光秀愛宕山にて連歌の事

2015年12月20日 17:19

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/20(日) 01:23:27.55 ID:F6TkZ+8c
光秀愛宕山にて連歌の事

天正十年五月二十八日、光秀は愛宕山の西坊で百韻の連歌をした。

ときは今あめが下しる五月かな  光秀
水上まさる庭のなつ山      西坊
花おつるながれの末をせきとめて 紹巴

明智の本姓は土岐氏なので、時と土岐と読めて、天下を取るの意味を含んでいた。

 秀吉が光秀を討った後、連歌を聞き大いに怒って紹巴を呼び、
「『天が下しるといふ時』は天下を奪うの心が表れていた。お前は知らなかったのか。」
と責められた。
その発句は『天が下なる』でございます。」
と紹巴は申した。
それならば懐紙を見ましょう、と愛宕山より取りよせて見ると、『天が下しる』と書いてあった。
紹巴は涙を流して、
「これを見てください。懐紙を削って『天が下しる』と書き換えた跡が明らかであります。」
と申す。確かに書き換えてある、と秀吉は罪を許された。

 江村鶴松が筆をとって『あめが下しる』と書いたけれども、光秀討たれて後
紹巴は密かに西坊に心を合わせて、削ってまた始めのごとく『あめが下しる』と書いたという。
(常山紀談)

紹巴もなかなかずるがしこいですね



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    これホントならなんで紹巴は信長に通報しなかったんだろうね。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >1
    wikiでも、この連歌の内容を信長に知られたら絶対叛意がバレルと突っ込まれてた

  3. 人間七七四年 | URL | -

    「心しらぬ人は 何とも言わば言え 身をも惜しまじ 名をも惜しまじ」
    ↑これは後世の創作なのだろうか?
    出来過ぎと言えば出来過ぎな歌だけど。

    で、時代は変わり幕末は明智光秀の子孫を名乗る?坂本龍馬の歌
    「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」

    歴史のロマンか

  4. 人間七七四年 | URL | -

    くじを引きなおしたってエピも、当時は普通に複数回引くって解説もあった。
    大概この前後の出来事は資料が少ないから、後世の人は自然と何かの出来事と
    くっ付けたくなるのでしょう。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    この連歌は信長公記にも書いてあるんだけど(一部違うけど)
    俗説だったとしても当時に近いときに成立したんだろうな。
    ただ里村紹巴は信長公記成立以前に死んでるみたいだから
    江戸期に入ってからの創作である可能性もあるけどね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    政宗の鶺鴒の目もだがもはやこの時代の書き物の真贋は(当時は)考えるだけ無駄なのかもしれない

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