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池田話三連発

2016年04月10日 10:04

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/10(日) 00:04:29.42 ID:bPmoY5Ei
昨日になってしまったけど今日は小牧長久手戦の日ということで恒興の話に便乗して
池田話を三連発で。
(悪い話かなと思う微妙なのもあるけどそこは恒興の命日に免じて許してくだされ)

その壱
恒興が10才になった頃信長の遊び相手として信長に仕えることになった。
その頃、母養徳院は吉法師の麻上下(肩衣と袴と思われる)を拝領しており恒興が
仕えるにあたり信秀と謁見することになった時にこの上下を着用させた。
信秀はその恒興を見てその上下がとても似合っていると言ったという。
この上下には織田家の紋である蝶紋が入っていたが池田家でも代々蝶の紋を用いることを
この時に許されたそうな。

(池田勝入斎信輝公少伝)

その弐
恒興が13歳の時、同列の小姓と口論となった。
この小姓は信長のお気に入りでもあったが恒興が父無し子であったことを
普段からバカにしておりこれを元になじることも度々あったという。
(多分この日の口論もそれ絡みであったと思われるが)恒興は無念に感じながらも
信長の屋形でのことだったので憤りを押し込めその場を去った。
しかし憤りが収まらない恒興はこの小姓を待ち伏せし帰宅途中であったところを
バッサリと造作もなく斬り倒してしまった。
その場に居合わせた小姓の仲間達は一斉に刀を抜くと恒興に斬りかかったという。
近くにいたのか運良く森寺がこの騒然の場に来て恒興に斬りかかる者達を次々と
斬るなどして追い払うと恒興を連れ出奔してしまった。
信長は怒りまくったが帰参を許されるまでの間、森寺は信長の気性を知っていたためか
恒興を故郷の伊勢で匿っていたのだという。

(同少伝及び信長の逸話関連あれこれ等を加味)


その参
輝政は年をまたいで産まれたが生年決定で論議になった。
産気づいたのは子年だが産まれ落ちたのは丑年、さてどうするかといった具合である。
最終的に産土神である中村八幡宮に占って貰うことになり出た結果は子年であった。
そのため、輝政は以降子年生まれとされたという。

(同少伝)

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/10(日) 01:12:10.50 ID:bPmoY5Ei
>580の補足を少し

その壱関連
池田履略で光政によると池田の家紋は蝶以前は釘貫だったらしい。
恒興戦死時に着用していた柿色の布が残っていたらしくそれには釘貫と丸貫の違い紋が
入っていたそうだ。
この布の所在地も書いてあったけど今もあるかはわからん。

その参関連
輝政の出生地、通説では清洲なんだが(池田履略も清洲)こっちでは小牧となっていて
当時の池田の館は小牧山山中にあったとされている。
館跡があるらしくここが輝政の出生地らしい。

その弐関連
こっちにも鉢巻話は載っていた。
戦も年代も違っていたりこの弐とつながっている感じではあるんだけど、具足を
用意しようにも金がないから養徳院に助けを求め彼女が集めた綾といった上質の布や
彼女の持ち物である鏡の類まで森寺は売って金を工面して古具足を調達したが兜はなく
鉢巻で戦に出たと大筋は合致していた。
だからどちらにしても若い頃の恒興が苦労したというのは間違いないなさそうかな。


小牧の日に恒興や池田家についての史料をじっくり見ることになったのも何かの縁だろうけど
個人的に楽しかった。
こういう縁を結んでくれたこのスレや鉢巻話レスに感謝!




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    隆景「同じ漢字一文字でも、こうも違うものなのか」
    TERU 「隆景叔父さん、呼んだかおぅ」

  2. 名無しさん@ニュース2ch | URL | -

    池田家が源氏なのに平氏由来のアゲハ蝶家紋なのはそういう由来だったのか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    長可「岳父殿!その弐は感動しましたぞ!」

  4. 人間七七四年 | URL | -

    その参関連だろうけど輝政は古い年と新しい年の間に生まれたので
    幼名を古新丸(ふるわかまる)としたって聞いたことがある

  5. 人間七七四年 | URL | -

    長可が恒興になついていた背景には※3みたいなのが
    あったのかもと思ったりする

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    父無し子なのは長可も一緒だからね......

  7. 人間七七四年 | URL | -

    その弐の逸話は、如何にも武士の世界って話ですね。
    舐められっぱなしでは面目が立たないから、相手を切る。
    ホントにこの手の話が尽きないな戦国時代は<怖

  8. 人間七七四年 | URL | -

    森寺の「森」に反応してしまってどんだけ毒されてるんだよと。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    古新丸(ふるわかまる)って、今でいう「キラキラネーム」みたいだね。
    まーくんの姫君の「五郎八(いろは)姫」って「キラキラネーム」だし、今も、昔も「キラキラネーム」があったってことかな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    森寺って唐突に出てきたから
    誰なんじゃと思ったが、池田の一門の人みたいやね

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    昔の名前は意味を持たせることが多いから、一概にキラキラなんて現代感覚で
    見るのは、ちょっとどうなのかなと思いますね?
    そもそもキラネーム自体が親の品性現している状況と、武士の世界を同じでは
    図れません

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    長男に付けた奇妙丸というのがまだマシに思えるほどひっでえ幼名を付ける奴がいてだな…
    そいつの子供たちに比べれば古新丸や五郎八姫なんてずっとマトモなもんよ

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ここでは名前の奇抜さが論点になってるが、
    昔の人の名前も、今のキラキラネームも
    「漢字に対して読み方は自由」って前提がある点では同じなんだよなw
    某鮭な人なんかも、妹の手紙のおかげで初めて
    ホントは「よしあき」て読み方だったって判明するくらいだからなあ

  14. 人間七七四年 | URL | -

    宍戸隆家の幼名はちょっと衝撃だった。人の名前と気付かなかった。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    「よしあき」の読みの何処が可笑しいのか良く分からない
    それに、そんな事は山形の特殊な環境なら止むを得ないかと?

    それに名前の漢字を当て字読みするのは、別にキラキラにしたい訳でもない筈
    ちょっと論点ズレてる気がするね

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※15
    ん?誰もおかしいなんて言ってないぞ
    でも現代の一般人の感覚だと普通「よしみつ」読みになるじゃん
    昔の武士の名前なんて特に、
    今の人の先入観では、まずこうは読まないだろうって読み方が多い気がしたんで。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※16
    知らない場合に名前の読みは代表的な読みを試みるけど
    光を「あき」と読むのは現代でもよくある。

    そもそも名前の読み方の多彩さは現代でも変わらないし
    画数合わせの当て字読みも多い。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    >>10
    ここに出てくる森寺は森寺秀勝といって織田信秀に仕えていた人で
    乳母のため城に上がっていた養徳院(恒興母)に変わり恒興を養育し
    後見していた
    恒興の父恒利と仲が良かったとも言われていて信長の乳母を探していた
    信秀に恒利が亡くなり寡婦となっていた養徳院(恒興母)を勧めたのも
    この森寺と言われている

    因みに池田家家臣団での立場は筆頭家老、後に江戸三大家老と言われる
    伊木家の祖伊木忠次と恒興の間を取り持ったのもこの森寺

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