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大友宗麟と怪異

2015年03月26日 18:44

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 20:07:16.68 ID:Y/d1PWex
大友宗麟がある時病を患ったことがあったが、この折、屋敷の天井に血のついた巨大な人の足跡が出現した。
しかし宗麟は、かねてからこのような事を気にしない人物であったので、これが報告されても少しも臆する
様子もなく、

「私の煩いも平癒した。やがて体力も回復するだろう。」

などと言って、驚くことすら無かった。

またある日、お座敷の塀から、小さな松の木が少し顔を出した、かと思うと、にわかに大木と成って
枝を垂れ葉を繁らした。
これに当番の侍が慌てて駆けつけると、この松は次第に細くなり、うつつのように消えてしまった。

人々はこれこそ稀代の珍事だと思ったが、その後のある夜に大友宗麟の座していた畳の間から、
六尺ほどの屏風が自ら出ていき消え失せた。

当時、これだけでなく様々な不思議なことがあった。
人々は、これはきっと不吉の前兆ではないかと、なにか悪いことが起こるのを待ち受けるような心地をしたという。

(大友記)



607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 20:11:22.62 ID:1uV8E8O4
前兆で記録終わりかよw

宗麟公悪逆之事

2015年03月25日 18:41

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 00:03:33.69 ID:Y/d1PWex
宗麟公悪逆之事

豊後の国の鎮守である須原八幡宮の神事は、毎年8月14日から明けて15日まで、放生会御祭として行われた。
所がその年、祭りの最中に恐ろしいことが起こった。
供僧たちが運んでいた御輿がにわかに重くなり、まるで巨岩のようになったためそのまま持ち上げることが出来ず、
御輿は地面に落ちてしまた。
供僧たちは慌てて再び持ち上げようとしたが、動かすことすら出来ない。困り果てている所を、
老僧が一人現れ輿の前に畏まり、三度首を傾け御神体を取り出して、神事の行われる場所へと戻した。
実にただごと成らぬ有り様であった。

この報告を聞いた大友宗麟は言い放った
「そのような世の差し障りなる祭りを渇仰すべきではない!よいか、私はただ、その祭りを今回は中止しろと
言っているのではない。永遠に止めよと言っているのだ!」

これを聞いた人々は困惑した。その祭りは豊年の年にも増やさず、凶年にも減ずること無く、
上古より今まで欠けること無く執り行われてきた祭礼なのだ。それを今に至って捨て去れば、
神慮もいかばかりであろうかと考えたのだ。しかし宗麟は

「それら仏神は、我が宗にとっての魔である!しかれば国中の大寺大社一宇も残らず破却せよ!」

そう言って、先ず第一に住吉大明神の御社の破壊を、山森紹庵に申し付けた。
紹庵は馳せ向かうとこれを焼き払い、御神体を打ち崩した。
紹庵はその後3日を過ぎずに死んだ。

次に豊前国彦山に、清田鎮忠に三千の兵をつけて遣わした。
彦山山中の三千の山伏たちは身命を捨ててこれを防いだが、命知らずのあぶれ者たちが弓鉄砲を揃えて
攻め寄せてきたので、山中の衆も山々谷々に逃げ散った、
鎮忠は上宮まで上り、一宇も残さず灰燼となした。

そんな所に、山伏二人が現れ声高に言い放った「我ら、大友七代までの怨霊となる!」
そう罵倒すると腹を掻っ切り、猛火の中に飛び入った。

さてまた、万寿寺の破却を命ぜられたのは橋本正竹であった。彼は寺に向かうと山門より火をかけた。
その時丁度辻風激しく吹きかけて、回廊、本堂、東行堂に燃え尽き、寺中は瞬く間に灰燼となり、
仏像、経論、聖教はたちまちに寂滅の煙と成って立ち上った。
東堂西堂の人々はこの事態に、わけも分からず裸足のまま、行く末も定めず逃げ惑った。

誠に稀代不思議の悪逆であると、眉をひそめぬ者は居なかった。

吉弘内蔵助には、国中の佛神を薪にせよと命じた。
内蔵助は山々在々を駆け巡り、仏神の尊容(仏像)を日々五駄十駄と集めては打ち割り薪となした。

ある時内蔵助が、阿弥陀観音釈迦如来の仏像を取り集めて湯を沸かそうとした時、釜の中で鉄砲を放った
ような響きがあった。下人たちはこれを怪しみ、内蔵助に報告したが、彼は
「それは膠の焼ける音だろう」と、少しも騒がなかったが、今度は雷が落ちたかのように揺れて鳴り響き、
風呂を沸かしていた仏像の燃え指しが一つ、屋根の上に飛びあがった。

その時、魔風が炎を吹きたて、猛火と煙があっというまに十方全てを覆い尽くした。
内蔵助は慌てふためき逃げようとしたが、逃げ場を失い終に焼死した。
内蔵助の屋敷の者達は七転八倒し、女が泣き叫びながら焼死する有様は、話に聞く八大地獄の罪人が
剣樹に貫かれ、猛火鉄湯に身を焦がす姿というのは、このような物かと思えるほどであった。

(大友記)

関連
大友義統悪逆の事及び彦山の意地


603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 09:59:24.78 ID:AoB6rU9A
山伏「七代祟ろうとしたら保たなかったでござる」

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 12:11:36.07 ID:ArryPMjm
明治の廃仏毀釈より酷い弾圧はかつて無い
日本の文化大革命と言うべき蛮行

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/25(水) 18:20:19.23 ID:4zrWmo/w
松永ボム正「つまりワシは微罪」

大友宗麟の入信

2015年03月22日 16:08

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/21(土) 17:30:00.70 ID:gnSwSeyw
南蛮国よりキリシタンという宗旨が伝わり、豊後国の府内丹生島に一寺を建立してその宗旨を布教した。
大友家中の清田鎮忠、田原近江守らはこの宗教に入信し、日夜聴聞した。

大友宗麟はこのことを聞いて、田原近江守を召して吉利支丹宗の事を尋ねた。
近江守は九州一の弁舌の人であったので、切支丹の外道(寺社を認めない事)の仔細を、さも面白く語った。
これを聞いた宗麟は

「昔、源頼朝公の仕置にも、神仏を鎮めよという内容は第一に見える。そのような大法であるので、私も神仏を
渇仰している。所がそうしているのに、良き事はなく世の災いは多い。
そのような役に立たぬ諸寺諸社を破却するには、外道宗でなければ成り難い。」

そう言って、切支丹に入信した。

この事について、ある年、豊後国内の社家の者が、宗麟を調伏するという事があった。
この事が宗麟の耳に入ると彼は激怒し
「私の武運長久の祈祷などこそすべきであるのに、そうではなく私を調伏するとは、手飼の犬に
脛を噛まれるとの言葉通りだ!事を良くしようとして返って悪くすると言うのはこういう事だ。
この事件に関わった者は、一人残らず死罪にせよ!」

そう命じたが、これを重臣である吉岡宗観が留め、領内からの追放処分で済ませた。
しかしこの事で宗麟の憤りは却って深くなり、それがあって切支丹に成ったのだという。

(大友記)



589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/21(土) 19:59:52.45 ID:vQ+0f67r
吉岡宗歓が生きてる間はまだキリスト教に入信してないんだけどな

大友宗麟調伏事件

2015年03月08日 16:07

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/08(日) 07:55:30.98 ID:ZcJkqeU1
大友義鎮公の不行儀を、その御簾中(正妻)は深くお恨みになり、調伏させた事こそ愚かである。
国中の社僧山伏らをここかしこに集め、昼夜の境もなく祈ること夥しかった。
「いかなる祈祷であるのか」と、人々は皆不審しあった。

