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徳川秀忠の上杉景勝邸御成りと伊達政宗、補足

2010年08月18日 00:00

489 名前:367[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 00:08:36 ID:pV110F1o
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4513.html
の逸話で最後に付け加えようかどうしようか迷ったんですが……

この逸話が紹介されている書物には次の様にも書かれている。

「上杉家は勧修寺家の子孫だから『竹に雀』の家紋を使っている。伊達家も山蔭中納
言(藤原山蔭)の子孫だから『竹に雀』の家紋を使っているのである。福島の戦いで
伊達家の陣幕を奪い取ったから、家紋まで奪い取って使用しているワケではない」

どーやら、戦利品の陣幕を自慢気に見せびらかして、政宗に恥をかかせたまでは良い
モノの、それが有名になりすぎたようで、
「上杉家の家紋は伊達家からの戦利品だ」
と、まことしやかに語られる様になってしまったらしいwwww


政宗へのイヤがらせが上手く行き過ぎて、自分達のトコへ還って来てしまった上杉さ
ん家の悪い話。

あ、ちなみに確かに伊達家は藤原山蔭の子孫を名乗っているようですが、伊達家で
『竹に雀』を使っているのは、伊達実元が越後上杉氏に養子入りする際、上杉氏から
引き出物として伊達家に贈られたのが由来。
それ以前は『竪三つ引き両』という紋を使っていたそうです。




490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 06:52:18 ID:5E+ocTdA
スゲー

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 11:40:39 ID:jmqYpn/O
養子を渡さずに家紋を貰ったら陣幕を厠の飾りにされたでござる

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 13:35:39 ID:n3/7LKNx
>>491
“かわや”じゃなくて“うまや”じゃね?

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 13:57:37 ID:OLUldZcc
でも厠にこもってる時にパッと見れたら便利だと思うの

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 13:59:50 ID:L8Ua+ZHA
伊達実元の養子入り未遂後も竹に雀の紋は上杉家で使い続けていた(形は違うけどな)ので、
上杉に仕える者が厠武功を誇るのはともかく厠に飾ったりするか?という突っ込みは入って
いるんだよね。

デザインは違うから主家への侮辱とはならないよ、おkと寛大にに受け止められるような
社会ではあるまい。

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 14:16:10 ID:3lbrsTia
謙信公と同じ場所で死ねるのだからありがたく思えとかいう話がなくて良かった

496 名前:367[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 15:11:12 ID:pV110F1o
うお、何かいつの間にか陣幕が張られたのが『厠』だったっていう流れになっとる!?
『厩』ね。『うまや』『馬小屋』!

ま、まぁ……ほとんどの皆さんは判った上で茶化しているだけなんだろうケド。


497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/17(火) 15:11:20 ID:k3C+rrOp
>>489
実元が貰った竹に雀を晴宗が所望して伊達の紋になったんだっけ<竹に雀

んで、成実の代も当然使い続けてたら政宗から「宗家と同じ紋使うなよ」って文句付けられたけど
「元々ウチの親父が貰ってお前のじーさんにやったモノなんだから
 使い続けて文句付けられる覚えはねぇ」って突っぱねたんだよな
さすがに政宗もそれ以上何も言えなくて、結局ウヤムヤになったとかw

そういえば伊達の竹に雀、○の外に葉を出したのは成実の可能性があるらしい
もしかするとこのイチャモンのせいなのかもなw

551 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/08/19(木) 10:13:26 ID:sRJsTjdp
>>489
そして何故か山形の伯父さんも竹に雀を使っているのだった・・・

最上義光兜の前立て中央に刻まれた紋(右)
ttp://samidare.jp/yoshiaki/data/12446083931.gif

これは関が原時の長谷堂合戦で義光が使用したという兜のものです。
なんで竹に雀なのかはわかってません。伊達との縁戚関係があったのは周知ですが、それと関係あるのかは
やっぱりわかってません。

ちなみにゲームのBASARA3では、二引き両に変えられてますね。伊達とかぶるのがやだったんでしょうw

一応伝承では、織田信長に贈り物をした返礼で桶側胴具足を拝領した、それがこの兜だとなってます。
それをそのまま信じるなら、信長が何故か気を利かせた結果ということに・・・

上杉さん家の『義』ってなあに

2010年06月29日 00:00

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 23:25:01 ID:nYNpJL13
越後から会津に転職した上杉さんと、上杉さんの後任として越後に就職した堀さん。

「俺が貰うハズの初任給、なんで上杉が貰ってんの!?」
「あぁ、コレ、退職金。お前も前の職場で退職金貰っとけば良かったのに、何やっ
てんの、バカじゃね?」

という訳で隣国同士で大層仲が悪かった上杉と堀。
それでもラスボス会長が存命の頃はまだ良かった。
ラスボスが死んでまだ幼い二代目が就任、実権を握るのは徳川専務か石田部長か、
となった途端、話はややこしくなってくる。

三成「例の計画、上手く行きそうだよっ! 毛利が総大将を引き受けてくれたから
   ね」
兼続「そりゃ良かった。で、奥羽の状況はどうなってんの?」
三成「佐竹は味方してくれるだろうケド、最上も伊達も徳川方だねぇ。あ、でも、
   越後の堀がこっちについてくれるって!!」
兼続「…………堀?」
三成「うんっ! 越後がこっちについてくれれば、徳川包囲網がかなり強固になる
   よね」
兼続「……かもねぇ……」
三成「で、徳川を潰した後、堀の希望は上方で一国ってコトだから、越後が空くん
   だよね。ココはやっぱり、上杉にあげちゃおうかって思ってるんだケド、ど
   う? ……あ、勿論関東管領職はそれとは別にあげるよ、勿論!」
兼続「……越後くれるの? ウワァ、ウレシイナァ。それじゃぁ、今後の越後支配の
  
 為に、カネツグ張り切っちゃおうっと!!」

で、上杉さん家の直江クン、「今後の越後支配の為に」越後牢人衆に反乱を起こさ
せた。

三成「…………え? 何で?」
兼続「いやぁ、こんなこともあろうかと、上杉家に縁のある牢人衆に武器や金を支
   援してたんだよねっ!!」
三成「いや、だから……堀は味方……」
兼続「さぁ~カネツグ、頑張って堀さんの首、取っちゃうぞぉ!!」
三成「……………………………………(泣)」

味方のハズの越後を引っくり返したり、江戸に攻め込まず最上いぢめしてたり、ど
う考えても、徳川vs石田のどさくさまぎれに越後-会津-庄内-山形と一円支配
を企んでいた様にしか見えない上杉さん家。
『義』ってなぁに?という上杉さん家の悪い話。




609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/28(月) 17:39:58 ID:UhrrJq8P
>>604
上杉とか毛利とか、キーマンが好き勝手やってるんだから負けたのも道理なのかな・・・・

上杉景勝、名幡馬義任の提言に

2010年06月25日 00:01

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 00:55:03 ID:U9OQY8q1
慶長五年(1600)、上杉征伐に軍を進めていた徳川家康は、上方での石田三成蜂起
の報を聞き小山よりその軍を返した。

奥州浪人の名幡馬義任、景勝の陣を訪れ、今後の作戦を言上した。

「治部少輔殿が大坂にて挙兵し、伏見に迫っているようです。毛利を筆頭に西国の
大名は皆、治部少輔殿の味方となり、内府が率いていた面々も大部分が上方の味方
として早々と上洛してしまったようです。最早孤立してしまった内府は小山からも
撤退し、スゴスゴと江戸に逃げ帰ったと聞きました! この期に上杉全軍を挙げて
江戸に攻め寄せれば楽々勝利できますぞ!」

景勝「…………」
直江「……この度の戦は内府に仕掛けられた故、受けてたったまで。上杉家も徳川
   家も、共に豊臣家の大老職にあり、互いに争わぬと亡き太閤殿下に誓紙を出
   したのだ。徳川がそれを破ったからと言って、上杉も破る理由にはならぬ。
   上杉家は専守防衛に徹し、自らの領土からは一歩も外に出るコトはない。と、
   上様はおっしゃっておられる」

「いえ、しかしっ! 治部少輔殿の戦略は上方と会津で内府を挟み撃ちにするとい
うモノ。我等が北から江戸を窺わぬとなれば、治部少輔殿もまさかの不覚を取らぬ
とも限りません。そうなれば戦後、内府に真っ先に潰されるのは上杉家ですぞ!
戦って名を落とすのと、戦わずして滅びるのと、どちらをお選びになるのか!?」

景勝「…………」
直江「……内府が孤立したと言うが、奥羽には最上、伊達が居り、佐竹もどっち着
   かずで信用ならない。江戸への途中には結城秀康が迎撃体制を整えて待ち構
   えている。周囲を敵に囲まれているのは我が上杉の方ではないか。と、上様
   はおっしゃっておられる」

「最上、伊達がごとき小録の者共、各城に配置した諸将の軍勢で十分抑えられます!
それに結城なんぞの若造、我等の足止めにすらなりゃしません!佐竹は日和見の様
ですが、既に車丹波らが援軍として着到しておるのですから、彼等を上杉軍に加え
れば戦力的には十分です!」

