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且元の書状

2016年04月15日 18:43

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/15(金) 17:59:53.48 ID:Qv6X6gsX
大阪冬の陣の直前、片桐且元がその大阪屋敷から退去した時、その屋敷の床の中央に一通の書状が
置かれていたという。それは織田有楽斎宛のものであった。中を見てみると、こう書かれていた

『且元、計らざる災いにかかり、城中を追い出されてしまいました。
私は関東に対して、力を尽くして豊臣家を守ろうとした、その寸忠は全て仇となってしまいましたが、
私は、秀頼公の御身の上が今後もつつがなく渡らせられることを望むばかりです。

今、且元が大阪を退いたことが関東に聞こえれば、定めて御不審を持たれるでしょう。或いは乱の
基とも成るかもしれません。

この上は、外に策もありません。ただ御台所(千姫)を早々に本丸へと引き取ることが肝要です。
夢々ご油断あるべからず。』
しかし、大野治長らは早々にこの策を用いず、終にその意図を外してしまったのである。

御台のことは、難波戦記やその他の書にも、大阪落城の時に坂崎出羽守が盗みとって岡山の御陣へ
お供した、とあるが、その説は否定されるべきものである。

(慶元記)



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉存命時ならともかく、力も御恩もない秀頼に尽くす忠なんてどこから湧いてくるっつーのか
    一発逆転狙いの浪人でもなけりゃ豊臣にすがらなきゃ地位も保てないような連中でもあるまいし

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    所がどっこい、豊臣家家臣達の様に保てない人達も居たんですよ。
    元から豊臣家に忠義を感じている人達も居たでしょうけど。

    旧何処家の家臣出身とか、元何処の大名の子孫だとか、血筋はともかくとして大名として復帰できない・今更、何処の家も雇ってくれない(関ヶ原後、何処の家も他家家臣を召抱えているし、領地に余裕がない)・元から豊臣家で一定の禄を貰っている等、諸々の理由で離れられない人達
    だって居たんですよ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    社会人経験してから、且元の辛さが何となく理解できるようになった。
    自分なりにやるだけやって駄目なら、後はぶん投げるしかないよね・・・

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