最上義光 長谷堂城の戦いで孤軍奮闘

2015年12月20日 17:18

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/20(日) 06:18:09.86 ID:2mb6e18O
徳川家康「上杉勢への手出しは無用」

http://www.sankei.com/smp/premium/news/151219/prm1512190013-s.html

最上義光 長谷堂城の戦いで孤軍奮闘

 「上杉勢への手出しは無用」。
小山評定直前の1600(慶長5)年7月23日付で、徳川家康最上義光に手紙を出した。上杉攻めの中止は評定前に決まっていたのである。

 義光は家康の依頼で北から上杉を攻める準備を整えたばかり。
随分勝手な中止要請だが、上方を空にして石田三成の挙兵を誘う家康の計算通りに事態が進んでいた。
最上義光歴史館(山形市)の学芸員、揚妻(あげつま)昭一郎さんは「義光はかなり前から家康との関係を大事にしていた」と話す。

 「奥羽諸将は自国の防衛もままならぬまま山形に集結したのでこれ幸いにと引き揚げていった」といい、
最上勢は独力で上杉軍と対峙(たいじ)することに。
直江兼続率いる上杉軍3万6千が三方から侵攻し、北の関ケ原「慶長出羽合戦」が始まる。
最上勢は8500。兼続は最上の支城を次々と落とし、本城・山形城も「時間がかかるまい」と豪語。義光は支城の兵を撤退させ、中央に集中。
地の利を生かしたゲリラ戦や夜襲で上杉軍を悩ませた。激戦の長谷堂城の戦いを中心に奮闘。9月末には両軍が関ケ原の戦いの結果を知る。

 この合戦の戦場や上杉軍進軍ルートを現地調査している同館サポーターの松本芳雄さんは「一気に攻められていたら山形城は持たなかった」。

 謀略を駆使するヒールのイメージが定着している義光だが、
揚妻さんは「内政に力を入れ、戦いは犠牲の少ない方法を好んだ。清和源氏、足利氏、斯波氏の流れから信仰心のあつい家柄だった」と強調する。



795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/20(日) 12:26:10.28 ID:HXV+bd3f
策謀家と内政家・篤信家の側面は別に両立しうるよな

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/21(月) 00:18:39.07 ID:y8HEMUWi
清廉は侮蔑され匹夫は殺され必死は囚われる

優れた将は真面目で嘘つきで誠実だが腹黒いというような清濁併せ持つ、複雑怪奇な生き物でなければならない

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/21(月) 02:16:56.11 ID:zI6t9Yup
>>794
謀略を駆使するイメージかw
例えるなら呂蒙かな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    最上は直江の前にイケニエにされたのだ…

    (´・ω・`)生き残ったけどさ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    関ヶ原本戦に負けないくらいの名勝負になったとは思う慶長出羽合戦

    最上はもっと評価されていい

  3. 人間七七四年 | URL | -

    数年前最上義光歴史館に行った時、この時の鮭サマの兜見ましたよ。
    有名な「直江鉄砲隊につけられたという弾創」、本当に危なかったなあ〜と思いながら…。
    激闘だったんだな…と。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    延沢満延もこの戦いの時まで健在で参戦してほしかった。
    もし前田慶次とぶつかっていたらどれほどの戦いになっていただろう。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ところで斯波氏ってそんなに信仰心の篤い家柄だったっけ?
    少なくとも寺社領への横領行為は容赦なかったよね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    撤退する直江軍の指揮していたのって水原だっけ?
    進攻時に既に撤退の準備していたんだよな

  7. 人間七七四年 | URL | -

    最上義光記念館のアンケートをホームページで見たら鮭様人気だったよ。ただ「義光以外知らない」と書かれてた

    志村「・・・」
    (´・ω・`)⊃「志村、元気だせ」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    信仰が篤いのは斯波氏と言う血統ではなくて東北という地域によるものだと思うんだけどなー、歴代最上当主は寺領に色々施してるし
    本家の大崎氏や同じ分家の高水寺斯波氏の資料もあれば分かるだろうけど両家とも滅亡してるからなー

  9. 人間七七四年 | URL | -

    家康の事を信頼してたのに、「征伐中止、上杉と戦うな」と言われたのに、上杉から攻められ戦うしかなかった鮭様。この時は、どんな気持ちだったんだろうな。伊達家は御家騒動があっても改易されなかったのに、最上家は御家騒動があって改易なんて不憫過ぎる。

  10. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    ※4にもあるけど満延さんと慶次郎が相対していたらさぞかし凄かっただろうなと夢想してしまう
    もっとも一騎打ちなんぞやってもし負けたら士気がやばいから義光は許さなかっただろうが

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※7さん
    普通は大名は知っていても、その家臣団は知らないって人の方が普通だと思います。
    多分それは有名所の織田家や豊臣家であっても、知らないって人が多いと思う。
    せいぜい大河ドラマや歴史番組で取り上げられてる人くらいでしょうね。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    お家騒動が起きた時はすでに鮭様死んでんじゃん
    経緯見てもあれじゃ潰されても仕方ないし

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    >有名な「直江鉄砲隊につけられたという弾創」、本当に危なかったなあ〜と思いながら…。
    >激闘だったんだな…と。

    確かに激闘で危なかったんだけど、でもそれ、大将でありながらまた最前線に出てしまったせいだから・・・
    後方に控えていれば、多分その弾痕は無かったと思う・・・

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    (`・ω・´)大将が後ろにいてどうやって味方の士気が上がるというのだ?

    馬パカー!

    ダダダーン!!!!!

    (´・ω・`)!

  15. 人間七七四年 | URL | -

    仙北諸将の総大将から一転して四面楚歌の状態だから…

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    寡兵の側が大軍を追撃するんだから前線とか後方とか無い状況だよ

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※14味方の士気が上がるよね。別の意味で・・・

    氏家「またか、いい加減、学習しろ。」
    (´・ω・`)「つい、前に出てしまんよ。」

  18. 人間七七四年 | URL | -

    守棟さんは1591年頃に亡くなってるから、八ツ沼にも参戦して氏家の養子になった成沢光氏さんか

  19. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    順当に延沢さんの圧勝だろ。
    あの年代で10歳の差は大きいぞ。

    つか歳変わらなくても延沢さんが勝つか、
    利益がなんやかんやで勝負で負けて戯れで勝ったとかなりそう。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    (´・ω・`)「わしが行ってもいいんじゃね?」
    光安「誰か殿を止めろ!」

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