景勝「…………」
直江「……内府が小山から江戸に帰ったのは確かだが、配下の軍勢が上洛したのは、
   ホントに治部に合力するためか? 内府を甘く見てはいけない、用心せよ。
   と上様は………………っつーか、前線に陣取ってるワシが何でココに居るの
   か考えろよ! お前に言われんでも上様にはとっくに言上しとるわい! 何度
   も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
   何度も何度もなぁっ!!!」

結局、こちらから家康を攻めるのは道理に合わない、と景勝に押し切られ、江戸へ
の出兵は見送られた。

鮭「『こっちからは一歩も攻め込まない』……? 誰が……?」


>>523とは家康の評価が正反対だが、「やっぱ追撃かけるべきだよなぁ」というの
は上杉家中の共通認識だったようだ、というお話。


ちなみにこの頃、東軍側では上杉家臣団の切り崩しを画策しておりました。

蒲生秀行「キミたち、元々蒲生家の家臣だもんね、内通してよ!」
岡左内・他 「「断る!!」」




553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 01:22:33 ID:jE0dtj9u
>>549
直江の腹話術はすっかり定着したねw

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 02:29:32 ID:AJgfe+/W
>>549
地味に突っ込んでらっさる方が w

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/24(木) 03:08:31 ID:/PguvnW1
> >>523とは家康の評価が正反対だが、

名幡馬義任の家康評はそれこそ杉原親憲の言っている

> 「我が軍の中には、内府は我々と上方という前後の敵を恐れたために、早々に軍を引き返したのだ、
> などと言っている者が居るが、

このたぐいではないだろうか。

竹俣兼光

2010年06月04日 00:01

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 01:05:16 ID:jTCq7f/M
やっと規制解除された自分が、喜びのあまり逸話を書き込んじゃうぜ。

 
愛刀家で知られる上杉景勝。
ある時、竹俣兼光という太刀を修理に出すことにした。
この竹俣兼光は、家臣の竹俣朝綱が献上したもので、朝綱がこの兼光で鉄砲ごと敵をぶった斬ったという
曰く付きの有名な太刀だった。
景勝が竹俣兼光を京の刀工へ修理に出すと、しばらくして刀は見事修理されて戻ってきた。
景勝「…………!」
直江「素晴らしい!流石は京の刀工、まるで新刀のようだ!
と、景勝様は喜んでおられる。
いや~、綺麗に直って返ってきましたな~!」
と、一同喜んでいたのだが、元の持ち主である竹俣朝綱は、
返ってきた刀を見て怪訝な顔をした。
朝綱「……殿、これはかの兼光ではありません。偽物でありましょう」
景勝「!?」
直江「ナ、ナンダッテ──!?」
朝綱「ほら、ここをよく見て下さい。
元の刀はですね、このハバキから一寸五分程の鎬(シノギ)のところに、
馬の毛を通す程の大きさの穴がありました。
ですが戻ってきたこれには、孔がありません。偽物です」
これを聞いた景勝は、すぐさま京に使いを出し、本物の行方を探させた。
その探し方はなかなか大掛かりなもので、
「おい、景勝様が兼光の刀がないかと探しておられるんだが、
何か良い物はないか?」
「へえ、どんなものをご所望でしょうか?」
「うむ。兼光の作で、長さは二尺八寸から三尺の物が良いそうだ。
売り物があれば、直ちに上杉に持って参れ」
「へへえ」
といった風にして刀剣業者の間を触れ回らせ、刀を片っ端から
持って来させたのだった。
するとほどなくして本物の竹俣兼光が発見され、
偽物に関わった者らはみな厳罰に処さることになった。
景勝は見付かった竹俣兼光をますます大切にしたという。
景勝の刀への情熱と、竹俣朝綱の物覚えのいい話。

しかしその後、この件を知った収集マニアのラスボスに、
竹俣兼光は召し上げられてしまうのだった…。
ここまで書くと悪い話になっちゃうか(´・ω・`)
 



上杉景勝、一揆を起こさぬ方

2010年05月16日 00:02

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/15(土) 02:17:48 ID:5PYrpSlw
奥州仕置にて、大谷吉継・木村重茲が出羽仙北の検地を行った際に、
大谷配下の代官が農民を斬り捨てたことなどに反発して大規模な一揆が勃発した。
このとき上杉勢も奥州仕置に駆り出されており、吉継の要請を受けた景勝は
鮮やかな速攻で瞬く間に一揆を鎮圧し、吉継も大いに感嘆したという。(大谷吉継此軍謀ヲ感シケル)

そして後日、上杉勢の在陣する大森城へ吉継を招くと、景勝曰く
「こないだの一揆起きた件、あれな、思うにやり方が手ぬるいせいじゃないの?
 このままにしとくとまた絶対似たようなこと起きるよ。
 というわけで、武士だけといわず商人から百姓まで、分け隔て無く人質を取るのがいいと思うんだけどどう?」
(頃日川津良 山田 益田等一揆ノ蜂起 想フニ号令ノ軽キ故ナルヘシ
 後日ニ至テモ如何有ヘシ 然ラハ諸士 商客 百姓等マテ差出タル者トモヨリ証人ヲ出サスヘシ)

これには吉継も同意し、4歳から65歳までの老若男女、実に20人を超える人質を得、
大森の周辺に番人を置いて見張らせた。
以降、さしたる騒動もなく出羽仙北の仕置は滞りなく完了したという。
(出典:景勝公御年譜)

二代目さんはさすが伊達に領内で何年も苦労してないなと思わせる話。
この辺の記述は一揆やら検地やらでてんてこ舞いのはずなのに、妙にほのぼのしてて和むw




943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/15(土) 02:32:38 ID:EUKW/W+r
武士商人百姓老若男女あわせて20人って
少ないな…と感じるのは感覚が麻痺してるんだろうか。

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/15(土) 03:17:57 ID:5qziDoic
吉継くんでもヘマするんだ~ ってのが一番の感想なん

会津征伐、”時”と”人”

2010年05月13日 00:00

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/12(水) 17:31:36 ID:V/FfBUGp
慶長五年(1600)、家康による会津征伐が迫る上杉家。
上杉景勝は会津防衛に関する指令を出した

「領内の各城に多くの兵をこもらせよ!特に敵の最初の目標である白河城には
大軍を籠らせ上方勢からの防衛に当たれ!
白河城に敵が襲来すればこの景勝自信が兵を率いて長沼方面に出陣する!
その時の人数は義父謙信の例に習い八千とする。それ以上は必要ないので
防衛に回せ!」

これを聞いて、直江兼続と足軽大将の水原親憲は揃って景勝を諌めた

「謙信公の頃はたしかにそのように決まっておりました。しかしあの時と今とでは
”時”と”人”が違っております。

先ず”時”とは、

あの当時我ら上杉家は織田、武田、北条などと度々合戦をし、また椎名、神保などとも
戦っていました。しかし至る所で戦が起こっていたため、敵も防衛のためその勢力を
各地に分散しており、我々との戦いに出す戦力も又、決して多くはありませんでした。
これによって謙信公は、八千で充分だとして、その兵を用いられていたのです。

しかし今度は、日本中の敵兵が押し寄せてくる戦であります。
味方は少なく、敵は大軍。これが”時”の相違です。

そして”人”とは、

今の上杉家には、謙信公当時のものに馴れた諸大将はその大半がすでに亡くなっています。
士卒も合戦に経験のあるものは多くが居なくなりました。
軍の中は戦の経験の無いものが、その殆どを占めているのです。
これが”人”の相違です

そのようであれば、僅かの数の味方が敵の大軍を見れば、必ず臆してしまうでしょう。」

この諫言により景勝本隊は、本陣の八千の他に、各地の守備兵を削り、後陣として3万を
備えさせたと言う。

関ヶ原当時既に、上杉家ですら合戦を経験した人材の不足が起こっていたらしい。と言うお話。




680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/12(水) 17:39:00 ID:dkksHF4c
のちの天地人である

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/12(水) 20:43:20 ID:PhhsvrOT
にもかかわらず冬の陣で上杉兵を持ち上げる逸話があったような・・・

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/12(水) 23:01:06 ID:aoaGkKNY
持ち上げる逸話も何も、今福・鴫野の戦いは兼続本人が本国の留守居役に宛てて書いた
合戦経過の書状まで残ってるし、ホンモノの武功だからなあ。

下手したら米沢生まれの少年兵が混ざってそうな集団を、よくそこまで駆り立てたと思う。
そらー、御屋形様、敵より鉄砲玉より怖いくらいじゃねーとなりたたんわな。
というふうに解釈(?)して成立した逸話なんじゃね?
[ 続きを読む ]

上杉景勝、江戸に反転する家康を

2010年05月09日 00:02

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 01:13:18 ID:OmHIRbdi
慶長5年(1600)7月25日、上杉征伐に出向した家康は上方での石田三成による反乱を聞き、
その日のlk小山会議によって西進を決断。結城秀康を大将とした押さえの軍勢を下野国に置き
自らは江戸へと戻った。

さて、これを聞いて俄然勢いづいたのが上杉家重臣、直江兼続である。
彼は景勝に進言する

「かねてよりの約束通り三成は軍を起こし、彼らはまもなく、あの遠征軍を滅ぼすため
東方へと進軍するでしょう。
であれば君もこの動きに乗って家康殿を追いかけ攻め上り、東進する上方勢と共に
挟み撃ちにすれば、これを討ち漏らす事、よもやございません!」

兼続には必勝の形がはっきりと見えていた、のであろう。が、景勝

「私が今回兵を上げたのは、世間には石田に一味したように見られるかもしれないが、
全て秀頼公への御奉公のためである。
自分が謀反人と呼ばれたのは、神指の新城の事と上洛しなかったこと、この二つが理由である。
これ故に徳川殿は軍勢を進めた。弓矢を取る身の習いであれば、当然これと一戦しなければならない。

が、徳川家が我らを構わないと言うのであれば、私は他の五大老、三中老、五奉行らと
故太閤に対し連判の宣紙を交わした身の上であり、少しの異心も持ってはいない。

であるにも関わらず、この景勝から押し出し攻め上がるようでは、太閤に差し上げた
宣紙を破ることになり、天下騒動の手出し者となってしまう!
それだけは、私は許可しない!

