この話はここかしこにて囁かれ

2016年03月23日 18:45

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 18:05:18.90 ID:69exh12o
賞の隠れたるはこれを探り、罰の顕れたるはこれを押さえる事こそ、名将の為す所である。
天下泰平の時代でさえ、人の心を疑い、善悪の偽説が往々に流言すること、これ世の常である。

いわんや戦国の人心、昨日は今日に替り、明日は今日に変ずる。これ乱世の常である。
おおよそ兵家において、その時によって虚偽を謀るのは一時の変であり、あえて不信不実の沙汰には
及ばない。ただ、君を欺き親を欺く徒のみその罪逃れる所なかった。

天下一定しない内は、諸侯互いにこれを謀ること、これは乱世の覇将たるもの専らすることであるので、
その事績においては虚実紛々である。

伊達政宗豊臣秀吉の糾明によって私戦の伝評を立てられ、太閤の機嫌を損ね、首尾は他に異なる
ほどであったのに、合戦粉骨で得た地である仙道会津を召し上げられ、蒲生氏郷に与えられた事、
時の盛衰とは言いながら、時日も経ない眼前の賞罰に、伊達家の家臣たちは或いは怨み、或いは憤る者
多かったため、政宗自身の心中もああだろうと推察した者たちが言い広めたのだろうか、
ただ誰となく、このような話が唱えられた

『今度の奥郡発向を幸いに、大崎・葛西・南部の端々の者共一揆の結成を勧め、不日に蜂起すれば、
蒲生氏郷は兵を発してこれを制するであろう。その時政宗もかねてよりの先鋒であるから、出陣するも
一揆と密通して、時所を計り、土地の案内を知らない氏郷を引き入れ、包囲して討ち果たせ、
その後に自ら一揆を鎮めれば、氏郷は不運に滅亡したということに落ち着き、一揆を鎮めた功は
政宗に帰され、その賞として再び会津仙道を得る。その陰謀は実に巧みである。
見ていよ、不日に奥郡に一揆が起こるであろう。』

この話はここかしこにて囁かれ、会津仙道においては只事ではなく、この流言のみ飛び交っていた。

(伊逹秘鑑)

秀吉の奥州仕置の後の、風聞についてのお話。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    まーくんは、氏郷さんが亡くなった時、「あいつが毒を盛ったんじゃないの。」と風聞されたとか、されなかったとか。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    「こんな"流言"が飛び交っていましたよ」と自ら表明することで
    自らが"陰謀"を企んでいたことを否定(隠蔽?)する作戦ですかね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    工場長に関しては病気の症状や予測される病名まで出てる以上、
    陰謀の類でってのはないでしょうね。
    当時本当にこの二人がどう見られていたかを窺える。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    当時から、
    「だってしかたない、まさむねだもの」
    だったという、、、

  5. 人間七七四年 | URL | NkOZRVVI

    ホントだwこれ(>>418)って政宗だから仕方ない空気だわ
    ずっとこういう人だったんだね

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