御大名方へ銀主と申す者達が

2016年03月23日 18:46

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 01:09:40.50 ID:iBFEBss3
 御大名方へ銀主と申す者達が御館入を務め、金銀の御借入れの事などを近年承っています事は甚だあってはならないことです。
万石取は町人風情の金銀を御借入れなくても、なさりようで毎年準備金を残すことができると思われます。
このような事等は誠に役人が物事を自らの仕事を済ますとすぐに立ち去るように取り扱うために起こるのであり、
この事情により御借入することが出てくるのであると思われます。
 銀主と申して館入を務めることは、秀吉公の御代から始まりましたことだそうで、
その余毒がただ今でも行われてきたことは、あってはならない事と思われます。
(本阿弥行状記)

天下一統により需要が増えたので借金しなければならなくなったのでは?
後、本阿弥家のある京阪では銀で、江戸では金なのですね



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    秀宗「借金?催促なら親父に言ってくれ」
    (# ●Д゜)「ゴラァ、借金なら自分で返せ」

    信之「日頃から金を貯めろ。じゃないと、この親子みたいになるぞ。」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    利家「お金は大事だぞ、合戦する暇があったら金を貯めておく事じゃ」
    利長「それを母上の前で言ってみてくだされ」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ソース元は不明だが、江戸時代の大阪では金よりももっぱら銀が使われていたという話。
    そういやなぜ違いが出たのだろうな。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    金は仏様の肌に使われる色だから、古い寺社が多い関西圏では貨幣的な意味を見出だせなかったとか?

  5. 人間七七四年 | URL | XPh8VFiw

    大雑把だけど、西日本には石見や多田や生野など銀山が多いような気がする。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    江戸時代以降は西日本は金山が多い気がしますね。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    「あさが来た」で、明治になり大阪の両替屋が大名からの借金を回収することができず、潰れた店が相次いだ。って話があったけど、戦国から江戸時代にも、似たような例があったのかな。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    戦国時代の商人は、各地の大名に仕えていた人はおとり潰しや転封に巻き込まれてしまったイメージはあるけど、そもそも潰れて名前が残るほどの商家って少なかったような。

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