よいか!?会津の国境、白坂より外には上杉の旗一本たりとも出してはならぬ!」

そう、固く下知した。これには直江兼続も、ただただ呆れるのみで景勝を諌めることも出来なかった
と言う。

景勝、名分のため去る家康を追わず。と言うお話。

ただ、そんなこと言いながら国境を出て最上伊達と戦っていたり越後の一揆を扇動したりも
しているのでこっちにw




607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 01:15:01 ID:9b9gjFYB
景勝「攻め上がってないもん、攻め下ってるもん」

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 01:56:01 ID:07E7vGP7
応仁の乱が10年くらい続いたから、越後、出羽を併合してそのあと決戦とか考えてたんだろうな
官兵衛と同じで。
それなのにたった半日で・・・

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 01:58:07 ID:I9QfEa2U
所詮b…もとい若殿だからな!
上杉殿や大殿のような鳳凰の志など測ることが出来るわけもないわ!

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 23:34:48 ID:k8og8OgH
>>606
昔から全く分からないのだが
上杉景勝って、何で秀頼に忠誠誓ってたんだろ?
そこまで豊臣家に義理があったとは到底思えないんだけどな。

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 23:45:08 ID:knYhe8f+
秀頼に忠誠を誓ったってより、
家康との間で売り売られした喧嘩を買ってしまった手前、
秀頼側に立っただけなんじゃね?

そんな恐い景勝の大坂の陣エピ

2010年03月17日 00:03

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 22:25:03 ID:FF9cQMqm
そんな恐い景勝の大坂の陣エピ

①合戦中、近習たちが竹束に隠れて戦闘の様子を眺めていた。
 そこに景勝がやってくると、近習たちは竹束の向こうに隠れて
 景勝から身を隠し、敵にその身をさらした。部下たちは敵の銃弾より
 景勝を恐れていた。
②鴫野の戦いは大坂冬の陣一の激戦となり、家康は陣替えのため景勝へ
 使者を送った。「負傷兵も多くでていることであろう。堀尾忠晴の軍
 と交替してはどうか」。家康の命令で、堀尾は兵を率いてかけつけた。
 ところが、景勝は持ち場を代わる様子を見せない。
 「え・・ええと・・」。先輩大名に困った堀尾の注進を受け、家康は
 再度景勝に使者を送った。これに景勝は激怒。
 「大将は戦場にあっては君命を受けないこともある。朝から激戦を繰
 り広げて取り仕切ってきた場所を、そう簡単によその者に譲って退く
 ことなどできない」と家康の命令を拒否した。
③家康と秀忠が景勝の武功を称えた。
 「鴫野の戦いではそのほうの家中に苦労をかけたな」
 これに景勝は無表情で
 「子供同士の戦いのようなもので、別段骨が折れることもありません」




732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 22:53:48 ID:izTzGpGw
冬の陣では、まず豊臣方の守備兵を蹴散らして、援軍にやってきた倍の敵兵をガチンコで破った上に
崩れかかる佐竹勢を助けたりしてるからな
まさに上杉無双状態と言っても過言ではないんだが
何故かあまりクローズアップされないんだよな

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:07:09 ID:mC5R+0cP
だって、大坂の陣て徳川方の歴戦の猛将たちは、江戸城で昔話してたり、
秀忠の周りで「ご存じないのですか!?彼こそ毛利壱岐守が一子、勝永ちゃんです!」とかやってて、
高虎とか景勝とか政宗くらいしかまともに戦ってないんじゃないの?(政宗はまともでもない気がするが)
四天王もみんな代変わりしてるしさ

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:08:32 ID:489IWxo5
(神保隊を)踏み潰せッ

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:11:28 ID:kyM/zk1h
御館の乱で重鎮が没落→上田衆を中心に若手が台頭
主要武将の平均年齢が他家より低かったので
大阪では結果的にベテラン揃いに、だっけ?

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:11:29 ID:PRQg3e4J
戦国時代の武将って、今の主婦みたいだよねw
なんつーか、女々しいww

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:13:36 ID:bzFtr2Hn
大坂の陣時の井伊の赤備えは家康に兎や角言われているが、若江の戦いで
積極果敢な突撃をして木村重成を大破して藤堂高虎を救っている

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:21:43 ID:CSoXGzu/
井伊の場合は、姉川の戦いで磯野に率いられて織田の陣を突破しまくり、
関ヶ原の戦いでは石田を支えて孤軍奮闘した精鋭集団「佐和山衆」を、
彦根移封後に吸収してパワーアップしているからね。

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:22:55 ID:mC5R+0cP
直孝は父親の武功が半端ないから仕方ない

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:29:33 ID:kX3w2/ir
>>733
立花宗茂が一生懸命護衛してたじゃないですか・・・
敵勢が強いから下がりましょうって提案したり
ちょっくら交戦してきますって蹴散らしてきたり
やっとこさ秀忠も陣を下げようとしたら、
もう勢いがないから下げなくていいです。下げたら士気が下がりますんでと納得させたり
自分で家康に報告に行ったり・・・


おかげで柳川に帰れましたよ

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:32:57 ID:CSoXGzu/
>>740
もしかして、うるさい爺だから加増名目で九州へ追放とか

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:37:26 ID:sR2b56Ed
一方、真田家の信之さんは敵方で弟が大活躍して
嫁が息子達に「一人位戦って死ねば良かったのに」
と言われて胃痛で寿命が縮んでいた

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:39:40 ID:mC5R+0cP
義兄も死んでるからね>信之さん

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:42:04 ID:CSoXGzu/
>>742
あれほどの鬼嫁の存在が気にならないほど
鈍感な人なので、ストレスなど全く感じない。

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:42:15 ID:mC5R+0cP
義弟だったっけ

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:42:38 ID:kX3w2/ir
>>741
まぁ秀忠のお気に入りだからそれは無いと思うよw
書院番頭っていう親衛隊のような役につけたぐらいだし

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:44:59 ID:E6FUEGXm
>>742
小松にそんなこと言ったら殺されるぞ

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 23:44:59 ID:jiQoIR0p
>>744
いや、信之さんは弟や嫁がもっとおだやかな人柄だったら、もっと長生きできたと思うよ。

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/16(火) 00:01:58 ID:8FNlfApR
これ以上どう長生きしろってくらい長生きしてますってつっこみはなしですかそうですか

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/16(火) 00:03:38 ID:GhEB46jF
小松さんが亡くなった時すごく悲しんだって言うから、
小松さんが長生きしてたら、
喜んでもっと長生きしていた可能性もある>信之さん

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/16(火) 00:09:54 ID:gYG9jn/J
      ,.ィ , - 、._     、
.      ,イ/ l/       ̄ ̄`ヽ!__
     ト/ |' {              `ヽ.            ,ヘ
    N│ ヽ. `                 ヽ         /ヽ /  ∨
   N.ヽ.ヽ、            ,        }    l\/  `′
.  ヽヽ.\         ,.ィイハ       |   _|
   ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、   |  \   つまり信之さんにとっては、
.      ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ   >   苦労こそが長寿の秘訣だったんだよ!
.       l    ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__  
       ゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ   トr‐'    /    
       l   `___,.、     u ./│    /_ 
.        ヽ.  }z‐r--|     /  ト,        |  ,、
           >、`ー-- '  ./  / |ヽ     l/ ヽ   ,ヘ
      _,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´   ./  \、       \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ /  :|   ,ゝ=<      /    | `'''‐- 、.._
     /   !./l;';';';';';';\    ./    │   _
      _,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\  ./|._ , --、 | i´!⌒!l  r:,=i   
.     |     |:.l. /';';';';';|=  ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
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752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/16(火) 00:13:01 ID:xDvw7A9d
何か妙に納得したぞwww
[ 続きを読む ]

「魚津は・・・」景勝が、口を開いた。

2010年02月16日 00:46

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:21:02 ID:HosiOUYr
天正12年(1584)9月、上杉景勝のもとに、秀吉よりの使者・木村清久(吉清の子)がやって来た。
「わが主君・秀吉が越中の佐々成政を攻めます。上杉家には佐々に助勢なさらぬようお願い致したく・・・」

居並ぶ上杉家臣達は、色めきたった。
(まだ家中静まらぬ中、近ごろ天下人の呼び声も高い秀吉と結び、隣国の騒ぎを黙っていては
後々他国を平定しても秀吉の威光を借りた、と言われるわ。)
家臣達が苦々しく思っていると、

