天命が既に然らしめる所であろうか。嗚呼。

2016年05月29日 13:07

658 名前:1/2[sage] 投稿日:2016/05/29(日) 00:04:09.47 ID:BEJ0ECpz
大阪冬の陣の和睦後も、畿内の情勢は安定せず、大阪勢が京都を襲うとの風聞が流れると
京は大混乱に陥った。この知らせを受け取った徳川家康は大いに驚き、これは未だ豊臣秀頼
大阪城に在るために、大阪方諸浪人の者達の策動が収まらないのだと判断し、
秀頼に書状を送った

『連々考えるに、秀頼公が大阪城に在ることが、人々に疑心暗鬼を生んでいる。
であれば、国家安穏のためにひとまず大阪城を明け渡し、大和の郡山に移られよ。
その間に畿内を安定させ、大阪城も元通りに普請してお返しするだろう。
七十に余る私であるから、悪しきことは申し入れはしない。織田有楽、大野修理も
よくよく理解して秀頼公を諌めてほしい。

承知なければやむを得ず出馬となるだろうが、和睦から間もなく再び確執に及ぶのは
信を天下に失うに似たり。よくよく了解して、豊家の社稷を絶やさないよう計ってほしい。』

この知らせを受け取った大野治長は驚愕して秀頼に伝える。秀頼は諸士を千畳敷に集め評定を行ったが、
この時真田、後藤は思う所あって出席しなかった。

秀頼は今度の事態に「諸将の心底を聞きたい」と発言を促したが、一大事の儀であり、互いに目を見合わせ
誰も言葉を発せようとしなかった。

が、ここで長宗我部盛親が進み出た

「このように申すのは、思慮が短いかもしれません。ですが道理に合わなければ用いぬまでのことです。
去冬の扱いについて、天下の規範になるような証拠もなければ、和睦の儀は然るべからずと真田、後藤が
言っていたのは、つまりこの事であったのです。
あの時、和平が永く続かないことは、この私ですら解っていました。

今、関東の望みに任せてこの城を去って和州郡山にお移りあらば、一時的には穏便に済むでしょう。
しかし程なくまた難題を申しかけられ、さらに他境へ御座を移されることもあるでしょう。
そうなった時、七手組の者達は勿論、この城に集まった渡りの諸士たちまでも、郡山から他に移ると
成れば、どれほど志のある勇士であっても、望みを失い離散する者も多いことでしょう。
その頃になると今この城にある古老の者達は、寿命で尽く死に果てているでしょう。
であれば、一体誰があって君を守護するのでしょうか?御本懐を果たし申すべき者もなく、もはや
自滅より他ありません、

万一、十分な幸運を得たとしても、織田常真(信雄)と同程度の格式を得るくらいです。
秀吉公の時代、人はみな、この織田常真を卑怯の人として爪弾きにし、信長公の雄才までも、
この人のために罵られたのです。誠に口惜しきことではないでしょうか?

不義卑怯の名を被って生きるのは、武士としてこれ以上の恥辱は有りません。ならば潔く討ち死にして
武名を千歳に残すことこそ願うべきです。
ですが、この城の要害は既に破却され、ここで大敵を防ぐというのは不可能です。
去年、真田、後藤は、美濃尾張までも進出し、また宇治瀬田において防ぐと言上しました。
これも去年であればこの作戦で充分勝利を得ることが出来たでしょうが、今は勝利も覚束ない状況です。
同計同束にてその勝敗が変わることは時の勢いです。

ですが、もはや要害不堅固の城に敵を引き受けても、あたかも籠の中の鳥が殺されるようで無念の第一です。
ですから、何れも討ち死にと覚悟の上は、遠境へ切って出て、五度も十度も強戦して両将軍家の旗本と見れば
左右を顧みず駆け入って奮戦して死にましょう。
木村殿と森殿が言い合わせて二条城に向かえば、京都所司代の板倉も、頭を出すことすら出来ないでしょう。
伏見や茨木に至っては恐るるに足らず。
かくなる上は例えこの城で君には万一御生害あるも、豊家の御恥辱にはなりません!」

この言葉に一座の者達は目の覚めた覚えを成し、「潔し!潔し!」「しからばそのようにしよう!」
そう異口同音に言い合った。

659 名前:2/2[sage] 投稿日:2016/05/29(日) 00:06:14.29 ID:BEJ0ECpz
が、ここに小幡景憲があった。小幡は松平定勝、板倉勝重と申し合わせて大阪城に入っていた。
彼は武田二十四将の一人、小幡昌盛の次男であり武田兵法を良くすること、大阪城中に知られ、
大野主馬介治房が取り持って豊臣秀頼によって召し出された。
新参ではあったが弓矢の智識(合戦の専門家)であるとのことで、大野治長は彼を評定の席に
召し出し、その末座に在ったのだ。

