が勃発
・小田原仕置の時と同じく石田三成のおかげで浅利独立は何とか阻止
・しかし浅利側についていた浅野長政の顔を潰すことに
・ついでに小田原仕置後、秋田・浅利の和睦に尽力した津軽の顔も潰している
・南部信直が没しても後継が利直ではやっぱり分が悪い
・ちなみに強敵の一人・戸沢盛安は若くしてとっくに没してた
・関ヶ原役では一応東軍についたが最上義光の讒言もあり常陸に減封の上転封
・三成と親しかったことがここでアダになった(義光は大の豊臣・石田嫌い)
・義光が伊達政宗に当てた書状では馬鹿扱い
・それを見て政宗が実季をどう思ったかは想像に難くない
・内政はお世辞にも上手とは言えなかった
・嫡子・俊季と対立
・元々実季に遺恨持つ湊系家臣団はこぞって俊季に付く
・そんなこんなで遂に藩主の座を追われ伊勢朝熊に配流
・勝手に出家して幕府を怒らせ俊季が釈明に追われる
・このことを細川三斎が息子・忠利に当てた書状でdisっている
・最後は凍蚓と名付けた自身の木像を話し相手に生涯を過ごすことに

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/02(水) 22:39:09.32 ID:lsnV0mh3
桶狭間の戦いから丁度100年経った1660年
伊勢朝熊で蟄居中の秋田実季は83歳で没した
その2年前には真田信之が93歳で没している
大坂の陣を戦った人間で生き残っていた大物は徳川頼宣や松平忠輝(蟄居中)ぐらい
彼らでも生まれは秀吉の天下統一以降である
実季こそ秀吉の天下統一前の時代を知る最後の人間と言っても過言ではないだろう

ちなみに「秋田実季、そのトラブルの連続」 ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-9635.htmlに登場した他の大名家の当主の移り変わりはこうなっている

秋田家:実季→俊季→盛季
戸沢家:盛安→光盛→政盛→正誠
南部家:信直→利直→重直
津軽家:為信→信枚→信義→信政
最上家:義光→家親→義俊(改易)→義智(寄合旗本)
仙台伊達家:政宗→忠宗→綱宗→綱村
芸州浅野家:長政→幸長→長晟→光晟
肥後細川家:忠興→忠利→光尚→綱利

由比正雪の乱ですらもう10年近く前の話
伊達騒動が勃発するのはこの11年後

上には上がいるとはいえいかに実季が長生きだったかがよくわかる

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/02(水) 23:06:37.84 ID:LgiqV54Z
泳いで参ったの人も長生きだぞ!って1655年没か。
どうでもいいけど、宇喜多秀家って活動範囲が広すぎ。
紀州征伐、四国征伐、九州征伐、小田原征伐、文禄・慶長の役
関ヶ原、薩摩へ逃亡、駿河久能山へ幽閉、八丈島へ島流し等。
生涯に移動した距離は戦国一では?

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/02(水) 23:18:15.97 ID:TC7U/Vtp
支倉…

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    これは木像に話しかけざるを得ない人生送ってたわ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    壮絶な人生って一言で済ませられる感じじゃないですね・・・。
    ただ、周辺トラブルに関しては自身だけのせいじゃないから、多少は可愛そうな感もある。
    あの時代の東北で命あっただけマシかも?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    言うまでもないかも知れないけど、そもそ家督相続がまだ十代前半の時で、しかも父の急死のせいだったのいうのがケチの付き始めだったね

  4. 人間七七四年 | URL | -

    南部信直とは名護屋で和解して両家婚姻してるし、
    浅利に関して津軽はメンツ云々というよりガチ敵だぞ
    湊系家臣(延長にある俊季)との対立は、父愛季代から続く根深いものだから難しかったろうが

  5. 人間七七四年 | URL | -

    この箇条書きの内容のうち幾つかと似たようなことは政宗も義光も経験しているけどね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    津軽と対立するようになったのは案外南部と和解したせいもあると思う

  7. 人間七七四年 | URL | -

    東北の戦国を具現化したような武将だな

  8. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    ※5
    やはりその2人は将としての才能や器が大きかったのだと再認識させられますね
    政宗もここではネタにされることが多いけど戦国時代を代表する傑物であることは間違いないですし

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ここでネタにされる人達は傑物であるから記録が残されてる訳でして。。。
    って思ったけど、天庵様がいたなぁ。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    天庵様だって(一応)傑物だから問題ないよ!




    たぶん

  11. 人間七七四年 | URL | -

    多くの人が気が付いていると思いましたが、

    ・父の死により十代前半で当主に
    ・直後の一族間での抗争に勝利
    ・当主期間中に婚姻によって外交方針を転換
    ・(誇張が有ると考えられているが)内政面で悪評プンプン
    ・父子間でのトラブルの果てに失脚
    ・80代と長寿は保った

    驚くほど武田信虎と共通点の多い生涯の人ですね。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    信長の野望シリーズでは実季は内政面でそこそこ使えるんだけど、次作かさらにその次くらいで大幅ダウンがあるかもな

  13. 人間七七四年 | URL | -

    何しろ周囲に居たのが最上義光・津軽為信・戸沢盛安・南部信直&利直たちだからな
    実季はよくやったほうじゃないかと思う

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    信虎は信玄ageのせいでディスられてるだけで
    実際の事績は悪く無かったりする

  15. 人間七七四年 | URL | -

    個々のトラブルを見れば檜山と湊の分裂を防ぎ、一時は改易の危機になりながらも
    豊臣から本領安堵を勝ち取り、年来の宿敵であった南部と和睦
    浅利騒動も勝利を収めるなど(この勝利は後で裏目に出るが)結果は出しているし実季は十分優秀だよ
    関ヶ原での対応と俊季との対立は確かにヘタ打ったけど、弁護の余地はあるっちゃあるし

  16. 人間七七四年 | URL | -

    藩翰譜で悪政しまくった記述は当主の座を追われたことで
    対立してた息子の俊季と湊系家臣がその後の藩政の主導権握り
    そっちが悪口書きまくったせいじゃないかねえ
    幕府から強制引退させられた理由も別に苛政を理由としてないし

  17. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも何で俊季がそんなに気に入らんかったのかわからん
    ソリが合わなかったのか?

  18. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    >何しろ周囲に居たのが最上義光・津軽為信・戸沢盛安・南部信直&利直たちだからな

    言われてみれば確かにな。
    その状況で領地を保てる、と自信をもって言える者は、このスレにも何人いるか・・・

  19. 人間七七四年 | URL | -

    実季もキャリア開始の時点で内外の周囲がみな敵の中を闘い当主の座を勝ち取り
    南部に奪われた比内取り戻したうえで浅利を瓦解させて支配権を確立した当時の群雄であって
    周辺大名と並び立つ存在だろう
    中央政権の誰と強いコネがあったかがその後の明暗を分けただけであって
    こればかりは未来予知できるエスパーでもないと正しい選択は出来まい

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