「魚津は・・・」景勝が、口を開いた。

「佐々に攻め落とされた。当時は故あって戦えなかったが、佐々は謙信公以来の土地を奪った仇である。
しかし今、佐々と戦うという秀吉殿の使者を迎えながら彼奴を攻めるのは、秀吉殿と争うようにも見えよう。
それは、わしの本意ではない。
だが、一度も佐々と戦わず秀吉殿の御意に従うのも、わしの面子に関わる。
そこでだ、使者殿に越後武者の弓の取り様をお見せ致そう。」
「・・・は?」

話についていけない清久をよそに景勝が家臣達に合図すると、たちまち戦支度が整った。
「出陣!!」
あわてて清久が装束を改めて景勝に追いついた時には、既に上杉軍八千が越中宮崎城を攻めていた。
「おお、使者殿!ご覧の通りだ。見たままを都の人々に伝えて下され。」
「は、はぁ・・・・・・」

景勝は翌月には宮崎城・境城を落とし、さらに滑川に放火して越中を荒らした。
清久の報告を受けた秀吉は驚いて越中攻略に本腰を入れ、翌天正13年、越中の乱は終結する。




923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:56:01 ID:z5M6UgRW
>>922
景勝、喋ろうと思えばしゃべれるんだねw

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:58:53 ID:GCgUexgO
佐々は魚津騙し討ちの件からして景勝から恨み骨髄だろうしな
首謀者と言われる利家との仲はどうだったんだろうなぁ

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:59:07 ID:Ev6YOfQ4
魚津は上杉重臣のかなりの人数が殺されてるからなあ。
本当は利家の事も嫌いだっただろうな、景勝。

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:10:02 ID:GCgUexgO
魚津の件は正々堂々と、って言うのとはまるで違うからなぁ
正直な話、無用の虐殺ではあったよね

上杉家臣、坂田采女義満と、渋江熊蔵

2009年10月14日 00:08

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/13(火) 16:42:05 ID:tBiTgSek
慶長19年10月、江戸参勤のため米沢を発った上杉景勝に徳川秀忠から
豊臣秀頼討伐の兵を上げよとの命が届いた
景勝はまずはとりあえず江戸の手勢を率いて上洛すると、
米沢の直江に命じて本国の兵を整えさせて西上させた
その数騎馬350騎、雑兵は約9000ほど

そんな上杉の兵の中に、坂田采女義満と、渋江熊蔵という二人の信濃侍の姿があった
いずれも出身は信濃の高井郡須坂の同郷仲間である

二人は冬の陣でも有数の激戦地鴨野表の戦いに参加した
そして坂田采女が敵将穴沢盛秀(秀頼の槍術の師)を討ち取る手柄を上げた
ところが渋江の方は、うまいこと敵に遭遇することが出来ず、
手柄を得ることが出来なかった

実は以前から上司である直江に叱責を受けていた渋江は、
この戦で手柄をあげ汚名を晴らすことに賭けていたのだ
すっかりがっかりとしている渋江を見た坂田采女は、
自分が挙げた穴沢の首をこっそりと渋江に手渡した

「ひとまずはこの首で汚名を晴らし、またいずれ本物の手柄を立てれば良いではないか」

一旦はそんな坂田の申し出を受け、喜んでその首を受け取ったものの、
渋江の心は晴れなかった
坂田の心遣いはありがたかったが、しかしこれは本当の手柄ではないのだ

結局渋江は、実検の際に、この首を討ち取ったのは本当は
坂田采女であるということを正直に言ってしまった
だから恩賞はどうか坂田にくれてやって欲しいと申し出たのである

この話を聞いた秀忠は、渋江の実直さと坂田の心意気を誉め称え
両名に恩賞を渡したということだ





587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/14(水) 21:20:24 ID:qoSnLkJG
>>514
ぐぐってみたら、穴沢盛秀は薙刀の指南役だね。
槍は渡辺糺だったのでは。

景勝くんからお手紙ついた

2009年09月30日 00:07

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 17:49:52 ID:fkolsBIA
景勝くんからお手紙ついた

謙信死後、御館の乱を機に同盟を結ぶことになったかつての宿敵武田・上杉は
いずれも新たな脅威織田を前にして、団結し対抗しようとしていた

そんなある日京に居た上杉の人間が、武田が単独で織田と接触したという報せを景勝に送った
その報せを聞いた景勝は急いで

「約束と違うじゃん!織田と交渉する時は一緒にねって言ったじゃんか!
どっちかだけの交渉でも経過はつぶさに報告し合おうって約束したのに
こんなんじゃ困ります!抜け駆けやめて下さいよ!」

という感じの手紙を甲斐に送った
すると程なくして勝頼から返事がきた

「報告しようとして忘れてたんであって抜け駆けじゃあーりーまーせーんー
そんなことより景勝さ、そっちこそ京で単独で織田と接触してたらしいね
どうしたの?まさかとは思うけど、抜け駆け?」

景勝の方も実は単独で織田と交渉していたのである。
これはかなり決まりが悪い、が、これがきっかけで
同盟にひびが入ったということはなかったようだ

武田滅亡直前の天正十年三月、援軍を長沼まで向かわせながらも
勝頼の安否を調べさせていた景勝は甲斐の鷹匠松鴎軒にあてた手紙にこう書いている

「勝頼のことが本当に心配だ
ただ、今はうかつに動けないので松鴎軒さんから信用できる人を
甲斐に送り込んで、状況を調べてくれないだろうか
どんなに世間が変わっても、自分がしっかりしていて
勝頼の身が無事であれば、逆転することはできると思っている」

三月十一日、武田勝頼は天目山で滅ぶ。
織田軍は北上し、北信濃は戦火に包まれた。
景勝は必死で守ったが、これももう風前の灯火かと思われた
天正十年六月、本能寺で信長が死に、
危ういところで踏みとどまることが出来たのだった

一応、勝頼にも味方はいたのだ。




909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 17:52:39 ID:3DFo0nb9
どっちも先代が有名で大変だからなあ>景勝・勝頼

910 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/29(火) 18:10:55 ID:52xXyha6
>>909
信忠「敵だけど分かる」
秀忠「仕方ないね」

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 18:35:08 ID:rrohfbPg
そして残ったのは徳川の天敵真田というわけか。

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 19:44:00 ID:ffjnatlG
たしか景勝は武田滅亡寸前と聞いて
「勝頼の身と武田の家督だけはなんとかする」とか書いた手紙出してなかったか。
御館の乱で勝頼が義理の兄弟のはずの景虎より景勝を取った理由に
会ってみたら景勝と意気投合したから、とか書いてる本を見たことがある。

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 19:54:44 ID:lC4Dx0Sz
寡黙な景勝と意気投合ってある意味凄いなw
愛の人あたりが上手な通訳してたのかも

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 23:26:13 ID:VCrsh0lg
>>917
「殿いつ」の愛の人しか思いつけんのだがw>通訳


景勝と秀吉、門出の歌・いい話

2009年04月09日 00:18

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 01:59:04 ID:5kOwujL7
朝鮮の役が起こり、上杉軍も渡海する事になった。
秀吉も一緒に朝鮮に渡ろうとしたのだが、重臣に止められて思いとどまった。
そこで、名護屋から出発しようとする上杉軍の勇姿を見て、秀吉は景勝に歌を詠みかけた。
「上杉や 景勝色の 門出かな」
景勝の名を歌に詠み入れ、杉と影を縁語に用い
勝利の色が見える上杉軍の門出であることだと言祝いだのだった。

すると景勝はすぐに答えて詠んだ。
「羽柴栄え 門出を祝う 家も秀吉」
先の歌にならって秀吉の名を詠み入れ、柴・門・家と縁語を用い
門出を見送っている秀吉の家運も栄えて大吉であると祝福したのだった。


また、ある年の春、秀吉は景勝に言った。
「国許には変わった言葉もあるだろう。なにかお国言葉を入れて歌を詠んでくれないか」
景勝はそれに答えて即座に歌を詠んだ。
「鶯よ 初音つんだぜ 聞くべいぞ その如月の 十六夜のころ」


文人としても有名な謙信や兼続の影に隠れがちだけど、
景勝の面目躍如なお話。




570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 02:42:36 ID:0DG8gxO0
お世辞にも巧いとは言えないお粗末な出来だろソレ

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 02:50:56 ID:I53Te73z
歌と言えば
島津が琉球に出兵する時、それを聞いた細川幽斎は、島津義久に
こんな歌を詠んで送ったそうだ

『祝うとも よしひさしくも 荒波に しまづたいして ゆけや琉球』

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 03:12:28 ID:M8QV63Q2
>>569
兼続は漢詩だけど、文殊堂で歌会を開くと安田能元や千坂兵部の子息など
在国の重臣が幾人か集まっているので、無骨なようで意外と文化的な素養は
高いのかもしれんね、上杉家中。

>>570
あまり上手な歌ではないかもだけど、その場でそういう気の利いた
歌を返せるってのは、なかなかのもんじゃないかな

574 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/08(水) 04:15:55 ID:x7anRIdL
こういうのってノリとテンポみたいなとこあるよな。

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 07:40:06 ID:IEKTuopD
ぱっと返歌出来るかと問われたら俺は無理

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 09:06:37 ID:UGQPhrqb
歌といえば、いくさの最中に辞世の句とかよくまあ出来るもんだ

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 09:37:19 ID:Y4m3uHhW
>>574
アナウンサー大喜利の惨状を見て笑点メンバーの実力に気づくみたいなもんか

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 10:05:48 ID:CsTPjo4R
>>576
辞世の句は何か死にそうなことがある前に書いて準備しておくものだったと思う。


603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/09(木) 02:08:53 ID:CdxkrqP0
>>569
当時の方言の資料になりそうだ。
この時景勝が詠み込んだのってどこの方言なんだろう。
生まれ故郷の上田?それとも春日山辺り?もしくは会津か?

