347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/17(水) 00:29:18.18 ID:OUAq51ED
島津義弘公の決死の関ヶ原敵中突破の後、
道案内役として拉致された文右衛門(恐らく正しくは又右衛門)さんなんだけど、どうやら堺まで一緒だったようです。
後日談があって、慶長16年夏、義弘公77歳の時にわざわざ大隅国加治木まで訪問して再会していたりします。
文右衛門さん曰く、ご存命のうちにもう一度お会いしたかった、とのこと。
もちろん義弘公も大喜びして大歓迎。
関ヶ原の思い出話に花を咲かせて、さらにその後もあの時のお礼と言わんばかりに宴三昧、ご褒美をたくさん与えたようです。
なおこの文右衛門さんですが、どこの国で苗字は何なのか、正体不明のままです。
大小の刀を差していたことから士分であったことは間違いないようですが。
素性がバレて義弘公の逃亡を手伝った罪に問われる事を防ぐため、島津家なりの配慮なのでしょう。
ただそれが敵中突破後の退却路がよく分からん、という結果にも繋がっているのだと思います。
関ヶ原後日談に見る、身分違いも気にしない義弘公とその戦友の良い話。
(帖佐彦左衛門宗辰覚書)
島津義弘公の決死の関ヶ原敵中突破の後、
道案内役として拉致された文右衛門(恐らく正しくは又右衛門)さんなんだけど、どうやら堺まで一緒だったようです。
後日談があって、慶長16年夏、義弘公77歳の時にわざわざ大隅国加治木まで訪問して再会していたりします。
文右衛門さん曰く、ご存命のうちにもう一度お会いしたかった、とのこと。
もちろん義弘公も大喜びして大歓迎。
関ヶ原の思い出話に花を咲かせて、さらにその後もあの時のお礼と言わんばかりに宴三昧、ご褒美をたくさん与えたようです。
なおこの文右衛門さんですが、どこの国で苗字は何なのか、正体不明のままです。
大小の刀を差していたことから士分であったことは間違いないようですが。
素性がバレて義弘公の逃亡を手伝った罪に問われる事を防ぐため、島津家なりの配慮なのでしょう。
ただそれが敵中突破後の退却路がよく分からん、という結果にも繋がっているのだと思います。
関ヶ原後日談に見る、身分違いも気にしない義弘公とその戦友の良い話。
(帖佐彦左衛門宗辰覚書)
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コメント
人間七七四年 | URL | -
die道寺「いい話ですな・・・おっと、それがしも呼ばれているので失礼いたします。」
( 2016年02月18日 11:03 )
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信濃国人「ぶ、無事に通したら本当に人質は解放してくれるんですよねっ!?」
Nさん「おう、考えといてやるよ」
( 2016年02月18日 12:47 )
人間七七四年 | URL | -
出浦盛清「手伝いしたら脇差まで頂けましたわ」
( 2016年02月18日 13:05 )
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※2
Nさん「約束通り人質は開放してやったぜ……この世からな!」
ま さ に 鬼
( 2016年02月18日 15:50 )
人間七七四年 | URL | -
出会ったのが、鬼は鬼でも鬼島津で本当に、本っ当に良かったな文右衛門さん…
( 2016年02月18日 17:28 )
人間七七四年 | URL | -
忠勝「わしも道案内は解放したぞ。」
( 2016年02月19日 11:18 )
人間七七四年 | URL | -
多分だけど、長束さんの家臣だったからってのもあるかも?
( 2016年02月20日 13:31 )
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