このことは深く忍んで行われていたが、ついに義鎮公の耳に入った。
義鎮公は大いに立腹し、「これに関わった者は一人残らず成敗せよ!」と仰せになったが、
吉岡三河守の詫び言により、国内からの追放となった。

その後、不審なことが起きた。義鎮公の姿が突然見えなくなったのである。
家中の者達が国中を探すと、府内間近のクコミ浦と言う場所で見つかった。
そこは大変粗末な柴の庵で、豊後の国主たるものが少しでも住むべき所とは見えなかった。
「このような場所に、お伴を一人も無い軽々しい有り様、一体どういうことですか!?」
と申し上げると、

「それがな、紅葉の景色に惹かれて、心ならずも浮かれ出でたのだ。
府内には思う仔細がある。上ノ原に御座所を移すように。」
そう仰せ下した。

これに重臣である戸次伯耆守(道雪)、臼杵越中守、斉藤兵部少輔を始め、ご一門中その他は話し合ったが、
「確かにお心をはかられての事なのだろうが、上ノ原の普請と言っても、あの場所は御屋形様が
御座を移されるべき場所ではない。どうにかして府内に帰っていただかなければ。」
そうまとまり、様々に申し上げたが、義鎮は同心せず、上ノ原に滞在した。しかしそこは探題御座所では
なかったので、臼杵丹生島に移られた。

その後、義鎮公は御髪を下ろさせられ、宗麟公と名を変えられた。
御一門の老中も思い思いに法体となった。
宗麟公は御患いのようであったが、様々な御養生にて本復し、その後府内へと帰られた。

(大友記)

大友宗麟調伏事件とその出家に関する記事である。




戸次道雪、大友義鎮を諌める

2015年03月07日 16:52

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/07(土) 16:47:23.10 ID:5liutiCy
当屋形である大友義鎮公は、幼少の頃より政道正しき大将であり、儒学の達者にて堯舜湯武の古き跡を
御尋ねになり、何事も、廃れた道を改め、古式の例に任せて御仕置をされた。
かねてより怪力乱神といった徒な事を聞くことはなかった。

所が、このような大将であったのに、いつの間にか性格が変わってしまった。
ある時、御簾の間に移って御酒宴の御慰があったが、その後踊りを見物したいと、国中から二十歳前後の女を
すべて踊り子にするため召し出した。義鎮公が行ったこのような事は限りなかった。

義鎮公は相手がいかなる野人であっても、色良き女をさえ差し出せば、機嫌よく御前に召し、財宝を与えた。
都より楽の役者を召し、酒宴、乱舞、詩歌、管弦に日を送り、偏に好色に傾いた。
美女に対する潰えは万民の苦しみであり、侍の権威は女に掠め取られた。これこそ傾城傾国の基であり、
次第に、日々猥らとなり、いつしか礼儀を忘れ、偏に好色に傾けば、国家滅亡となるであろうと、
これに眉をひそめぬ者はなかった。

戸次伯耆守(道雪)はこれを悔やみ、どうにかして制止したいと日々登城するも、御簾の内に入るのは
許されなかったため、どうにも出来なかった。
そこで戸次は踊り子を用意し、御簾の間にで日々夜々に踊りをした。

これを義鎮公が聞き及び、「伯耆守は月見、花見、酒宴、乱舞といったものを大いに嫌っていたのに、
今踊りを好むとは不審なことだ。きっと私への馳走のつもりなのだろう。見物したい。」と言い出し、
戸次の元へと出向いた。戸次伯耆守は大いに喜び、踊り子たちに三拍子という踊りを三度踊らせ、
それが首尾よく済むと、義鎮に向かって申し上げた

「恐れ多きことですが、請い願わくばその御不行儀を止めて頂きたい。
かつて、御父君である義鑑公の時代は、ご領内六カ国においてさえ、猥らがましきことばかりでしたが、
御屋形様がご若年で家督を継がれてからは、程なくその風潮も収まりました。これも偏に、御屋形様の
ご威光が浅からぬ故でしょう。

さりながら、近年は何事も御政道を投げ打たれ、御簾の間に移られ、家臣たちの言うことは何も聞きたくないと
仰せられました。これでは悪しき事も良き事も申し上げる方法がございません。

毛利陸奥守(元就)は立石合戦で利を失い、御屋形様を恨み、様々な武略を巡らせ、当家を滅ぼす時節を
待っております。
只今の大友家の御様態、御幕下は内より御屋形様を疎んでおります。
義鑑公の時代のように、世間で再び兵乱が始まってしまっては、なんと御勿体なき儀ではありませんか。」

そう、涙を流し申し上げると、義鎮も「ありがたし」と改心した。
翌日は七夕の御礼の儀があったが、諸士が登城すると、義鎮は例年通りの儀式において、
家臣たちと対面し御礼を請けた。このことに、豊後の国中喜悦の思いをなしたのである。

(大友記)



698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/07(土) 20:46:37.55 ID:P9TUOMNt
大友って盟主的な扱いだから義鎮本人の能力が分かりづらい
直接指揮した合戦もなさそうだし今川氏真と大差無さそう
あるいは一条兼定なみか

「柳川3年、肥後3月、肥前・筑前朝茶の子」

2013年02月09日 19:51

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 20:23:28.68 ID:QSJ/rZu2
大友家の全盛期に軍中ではやった戯歌があった

「柳川3年、肥後3月、肥前・筑前朝茶の子」

大友支配下の蒲池氏の居城柳川城の堅牢ぶりを唄った戯歌である。

しかし、その後の大友は朝茶の子呼ばわりした「肥前」の竜造寺に今山合戦で敗れ、肥後筑前の半分を失い、
柳川城も竜造寺に奪われ、
名将立花道雪が最晩年命を削って戦った柳川城攻略戦の敗退を見るに栄枯盛衰を感じさせる戯歌である。






神々の争い

2012年09月08日 20:30

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 05:18:47.30 ID:XGjCSYo5
神々の争い

 武士に戦神と崇められている八幡神を祭る宇佐八幡宮。
 その由来は謎な部分が多いが元はどうも渡来系の鍛冶の神らしく、弓削道鏡の野望を砕いた
宇佐八幡神託事件など朝廷の庇護も厚く、九州最大の荘園領主として君臨していた。
 という訳で、八幡神は天津神として扱われる事が多い。
 また、宇佐八幡は神仏混合政策を主導していた事もあって弥勒寺という寺を抱え、国東半島は
六郷満山という仏教の拠点にもなった。
 さて、今度は国津神である。
 豊後の国の南部、祖母山を中心とした山岳信仰から、とある一族が豊後国に台頭する。
 大神氏。
 この一族、その祖が蛇神という血統を有していた彼らは豊後南部に根を張り、土地は貧しいが
港に適した地形から海上交易によって富を築き勢力を拡大していた。
 そして、彼らが持つ水軍は平家台頭の時代の流れに乗り、源平以前から九州最大の荘園領主であった
宇佐八幡と必然的に利害が衝突する。
 大神氏の子孫である緒方惟義は平家を見限り源氏につき、平家が避難していた宇佐八幡宮を焼き討ち。
 だが、平家が壇ノ浦にて滅んだ後の源頼朝と源義経の対立に巻き込まれた大神氏は義経側について失脚。
 時代は下がり、豊後に下向してきた大友氏はこの神々の争いを徹底的に利用し、
宇佐八幡信仰を利用して地元国人衆であった大神系国人衆を粛清してゆく。
 ただ、宇佐八幡は豊前にあり豊後とは隣とはいえ国が違うために、その八幡信仰を担ったのは
国東半島にある奈多八幡宮である。
 この争いは戦国時代になるまで続けられてゆく。
 大友家が合戦や血縁政策にて大神系国人衆を取り込めば、大神系国人衆はやばくなったら船を使って
伊予に逃げ出しほとぼりが冷めたら豊後に帰還する始末。
 その戦いの決着は全てを否定するこの男の信じる神によってもたらされた。