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/09(木) 11:32:23 ID:SFXn8MXP
>>603
秀吉が生きてるんだから会津は無いだろ。
上越か魚沼のどっちかだろ。

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/09(木) 14:27:59 ID:Jsye/YZ1
今でも郡山あたりでは「遊ぼうよ」を「遊ぶべい」って言う人もいるから、
「動詞+べい」だと会津かも?とか思ってしまう。

でも確かに時代的にあわないね。
…それにこれまた、中通りと会津若松の違いはあるが。

上杉景勝が徳川家康に笑われました。理由は?

2009年03月02日 00:13

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/28(土) 23:36:23 ID:dydYZe/Y
調子に乗ってわからん話をもう一個投下してみる


大阪冬の陣の折の事である

住吉にある家康の本陣に、伊達政宗、佐竹義宣、上杉景勝が一緒に
ご機嫌伺いに来たことがあった。

その時伊達政宗は、猩々緋の袖なし羽織に菊を綴じ付け、朱鞘の脇指、白銀の打鮫、
紅の腕ぬき、という姿であった。
佐竹義宣は普通の黒羽織に五本骨の扇子を大きく付けただけの姿、
そして上杉景勝は、黒いとじおりの羽織に金糸で葦と白鷺を縫い付け、赤い紐を付けて
着ていた。

彼らが退出した後で家康は、
「景勝はおそらく、律儀な人間を周りに使っているのだろう。
そう言う者たちが景勝をあの姿にさせたのだろうが、しかし馬鹿げた事だ。」

と、お笑いになった。
(駿河土産)


という事なのですが、何が律儀で何が馬鹿げていて何がおかしいのかさっぱり分からん。
分かる人教えてください(;´Д`)





456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 00:40:24 ID:d+8mg5sY
センスがあるので派手に着飾っても様になる伊達
オーソドックスに決めた佐竹、
センスが無いくせに無理に着飾っておかしなことになってる上杉
という様子だったのでは?

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 00:52:57 ID:FLAJMvHx
大将の元に赴くからと言って戦場である以上最低限のドレスコードを守ればおk

そういう意味では佐竹義宣は当然の心構えであり
わざわざ上杉景勝にきっちり着飾らせた家臣たちは杓子定規に大将へのご機嫌伺いといったらこう!と決めてかかった融通が利かない馬鹿だってことじゃない?

伊達?
ああ、着飾るの趣味でしょ、と俺は思ったし多分家康もそんな感じで流してたと思うw

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 01:05:07 ID:Gnw5t5jh
家康「ちょwwww景勝の奴め政宗に対抗しようと無理に頑張っちゃってるよwwww
    家臣も誰か止めろってwwwwwって言うか寧ろ家臣が勧めたのかアレwwwwww」

かと思った

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 01:11:13 ID:Z1sJolWs
いや、それは律儀じゃなかろw

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 01:14:17 ID:cSeiILOd
伊達さんはさすが数寄者、見事に着飾った
佐竹さんは一見質素に見えるが源氏の名門だぞ!と言う誇りを背負って登場
どちらも天下人の前に出るには少し失礼だが
例え百万石のお墨付きを反故にされようと
関が原で中立を決め込んで改易されようと
両家の自信の程を窺わせる
一方上杉さんはと言えば当たり障りのなさ過ぎる格好だが
景勝本人がこんな格好を選んだ訳ではないだろうと考えた家康
主君に卑屈な格好をさせた家臣どもを見透かし
そんな事しなくても会津征伐はもう昔の話しだから気にするなよ
って事か?

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 01:47:21 ID:yy0cvXDY
家康が家臣に『景勝は服選ぶセンス無さすぎワロタ』と陰口を言った悪い話って事か。酷い男だな

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 01:58:20 ID:Vv1daEQT
景勝は傍回りに律儀な者を使っているようだ。
まあ景勝自身が選んだわけじゃなくその者達がしたのだろうが
おかしなことだなあ。
と言っているのだから、政宗は派手すぎる、義宣は地味すぎるが家康的におk、
景勝の姿はそれ自体は非常に律儀な姿なんだが、
その律儀さが家康的に何か外してる、という意味のことを言ってるんだろうが
解説見ても「家康の話の理由はワカラン(訳者)」と書かれていて笑った。


463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 02:01:58 ID:hIijGQ0T
「律儀」=おせっかい、ていう皮肉かね
かなり派手な格好のようだし、単純に景勝の仏頂面との対比がおかしかったのかもしれない

464 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/01(日) 02:18:05 ID:F9+N0KVj
.>>462
上司との面会に
「ジャケットに細いネクタイとスラックス」
「ベーシックなグレーのスーツ」
の二人とともに
「フレッシュマン御用達の紺色スーツ」
が来たようなものかな?
紺色スーツがクソ真面目な人柄だから、
余計おかしかったかと。

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 02:58:41 ID:xfi6BXly
政宗はお洒落に派手な格好を着こなしているし、義宣は地味だけど
これまた本人らしい感じがする。
だけど景勝は、周囲のものが家康の御前に出るのだからと、きっちりと
した格好にしたのだろうけど、本人にさっぱり似合ってなくて・・・

ということでいいのかなあ

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 03:20:32 ID:cSeiILOd
佐竹義宣の黒羽織の背中に大きな五本骨に日輪
頼朝マニアの家康さんには堪らんですな
しかし家康の考えは読み取り難いな~
三河武士が面倒臭くなるのも頷けるよ

467 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/01(日) 04:31:14 ID:iykYL66c
鷹狩といい、景勝の話といい、分かりやすい話じゃないか?

鷹狩をした浅野は大名だから、一軍の長。同じく家康も軍団のトップ。
鷹狩は獲物を狩ること以外に、軍事訓練でもあった。
純軍事的に見れば、獲物が穫れなかった方が、統率がとれ、滞りがなかった。
お前さんは森を見に行って、木一本だけ見て良し悪し言ってるよ。
全体像が見えてないよ。主眼がナンなのか?
目的がナンだったかをはき違えてるよって諭してる。


戦場で人に会うときに、伊達、佐竹は個性の違いはあれ、
そのまま戻り陣を指揮できる格好できた。
対して上杉はわざわざ正装に着替えてやってきた。

日程の調整がつかず、会社の飲み会が休日にやることになりました。
みんな休日だからと普段着で来たのに一人だけ、会社の集まりだからとスーツで来ましたと。
TPOってあるよねぇ~って話。

さほど分かりづらくないと思うんだが。

468 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/01(日) 04:57:58 ID:4r+98OWz
>>445
梅毒で頭いかれてただけの話じゃないの?

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 06:24:03 ID:alDQqUzH
>>455
長尾の桓武平氏と上杉の藤原と両方主張すんなよ、こら!
って、ことじゃないの?

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 07:46:04 ID:uozEgQUB
なんというか、当時の家康周辺の人たちもこんな風に
ああでもない、こうでもないとわかりにくい家康の真意を推し量ってたんだろうな。
そんで結論が出なかったから現在に至るまで問題先送りにされてると。

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 10:21:59 ID:avm6fPV3
なんとなく気になったが
大坂冬の陣の影勝・義宣は近くに陣を敷いて
一緒に作戦行動してたから一緒に来るのは分かるが
なんでその二人に政宗が混ざってきたんだろう。
確かに徳川政権になってから
この三人は一緒に行動することが多かったらしいが。

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 11:05:07 ID:LeT1f0ak
>>471
北国、外様の(元は)武門で鳴らした雄藩ばかりだから
大坂の陣終了までは幕府にも警戒されていたんじゃないかな、セットでw

上杉・佐竹は隠れもない元西軍(寄り)だったし
政宗は「天下人にだって気逆らいする俺様カコ(●∀・)イイ!!」というイタズラ者体質だし…

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 11:08:15 ID:PnLNiH/e
つーか、伊達、佐竹、上杉といった東国の諸侯は、大阪の陣の前の段階からまとまった形で、
家康というより秀忠に率いられているね。

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 12:07:16 ID:Bm4iIILP
仮に政宗が景勝の衣装で現れても、
「あいつめ、しらじらしく正装何ぞで来よってwww」
みたいな感じにしかならない気がするんだが。

逆に政宗の衣装で景勝が…ってなるとやっぱり笑われてそうなw

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 14:21:58 ID:J8PHT2xd
>>455
直江にボロクソに言われる無口な景勝しかでてこなかった。

上杉景勝越後転封裏話・悪い話

2009年02月02日 00:01

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 22:09:34 ID:alEjTEm1
頼山陽の日本外史より

