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伝・「鶴姫所用・紺糸裾素懸威胴丸」

2015年12月21日 07:52

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/20(日) 18:34:17.21 ID:0xWi4/0S
愛媛県大三島の大山祇神社が所蔵する鎧に「紺糸裾素懸威胴丸」(重文)があり、
神社はこれを、戦国時代に大祝家の鶴姫が大内水軍との戦いに際して使用したもので、
「女性用の鎧」だとして宣伝しており、世間もこれを広く受け入れている。
その鎧の胴体は胸回りが張り出して腰が細くすぼまり、いかにも女性の体つきを思わせる。
しかし、古くからそう伝えられてきたわけではなく、この話が登場したのは昭和41年、
大祝家末裔で大山祇神社の関係者だった三島安精の素朴な思い込みに始まる。
三島はその胴丸の「いかにも」な見た目から「これは女性用の鎧に違いない!女じゃなきゃ着られない!」
と推測し、その使用者が誰だったかを探求した結果、『大祝家記』なる古記録に出てくる鶴姫という女性が、
その鎧を着たのだという筋書きで『海と女と鎧』という小説を書いて出版し、これが後で流布していったわけだ。
この話が有名になるのに一役買ったのが『図解 日本甲冑事典』などの著者である笹間良彦で、
彼が件の胴丸を着けた鶴姫の絵を描いて神社に奉納したらそれが大受けして土産物の包装紙やラベルに多用された。
けれども、『海と女と鎧』のベースであるはずの『大祝家記』は「門外不出」の書として公開されず、
しかも現在は所在がわからないという検証のしようがない代物で、偽書、創作、虚構を勘ぐりたくなる。
肝心の胴丸のほうも、一見すると確かに「いかにも」女性用だが、戦国期に作られた胴丸・腹巻は、
息をしやすくするために胸を大きく張ってスペースを確保し、重量を腰にも配分するためにウエストを絞り、
結果逆三角形の強い形状に変化していったのが当時の傾向であり、女性用として作られたという説は正しくない。
現在話題になっている徳川美術館の「しかみ像」の逸話のように、軽い思い付きや思い込み程度の話が人気を獲得し、
どんどん話が肉付けされていき、あたかも本当であるかのようにまでなってしまったというのが、
「鶴姫所用・紺糸裾素懸威胴丸」の実際のところである。



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コメント

  1. | |

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  2. 人間七七四年 | URL | -

    地元観光協会にしてみれば、わざわざ事実を追求するよりも、
    毎年金を落としてくれる話の方が重要だからね。
    そりゃ検証も進まないよね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    頼朝公おん十四歳のみぎりのしゃれこうべでして・・・みたいなもんよ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    …あの、管理人さん、カテゴリーが「北海道、東北」になってるんですが、俺だけですか…?
    愛媛なら「中四国」な気がするんですが

  5. まとめ管理人 | URL | -

    ご指摘ありがとうございます。直しておきましたー

  6. 人間七七四年 | URL | 1wIl0x2Y

    甲冑師・西岡文夫氏が、立花家史料館に依頼されて想像製作した「誾千代の鎧」のお披露目イベントにて、女性用鎧についてコメントしている(以下の動画の32:13~)
    ttps://www.youtube.com/watch?v=z9HhugB7FQ4
    「・・・これ(誾千代の鎧)を女性が着ると、今の女性は体格が立派になっているせいもあるかもしれないが、腰がどうしても入らない、かなり小ぶりな女性じゃないと着れないんじゃないか・・・
    よく女性用の鎧といわれているのがあるが、この当時は女性用の鎧を作ったかどうかはわからない・・・」
    「これ(スクリーンに伝・鶴姫の胴丸が映る)はよく例に出される、瀬戸内海の大三島の大山祇神社にある村上水軍の姫の(西岡氏の誤認)鶴姫が着たという設定で、神社でもそういう風に伝来を付けているが元々そういうものではなく、ある時期からそう言われ出したまでで、決して女性用ではない・・・当時の男性はもっと小さかったと思うがそれで十分着られた、着やすいものであったといえる・・・」

    なお西岡氏は以前に鍋島勝茂の具足をはじめ、数々の甲冑類を修復・模造してきた方である
    (ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-9463.html)
    ttp://armor-braid.sakura.ne.jp/index.html

  7. 人間七七四年 | URL | -

    なお、ソースはない

  8. 人間七七四年 | URL | wo2RytNM

    wikipediaの鶴姫のページにも伝承の根拠があやふやで
    鎧の伝来も昭和に創作されたもので検証に堪えないということが書いてある。
    しかし地元の郷土史家によるまっとうな批判的研究はあるのだろうか・・・

    ttps://ja.wikipedia.org/wiki/鶴姫 (大三島)

  9. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    信玄像だって畠山説が出たときに地元の史家が強固に反対してたしなあ
    信玄公の絵は強そうでなければならないって

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