彼は先程の盛親の言葉が、関東のために甚だよろしくないと判断した。
そこで進み出て申し上げた

「古参の歴々を差し置いて末座から異見するのは憚りあることですが、心頭に浮かんだことをそのまま
差し置くのは不忠の至りですから、その一通りを言上いたします。

徳川家康公は近代の良将たちと、あるいは敵対しあるいは従い、大いにその兵法を学ばれ、
治乱盛衰の機微を察し、欲を抑えることを心がけ、権謀に通じ、その知識の高さは現在において
万々の上に出ています。

聞いた所によると、京都伏見方面には既に段々と軍勢が登っているとのことです。
これは能く状況を知っているということでしょう。
大御所は必ず、盛親殿のような雄偉の将が京都を抑え、美濃の近くまで進出すれば
事難しくなると推察された事でしょう。それを知ったからこそ早速軍兵を登らせたのです。
そのような所にもし諸国の假武者(傭兵)を以って向かえば、敵のために捕虜にされに行くような
ものです。

この大阪城は、城郭の破却こそされたと言っても、七重の曲輪などはなお残っており、敵を防ぐに
便利です。そして八万の兵にその兵糧、玉薬は何れも欠けることなく、ことに城兵の武勇は、去年
両将軍にもみせつけたのですから、敵も簡単には攻め掛かって来ないでしょう。

城兵たちはただ、心を一つにして九死に一生の合戦を遂げるのです。そうすれば、特に西国の者達は、
去年の大阪の勝ち戦によって我々への見方を変えていますから、今度も暫く持久戦を遂げれば、その結果
我らに加担するものも多く出るでしょう。であれば、頼み有る戦となります。

それにこの大阪城本丸は、太閤御苦労の縄張りをして残した物ですから、仮に1,2の曲輪が
破却されても、この城を守衛する事こそ孝子の御本意というべきでしょう。」

そう雄弁を以って語った。
この時、大野治長は元から他境へ軍を出すこと好まなかったため、小幡の意見に方針を決定した
のである。
これは秀頼公の不運であり、天命が既に然らしめる所であろうか。嗚呼。

(慶元記)



661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/29(日) 11:44:32.98 ID:kKdVXExc
大野主馬って悪い話ばっかだね。いい話といったら逃げずに死んだことくらいか。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >織田常真を卑怯の人として爪弾きにし、信長公の雄才までも、この人のために罵られたのです。
    >誠に口惜しきことではないでしょうか?

    逸話に突っ込んでもアレではありますが、信雄凄い言われ様だねw
    でも盛親が自分達を攻めた信長に「公」と付けるかな?むしろ長宗我部家にしてみたら、
    織田家に恨みを抱いていても不思議じゃないと思うのだが?

  2. 人間七七四年 | URL | 3/VKSDZ2

    歴史上の事実だけを見ると敵対してたはずなのに長宗我部はなぜか織田・豊臣と仲が良い。
    元親なんかは秀吉にべったりだったみたいだし、信長からは四国の切り取りを認められてらしい(四国征伐と相反する内容だけど)

  3. 人間七七四年 | URL | -

    豊臣政権は織田政権の正統後継者って形だからね
    嫡系の秀信も官位を高くしているし、恐らく成長に従い領土も変わったろう
    秀吉政権に逆らい所領を没収された人も含め、織田家の人々は実権を与えない形で秀吉の近縁に座らせている
    特に秀頼は織田・豊臣の血を引いているわけだから、信長を悪しざま如くいうのはタブー中のタブーだろう

  4. 人間七七四年 | URL | -

    長宗我部と豊臣が絶えて、織田は信雄で命脈を繋ぐんだから、はてさて何が正しいか。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    「慶元記」は甲州流兵学者小幡景憲の弟子の北条氏長が、江戸時代に編纂したもの。
    で、この逸話で鍵となる人物が「小幡景憲」。
    もうこれでどう言う事が分かる逸話ですね。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    天庵「天命が既に然らしめる所であろうか。嗚呼」
    と、天庵さんが吐いたら、どうなったんだろう。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    いい加減、関係の無い場所での無意味な天庵様は止めない?

  8. 人間七七四年 | URL | -

    保身より名誉でしょ
    朝鮮人にはわからないかな

  9. 人間七七四年 | URL | ixivxIWw

    加藤清正に殉死した金官の逸話を見ると、関ヶ原以降に徳川方へ鞍替えした大名はそれ以下だろうね
    太閤の恩を忘れて自己保身に走った大名の多さには驚く

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ゆーても秀次事件でとばっちり受けたり、朝鮮出兵で重い負担食らった人たちは、豊臣に愛想尽かして徳川になついても仕方ないと思うけど。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※6です。空気を読まず、調子に乗ってしまいました。申し訳ありませんでした

  12. 人間七七四年 | URL | -

    自分の主君が※9見たいのだと早々にお家退転するな
    家族も含めれば何万人もの配下を路頭に迷わす決断をする主君には付いて行きたくない
    又、豊臣政権も次々と失政・苛斂誅求しているのに、秀吉の恩義だけで大名を繋ぎ止めるとか無能としか言えないよ?
    まだ、秀吉亡き後まともな政をするならともかく、秀吉が政治機構も官僚制度も死ぬ間際に泥沼に作り上げているから、どちらも機能しない
    豊臣政権は秀吉亡き後完全に崩壊しているから、徳川にかぎらず誰かが新政権樹立しているわな