越後の国は実高三百万石と云われた大国であった。

ある時、秀吉が景勝にこう聞いた。
「そこもとの領土はいかほどのものかな?」

ありのままに答えてはその豊かさから取り上げられかねないと思った景勝はこう答えた
「七、八十万石ほどでございます・・」

しかしそれは秀吉の罠だった
「なんと、名門上杉家がそんなに少ないとは!それでは会津百二十万石に増やして国替えして進ぜよう」

「・・・・(しまったー)」

上杉家の会津国替えはこのようだったと伝えられている。この時、直江兼続も米沢三十万石となったのであった。



実際のところはともかく、江戸時代のベストセラーですので、世間的にはこういう話がひろまってたわけですね。
日本外史は源平の武家政権樹立から書かれていますが、戦国大名で特記されているのは、三傑は別として、
北条・武田・上杉・毛利です。




167 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/01(日) 22:13:26 ID:Xsbt0oel
>>166
つーか越後って、明治まで日本で最も人口の多い地域だったらしいしね。

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 22:18:20 ID:xRD0tOQa
そういえばそんな話を最近聞いたな…えっと
1888年の人口調査記録があって、トップが新潟だった…という

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 22:27:24 ID:alEjTEm1
>>167
ちなみに維新後間もない明治六年の県人口ね。100万以上と50万以下。

新潟 144
兵庫 131
愛知 122
広島 113
東京 109
千葉 104
福岡 103
大阪 101

佐賀 48
青森 44
奈良 42
山梨 36
鳥取 36
宮崎 36
沖縄 17
北海道 12

170 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/01(日) 22:30:16 ID:ufbVzGBy
>>169
東京が5位というのも意外だな。
しかも広島、愛知、兵庫を抑えて新潟がトップとは。

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 22:45:05 ID:oUkFUnyL
いやいや、それはないです。
むか~しからヒドいものでありました。

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 22:51:47 ID:B+xg8SvK
あれだろ シナが人工が多いのと一緒で後進国だったから子沢山なんだろ

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 22:56:32 ID:msAIbNW2
雪で外に出る気がしない

嫁と家で2人きり

○○○

子供が出来ました

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 23:03:57 ID:YZoSIT49
米の生産量が多いからだよな?

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 23:05:28 ID:c6ir3yUv
山梨36万って・・・こんなんでよくやるわ信玄

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 23:15:59 ID:i75KuXyA
>>175
ここで出てるのは明治時代の数だからな
信玄の時代の人口がどうだったのかはわからんよ

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/01(日) 23:56:08 ID:1x0P79qh
48万人の生産力で肥前佐賀藩の超近代重武装化を成し遂げた肥前
の妖怪は恐ろしいな…。

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 00:01:47 ID:R7mFvXav
その上財政再建も平行してやってるからな
妖怪と言われるだけあって人間技じゃねぇ
現代に蘇って政治家になってくれないものかしら?

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 11:31:15 ID:CBZu3P5m
>166-167
上杉景勝が(武田滅亡後に)越後一国で日の本六十余州を相手にします、って佐竹義重へ送った手紙……
越後一国っても天正の当時から米・あおそやら交易の上がりで相当な実収があったんだろうなー

だからって物量で織田軍団には対抗できなかったろうけど。景勝なかなか気概のある大将だよね。(直江と主従して)越後スキー過ぎたのかしらん

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 11:56:47 ID:LBW3N/89
謙信時代から豊だったにしても、300万石という評判は江戸期の開発を経てのものでしょ。

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 15:57:03 ID:aJ2AiLPO
戦国時代には”越後米”というブランドが都の米市場で確立してたよ
昔から「米どころ」のイメージはあったみたい

197 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/02(月) 16:24:41 ID:LBW3N/89
人口の数値はここから引用したのかな?

ところで、明治初期の上位30都市に入ってる中で、ただ一つ10万を越えたことが無いのが米沢です。


明治期以前の国内における人口の推移
ttp://uub.jp/arc/arc.cgi?N=304

明治大正期の都市人口とその後の変遷
ttp://uub.jp/arc/arc.cgi?N=59

198 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/02(月) 16:52:59 ID:ayLw29dF
>>196
謙信と毛利の間での商売で越後の米と毛利の鉄を交換して交易してた。この日本海貿易圏は、信長の越前領有後も、まったく支障なく成立してたので、毛利・上杉などは日本海側の制海権を確立してたのかな?


199 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/02(月) 16:57:49 ID:ktKzDxdc
>>194
生き残る確立が万が一って言ってるがな 景勝さんw

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 16:58:09 ID:X1vpBGEe
織田が越前取ったって自前の水軍回送のしようがないですからなぁ。

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 17:23:30 ID:LBW3N/89
まあ、話は変わって>>197の続きだけど、1600年の駿遠三の人口が30万だとか
甲斐が12万だとかいうのは、2万5千で上洛というのがわからなくなってくるね。

204 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/02(月) 17:34:05 ID:ayLw29dF
金山や港や関所の収入があったんでないかな?
特に甲斐は物資に欠乏してたろうから
商人の塩販売なんか関税取ったら儲かりそう。

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 17:44:59 ID:LBW3N/89
いやまあ、経済的余裕よりは、12万から2万も出したら、成人男子が根こそぎだよね。

206 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/02(月) 17:55:06 ID:jHcr0HH1
戦国期は戦争のたびに金をもらって参加する、傭兵集団が存在する。

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 18:11:32 ID:ayLw29dF
上洛戦は甲斐だけでなく、信濃・西上野・駿河からも動員してたはずだよ。

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 18:50:04 ID:I8VF2RHy
桶狭間の場合は、同調した尾張の諸勢力が含まれてるんじゃないかなんて言われてるな

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 21:29:18 ID:XvKfnUEh
>>208
利家「勝手に参戦して兜首取ったのに帰参が許されませんでした」
一益「気付いたら叔父が勝手に参戦していました」

まあ、信勝派等の浪人が勝手に参戦したのは事実らしい

上杉景勝の家臣たち・いい話

2009年01月11日 00:10

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 01:13:03 ID:crJ8zIGh
固茹で卵家臣の話。

大坂冬の陣最大の激戦の一つ、鴫野の戦いを制した上杉家に対し
後日徳川家から感状が下された。
家康から感状を戴いた古将水原親憲、なんと家康の面前その場で感状を開いて読み、
「景勝公のみならず陪臣の身である私にまでこんな名誉を戴けるとは
謙信公以来の上杉の武名をあげられて嬉しいことです」と言った。
水原は感状の内容がもし自分を上杉家臣としてではなく
上杉家を無視し徳川の家来扱いするような内容であれば
その場で受け取りを拒否する腹積りであったそうな。
そして水原は退室したのちに
「こたびの戦は子供の石合戦のようなもので怖くも骨折りとも思わなかった。
謙信公の元で戦場を駆け回っていた頃は今日死ぬか明日死ぬかと思いながら
必死に戦ってきたが一度も感状など貰えた事はなかった。
こんな花見のような合戦で感状をいただけるとはおかしなことだ」と言って
大笑いしたという。

一方鴫野の戦いにおいて水原に劣らず奮戦し功を上げた安田能元。
しかし彼は直江と折り合いが悪かったために
徳川までその武功が届かず感状は貰えなかった。
そして感状を貰った同僚に対し安田は
「感状を貰えて良かったな。俺は武功を報告する人間がいなかったために
ひとり感状を貰えなかったが、しかしお前達に負けたとは思わないぞ。
俺は景勝様一人のため戦ったのであり、公方のためになど一筋とて働こうとは思わないし、
よって公方からの感状など欲しくもない。
お前たちも今後とも景勝様を第一に考え働くことだ」と強がったという。



15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 01:45:15 ID:7ylZ7feT
>>14すいばら親憲もカコイイ!が、漏れは頑固爺ぃノリの安田能元が大好きだなー

直江山城守とやたら相性が悪かったという安田さん、(兼続とお友達な)前田慶次郎と何故か仲良しだったとか。

……武辺者と教養人、両方と妙にウマのあう(元)傾奇者もいたんです。という、これは余談

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 01:57:58 ID:dNfjmzlK
水原も安野も気骨ある感じやねぇ

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 11:35:13 ID:crJ8zIGh
>>15
ほんとに直江と仲悪かったのかは置いておくとして
安田さんも会津三奉行と言われた行政手腕に優れた人だったらしいですけどね。
ちなみに毛利さん達と同族ですね安田さんは。

22 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/10(土) 11:50:15 ID:Y9fHp9sC
そだね、キタジョーとモーリと同じだね。
つかきのう安田城みたけど低いし小さいしすぐに落城しそな作りに感じた。
よくあんなので徒歩20分くらいの距離にあるキタジョー城のキタジョーとちょくちょく争って滅びなかったなと思った。

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 16:31:14 ID:yFB8OBXr
>>22
城と言えば、戦国時代真っ盛りの畿内なんて、ほとんど一村一品運動ならぬ、一村一城状態だったらしい。
場所によっては一村どころか、ちょっと通りが離れただけでも城を構えたりしていたそうでw
なんでも当時は、ちょっとした有力者なら、戦略以前にステイタスとして城を構えたんだって。

徳川幕府の一国一城令は、戦略的なものもあるけど、それ以上に、分散されたステイタスを
大名大名一人に集中させて、その権威と求心力を確立する、って事もその大きな目的だったらしい。

参勤交代もそうなんだけど、これも、幕府だけじゃなく諸侯にもちゃんと得があったから、
きちんと実施されたわけなんだ、これが。

上杉景勝、やっぱり中納言殿は無口だった・いい話

2009年01月08日 00:10

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 02:26:28 ID:phBPROs8
やっぱり中納言殿は無口だった。今度は上杉景勝の話を

1614年(慶長十九年)11月、大坂冬の陣での事。
大坂城の東北部にあたる鴫野で徳川方の上杉景勝軍と大坂方が激突、上杉軍が
大和川の堤を確保したが、上士下士ともひどく疲弊した。

徳川家康は他家の軍と交替するよう使者を出したが、要領を得ない。

上杉景勝>>…―(#;・`ω・´)―…。
上杉景勝家臣>>それ大将が軍陣にある時、君命でも受けられぬ場合がある。
       早朝より奮闘努力し勝ち得た地を、どうして他人に譲れようか!!