 大友宗麟『主の為に』

 大神系国人衆は小原鑑元の乱を最後に無力化されるが、宇佐八幡をはじめとする旧態依然として
既得権益の塊だった寺社勢力全てをキリスト教信仰によって大友宗麟は敵に回した。
 
 1561年 宇佐八幡宮焼き討ち

 こうして神の国を作ろうとした男の夢は耳川合戦の大敗にて散り、大友家もその息子義統の代に
朝鮮出兵の不手際にて滅ぶ。
 その不手際の一説に名前があがったのがキリシタンだった志賀親次というのは何の因果だろうか。

 天津・国津・仏教にキリスト教、豊後にはこのような神々が流れた残滓が残り、20世紀その後豊後こと
大分県は国東半島を中心に仏の里をキャッチフレーズに観光資源としてPR。
 最後まで残ったのは仏教だったという神々の争いとその顛末の話。




372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 06:07:11.81 ID:aRY9MqBK
確かに信長っぽい
最終的にキリスト教に取り込まれてしまったが

雑談・大友宗麟のこと

2012年09月07日 20:38

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 08:53:38.23 ID:rDTCjwjr
やめとけ…(´・ω・`)

【大分】大友宗麟PR大作戦 大分市 まちづくりへ検討委
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1346829411/


325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 10:23:52.29 ID:TpRga5x+
ヤブヘビって言葉を思い出した・・・

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 10:52:42.98 ID:W59RMvbQ
太閤秀吉は百姓から天下人になった英雄
なんて思ってた頃に戻りたい

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 11:37:13.75 ID:fAY4MyLn
戦国時代の一番のDQNは織田信長

そう思ってた時期が懐かしいねみんな

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 11:59:09.10 ID:hkfZeY7T
>>326
俺も気配りと頭の回転の速さと人間的魅力で貧民から天下人になったって思ってた・・・

あれ、間違ってないな・・・あれ?

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 14:44:57.60 ID:GkDvIw8o
誰もが言うのは「天下人になるまでの秀吉は好き」

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 14:53:18.40 ID:PpEWX2Gg
ずいぶん前にヒストリアでキリスト教によって愛に目覚め理想の国家をつくろうとした
西洋音楽(ムジカ)を愛した大友宗麟、なんて持ち上げられてたから、そこらでとめとけばいいのに

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 15:09:28.47 ID:ub9Z13rJ
>>326-328
一度知ってしまった以上、
知らなかった頃にはもう戻れない・・・


332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 15:14:00.48 ID:qlwzXjvw
いい意味でも悪い意味でもデカイ男だからな

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 17:11:02.59 ID:Wjow5dIE
ソーリンのキリスト教は市松の酒みたいなもんだな。

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/06(木) 17:14:49.07 ID:MfMuhx+J
宗麟公とその周辺は、キリスト教宣教師の側の記録と日本人の側の記録の格差があまりに酷くて
比べてると乾いた笑いしか出ない。

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 01:01:03.11 ID:kWlvANan
大分が生んだ戦国時代のキリシタン大名、大友宗麟(1530~87)を大分市のまちづくりに生かしていこう、と同市は有識者や町おこしグループをメンバーに
大友宗麟プロモーション検討委員会」(委員長=吉津弘一・日本文理大学経営経済学部教授、9人)を発足させた。

 宗麟は南蛮貿易に取り組み、西洋音楽や西洋医術などを積極的に導入。宣教師フランシスコ・ザビエルにキリスト教の布教を許した。
ヨーロッパでは、九州の地図は「BUNGO(豊後)」と記され、宗麟が描かれた絵画も残っており「王として知れ渡っていた」(鹿毛敏夫・東京大学史料編纂所国内研究員)。

 3日に同市役所であった検討委初会合では藤沢卓弘・大分商工会議所青年部副会長は「パエリアなど南蛮料理を飲食店と提携して出してみたらどうか」と提案。
牧達夫・NPO法人大友氏顕彰会理事長は「業績や資料を目にすることができる場所の確保を」と求め、
県立芸術文化短期大学1年の竹中容子さんは「歴女(歴史好きな女性)の学生には甲冑を着けたいという人もいる。難しい話よりインパクト重視で」とアイデアを出した。

 委員会は、来年1月まで毎月1回開き、具体的なPR方法をまとめ、来年2月に釘宮磐市長に報告書を提出する。

 同市は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らに比べて知名度の低い宗麟にあらためてスポットライトを当てよう、
と昨年の市制施行100年を契機に宗麟を柱の一つにしたまちづくりに着手。本年度は児童向けの副読本作成や
国史跡「大友氏遺跡」を観光拠点とするための保存事業など14事業を予算化。観光客を意識し宗麟像があるJR大分駅前に、
ザビエル像を3年以内に新設することも予定している。

=2012/09/05付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/322259

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 01:26:54.08 ID:AryGjO1K
>>342
人妻は宿泊割引とか、仏教徒は2割増しとかで

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 01:31:38.20 ID:4sIVIzBZ
それはちょっと・・・
つか宗麟押しは悪い話かよw

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 01:33:50.86 ID:O62kEgbm
>織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らに比べて知名度の低い宗麟

この3人と比べる事自体間違ってるだろw

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 07:26:14.49 ID:VP9ypd+i
あんまり宗麟は掘り起こさない方がいいと思うな
情けなくなるから


347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 11:03:00.85 ID:xlZ8SbNS
宗麟の知名度よりも隣の島津さんや家来の道雪・宗茂の方が高そうだし。

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 11:57:11.88 ID:JIkweN8t
知名度は低いが優秀なキリシタン大名って所で
終わらせておいたほうがいいよね。

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 12:04:08.31 ID:9qqHBY3H
>>児童向けの副読本作成や
宗麟ってR15指定だよな

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 12:17:34.17 ID:iZdvwBUr
知らない方がいい事もある…


351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 12:44:48.03 ID:/nOj86H9
輝元よりはマシだと思うがねえ…

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 12:51:37.45 ID:taYFq6P2
最後の方で見せた意地は良いと思うんだけどな

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 13:42:35.00 ID:yIisNEzp
ゆるキャラ:大友宗リン

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 14:42:21.41 ID:tmTZfyp3
TERUには愛嬌があるけど、宗リンはなんていうか、のりがガチなんだよ

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 15:38:15.40 ID:qOrIL3ku
靖国の遊就館にある国崩しって実戦使用した物なんだろか?