  13. 人間七七四年 | URL | -

    豊臣恩顧の大名って言われても、元を辿れば秀吉自身含めて織田家の家臣とその陪臣。
    元から在地の大名や武将達の全国からの寄せ集め政権。
    本当の意味で「秀吉への忠誠心」なんてあったのかも、良く分かりませんよね?
    誰だって、おっかない権力者へ行き成り逆らったりはしないでしょうし。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※11さん
    こちらこそキツイ言い方になってしまいました。申し訳ありませんでした。
    ただ最近余りに唐突に天庵様が出てくるので、つい発言してしまいました。
    皆さんにも不快な思いをさせてしまいました。お許し下さい。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    子飼い以外の大大名で、太閤の恩を受けたって言えるのは、毛利系列と上杉くらいでしょ。
    他は良くて減封や、加増でも移封を受けてるし、そもそも四国・九州・関東・東北は
    秀吉に侵略された側だし。
    旧織田系列も基本は主家を乗っ取られたわけだし。
    大友みたく助けてもらったけど、結局改易されてるのも結構いるし。

    真田のように惣無事で救われた小勢力はご恩があるかもしれないが、
    小勢力は生き残るために強い者につくのは当然で、
    それこそ豊臣について家が滅んだら元も子もない。

    金官の例は下層民から士分への取立てという点も加味しなければ、
    家や家臣を守らにゃならん大身の士分と比較するのはおかしい。

    とまあ、※9が袋叩きになってしまってるが、本当に悪いのは何の脈絡もなく朝鮮を出した※8なのはわかってるから。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    朝鮮出兵で財政が火だるまになった家も多いから、そういう家は太閤が死んでせいせいしたって思ってたかもね

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※15
    毛利はそうでもない。秀吉と和睦した時点で結構な領知を削られたし
    一部の海賊衆も巻き上げられた。

    九州征伐のあと隆景に与えられた筑前も、最後は秀秋に持っていかれたし
    めぼしい加増は秀包に与えられた所領くらいかな。

    四国征伐以降いつも大軍を動員し続けた恩賞としてはちと寂しい。

    豊臣政権下で優遇された大大名はやはり徳川、前田でしょう。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    毛利、島津、最上、南部、長曾我部あたりは扱い悪いかな

  19. 人間七七四年 | URL | -

    安東「太閤殿下に渡海するから木材寄越せと言われたんで豊かな自然を伐採でグチャグチャにする羽目になりました。
    えぇ、もちろん恩賞も何もありませんでしたよ」

  20. 人間七七四年 | URL | -

    本能寺の頃から主戦派だった吉川だけは反豊臣だけど、毛利は基本的には親豊臣だよ。佐野道可事件があったり、吉川は毛利家中でイジメられたり。

  21. 人間七七四年 | URL | -

    島津はどっちでもない
    一応助けてもらったのは事実だが

  22. 人間七七四年 | URL | -

    長曾我部も助けてもらったサイドかな

  23. 人間七七四年 | URL | bzb2jBZU

    徳川だって家臣大反対した関東左遷があるよ
    領民も北条遺臣も反感バリバリだし土地は大改造しないといけなかったしいつ暗殺されてもおかしくないしでまさに起死回生

  24. 人間七七四年 | URL | -

    佐竹や鍋島は豊臣恩顧だな

  25. 人間七七四年 | URL | -

    ※19
    どうせ徳川でも天下普請でこき使われるんだからそれくらいは許容範囲

  26. 人間七七四年 | URL | -

    ※16
    なお徳川のせいで天下普請や参覲交代でもっと火の車になる模様

  27. 人間七七四年 | URL | -

    津軽も豊臣恩顧

  28. 人間七七四年 | URL | -

    徳川ものちに大陸出兵を計画してたりするんだけどね

  29. 人間七七四年 | URL | -

    ※19
    土地という形じゃないだけだろ
    太閤の金配りは有名

  30. 人間七七四年 | URL | -

    島津みたく侵略されてたけど助命されから恩があるはず、は無いわ。
    家康みたく張り合って自分の実力を認めさせて、秀吉が優遇せざるを得なかったのも、
    太閤の恩とは言えんべ。

    ※26
    なお、幕府が石高に見合った参勤をしろと命令するほど、他藩と競って出費した模様

  31. 人間七七四年 | URL | -

    豊臣に破格に優遇されまくったといえば宇喜多やろ

    オヤジが死んだばかりの幼君があのまま備前美作+αを安堵されてるって、
    工場長の息子が歯噛みして悔しがる待遇だろ
    お福が秀吉に体売ったと毛利にdisられてもしゃーないわ

    なお、元の領地と家臣からは隔てて育てられたせいで成長後は

  32. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉が、かって清正や三成を立派な家臣に育ってたように、秀頼の為に優秀な家臣の育成に当たればよかったと思います。

  33. 人間七七四年 | URL | uAkw/YaE

    まあ織田恩顧最大級だった秀吉があれだからやり返されても仕方ない
    と、戦国大名たちは思ったことだろう

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