654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/26(木) 23:09:30.66 ID:YW3TXSxA
大坂落城の時、豊臣秀頼は秘かに薩摩に行かれたという一説がある。
このことは異域でも聞こえていると見えて、『湧幢小品』に(明の朱国禎が著したもので、第三十に見える)
「秀頼が敗走して和泉に入り城を焚て死す。又逃て薩摩に入ると言ふ者有り。」
と書かれている。「和泉に入る」とは誤聴である。
また何で見たのだろうか、落城の時、神祖は天守に火がかかっているのをご覧なされて、
「早く場所を他に移せ。」
と仰せられた。
左右からは
「まだ秀頼の安否が分かっていません。」
と言上があったが、
「天守に火がかかれば落城である。」
との仰せなので、すぐに場所を移されたという。
またある人が言うに、秀頼が薩摩に行った後、大酒で所々で困ったという。
酒の負債が多くあったともいう。
因みに、今高崎候の居間の襖には秀頼の画というものがある。
金地に老松を描き、その上に一体に空き間もなく廉を描いてある。
廉外に見える体である。もっとも着色である。
その筆は雅楽助、山楽などと見える。
(甲子夜話)
秀頼作の絵というものを一度は見てみたいですね
655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/26(木) 23:33:24.77 ID:aTn+OOyq
明の人「似たような話を聞いたことがあるな
父親が乞食から成り上がって天下とった後、子供のために粛清しまくったら
父親の死後、息子が叔父に(一応旭姫の夫だし)攻められ落城
焼死したということになってるが、実はどこかで生存しているという話を」
656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/27(金) 18:48:52.10 ID:/TJu3MHx
>>654
秀頼作
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/Maple_viewers.jpg/1280px-Maple_viewers.jpg

狩野秀頼だけど
657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/27(金) 19:30:34.87 ID:8hj2j5oy
>>656
そっちは"すえより"なんだよなあ
大坂落城の時、豊臣秀頼は秘かに薩摩に行かれたという一説がある。
このことは異域でも聞こえていると見えて、『湧幢小品』に(明の朱国禎が著したもので、第三十に見える)
「秀頼が敗走して和泉に入り城を焚て死す。又逃て薩摩に入ると言ふ者有り。」
と書かれている。「和泉に入る」とは誤聴である。
また何で見たのだろうか、落城の時、神祖は天守に火がかかっているのをご覧なされて、
「早く場所を他に移せ。」
と仰せられた。
左右からは
「まだ秀頼の安否が分かっていません。」
と言上があったが、
「天守に火がかかれば落城である。」
との仰せなので、すぐに場所を移されたという。
またある人が言うに、秀頼が薩摩に行った後、大酒で所々で困ったという。
酒の負債が多くあったともいう。
因みに、今高崎候の居間の襖には秀頼の画というものがある。
金地に老松を描き、その上に一体に空き間もなく廉を描いてある。
廉外に見える体である。もっとも着色である。
その筆は雅楽助、山楽などと見える。
(甲子夜話)
秀頼作の絵というものを一度は見てみたいですね
655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/26(木) 23:33:24.77 ID:aTn+OOyq
明の人「似たような話を聞いたことがあるな
父親が乞食から成り上がって天下とった後、子供のために粛清しまくったら
父親の死後、息子が叔父に(一応旭姫の夫だし)攻められ落城
焼死したということになってるが、実はどこかで生存しているという話を」
656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/27(金) 18:48:52.10 ID:/TJu3MHx
>>654
秀頼作
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/Maple_viewers.jpg/1280px-Maple_viewers.jpg

狩野秀頼だけど
657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/27(金) 19:30:34.87 ID:8hj2j5oy
>>656
そっちは"すえより"なんだよなあ
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コメント
人間七七四年 | URL | -
幸村と一緒にオランダ独立戦争に参加したという説も(無い無い)
( 2016年05月27日 19:51 )
人間七七四年 | URL | sSHoJftA
薩摩で酒の負債が多くあったという話は、泳いで参ったの人が薩摩に逃げ込んでいた時の実話が転嫁された説を掲げたいw
あの人、福島家の難破船からも酒をせしめてたし
( 2016年05月27日 21:24 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
泳いで参ったの人が薩摩にいたときの話は、よく近くの神社に参拝していた
という話ぐらいしか知らないなあ。(その神社には秀家が奉納した盃などが
昔はあったそうな(現在行方不明))
まあ、多少の飲兵衛では薩摩隼人たちに敵わないがな!!
(日の本一の槍を呑み取るくらいは見せないと)
( 2016年05月27日 21:52 )
人間七七四年 | URL | -
薩摩は焼酎は有ったようだが日本酒は有ったのかな
上方文化にどっぷり浸かった秀家が上質の日本酒を望んだら薩摩の人たちもかなり困ったんじゃないかな?八丈島の酒のエピソードからも江戸みたいな大都市でも大名たちは上方の酒を輸送してでも飲んでいたようだし。
当事は清酒の登場はまだだと思うけどやっぱ地方とは日本酒のレベルが違ったんじゃないかな
( 2016年05月28日 07:19 )
人間七七四年 | URL | -
※4
南都諸白なんか最高級品だし奈良でしか手に入らないし
薩摩で呑もうとしたら確かに借金するはめになりそうだ
でも鴻池以前の酒としては珍しく清酒だったらしいから
味が忘れられないというのは本当にあったかもしれない
( 2016年05月28日 09:31 )
人間七七四年 | URL | -
※4殿
鹿児島は数年前まで日本酒の蔵元が唯一ない県だったので(暑いので
作るのに向いていない)その頃も今も日本酒は大概他所から取り寄せたものです。
その頃の薩摩だと焼酎(米)、地酒(灰持酒)、泡盛が飲まれていたと思う。
( 2016年05月28日 10:35 )
人間七七四年 | URL | -
朱重八「>>655は凌遅三千刀、滅九族!」
( 2016年05月28日 13:47 )
人間七七四年 | URL | -
謙信「酒の話題で俺の名前が出てこないなんて…(絶望)」
まぁ軍神様は焼酎より、何となく日本酒なイメージだけども。
( 2016年05月29日 16:51 )
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