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 20:26:22.72 ID:jCfq0HyF
>>353
はるか昔、某誌で女子大生がムネリンと呼んでゲームで使用してだな

青年武士シマンとその叔父

2012年07月13日 20:59

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 20:01:51.45 ID:rf3Ug6Rg
『日本人イルマンがパンタリヤン(田原親盛大友宗麟三男)の城に於いて説教を行なっていた時、
豊後国の大身の一人の兄弟にて、名を式部殿と呼ぶ武士がこの場所にあって、ことごとく説教を聴き終わった後
洗礼を受け、バスチャンという名を与えられた。
翌日彼はパードレ・ペロ・ゴメスと日本人イルマン一人を伴ってその家に帰り、直ちにその妻と家族及び
家人一同に説教を聞かせ、約80人に洗礼を受けさせた。

また、このパンタリヤンの城において、偶然彼を訪問していた青年武士が一人キリシタンとなった。
彼については特に報ずるべき事件が起きた。

シマンと名付けられたこの青年は、説教を聞くと熱意に満ち、偶像を崇拝していた過去を恥じて、次の手段によって
これを改める決心をした。すなわち洗礼を受けた後、その家に戻らず、直ちに領内の町村に行って、同所にある
寺院に火を放ったのだ。

この事は突然行われたので、坊主も俗人も驚き、火災が甚だしいため、住民は彼が豊後の王(大友宗麟)に叛いたか、
あるいはその地が敵の手に落ちたものかと考えた。

彼は領内にある、彼の父の兄の寺院に至ると人を遣わして、

「私は既にキリシタンになったことにより、その領内における神仏の愚行を容認することが出来ない。
しかしこの寺院は叔父上のものであるのであえてこれを焼却しないが、叔父上が自ら命じてこれを焼き払われる
事を望む」

との旨を伝えた。叔父はこれに返答をせず、異教徒である親類及びその兵士とともにこの寺院を守る決意を固めた。
この叔父の態度にシマンは大いに怒り、彼を殺すことを決心し、必ずその首を取ると言い放った。

叔父は偶像崇拝の保護者たる親賢(田原親賢大友宗麟の妻奈多夫人の兄。反キリスト教)に頼り事の顛末を
伝えた。この事は神仏を守ることであると田原親賢はこの要請を引き受け

「怖れるには及ばない!私自ら保護に当たろう!」

と宣言した。それでも青年は叔父を殺す決心を動かさず、また田原親賢は既に約束した事によりこの叔父を守ろうとした。
しかしその田原親賢の婿であるパンタリヤン(田原親盛)は、こと信仰に関することであるので青年に好意を寄せ、シマンの
許に人を遣わして、この問題においては感情的にならず、道理によって処置すべきだ。もしその結果によってあなたに
見の危険が迫ることがあれば生命をかけて防ぐ。そう伝えた。

(中略)

その後パンタリヤンはパードレ・ペロ・ゴメスに使者を遣わし、シマンとその叔父のことは既に解決し、二人の裁判官を定め
その正当と認める所に従うよう伝え、裁判官たちは田原親賢が約束を破棄し叔父を保護せず、またこれを臣下とせず
国外に追放し再び入国することを許さず、その所領の半分を没収し、残りの半分はその子に与えると決定した。

その後パードレはシマンがその家臣約2000人をキリシタンにしようと切望していると聞いた。しかし全員をキリシタンにすれば
労役者が不足するので来れをするのは不可能であった。(キリシタンは労役義務を免除されていたようだ)
シマンは信仰のことに甚だ熱心であり、たとえ世子(大友義統)が反対の命令を下しても、既に説教を聞いた上は
必ず洗礼を受けると言い、ついにこれを受けた。』


大友宗麟の時代の、豊後で起こったキリスト教絡みの騒動の一つである
(天正12年・日本耶蘇会年報)




512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/14(土) 06:54:03.49 ID:zz3tN4If
>>505
キリシタンは労役を免除されてたのか
これはメリットあるな

大友宗麟、天正3年三浦次郎宛書状

2012年06月08日 21:00

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/08(金) 06:07:33.45 ID:+fkYE8yS
毛利の支援を受けた宇喜多直家が、浦上宗景に対し反乱を起こした状況の中、豊後の大友宗麟
浦上宗景の家臣にあてて出した書状


『天正2年閏11月13日付けのあなたからのご音信が、今月(天正3年正月)16日に到着しました。これを見たところ、
宇喜多直家は逆意を起こして兵乱をなし、浦上宗景はこれに攻められ籠城をしているとのこと。是非もないことです。

しかし三村貞広は宗景に対して累年の甚だ深い同盟関係にあるので、些かも別儀は無いと承っております。
これをお頼り成されるべきでしょう。

なお、かねがね宗景に申し語った内容は、我々による防長攻めが余技なくなっているみぎり、
芸州の者(毛利家)は備中表に侵攻しています。私は家中に対し、急速な出兵を申し付けました。

あなた方は三村元親と話し合って行動して下さい。ご才覚によって敵(毛利)を抜かりなく足様にするするのは
今この時です。三村元親兄弟に書状を送った所、今後は別して我らに入魂いたすとのこと。祝着な事であります。
よくよく連絡をとりあうことが肝要です。

なお、田原近江守(親実)が詳しく説明いたします。恐々謹言。

(天正3年)正月30日                    宗麟(花押)

 三浦次郎殿』

(上利文書)

この時大友は毛利領への侵攻を本気で考えていたようであるが、おそらく龍造寺との紛争などで動けず、
結局この、毛利を挟撃する計画は実行されずに終わる。
しかし織田包囲網ならぬ、毛利包囲網も形成されていたんですね。

当時の大友家をめぐる、西日本の外交環境がよく見えてくる書状である。




839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/08(金) 14:04:20.70 ID:1uyas2wL
>>831
三村って正直なところ、家親が狙撃された以外はマイナーな大名ってイメージだし
ウィキペディアの記事もたいしたことないけど、
戦に万単位で兵を繰り出してるし、こういう書状なんかを見るに結構脅威だった感

なんでいまいち日が当たってないんだろう・・・

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/08(金) 16:50:02.47 ID:fKhD3yeK
>>839
一国の覇者とはいえ、なんともあまり存在感のない備中だし、家親は一代の傑物とはいえ、これまた西と東が黒い話には事欠かない、毛利と宇喜多だしで、知名度が劣るのは仕方ないんじゃないかな。
何より大名としては次代で滅んじゃったし。

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/09(土) 02:55:39.41 ID:R9jla7JH

>>831
防長攻めて、北九州止まりじゃん

雑談・宗麟の悪い話は

2012年06月04日 21:05

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 17:14:59.63 ID:bP9OqWak
宗麟の悪い話は、後世に作られたデマ
って書き込みを以前みたけど、どういう根拠だっけ?

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 18:27:08.07 ID:P4o9dyjQ
>>607
宗麟の悪行は主に、宗麟と敵対していた毛利系の記録に残されているものだから、ってやつだったかな?
まあ宗麟の悪行は別に毛利系の記録だけに残ってるわけじゃないけどねw

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 18:37:51.88 ID:x1Moj6SH
被害者が不明瞭な話が多くて、実際創作の悪行も多そうではあるがな

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 18:41:55.11 ID:LSsEfHgr
ぶっちゃけ、いい話悪い話のほとんどって後世の創作臭いしなw

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 18:42:56.21 ID:mwMqvhKs
大友から離れた自分達を正当化するために立花あたりがでっちあげたんだよ、たぶん

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 19:01:15.80 ID:K3Xn2Hyl
大友は没落してるからキリスト教の保護者で有名な宗麟の悪口は禁教政策を進める時に
使い易いネガキャン材料だったのもあるんじゃない?
バカボンの分もまとめた寺社の私怨もありそうだがw

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 20:05:54.90 ID:CSQk4Jro
>>610
それは織り込んだ上での、スレですからw

どうしても信濃黒が欲しくなってしまった親教は

2012年06月03日 21:07

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 13:00:03.56 ID:dJ73p7nk
天正三年、宗麟のもとに信長から名馬が届いた。
宗麟は喜び、信濃黒と名付けて第一の馬として大切に扱った。

ある時、志賀親教は宗麟に拝謁して吉光の脇差をもらった帰りに厩を通りかか
った。そこに馬は二百疋はいたが、その中でも信濃黒は抜群であった。
どうしても信濃黒が欲しくなってしまった親教は、

「さっき、信濃黒を拝領した」

と嘘をつき、責任者がいないからと制止する厩番を振り切り、乗って宿舎へ
帰ってしまった。

戻ってきた厩の責任者はこれを聞いて驚愕、確認のため館へ走った。
近習たちに親教の詐称を確かめ、宗麟に報告した。
すると宗麟は爽やかに笑って言った。

「ちょうど今、脇差だけ与えて信濃黒を与えなかったことを悔やんでいたのだ」


人々は、寛容さで勇士を育てる名将の心だ、と感嘆した。




これ、宗麟のいい話でいいんだよな。
宗麟が志賀の勢力に屈した、親教の悪い話じゃないよな…




597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 13:01:38.06 ID:87XLycsJ
いい話でいいじゃない。そーりんさんのほかの逸話がアレだからって、先入観はよくないよ!

