【雑談】人相見について

2016年03月24日 17:12

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 21:23:19.98 ID:4pG2BeYQ
人相見はいつの時代くらいからあるの?
中国から輸入されたものだろうと思うが

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 21:33:32.71 ID:4pG2BeYQ
自分でググってみたが、戦国時代には僧侶が人相学の知識持っていたようだ。

「ヨーロッパでは古くから人相学の研究が盛んに行われ、古代ギリシャではヒポクラテス、アリストテレス、プラトンなどが古代西洋人相学の基礎を築いたと言われる。
18世紀にはスイスのラヴァーターがそれまであった多くの文献をまとめた『人相学断章』を著した。
またドイツのクレッチマーなどは現代科学の側面から人相を研究した。
日本で最も古い相書(人相学の本)とされるものは室町時代の天山阿闍(てんざんあじゃ)著の『先天相法』である。
元禄時代にはアジアから大量の相書が輸入され、民衆の間に人相学が広まった。
この頃から浮世絵などで人物の性格を表すのに人相学が使われるようになった。
明治時代には目黒玄竜子が熱心に研究し、二代目玄竜子は人相学を体系付けたと言われる。」
Wikipedia「人相占い」から引用


「相法は仏教とのかかわりが深く、戦国時代にはもっぱら僧侶の業(わざ)となり、
室町時代には叡山の天山阿闍梨(あじやり)による《先天相法》が出た。
一方、室町末期の《塵塚物語》によれば、
源義経が鞍馬山の天狗から相伝されたという《兵法口舌気(ひようほうくぜつき)》の中に人相術も含まれている。」
世界大百科事典[人相学]より

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 03:09:31.99 ID:WuqJWtzH
人相は三国志の時代からあるからなー

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 04:55:54.41 ID:mGvEqn2w
>>525は反骨の相が出てるから処刑すべき

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 14:03:43.08 ID:RNryVxDD
反骨の相は後頭部が出てるんだっけ?

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 14:18:40.68 ID:3NhZN36w
つまりハゲは反骨ってことかよ

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 19:45:03.09 ID:WOd6IEPf
そういや江戸前期あたりから後頭部がでっぱった骨格が急速に減るそうだな
反骨心が無くなってしまったのか

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 20:29:04.67 ID:eOZbiGAQ
首が180度回る人…

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 20:38:28.79 ID:tCc2aBe8
>>525
はるかに前からある

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 21:20:10.54 ID:50FpX816
三河武士や黒田武士の後頭部はつんつんしてそう

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 21:54:11.95 ID:RNryVxDD
>>529
短頭は弥生型、長頭は縄文型という説がある。
信憑性は知らないが
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    なお、日本海軍では、パイロットの選別の際に、観相学(人相、手相)を導入したことがある。

    『操縦員適性検査ニ関スル相学的研究』とかいう論文がある。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    源氏物語で高麗人に人相見させたあと日本のでも確認してる
    平安時代には和風のもあったっぽい

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >531
    趙の平原君を見出した姑布子卿という人相見がいるから、春秋戦国時代まで遡るのは確実。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    観相学は統計学の一種って話を聞いたことがあるな。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    うろ覚えで間違ってたらすまんだが、姑布子卿は平原君じゃなくて趙襄子ではなかったっけ?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    呉越の戦いの後、范蠡が越王勾践の元を去る時にも同僚の大夫種に
    「我が君は首が長く唇が鳥のクチバシのように尖っている。これは、苦労は分かち合えるが楽しみは分かち合えない相である。貴方も早く立ち去った方が良い」
    と忠告したって話がある。
    正しいかどうかは別として、中国には春秋時代から人相学の概念があったのは間違いないだろうね

  7. 人間七七四年 | URL | -

    宮城谷の小説では、戦国時代後期の顔相見である唐挙が平原君を見た場面がありましたね。
    ただし、基になった記録などは不明です。

  8. ※3 | URL | -

    ※5
    失礼、その通りです。※7の記憶と混同してしまったようだ。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    遡るのにも人相学か単なる中傷かわからなさそう

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