と、上杉景勝の家臣が言上するばかり。家康は再度使者を出した。

派遣された使番は上杉軍の陣に至り、棚外から口上を述べるが返事が無い。
上杉景勝は謙信よろしく青竹を杖にして大坂城を睨みつけ、額には青筋。
その左右には馬廻り三百人が勢揃いしていたが、口を真一文字に結んでおり
咳一つとして無い。ただ、陣営には旗差し物が風にはためく音だけが響いているばかりだった。

上杉景勝>>…―(#;・`ω・´)―…。
上杉家家臣>>…―(´・ω・`)ω・`)・`)―…。

あまりの不気味さに使番はその場を立ち去り、家康に言上する。
『こちらが何を申しても、云でも無ければ寸でもない。
  米沢の家中はまことに無礼者揃いにござる。』

徳川家康は報告を受けたとたん、感動の面持ちで膝を打った。
『それこそ、不識庵(上杉謙信)以来、受け継がれた軍法であろう。
                お前は、良いものを目にした。』

上杉家中では『士卒は法制を守り、戦場では無駄口を利くな。ただ、旌旗・狼煙・金鼓・貝の役に従うべし』
とされ、戦場での沈黙が美徳であると謙信以来の祖法として尊ばれたが、景勝の場合はそれに極端だった。

上杉軍が行進する時は例え戦闘中でなくても誰も喋ることがなく、足音だけしか聞こえなかったという。

戦国最後の固茹で卵、毘沙門天の後継者たる上杉景勝の(覚悟と度胸が)いい話。




872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 02:31:55 ID:XEfdLCy8
>戦国最後の固茹で卵

この表現好きだなww

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 08:27:28 ID:+FHQLlrv
ハードボイルド=痩せ我慢だな

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 08:57:55 ID:cfZ7awNS
ほんと、器だけは途方も無くでかいよなあ、景勝。

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 09:19:50 ID:amf9lQNE
>>874
嫁さんの実家は諏訪四郎ちゃんの代でいろいろあって身代を潰してしまったからね…

天才とか名君とされた偉人の次代は難しいよ。普通なら堅実な二代目と評して貰えるレベルでも、先代と比較されて盆暗扱いされてしまう。

「無口キャラ」属性や「意地っ張りクール」なリアクションは、上杉家中を引き締めるに必要な演出だったんじゃね?

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 09:23:27 ID:OPc1roIT
景勝は反抗的にも見える態度とっても「さすがだな!」と逆に賞賛されるパターンが多い気がする

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 09:30:33 ID:m4cyXPUt
つか、景勝が喋ってるエピソードってあるのか?


878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 09:31:50 ID:QLv7RBnw
今川氏真「親父の負の遺産のせいなのになんで自分が・・・・・・」

879 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/07(水) 09:42:47 ID:BDsy/XZQ
武田勝頼「同上だけに同情します」



880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 10:20:17 ID:i5H8dubF
上杉景勝が渡河をしている最中、彼の乗る小舟が人が多く急流で沈みそうになった。

数人の家臣が無言で河に飛び込み、急流に呑み込まれていった。
船は無事に河を渡った。

似た話が、オスマン皇帝のルーマニア遠征時にもあった。

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 10:42:28 ID:08p57GXN
まとめスレになかったっけ?

それにちょっと違うな。
景勝が竹杖で不満を表して、家臣が一斉にダイブってのが笑うポイント。

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 11:57:13 ID:8uD1yk55
上杉と小船はもはや定番w

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 12:27:16 ID:7qhtMa6p
確か景勝と船の話は景勝は怒って杖を振ったんじゃなくて
虫かなんかが飛んできてそれを払ったら
家臣たちが「御屋形様がお怒りだ!」と勘違いして
泳げない奴もみんな我先にと一人残らず川に飛び込んだんじゃなかったっけ?


大阪冬の陣でも景勝が陣を見回りに来たらだらけてた兵が
「御屋形様に見つかったら怒られる!」と

弾や矢の飛び交う防護柵の中に慌てて逃げ隠れて
周囲からは「上杉の兵は鉄砲より景勝の怒りを怖がる」と呆れられたとか。


886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 12:40:02 ID:94P8mLcT
根はいい人なのに顔がいかついのと無口なのが災いし、部下が必要以上にビビるってのが景勝エピの肝

887 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/07(水) 13:16:10 ID:SDTr4753
でもそれが景勝クオリティ

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 13:44:09 ID:jNqKqWfu
しゃべらない信長

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 14:16:59 ID:m4cyXPUt
これだけいろいろエピソードがあっても、ただの一度も喋ってないのか・・・w
すごいぜ景勝は。

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 14:29:58 ID:VAuIooEp
しゃべらなかったり 結婚しなかったり
変人の宝庫だな 長尾は

景勝が喋った!・いい話

2009年01月08日 00:07

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 14:31:04 ID:RjmdodJg
よし、景勝がしゃべった話!

大谷吉継が検地で上杉の面々と一緒に行動してたとき。
大谷の部下の不手際だかなんだかで、その土地で一揆がおこってしまった。
おさめるにも人員不足でやばい状態になった大谷、仕方ないので上杉に援軍を求めた所、
快くOKしてくれた上杉軍、無事に一揆をおさめる事ができた。

しかしこんな他人の尻拭いみたいな仕事、普通は嫌がる物だが協力をおしまない上杉の態度に
関心した大谷、景勝にその事を聞いてみた。すると景勝の一言。

「上杉の“義”なれば……」

その潔い答えにまたも感じ入ってしまう大谷でしたとさ。




894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 14:43:29 ID:m4cyXPUt
>>891
おぉ、サンクス
何だ、ちゃんと喋るときは喋るんじゃないかw
しかも異様にカッコイイ! (゚∀゚)

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 14:51:12 ID:94P8mLcT
>>891
その台詞は、ゴリラーマンで言うところの「痛いよ、香織ちゃん」みたいなもんだなw

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 14:57:43 ID:KpfhGdrz
無口だからたまに言う一言が重い→本人もうかつな事は言えないと自覚する→ますます無口に
以下ループ

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 23:21:31 ID:wtKaN+SI
景勝は三船敏郎みたいな男だったのかなぁ

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 23:33:59 ID:FwIbAZai
そんな景勝も若い頃は柴田、佐々や鬼武蔵に領地がレイプされてた時は
佐竹義重に「もはやこれまで…自害もやむなし」みたいな書状を送ってたんですけどねw

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 23:35:18 ID:YwUBOUv/
そんなも何もいかにもな文章だ

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 23:50:25 ID:7qhtMa6p
自害も止むなしとはいってないぞ。
「60余州相手に越後一国で戦うのは武門の家に生まれたものとして果報なこと、
それで死んでも名誉を残し、もし万死に一生を得るなら古今無双の英雄となるでしょう。
こちらのことは心配しないでください」
というあくまで決戦して滅亡する意志を書いた手紙だ。

まあまとめサイトにあるんですけどね

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 23:59:10 ID:FwIbAZai
うろ覚えだったが本物の書状は書いてある事まで違った。

男前だな。

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 23:59:57 ID:amf9lQNE
>>909
当方に迎撃の用意あり!だね。

関ヶ原でも本能寺直前も、武門の意地をとおして(直接決戦こそなかったが)兎に角、家を保ったのは上杉景勝よくやった方だしょ。ただ運がよかっただけかもしらんが....

少年、喜平次(上杉景勝)の罪人成敗・いい話?

