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里見民部と秀頼の朱印状

2016年01月09日 09:24

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/09(土) 05:21:57.90 ID:1X0ifiPd
里見民部と秀頼の朱印状

慶長8(1603)年、最上義光に廃嫡された最上義康暗殺事件の黒幕とされた里見民部少輔(里見義章、里見義正・義満とも)は所領の長崎城を捨て突如として出奔した

里見民部は先の慶長出羽合戦において寡兵で上杉軍を翻弄し、直江兼続の副将の本村親盛を討ち取る等の高名を成したために加賀の前田家が二万石の高禄で召し抱え様と動きを見せた

しかしこれを知った旧主最上義光は激怒し、「民部の様な不貞(不逞)の者を家人とするならば一戦も辞さない。里見は不忠のものなれば身柄を拘束し山形に送られんと欲す。適わない場合はせめて所払いを願う」と使者を差し向けた

前田家も最上家からの介入を蔑ろに出来ずに、民部を雇う事を諦めた

しかし民部は豪(剛)の者であったために次に越前松平家が3万石で召し抱え様とした

義光は越前松平家にも使者を遣わし、徳川将軍家をはじめ有力大名へ里見民部の奉公構の文を出した

民部は幕府の懐刀本多某とも深い仲ではあったが、奉公構が出された事により幕臣になる道も裁たれ、高野山を頼った

やがて最上義光が死に、最上家親が山形藩主となると民部の元に家親から書状が届いた

家親「父(義光)は老齢にあって我が兄にして長男の義康を失った哀しみのあまりに正常な判断が出来ずに民部にその咎の責を取らせ様としたのだろう
悼ましい事件であったが私(家親)は民部に責はないと考えている
また私には頼れる近臣がいないために、是非とも片腕となり政を助けてはくれまいか」

民部は義光の死と家親からの書状に望郷の念も加わり高野山を降り山形へと向かう事にした

海路庄内に着いた里見民部の一族は田川で下吉忠の軍に身柄を拘束され、最上義康が暗殺された櫛引付近で全員が処刑された

民部の遺品には文箱があり
中には「大坂方に与し大願成就の際には庄内三郡を与える」といった豊臣秀頼の朱印状が入っていたと伝わる

「奥羽永慶軍記」など



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    イイハナシダナー

  2. 人間七七四年 | URL | -

    重耳「まだまだ甘いのう」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    武人は望郷の念が出てくると弾に当たるという言い伝えがある。
    斬り斬られの世界に生きる人は死ぬまでいつ仕返しに合うかわからない

  4. 人間七七四年 | URL | -

    そんな証拠の書状があったら大事にとっとくだろう

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    武人(軍人)「俺、この戦いが終わったら、故郷に帰るんだ…」
    確かにどう見ても死亡フラグです本当に(ry

    …ん?つまり、まさか、鬼武蔵の兄貴も……!?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    里見民部の嫡男が最上義光と義康の不和の原因になった里見権兵衛正光で、息子を切腹させまいと一族を連れて出羽に居場所が無くなり最上領を出奔した里見民部は死人に口無しとマイナス面を全部押し付けられて殺された様な気もする。
    弁解すらも許されなかったんだろうね。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    奉公講にされても後藤又兵衛と違って結局大坂入りはしなかったのか

  8. 人間七七四年 | URL | -

    大坂入城で一旗揚げるよりは安寧な老後を選ぼうとしたのだろうか。
    豊臣側で参戦していたなら政宗や景勝を相手に戦っていたと思うとifでも胸熱!

  9. 人間七七四年 | URL | -

    義康の死に民部が主導的な役割を果たしたかについては懐疑的な研究も多いし
    全部押し付けられてぶっ殺された感が強いなあ

  10. 人間七七四年 | URL | -

    むしろ当時は新関久正や下吉忠らに黒幕の嫌疑があった様な。貧乏くじを全部ひっかぶらせられた感が強そう。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    高野山に登った武将ってそこでなにしてるの?
    出家してるわけでもないし、高野山から畑仕事でももらってる形?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    九度山に流された父の昌幸と共に流されたユッキーは「真田紐」を作り大名に売りさばいたり、川で軍事訓練したりしたみたいだね。「焼酎足りないから送って」という手紙が、最初に住んだ寺に残されてるよ。
    多分、他の武将も、そんな感じじゃないかな。

    まーくんの従兄弟の成実も出奔してた時に家康が召し抱えようとしたって話があったね。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※11殿
    就活

    当時は武将と宿坊契約金で稼いでいたのと、京に近かったので、
    就活中の住所不定無職が高野山の宿坊を就活の拠点として利用してた。
    そうなると雇用側もスカウトを「参拝」に行かせる様になる。
    (宿坊契約結べ無かった人は出家して修行僧になった。
     武家のしきたりを知ってたので、参拝客のお世話係を担当)

    まぁ色々な建前をとっぱらって言ってしまえば、
    高野山が求人・人材紹介や登録などの情報サービス事業展開してた。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※13「 京や「大阪に」近かったので 」です ね。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ⁂12-14

    ありです。比叡山とは違う傾向でしょうが、高野山も武家と結構繋がり強いですね。
    完全に商売として成り立ってるし。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    さすがに大坂の陣でも奥州仕置で改易された大崎葛西とかの名のある武将級の浪人は豊臣側には助力してないか?

