『知人太郎国清』『才二郎国綱』『剛三郎勝光』

2016年03月19日 18:02

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/18(金) 18:15:55.45 ID:Vxh6YQdw
ある時、京堺などから、才知ある人、あるいは名のある者たちが、安土に信長への御目見えとして下ると、
とある暮時、信長より饗応があると、森の乱(森蘭丸)より伝えられ、皆安土山に登ると、
信長は大変機嫌よく、深夜に至るまで饗宴は続いた。

その座に良琢という丹波の者があったが、彼が「荒木山城守(村重)殿は、馬印に興のある事をしていました。」
と発言した。信長は「それは何か?」と尋ねると

「はい、山城守殿は、白い絹の四半に朱にて

『態と申入候。近日西国へ下向せしむべく候。拙者好物共、いろいろ調へ置かるべく候。
 聊御油断なく御調へ頼入候 恐惶謹言。
(あえて申し入れますが、近々西国(西方浄土)へ行く予定なので、私の好物を色々準備しておいて下さい。
 少しも怠りなく準備して頂くよう頼み入ります。 恐惶謹言。)

  天正三年八月吉日      荒木山城守(判)
    進上 阿弥陀殿 参』

と、このように書かれておりました。」

この話に信長は殊更喜んだ。
また渋屋万左右衛門はこんな話をした

「この頃洛中では、翠竹院道三が、『福の神の10人の子供』に仮名・実名などを付け、京童たちは
これを屏風や扇畳紙などに書き記し、口ずさんでいます。」

「それは如何なることか?」

「はい、それらは『嗇(しわ)太郎為持』『内寝二郎仲吉』『斟酌(しんしゃく)三郎末安』など…」

語り終わらぬ内に信長はみるみる機嫌が悪くなり、大声で言った

「いや!それは工商等には福の神かも知れないが、武家にとっては貧乏神である!
我らの福の神とは、『知人太郎国清』『才二郎国綱』『剛三郎勝光』といった者たちだ。

”知人”とは、彼は宰相の器、これは有司の器、誰々は武将の量など、心優れた人にも問い選び、
心にも練ってこれを知り、そして実際に抜擢し信用する。こういう時はその国の上下恨むことも無くなる。
これぞ国清というべきであろう。

”才”というのは智謀度量を逞しく伸ばし、ただ国綱の久しからん事をのみ、昼夜、寝床の中でまで
考え工夫し尽くせば、その国は必ず久栄となるだろう。これそ国綱と言うべきである。
ただし、周公の才をのみ専ら用いるべきである。その他は才に似て才ではない。
今の世の中で『才覚者』と呼ばれる者は、多くはただ佞人なだけの人物がその名を得ている。

剛の者は進退よろしきに叶い、小功に心を労せず、邪悪の敵を討伐し、温厚の君を尊び、
ただ大功を天下国家に及ぼし、民を撫育しようと思う心が実であるから、天神も感じ入り、
人も自然と服する。こういう時は、一戦功成ってその威光も大変雅やかである。
これもまた、勝光ではないか!

かの嗇太郎為持にして、天下国家を失わざるは稀である。」

そう声高に言われる姿は、辻談義の坊主が椅子に上がって、いかめし顔に説法し、
他宗を誹謗し、自宗を賞賛する様子より、さらに越えたものであった。


(甫庵信長記)



493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/18(金) 23:05:57.10 ID:83Oss3NM
その例えって褒めてるように思えないんだけど

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/18(金) 23:09:43.28 ID:Ltj02MCp
信長記だからなぁ…
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    甫庵て実は信長大好きでしょw

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