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 13:07:36.76 ID:K2eLk1pE
宗麟さんは名君の片鱗見せるときと暴君の全容見せるときの差が激しいよなぁ

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 13:11:25.42 ID:AtroaGLf
プチラスボスな宗麟、秀吉と気が合うわけだ

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 13:31:27.66 ID:JJc7S4Nn
女好きだしな・・・道雪先生、折檻お願いします

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 13:33:06.18 ID:WSkcNH0Z
しなのくろ、でいいのか?読み方は

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 13:42:01.42 ID:6KWmle2h
志賀親教(親度)も女好きで宗教狂いみたいだし、
宗麟もシンパシー感じてたんじゃ?

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 14:58:15.60 ID:RnnRot/o
これはきれいな宗麟

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 16:09:29.32 ID:3ZxlzVtG
ちょっとケチな憶測になるかもしれないが

実際に宗麟が「脇差あげるだけだと物足りなかったかも」って考えてた所に馬パクられた話が来たから
「馬あげた事にすれば釣り合いがとれるうえに恩も売れてお得じゃん」って思ったのかも

605 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/03(日) 16:15:23.34 ID:s6aLizjf
信長「いい話だ! よし長可は許しちゃお」

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/03(日) 16:52:06.30 ID:G9rCyuKd
悪い話でも長可は許すくせに・・・

虎月毛

2012年05月27日 21:10

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/26(土) 20:50:31.24 ID:45URy85P
昔、肥後の国の菊池氏は忠義に励んでいたので源範頼は虎月毛という馬を与えた。

時代が下り、大友義鎮が九州にその勢力を広げていた永禄の頃、
菊池氏は大友に服従することとなった。
その際、大友氏と婚姻を結び、代々の宝物と共にまだ存命していた虎月毛を贈った。
義鎮はこれを受け取り由来を聞くと、筑紫の国坂東寺村(福岡県八女郡)に田を与え、
人に飼育させることにした。馬は蒲殿(がまどの)の虎月毛と呼ばれた。

その村が秀吉の九州征伐の後に小早川秀包のものとなり、秀包も馬の由来を聞くと、
さらに田を増やして飼うことにした。
文禄の頃、この馬はとうとう、五百歳で死んでしまった。郡内の者たちは葬式の行列をし、
野に出て葬ったが、その葬儀には千人余りの人が出たという。
<南海治乱記より>

ちなみに、伊予市誌には、伊予の九門修理という人が、蒲冠者源範頼の家来で、
範頼の愛馬「虎月毛」を範頼の死後も大切に世話していたらしいという記述があるみたい。

これは源範頼が偽物を菊池氏贈ったのか、それとも菊池氏が由来を捏造して
大友氏に贈ったのか。或いは「虎月毛」が二頭いたのか・・・。

いずれにしても、千人も葬儀に参加したのは凄いよね、ということでいい話に。





367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/26(土) 21:07:01.08 ID:aUsmUUsb
江戸初期まで生きた常陸坊海尊といい、源平の人馬は稀に長生きだな

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/26(土) 21:13:48.10 ID:qZsrnTT2
文禄で五百て事は範頼の元で既に…

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/26(土) 21:49:54.21 ID:VlAD26ut
百段「馬がそんな長生きするわけないじゃん(笑)」

566 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/27(日) 20:58:02.32 ID:FJUHhKB4
頼茂じゃなくて、頼重じゃないか?

そーりん様のバツが悪い話

2012年01月15日 22:00

679 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/15(日) 15:30:22.98 ID:/89Pw9Q0
まとめサイトにある話の別バージョン投下

好色家だった大友宗麟は領内の美女を集めては日夜踊らせていた
流石に家臣たちも止めようとするのだが、意見した者は片っ端からSATSUGAIされ、
宗麟も部屋に引きこもり美女生活を続けていたため、誰も止めることができなかった。
そこで道雪さんは、上方から美しい踊り子を立花城へ数十人連れてきて毎日踊らせた。
当然こんなハーレム話を宗麟がスルーするわけもなく、すぐさま道雪のもとへ使いがやってきた。
「お前が集めたという上方の踊り子を見たいから府内城へ連れてこい」
この時、道雪が「予想通り」と言ったかは定かではない。
すぐさま道雪さんは、一人で府内城へと行き「踊り子とワシが来たよ!って伝えてね」と国老達に言った

一方、そうとは知らぬ宗麟は、美しい踊り子(と道雪)がやってきたと例の国老達から聞き、広間に向かった。
しかし広間にいたのは道雪さんただ一人。
宗麟は思わず聞いた
「あれ?道雪、踊りk「そんなの居ません!だいたい殿は領主としての自覚を…((ry」え!?」
呆気にとられた宗麟は、打ち首にすることなく最後まで説教を聞いたそうな

そーりん様のバツが悪い話


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680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 15:59:32.28 ID:Q/Nq3RfM
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-185.html
その別バージョン↑を読んでみたら
「殿といっしょ」のキャラクターそのままだという意見がちらほら
自分と同じ事考えたのがいたようだ

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 16:15:29.97 ID:kZ5edQlN
            ___ .,  ガ ガ
          , =ニ二三ミ '三`ヽ ¨  タ  タ
         /  /, -─一ー‐、 ヾ :
       /  ///        ヽi l :
     /  ///      .殺   | | .
     |  l l|         u| | : 出た…
      |   | _ァ≒=、、  ir≒ァ|! | : 宗麟さまの
      |  l l|  ´ ̄´,/|  ト ̄´ |! | . 家臣の妻も俺のもの発言…
      |   |       |  |    |||:
     |   ト  u  { _ _〉  ,ノ|||:   ほ、本物だ!
     |   ∧    r─‐ァ  /川! .
     |  | }、   }  |  || | :
      |    |\  `二´   || | :
      |    |\`ー──‐ァ‐'|八 :    /う┐
    _|    |  \___/  乂. }:..  / r个勺_
   ̄  |j  川| | _/|_ _}\_   | |`ー-/    〈/
         八|    ノ ̄|     jノ  匸つ   /


682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 16:27:54.32 ID:sB7d7dwk
     ____
     /⌒  ⌒\
   /( ●) (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \  義父さん!遊びにきたお!
  |  兼 |r┬-|  定  |
  \     `ー'´     /


683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 18:34:24.26 ID:N6Uy0pKe
宗麟はなんで四天王になれなかったの?