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※16
    帰農した者を除いたら大崎系は最上、葛西系は南部の家臣になってるからなぁ
    それ以外は伊達に付いたりしてるか
    関ヶ原の頃は近隣大名の力を借りて復帰しようとしたのもいるけど、豊臣に尽くそうとするのは居そうに無いな

  18. 人間七七四年 | URL | -

    高野山での就活!!!
    いろんな人が「何故高野山へ」「高野山で何してたの」と今までずっと疑問に思っていましたが、
    皆さんのおかげですごい勉強になりました!すごい興味深い!

  19. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    高野山で就活とか、某野望で朝廷が就職斡旋してたのを思い出した

  20. 人間七七四年 | URL | USanPCEI

    ※18
    参拝の人、お布施納めに来た名家の家人、物見遊山の人、
    旅の修行僧って名のスパイとか、情報屋まで、
    色んな人が出入りして泊まっていったので、
    全国各地の世情を知ることが出来る社交場だったんだよ。
    ファンタジー系のゲームや漫画の酒場みたいなもんだ。

    お寺は様々な仲介をして、手数り…お布施をもらってた。

  21. 人間七七四年 | URL | -

    ※20殿
    すると…高野山は一種、箱根みたいなイメージだったんですね。
    箱根は古くから開けた温泉地=遊興地で、高野山は一応修行の場かと思ってたんで、
    (修行僧も居ると思いますが)ちょっと自分は考え外してました。

    俄然、高野山が面白く感じられます。解説ありがとうございます。

  22. 人間七七四年 | URL | USanPCEI

    ※21殿
    高野山の方はちょっとネット検索してみたら
    どうも荘園がまともに機能しなくなった為に
    財政難に陥り宿坊ビジネスに走ったみたいだな。
    ただ遊興地ってよりは
    所属団体の枠を超えたビジネスマンの情報交換の場
    って感じだったんではなかろうか?(無職も居たみたいだが)
    大阪や京でサロンなんか開いたら豊臣政権にあらぬ嫌疑掛けられそうだし。

    でも高野山の名産に般若湯があっt・・・あれ?朝っぱらから来客?

  23. 人間七七四年 | URL | -

    (●∀゜)「般若湯ー!」

  24. 人間七七四年 | URL | -

    幕末の私塾なんかも情報交換の場。
    現代の学校やある種の寺社が外部の者を入れたがらないのと大違い

  25. 人間七七四年 | URL | -

    南都の僧坊酒といい、寺院はなぜか酒造りが得意。
    ヨーロッパの修道院もよくワインやらビールやらを造っている。
    金があるからなのか、労働力があるからなのか…。

  26. 人間七七四年 | URL | -

    ※21です

    ああーサロンですか、そういうイメージで捉えるといいのかもですね。
    考えてみたら高野山は別に温泉じゃないから、そこまで遊興地じゃなかったのか…。
    あと、寺領内だから一種アジールって事ですか。

    それと…西欧教会でのワイン作りは元々「キリストの血=ワイン」という見立てで、
    宗教的な事から始まったのではないでしょうか?。
    でも後年には教会の財政のために?売り出したんじゃなかったでしょうか??…(うろ覚えで申し訳無い)

  27. 人間七七四年 | URL | -

    暗殺された最上義康の目的地が高野山だったのは廃嫡されても他家への仕官で新家を立てるワンチャンを鮭様は親心で考えていたのかな?(高野山奥の院には鮭様の墓もあるし)

  28. 人間七七四年 | URL | -

    中世の寺院でアルコール作ってたのって「知識」や「技術」の蓄積場って寺院しか無かったってのがあるかなあとか(´・ω・`)

  29. 人間七七四年 | URL | -

    ※28
    教育機関がある→知識や技術(と暇)を持つ人間がいる
    多数の荘園を管理してる→納められた穀物が余る
    社会奉仕の拠点→貧民が流入して労働力に転化

    知識を使い余った穀物を余った人手で加工するだけなので原価が激安。
    寺内町の職人や門前町に来る参拝客相手にさばけるので販路もある。

    なお知識を軍事研究、穀物を兵糧、労働力を兵力に振り向けると僧兵のできあがり。

  30. 人間七七四年 | URL | -

    禅寺なんかは大陸との結びつきが強かったんで
    当時珍しかった油料理のノウハウを持ってた。
    大名が揚げ物とか食べたいんで禅寺詣でする
    ってのが結構あった模様。

  31. 人間七七四年 | URL | -

    ※27
    アレは本当に家康が絡んでたのなら、
    力のあるお寺に匿ってもらうしか、もう手が無いような。
    仕官っていっても家康生きてる間は絶望的だし。

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