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【ニュース】島津義久から琉球国王の書状、伊予にて発見

2016年04月14日 18:51

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/13(水) 16:08:34.38 ID:7lW748pB
島津義久から琉球国王の書状、伊予にて発見される。

 島津義久が天正18(1590)年に尚寧に宛てたとみられる書状が、愛媛県伊予市の個人宅で発見された。
 
 豊臣秀吉の関東平定を伝え、祝いの為に上洛するよう促す内容。義久の書状を研究する東京大史料編纂所の黒嶋敏准教授(日本中世史)は「同時期の他の文書で使っている義久の花押と同タイプで、原本と確定できる」と指摘している。

 書状は縦約33センチ、横約45センチの斐紙(ひし)に筆書きで「日本天正拾八年仲秋廿一日 修理大夫義久」と記され、義久の花押と朱印がある。
 宛名は「琉球国王」としてある。

 書類がどのように愛媛に渡ったのかは不明。黒嶋准教授は、明治には書状が愛媛にあったと示す記録が残っているという。史料編纂所に残る記録では「下浮穴郡役所所蔵文書」と紹介。
「下浮穴郡役所」は明治の一時期、現在の松山市森松町に置かれた後で合併し「伊予郡下浮穴郡役所」となった。
 当時、全国各地の史料を収集していた修史局(現・東大史料編纂所)の1888年の記録にも、「下浮穴伊予郡役所」から義久が琉球国王に宛てた書状1通を複製作成のため持ち帰ったことが記されている。
 その後、修史局が編纂した古文書複製本「史微墨宝 第二編」(89年)にも収録され、薩摩藩の兵が1609年の琉球侵攻の際に奪い取り、その後、伊予の人の手に渡ったのかもしれないとの旨の推測も記載されている。
 書状は東京で複製を作成した後に返却されたが、長らく所在不明だった。
 今春、松山大の山内譲教授(日本中世史)、伊予高の柚山俊夫教諭(伊予史談会常任委員)らが書状を確認。写真を黒嶋准教授に送り、鑑定を依頼した。

 黒嶋准教授は「薩摩が琉球侵攻した1609年以前で、島津家当主から琉球王国への書状の原本が残っている例はなかった。今回見つかったのは大きな成果だ」と評価している。

 書状発見を受け、伊予市文化協会と市教委は16日午後2時から、市中央公民館で黒嶋准教授を招き講演会を開く。演題は「琉球王国と豊臣秀吉―『下浮穴郡役所所蔵文書』の歴史的意義とは」。

 http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20160413/news20160413231.html
(愛媛新聞ニュース)



587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/14(木) 07:01:52.08 ID:xBj0KzN9
学者さんも史料を研究目的で強奪していくんだろ(´・ω・`)

588 名前:sage[] 投稿日:2016/04/14(木) 12:01:32.74 ID:45ebjxff
 この場合は複製作成後に返却してくれたみたいですけど、悪質な相手だと本物ではなく複製した方を持ち主に返したり、もっと悪質だと借りたまま返さない場合もあるそうですね。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    骨董品コレクターなんかも酷いらしいね

    コレクター仲間が亡くなると、「これは生前、自分が貸してた品だ」とか「これは自分が遺品として貰い受ける約束だった」とか嘘ついてかっぱらっていくんだとか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    へうげもので本能寺が燃えてる時に京に来ていた商人達が茶器や掛け軸を『お助け』とかいってかっぱいでたのを思い出した。
    思い入れが強いからこそなりふりを構わず手にしようとする人っているんだよね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    父親の実家の集落でも仏像が隣県のコレクターに盗まれたことあったなあ
    幸い返ってきた、というか取り返せたみたいだけど

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    ??「その茶入は俺のものだ」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ??「その日本号は(元々)わしの物だ!」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5殿
    まあまあ、福島殿、広島城には複製の日本号があるじゃないですか。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    某国が対馬から盗まれた仏像を「これは盗まれたものだから返さない。」と言って、結局、一部だけは返して、後は返さなかったのを思い出した。

  8. 修史局 | URL | eYj5zAx6

    「ちゃんと持ち主に返還したのに…」

  9. 人間七七四年 | URL | -

    大英博物館「騙し取るなんてせこい事するなぁ」

  10. 人間七七四年 | URL | -

    帰ってきたり、元の持ち主に返還されたりするのは本当に運が良い方ですね。

    ※1さんが言うケースは本当に多いですし、実際元軍人の資料が散失した原因の何割かはこれです。残された資料の重要性をご家族の方が理解されないケースや、相手側の嘘だという確証が無いから、
    断れない事が多いそうです。(研究者側も明確な目録なり、遺書なりを残さない方も悪い)

    もっと酷いケースなら進駐軍もですね。価値も理解せず手当たり次第に貴重な物品を奪い、
    保存方法もその形の意味も理解せず、破損させた為に価値を著しく低下させてしまった。
    掛け軸の上下を切り取り、絵の部分だけ残したとか・・・・。
    後年、結局日本人技術者が修復する破目になった。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※10殿

    政宗「上下に切り取ったが悔いなんて無いぜ!」

  12. 人間七七四年 | URL | -

    アイヌの昔話を紹介していた萱野茂も、家宝のアイヌ民具を研究者に盗まれたのがきっかけだったと自伝に書いていたなぁ。

    ところで、文書の内容はどんなもんだったんだろ?

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    それは物の価値を知っていても行った事でしょ?
    米国の場合は、貴重品としてすら扱ってないから・・・

  14. 人間七七四年 | URL | eYj5zAx6

     文章の内容は、島津義久から尚寧に対して

    >豊臣秀吉の関東平定を伝え、祝いの為に上洛するよう促す内容。

    だそうです。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    竜伯さんにとっての琉球は
    独立国でなく
    敵対してない
    ご近所さんのイメージだったんだろうな。

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