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 18:59:31.54 ID:aD3Dzml/
愛せないから

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 19:07:28.39 ID:QtimRa22
>>683
狂気が足りないのかも。

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 19:22:29.70 ID:iOK384lB
宗教が絡むからネタにしにくいのがあるんじゃね?
あと、弁護のしようがない他の人と違って、単に配下の豪族ともめて粛清したのが、
妻を横取りしたのが原因と曲げられて伝わってる説もあるし。

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 19:25:31.46 ID:uVHai4h5
他の人はなんだかんだで家を栄えさせた名君だけど
宗麟の家は…

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 19:30:21.83 ID:ufJ/ZaY+
鬼武蔵は違うと思うW

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 19:54:44.34 ID:6b+D+dSf
宗麟は「ダメ人間」って感じがする。

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 20:02:29.26 ID:iB2lwa17
ダーメダメダメダメ坊主(ダーメ) そうりーん そうりーん

691 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/15(日) 21:14:11.49 ID:FwFSSYyv
ザビエル「僕の宗教に入れよ 何とかしてあげるぜ!」

692 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/15(日) 21:52:16.68 ID:mIsgrATz
>>689
「有能なだめ人間」という感じかな。
有能なんだけど、どこか人格に難ありというか。

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 21:54:27.01 ID:iGl+BHMy
>>692
三斎「やだやだ、そんな奴とは友だちになれないな

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 21:59:13.65 ID:3Qu6AvoF
和歌も上手で、外交でも対毛利包囲網を構築したりと優秀ではあるんだが、どうも俺様思考が過ぎるんだよね
地位も権力も能力もあるから手におえない
三家老みたいな家臣も有能だから、ダメ人間でもフォローできちゃうという

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 22:14:24.73 ID:ufJ/ZaY+
宗麟さんキリスト教に帰依してたと思うんだがキリスト教って姦淫ダメ、絶対!だったよな
どうなんだろその辺

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 22:18:28.29 ID:qDU5jasg
「ボクと契約してキリスト教徒になってよ!」

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/15(日) 22:48:17.85 ID:mIsgrATz
>>696
デウスに救いを祈った分、寺社仏閣を壊さずにはいられない、
私たちキリシタン大名って、そういう仕組みだったんだね・・・

骨喰藤四郎顛末

2011年10月04日 22:24

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/03(月) 23:25:05.42 ID:d6B4Q/KL
大友家初代が源頼朝より拝領したという太刀、吉光作・骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)と言えば、
世に隠れなき名刀、大友家の重宝としてとして有名であった。

ところでこの「骨喰」という名であるが、これはこの刀を持って、戯れに人に斬る真似をしただけで、
即座に実際に相手の骨が砕けた。この事により名付けられたのだそうだ。


建武の頃、足利尊氏の九州下向の際、大友氏より尊氏に、深く忠誠を尽くすことの証として進上された。
尊氏はこの刀を得てから運を盛り返し、ついに天下を得た。
そのためこれを将軍家代々の重宝としたのだが、将軍義輝の時、その近習多賀豊後守に与えられた。
ところが永禄8年、三好三人衆・松永久秀による将軍弑逆、いわゆる永禄の変が起こる。
この時多賀豊後守も将軍方としてこの刀を持って戦い、討ち死にした。

その後この刀は松永久秀が得、それから天下の権柄を執るほどになった。
彼はこれを秘蔵していたのだが、ある時大友宗麟がその事を知り、それはもともと大友家の重宝である故
自分に譲って欲しいと、家臣の毛利(森)兵部少輔を遣わし、金銀およそ三千両、その他多くの財宝を
松永に献じた上で要求した。

松永久秀はこれを非常に惜しいと思ったが、その頃大友宗麟は九州6ヶ国を支配する大身であったため
これを断り難く、ついに骨喰の太刀を渡した。

さて、この毛利兵部少輔が豊後に帰る途中、播磨灘でのこと。
夜に入って船が1,2里ほども進んだ時、にわかに海上に、幾千万とも知れぬほどの明かりのようなものが
出現し、船に向かって近づいてきた。

毛利兵部少輔はこれを見て「さては松永、この太刀を渡したのが惜しくなって、軍勢を率いて取り返しに来たか!」
と考え船の者たちにその旨を話し、「命のあるかぎり、この刀を放すことはしないぞ!」と言葉荒く怒鳴った。

と、その瞬間、船を取り囲んでいた光は忽ちに消えてしまった。
毛利、これを見て「さては竜宮よりこの太刀を望んできたか。優れた銘作の太刀は、竜王がそれを望むことも
かつてはあった伝え聞く。しかし現実にこんなことがあるとは、この刀を運びながら、思いもよらなかった。」
そして更に輸送に気をつけ、ついに豊後まで無事に運びきった。
建武から永禄8年まで229年ぶりの、大友家への帰還であった。

ところがこの骨喰藤四郎、天正17年に大友家より豊臣秀吉に献上された。
この時多くの者が、『これで大友家は衰微するのではないか』と囁いたのだという。


ちなみにこの骨喰藤四郎、大阪夏の陣の後、大阪城堀の中より発見された。
その刀身には傷ひとつ付いていなかったという。


大友家の重宝、骨喰藤四郎についての逸話である。
(大友興廃記)

いい話しとも悪い話ともどっちとも捉えがたいのでこっちに





182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/03(月) 23:35:42.53 ID:kL9Zny9S
ロトの剣って竜王の城にあったような

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/04(火) 03:29:28.81 ID:VnwdJzfK
不知火なのかなー

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/04(火) 05:48:36.62 ID:4bnSUoJJ
平蜘蛛を信長に渡すぐらいなら、爆死を選んだ久秀が、大身とはいえ、はるか九州の大名に過ぎない宗麟に渡すか?

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/04(火) 06:10:17.78 ID:EdxHRQRw
刀にはそれほど執着が無かったんじゃね?
それとも交易関係の堺とか京とかの商人との関係使って外堀埋めてきたか。

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/04(火) 06:43:18.78 ID:070b8u5k
>>181
鬼武蔵「素直に欲しいと思った」

大友宗麟、大阪城にて

2011年05月14日 00:01

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/12(木) 22:07:49.48 ID:7UYrz5qL
天正14年(1586)、島津の驚異にさらされた大友宗麟は、豊臣秀吉に援助を求めるため上洛する。

さて、大阪城にて宗麟は秀吉に閲する。ちょうどその時秀吉は、千利休に茶を立てさせていた。
秀吉は宗麟に声をかける

「宗麟も茶を好かれるのか?」

宗麟畏みつつ
「若き頃より良く嗜み、珍器と呼ばれる茶器もいささか所持しております。」

「ならば宗麟にも一服進ぜよう!」
と、秀吉は自ら茶を立て宗麟に与え、さらに宗麟の家臣4,5名も呼び入れ同じく茶を与えた。
この日、秀吉は大変なご機嫌で、

「宗麟、我が城の天守も見ていくが良い!」と宗麟以下を引き連れ天守の方に向かった。

ところでこの頃、大阪城の天守はまだ普請中であった。
普請小屋でこれを監督していたのは秀吉の弟、豊臣秀長であった。秀長は宗麟に

「このように天守は未だ建設中ですが、大友殿故に思わぬ見物をお許しになられたのでしょう。」

と言葉をかけた。

秀吉の大阪城は九層にして高くそびえ天に近く、最上階からは千里四方を眼下に収めることが出来、目を驚かす
壮観であった。
下から三層目は杉の箱が十四・五ばかり置かれ、それぞれに「小袖」「綾」「紅」といった書付がしてあった。
一階の下は倉庫になっており、様々な調度品が置かれていた。
五層目、六層目には大量の太刀が置いてあり、秀吉はこれを一々大友一行に見せた。

