これがすなわち松梅院の先祖である

2015年12月04日 13:55

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/04(金) 12:53:59.54 ID:CEXRMiHA
 北野聖廟院の宮司は昔から妻帯で神務なされていたところ、天正年中に清僧が『出家した者もいるのもよいだろう』とのことを申した。そこで宮司達は相談して、日枝山に申し遣わしたところ、
『高僧が上京して神務に加わる』、と申されたという。

これがすなわち松梅院の先祖である。

 この僧は隠密に妾に女子を産ませていた。後に殿下秀次公の妾となった。
この勢いで古来からの書物などを宮司から取り立てて、ついに天満宮第一の社僧となった。もちろん妻帯も許された。
それからは相続は今の通りとなり、宮司は逆に下座となった。ひとえに秀次公の威勢によるものである。
この松梅院の女は秀次公が自害なされた後、七条河原で死罪となった。
今でも松梅院では、大切にこの女の年忌を務められなさっているとの事である。

そして、宮司は他所からの養子は制禁のところ、自然と隠して他から貰って、実子と申し立てましても、
早世か、または身持ちは放埓でその家を潰すかで、神慮の程がはっきりとあらわれている。
それなので、互いに仲間同士で養子をしているとの事である。
(本阿弥行状記)




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