片桐且元が時々に異見していたため

2016年04月06日 11:21

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/05(火) 23:06:15.09 ID:OD6R1q59
関ヶ原により家康の天下となると、自然諸国の大名はみな駿府へと参勤した。慶長10年の春、徳川家康
上洛、大納言徳川秀忠は3月27日に、前田利長、結城秀康を供として上洛した。
この時、徳川家康が伏見城の舟入の楼に上って秀忠の京着の行裝をご覧になるということだったので、
御供の面々は綺羅を輝かせ美麗を尽くし、見物の貴賎は巷に満ちて、目を驚かすばかりであった。

4月26日、徳川秀忠は参内し、叡感あって正二位内大臣征夷大将軍淳和奨学両院別当源氏長者に宣下された。
この時、結城秀康にも正三位権中納言に任じられ、源家の繁栄は日比に越えた。
これより徳川家康は、大御所と称し、秀忠は新将軍と称し天下の大小名は何れも妻子を引き連れ、
江戸と駿府とに相詰めた。

このような中、豊臣家の衰退は日に顕れ、豊臣秀頼の権威も日に衰え、哀れなる有様であった。
殊に徳川家康は、関ヶ原以後は上洛しても大阪に下向すること無く、ただ使番などを以ってその旨を
伝えるだけであった。

大阪には摂津河内両国意外に蔵入地も無くなったため、諸国人は勿論、あるいは絵所、或いは四座の
猿楽に至るまでおおよそ技芸のある者達は、みな大阪を去って関東に罷り下った。
なかんずく、慶長12年、朝鮮国の信使が来朝した時も、直ぐに関東に下向して、大阪には登城すること
なかった。

豊臣秀頼、淀殿を始めとして豊氏恩顧の輩は、何れも憤慨を差し挟むこと少なくなかったが、独り
豊臣家執権の片桐且元が時々に異見していたため、これによって表面化するに至っていなかったのである。

(慶元記)

豊臣家の不満を片桐且元が抑えていたという、慶元記の記事である



493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/05(火) 23:14:19.67 ID:QEURfml4
秀忠は源氏長者にはなって無いんじゃなかったっけ?

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/06(水) 11:18:32.94 ID:dN10VpVF
源家って河内源氏の嫡流(頼朝の家系)に使う言葉じゃねえの?
スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    且元「俺の働き先が上流なんだがストレスでもうダメかもしれない、賤ヶ岳七本槍ともてはやされてた頃に戻りたい」

  2. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    且元さんのような立場には今も昔もなりたくないものですね…
    想像しただけで胃がキュッてなる

  3. 名無しさん@ニュース2ch | URL | -

    >>日比に越えた

    コレって初めて見る表現だけど、具体的にはどういう意味なのかな?

  4. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    ※3
    日比とは海苔の養殖に使う木の棒の組合せ「海苔ひび」のことだから、それに海苔が生い繁った様を比喩表現として使ったの…かなぁ?

    それとも縦書きで「昆」だったなら「広い」とか「豊か」って意味があるからそっちの可能性も考えたが、よくわからんw

  5. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    ※4補足
    さらに邪推を深めると「昆」に魚諞が実は抜けていて「鯤」という日本海溝に棲むという伝説の巨大な竜に例えた可能性もあるんじゃなかろうか?

    ただの思いつきだ。本気にするなwww

  6. 人間七七四年 | URL | -

    日比の比はこの場合「コロ」「ゴロ」と読む。
    源氏の繁栄が日頃に増したっていう意味。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    海苔の養殖が始まるのが綱吉時代以降みたいなんですが…

  8. 人間七七四年 | URL | -

    実質足利将軍時代から、武家長者が将軍になるんじゃなくて将軍が長者みたいなもんだから

  9. 人間七七四年 | URL | -

    テストで「秀忠が就任した役職の正式名称を、書きなさい。」って問題が出たら、泣くよ。何で長たらしい名称なんだよ。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/9905-fc17e9d1
この記事へのトラックバック