秀吉は天守の上で自ら指さし、「あそこはどこそこの国、あれは何々という在所である」と教えたのだそうだ。

さて、それから天守を降り広間にて茶となった。この時秀吉は「茶器はいくらでもあるから」と、宗麟の供の者たちも
皆召しだし目通りした。その上で「我らはもはや隔たりのない関係であるのだから、わしの寝所も見せよう!
供の者たちも苦しからず」と皆を連れて奥に入った。

秀吉の寝所には台(ベット)があり長さ七尺(約230センチ)ばかり、横四尺((約130センチ)ばかり、高さ一尺四五寸
(約50センチ)であった。猩々の皮を敷き枕には黄金で色々な彫り物があった。
御座は九間(約16メートル)の広さ。置いてある黒漆の具足箱の、金属部分は皆黄金であった。
その上に置かれた太刀も梨地を黄金で装飾されていた。

その次の間も6間(約10メート)の寝所であった。これも台は前のと同じであったが、唐織錦の夜着、蒲団といった物が
山のように積み上げられていた。

二間に秀吉の持つ名物の茶壷が置かれてあり、いずれも金襴の袋に入れられていた。ここで秀吉
「わしの秘蔵の壺を見せよ」と命じ、これに宗易(千利休)、今井宗薫、津田宗及、紹安(千道安)たち
仰せを承り、「四十石」「松花」「佐保姫」「撫子」「百島」という五つの壺を開いた。
この時今井宗久たちは「このように御機嫌の良い殿下は前代未聞ですぞ!」と驚いていた。
この他「京ニ双月」「近江ニ捨子」「淀ニ白雲」と言う茶壷も置かせた。何れも秀吉秘蔵の品であったが
「この中で第一は四十石であるが、特に宗麟に」と、これを下された。

さて、宗麟は御前を下がると豊臣秀長の元に挨拶をしに行った。秀長は変わらず普請場の假屋に居たが
宗麟を大いにもてなし、宗麟が帰ろうと座を立つとその手を取り

「どのような事ももはや安心してください。内々の事は宗易(利休)に、公儀の事はこの秀長にお任せなさい。
悪いようにはしませんよ。」

と、多くの人々がいる中を、手を取って送り出したという。

以上、大友宗麟が初めて登城した大阪城で体験したことである。





588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/12(木) 22:46:06.82 ID:jaEpEg3D
なんでわざわざ…

589 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/12(木) 22:49:57.15 ID:Fwh2NcOF
だれか5行でまとめて欲しい。

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/12(木) 22:50:56.59 ID:9HBsh92z
秀吉はベッド派か

591 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/12(木) 22:54:31.54 ID:uTczXore
オチがないじゃないか!

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/12(木) 23:10:18.06 ID:XnlbmfBO
ラスボスの機嫌がいい話としてここはひとつ

593 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/12(木) 23:19:20.05 ID:ZA1MLgvz
>>590
やってる最中にギシギシ鳴るのが好きだったとかwww


594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/12(木) 23:39:38.21 ID:l2SUiZPY
ラスボスの機嫌が良かったのは何でなんだろう

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/12(木) 23:48:31.30 ID:MDg7s6T8
>>589
成金(秀吉)が
新築の豪邸(大阪城)を
田舎から来た人(宗麟)に
案内して自慢しまくり
御機嫌至極

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/13(金) 00:03:01.30 ID:n5yOdpWX
まぁ遠隔地の当主に対してその威勢の強さを示し、
いざ遠征となった時に急場での内応を防ぐ、
情報工作の意味が有ったんだろうけど、
それでも些かやりすぎな感がしなくも無い。

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/13(金) 00:22:34.84 ID:i6knMWx9
587は大友宗麟が自慢話にうんざりした悪い話では?

「羅漢寺」と大友宗麟の焼き討ち

2010年11月04日 00:01

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 12:34:16 ID:SQqR/NqN
大分県中津市本耶馬溪町に「羅漢寺」というお寺がある。
全国の羅漢寺の総本山で、なんでも645年にインドから来た法道仙人が開基したという。
つまりとんでもなく由緒のあるお寺なわけだが、戦国九州の寺社を恐怖に陥れた暴風は
この寺にも襲い掛かった。
大友宗麟」である。
天正9年。宗麟の命で数百の軍勢が焼き討ちに押し寄せてきた。もはやこれまで、と思われた時、
突如、龍が出現。大友軍に襲い掛かった。
唖然とする大友軍に、龍の両眼からほとばしる怪光線!
大友の軍勢はバタバタと倒れ、逃走。こうして羅漢寺は守られたのであった。
現在でも、羅漢寺にはその時の龍の石像が置かれ、寺を守護し続けているという。
・・・・・・まあ、昭和になって麓の火事が飛び火して焼失してるんだけど。
http://www.yado.co.jp/kankou/ooita/yabakei/rakanji/rakanji.htm
ちょっと前で東北のモンスターが話題になってたんで、九州版を。
プラス、大友のかっこ悪い話ということで。




301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 12:47:14 ID:19tMjrcs
耶馬溪か~…
今年行ったなあ、そんなお寺があったとは。
とりあえず道の駅が小さくてガッカリした記憶しかない…w

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 14:31:50 ID:nwaLBOb2
実際は大友軍に焼き払われちゃったんだよね
こういう負け惜しみ的な逸話も(逸話として残っているなら)嫌いじゃない

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 14:56:09 ID:ApeJkgSy
目から怪光線出すとかどこのメカゴジラだよwww

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 15:10:22 ID:rUc62TRu
デビルアイなら透視力

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 15:56:14 ID:alKk/7/L
宗麟は自由な男だな

「大友宗麟のストライクゾーン」

2010年10月18日 00:00

781 名前:sage[] 投稿日:2010/10/16(土) 23:33:46 ID:o3yvd1kH
>>749 
>>753

の関連です。小ネタで逸話ってほどでもないので、興味無い方はスルーで。

大友宗麟のストライクゾーン」

宗麟が略奪した(と言われる)人妻は、服部右京亮一万田親実の妻たちだ。
服部については、どういう人物か分からないが、一万田親実夫妻には戦場に出るまで成長した息子がいる。
戦国時代の初産の年齢は、早ければ10代前半くらい。
仮に一万田親実夫妻の男子が二十だとすると、一万田親実の妻は三十路半ば。
戦国時代の女性は老けるのが早いが、中には美味しく頂ける熟女がいても不思議では無い。

ところが一万田親実夫妻は結婚して数年間は子宝に恵まれず、
一万田さんが神社に必死に祈願して産まれたのが嫡男・鑑実だ。
と、なると一万田夫人の年齢は、40代前半?ヘタすると半ば以上?
いくらなんでも戦国の40代では、美女でも衰えを隠すのは難しいだろう。


さて、話は飛んで大友宗麟がキリシタンの洗礼を受ける前に、
キリシタンが大嫌いな奈多夫人を強制離婚しているのは、スレの住人なら知っていると思う。
そして新たに未亡人・ジュリアというキリシタンの女性と再婚している。
奈多夫人は嫉妬のあまり嫡男・義統に「二人に子供が生まれたら殺せ!」と言ったと伝えられているが、
夫人が悩乱したのも無理はない。

ジュリア奈多夫人の侍女頭で次男の嫁の生母・・・縁戚だったからだ。
静かな祈りの生活のために、同じ信仰の女性を選んだ。
と、言えば聞こえは良いが、自分の息子の嫁母と再婚するなど、人道上+信仰上も問題あるんじゃなかろうか?
ちなみにジュリアは40過ぎだったそうだ。


「40過ぎで・人妻or未亡人で・母親」がストライクゾーンだったのかもしれない。
いろいろ複雑な家庭環境だったらしい、宗麟の屈折した心境が窺える悪い話。




782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/16(土) 23:41:08 ID:bSXqVZk4
人妻・後家好きだった武将

家康・・・の他に誰がいる?
信長は典拠史料があやしいからそれ以外


784 名前:sage[] 投稿日:2010/10/16(土) 23:52:18 ID:o3yvd1kH
>>782
つ「ラスボス」

どこまで本気か知らんが、各大名の妻には呼び出しかけてる。
まぁ、自分は後世の創作っぽいと思っているけど、、織田家の女性には年齢に関係なく粘着してるんじゃね?

