大谷刑部少輔(吉継)は徳川家康に無二の忠節を申し上げ、大事の相談の在った時も、心底に残す所無く
家康の御為を大切にした人物であった。
ところが、宇喜多黄門(秀家)家中において不慮の紛争が起こった時(宇喜多騒動)、大谷はこれを取り持ち
榊原康政も引き加えて紛争を解決しようとしたが失敗、戸川肥前守、宇喜多左京、岡越前守、花房志摩守などは
「宇喜多秀家から討ち手を向けられれば打って出る!」と、その時の相印として上下皆坊主にした。
これを家康は聞き及び、康政を叱りつけた
「関東よりお前と交代する平岩主計頭が既に上ってきているのに、式部(康政)はどうして関東に下らず、
要らぬ他家への取り持ちをしているのか?そのように欲にふけり、取り持ちに対する礼物を欲しがるような
者だったとは思わなかった!」
康政はこれを聞くやいなや、どこにも暇乞いすらせず早々と関東に下っていった。
大谷吉継はこのことを聞いて思った
「式部をそのようにお叱りなされたということは、私も同様に思われているということだ。
それにして言い方があるではないか。取り持ちをしたのを礼物目当ての汚らしい心中であると仰せになったことは、
草履で面を踏まれたのも同然だ!」
そう家康を怨み、腹を立てて泣いたという。
(玉露叢)
97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/05(金) 21:06:05.15 ID:dLnsTis+
康政を挑発して帰還させ、宇喜多家の騒動の泥沼化→弱体化させる魂胆ですか?
コメント
人間七七四年 | URL | JalddpaA
他家のゴタゴタに首つっこんで良くなるケースなんて稀だし家康の言うことも尤もでしょ
礼物云々も、康政さんが私欲で動くような人じゃないのを知っての上でわざと言ってるように見えるし
( 2016年02月07日 14:41 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
主持ちだし家康にことわりを入れて康政の助けを乞うべきだけど
文脈からするとそういうの無しっぽいから横車に成り兼ねないもんなあ
( 2016年02月07日 17:13 )
人間七七四年 | URL | 3aXRcdxk
言いたいことは分かるが、礼物云々の部分が異様に嫌味ったらしいな
( 2016年02月08日 11:14 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
騒動の鎮静をしようと介入して要らぬ因縁を宇喜多家からふっかけられるよりかは、
万が一の事に警戒するだけに留めておいた方が徳川家からしてみれば正解だったという事じゃないですか?
大谷吉継にとってみれば宇喜多家の騒動を対岸の火事と捉えるわけにはいかない立場ではあったと思いますが…。
( 2016年02月08日 16:38 )
コメントの投稿