2008年11月14日 00:05

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 01:17:37 ID:xgQ0EfZG
上杉家中にあって、深沢・九鬼の両名はたびたび家中の法度に背くことがあった。
規律に厳しい謙信は業を煮やし、ついに両名の誅殺が決まったが、剛勇をもって知られる
両名にあたるには相応の人数と準備が予想され、なかなか処断できなかった。

これを聞きつけた謙信の甥・喜平次が名乗り出た。「我に、その者共の成敗をお任せあれ。」
これに謙信は、
「あやつらは数々の戦で働いた豪の者であり、一人につき三人向かわせても討てるか危うい。
まして幼いお前に任せるなど思いも寄らぬ。しかし、その志は勇敢であり、見事だ。」
と、申し出を褒めはしたが許さなかった。
だが喜平次は、「成敗し難い罪人を斬れば、無断で斬ってもむしろ手柄となろう…」
あきらめず、剛勇の二人を斬る策を練った。

9月9日の重陽の節句を祝うため、家中の士の総登城が命じられた。当然、深沢と九鬼も
登城し、偶然かこれも喜平次の仕掛けか、両名は近くの席に座った。

喜平次はその場に近づくと、まず深沢に声をかけた。
「その方、目を患っておると聞く。御実城様の耳にも入ったぞ。私に目薬を賜り、その方の
目に薬を差し、具合を尋ねてまいれとの御意じゃ。ありがたく受けよ。」

そう言って深沢を仰向けに寝かせ、唐辛子をその目に振り掛けると、「上意なり!」
叫んで脇差を抜き、苦しんでいる深沢を突き刺した。
「何をしている!上意であるぞ九鬼、加勢せよ!」突然の出来事に呆然としていた九鬼は、
喜平次に声をかけられ、反射的に未だもがいている深沢に斬りつけた。
九鬼の振り下ろした刀が深沢の体に存分に食い込み、とどめを差したのを見届けた瞬間、

喜平次は脇差を持ち替え、深沢に刀を食い込ませたままの九鬼の胴を一気に切り裂いた。

謙信はこれを大いに褒め、預かっていた喜平次の父・政景の所領をことごとく返してやった。
のちの景勝の初手柄の話。ときに14歳のことだという。(名将言行録)



318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 01:21:54 ID:SFXnTGwv
子供の癖におっそろしい事してるし、それをほめる謙信もどうなんだって気がするけど、
甲陽軍鑑あたりに出てくる謙信なら、こう言うの大喜びしそうだから怖いw

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 01:23:40 ID:aeL8PtOS
景勝こええ

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 01:24:01 ID:YCwDwgBk
>>317
スゲエ、スパルタだわw

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 01:28:21 ID:/NnHNz9M
胡椒だと思ってた。どのみち香辛料イテェ

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 01:32:25 ID:vqAldmTn
義の欠片も感じられんなw
こっちの方が好きだけど

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 01:36:37 ID:aeL8PtOS
「義」というか、古代中国の「義侠」の人たちっぽい感じはする
三国時代に生まれてれば確実に劉備一家の鉄砲玉ポジション

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 01:41:18 ID:unRiMN8X
義に背く輩はどんな外道な方法で殺っても構わねえんですね
わかりますwww

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 02:43:50 ID:SFXnTGwv
景勝って、とらえどころが無いんだよね。
逸話や史実見ても、有能なのか無能なのか、善人なのか悪人なのか、さっぱり解らん。

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 02:54:52 ID:uy5kqUrz

無能有能なんて両極端な。つか無能で上杉家まとめられんさー。

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 03:22:34 ID:Mhdp6DMJ
しゃべらない、笑わないじゃ人物像はわからんわな

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 03:24:03 ID:SFXnTGwv
>>334
まあ、あくまで程度問題ね>有能無能
直江たちにいいように操られている印象も、逆に直江たちをうまく使っているって印象も、
どっちも感じさせるんですわ>景勝



337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 03:27:24 ID:qI4tlJSh
景勝は春日山城内での山崎秀仙殺害事件の時
騒ぎを聞き付け自らやってきて秀仙や信綱を殺した毛利が
岩井や登坂に成敗されるのを襖の影からじっと見てたって話もあるな。
何するでもなくじっと見てたってのがなんか怖い人だと思った。
善人悪人というか理想主義を志すリアリストっぽいイメージだ。




341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 08:49:26 ID:pf9rVQfx
>>320
イヤ、この話だと謙信はちゃんと「子供はダメ」って言ってるじゃないか。
しかも上杉家全家臣の前で「上意である!」と叫んで討ってるから、
甥が可愛ければ叱る事は出来まい。
スパルタというより単に甘かっただけでは?

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 11:37:58 ID:unRiMN8X
>>341
スパルタ教育じゃなくて、その元ネタのことを言ってるんだよ
古代ギリシアのスパルタ貴族は子弟にスリ等をさせて機転を養わせ、
独りで野に放り出して狩りをさせ、サバイバルと戦闘術を養わせた。

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 11:47:55 ID:unRiMN8X
おかげでスパルタ軍人は新兵でも抜け目がなくてそこそこ戦えたって話。

途中で書き込んでしまった
スレ汚してスミマセン

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 15:13:58 ID:ffgx62W4
景勝って、政治家としても戦略家としても二流だったが、
将器だけは途方も無く大きかったような印象がある。

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 15:28:55 ID:n+andFa9

>>345
そうだけ聞くと劉備みたいだなw

上杉景勝と前田慶次・いい話

2008年11月14日 00:03

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 16:45:34 ID:7i9gtQ17
上杉景勝と前田慶次

ある時、豊臣秀吉が伏見城(または大阪城)にて、大名たちを呼んで宴を開いた。
そこに慶次は呼ばれてもいないのに勝手に紛れ込んだ。
宴もたけなわになった頃、慶次は猿の面を被り手ぬぐいで頬被りをし、
踊りながら大名たちの膝の上に次々と腰かけ、猿真似をして面白おかしく振舞った。
宴の席なので誰も怒るものはいなかったが、景勝の前へ来ると慶次は景勝を華麗にスルー。
次の人の膝の上に腰掛けた。
景勝の威風凛然とした態度を前にして、どうしてもその膝に乗ることができなかったらしい。
その後、歌舞伎者として名の知れていた慶次はたびたび仕官話が持ち上がっていたが
それらをことごとく断り、直江兼続を通じて景勝に仕官する。

慶次は後に「天下広しといえども、真に我が主と頼むは会津の景勝をおいて外にあるまい」と語ったという。



352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 18:46:28 ID:/NnHNz9M
>>349
猿の景勝真似には笑ったのに
慶次の猿真似はつまんなかったんかw

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 18:52:25 ID:GtxevJCd
景勝は猿が大好きだったんだろう。
好きな歌手のモノマネとか採点が厳しくなるからな。

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 19:36:48 ID:ADvr8Kuq
ちなみに慶次は仕官する際にも「穀蔵院ひょっとこ斎」と名乗ったりしてかぶいていたが
景勝に「うちはカブキモノなんぞイラネ」とダメ出しされてる


356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 19:50:39 ID:SFXnTGwv
>>355
景勝くらい冗談の通じなさそうな大名も居ないよね。

たしか景勝が秀吉に臣従して、始めて大阪城に登った際、秀吉主催の歓迎の宴会で、余りにも
無表情で黙りこくっているので、秀吉は大阪までの接待をした利家や三成なんかを呼び出して

「おまえら道中、景勝殿になんか失礼なことでもしたのか?」

って聞いた、って話があったなあ。
直江が「いつもああだから気になさらないように」と、言ったとかどうとかw


357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 20:42:37 ID:aeL8PtOS
景勝(……正直、気の利いたリアクションが思いつかないだけなんだけどな)

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 20:47:09 ID:/NnHNz9M
当人はろくに喋っていないまままわりのリアクションで逸話ができあがるのは凄いのかもしれない

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 20:48:42 ID:+e5EU5YZ
直江は通訳か何かかw
でも景勝は筆まめだったと聞いた

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 20:53:41 ID:3xI5Eivg
お前らと一緒で人前じゃ喋れなかったのかもしれんな
ネットじゃ多弁なのに

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 21:06:21 ID:/3a4wEvO
一連の景勝の話読んでると利まつの里見's景勝を思い出した

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 21:19:28 ID:wkIgVzJu
この流れなら言える
「景勝は2ちゃんねらー」

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 21:26:11 ID:fiqJLMQt
メールだと軽いノリなのに実際に対峙すると重圧感ある人っているよね。

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 22:26:56 ID:uhtODn/W
逆にメールだと常にキレ気味でズバズバと攻撃的に書く人が、
実際にあってみると穏やかで常に気配りをしてくれる人だったりするから
世の中わからん。

上杉景勝邸への御成り・悪い話?

2008年11月05日 00:03

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 17:10:08 ID:6uCMIIlr
御成りと言えば。

関ケ原のあと上杉屋敷に秀忠が御成りすることがあった。
しかし秀忠一行が上杉屋敷に着てみると屋敷には下人も誰もおらず
ただ景勝とその傍に直江が平伏しているのみ。
秀忠がこれはどうしたことかというと、直江が答えて
「我々は東北の田舎者ですから行儀が分かりません。
失礼があってはいけないので本多正信殿に全部任せます。
好きにしてください」
と接待を全て丸投げ。
料理人も全て正信が用意して秀忠は「さすが上杉だな!」と感心し
この話を聞いた家康も感嘆した。

という話があるな。



501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 17:59:41 ID:WQK4nFQR
>>500
これ、事前に正信が丸投げを頼まれていて、準備をしていたの?それとも当日その場で
丸投げされて、そこから準備を始めたの?

秀忠や家康が感心したのって、接待の責任を他者に押し付けて、後で儀礼の点でいちゃもん
つけられないように難を回避した、その知略を褒めたってことか?

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 18:05:04 ID:Pp3tSoHf
>>500
一歩間違えれば取り潰しだなw

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 20:26:45 ID:OqDjoU8u
>>500
直江(あれー、これ皮肉のつもりだったんだけどな……感心されちゃったよ)