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/16(土) 23:58:26 ID:HGceLJ7m
>>781

秀吉「本当に腐ってるな。そんな家は改易してやるよ」

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 00:26:26 ID:RXcHRAdJ
>自分の息子の嫁母と再婚
真っ先に松平清康が浮かんだが、この人の場合あくまで結果だからセーフ。


788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 00:29:49 ID:NWTe7F9E
>>781
女好きだったといわれる大友宗麟
不思議なことに、子供は一人を除いて、なぜかみんな嫡出。

引き篭もって酒色にふけっていたといわれるが、実際には、病気で寝込んでいたらしい。
宣教師の記録でも、病弱だったといわれているし。


790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 00:58:36 ID:/gkmh2nE
なんだ、正室が嫉妬のあまり全員殺したのかと思った

大友宗麟とらい病患者の療養所

2010年10月18日 00:00

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 00:29:49 ID:NWTe7F9E

そんな大友宗麟の小ねたをひとつ。
宣教師たちの薦めもあり、らい病患者の療養所をつくることになった。
当時もらい病は、「穢れ」という考え方もあり嫌われていた。
それを聞いた人はみな、人里はなれた場所に作るのだろうと考えた。
ところが、宗麟は、大友館の隣に作らせた。




789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 00:46:38 ID:xJ+DYLji
いい話じゃないのか?

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 01:06:32 ID:asIOBGUg
>>788の続きを待っているんですがまだですか?
どう見ても話の途中なんだけど、まさかここで終わり?

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 01:18:23 ID:k59yDmUs
>>791
どう見てもこれで終わりだと思う。
一般の風評を気にせず居館の近くに療養所を建てる、
という宗麟の(空気を読む能力が)悪い話だろう。

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 01:25:47 ID:ifs/XTcN
んー、俺も続き投下あるかな、と待機していたんだが
なんか宗麟なりの考えでもあったのかなと、キリスト教関連なのかなーとか

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 01:32:05 ID:asIOBGUg
だよねー
理由の説明まで書かないと意味不明だよ
推測は色々できるけどそれ任せじゃちょっとねー

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 01:54:42 ID:xJ+DYLji
後、周りの人間の反応とかも知りたいな。

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 01:55:16 ID:D5+ay5sf
ても嫌いじゃないよ
このエピソード

797 名前:788[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 02:17:16 ID:NWTe7F9E
皆さん、どうも。

この話は空気が読めないと見るのもありだし、
「穢れ」思想から離れて決断する開明性とも取れる話です。
俺が読んだ本では、開明性のあらわれと解説してました。

一万田・服部・林、高橋の謀反には、権力闘争で原因が説明できるみたいだし。
まあ本能寺の変は、織田信長が明智光秀の妻に懸想したからという説とどっこいどっこい
だと思います。


798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 02:21:13 ID:/gkmh2nE
なるほど、あばた面の家臣の妻に手を出すのは
空気が読めないと見るのもありだし、
「穢れ」思想から離れて決断する開明性とも取れると
・・・そんな話じゃないか

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 16:55:46 ID:RIb4j/XI
>>797
遅レスだけど、皮膚病とキリスト教ってすごい関係深いよ
旧約聖書では重い罪の報いの病と教えられ、皮膚病者は
律法によって隔離され死人同様に扱われた

イエスはそんな近づくことさえ忌まれる皮膚病者に
「手を触れて癒した」とされてる

反対を押し切ってもイエスの行いに倣おうという信仰の表明じゃないかな

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/18(月) 09:00:47 ID:Gt4gKYZT
>>812
西欧では(事実はどうあれ)手かざしで皮膚病を治す奇跡なんてのが王の神性の証明に使われてたし
純粋に信仰というより向こうの王権確立の手順に倣ったのかもしれないな

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/18(月) 09:08:16 ID:TQAlHth0
>>829
サンデー産駒のあいつの事か

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/18(月) 12:22:17 ID:/8B0ncJH
ルイ18世は19世紀にやろうとして、失笑を買ったらしい。さすがは超反動的というか

大友宗麟の火遊びと高橋鑑種

2010年10月16日 00:00

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/15(金) 18:45:05 ID:K2eKpX3T
まとめになかったんで投下。

大友宗麟は戦略家として一流であり、北九州を巡る争いでは、謀略神を梃子摺らせるほどの
謀略を成功させたりと、決して無能な大名ではないのだが、大きな欠点を有していた。

「女好き。それも全く見境がないレベル」

この欠点については、雷神様も度々雷を落していたのだが、全く効果はなく、
せっせと漁色に励んでいたんだが、ある女性に目をつけたことでとうとう
ツケを払わないといけない事になる。
その女性が誰かと言うと、重臣で一門衆でもある一萬田親実の奥さん。
この奥さんに懸想した宗麟は、旦那が出陣した隙を見計らって、奥さんを強引に物にして側女にしている。
それを知った親実は、武門の面目を失ったとして腹を切ってしまう。

そしてこの事態に激怒したのが親実の弟である高橋鑑種
元々宗麟の普段の行動には批判的だったとされるが、今回の一件は実家の面目を完璧に
潰される行為であり、怒った彼は毛利氏と結んで謀反を起こす事になる。
鑑種謀反をなかなか信じなかった宗麟は、使者を出したりもするが鑑種からは全く相手にされず
そうこうしているうちに、立花鑑載や秋月種実も反乱に加わるなど、事態は悪化の一途を辿るばかり。
最終的には、雷神様等を投入し、二年がかりで反乱を鎮圧。鑑種は命こそ助かるが、高橋の名跡を
剥奪されることになる。

火遊びをしたことで、優秀な重臣を失うことになった宗麟の悪い話




750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/15(金) 18:56:17 ID:pfGtXFcW
だばだ~

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/15(金) 19:11:44 ID:z2JGnGIf
TERUとかぶりすぎている件

753 名前:sage[] 投稿日:2010/10/15(金) 22:11:34 ID:9brwfNe+
>>749
マジレスすると一萬田親実の嫡男は鑑実は、高橋鑑種には付かずに主君の大友側に従ってる。
尤も耳川以降に一萬田親実の孫が島津に内通したんで、親子共々切腹してるけど。

高橋鑑種も実子がいるにも関わらす、秋月との同盟のために最初は秋月実弟の種冬を養子にして、
種冬が死ぬと(年代不明)引き続き秋月次男の元種を養子にしている。

なにやら裏がありそうで、その辺りは力のある小説家なら面白く膨らませることができそうだね。


757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/15(金) 23:49:04 ID:vvUIg2im
>>753
高橋家は本来大蔵氏系なのと、鑑種は後に秋月氏に近づいてるから、
大蔵党の秋月氏の要求だったんじゃない?

760 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/16(土) 11:29:46 ID:UVIkH/pt
宗麟のこのエピソード見るたびにダビデ王とバト・シェバの話を思い出す。
こいつ、自分をダビデに擬えてわざとやったのか、
それとも自分の本質がダビデのそれと近似性があることに共感を得て
キリスト教に嵌ったのか、未だに分からん。

ま、単純にこいつが色キチだっただけかもしれんが;;;;;