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一万石の江口三郎兵衛と高木勘平・いい話?

2009年05月13日 03:56

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 09:05:37 ID:jPagyO9i
これはまだ無いはず。同じ一万石知行のお話


丹羽家の重臣として有名であった江口三郎兵衛は、関ヶ原による丹羽家没落の後、
越前黄門、結城秀康に呼ばれ、なんと一万石で召抱えられた。

これを快く思わないのがそれまでの家臣たちである。
秀康の家臣で武勇の知られた高木勘平も、
「新参者がいきなり一万石を領するとはなにごとか!」
と、怒りがおさまらない。

ある時この高木が、江口と同席する機会があった。高木、この時とばかり江口に詰め寄り
こう尋ねた

「上方の武辺とはどういう事を言うのか!?」

一般に東国の武士からは、上方の者は柔弱と思われている。高木はその上方者である
江口の武辺を笑って恥をかかせてやろう、そう思ったのだ。

これに江口、答える。

「上方の武辺と言うものは、人に武辺者と言われ、この殿のような方に召し出され、
高い知行を取ることでござる。」

高木はこれを聞くと、「うーん」と唸り、そのまま言葉も無く引き下がった。

高木勘平が後に言うには
『あの時江口が、それまでに自分のなした武功を語ろうものなら、「わしはそれほどの事を
八百度も成したぞ!」と言ってやるつもりだった。
江口と言う男は武のみではなく、才も優れた人間だ。」

と、感心したとの事である。


正直この程度の答えに素直に感心しちゃう高木勘平が、ちょっと可愛いお話。




524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 09:16:18 ID:OavpmR4+
言ってやろうとした台詞を考えるに脳筋だったんだろうなぁ高木

越前松平家家臣、吉田修理「こんなこともあろうかと。」・いい話

2009年04月29日 00:06

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 04:01:46 ID:pO1AnOht
『こんなこともあろうかと。』

吉田修理は元は関白秀次に仕え、後に結城秀康に仕えた人であった。

・修理が始めて結城秀康にお目見えしたときの事。
秀康は丁度その頃、北ノ荘の城を改修しており、修理に向かって

「これより二の丸の虎口縄張りの改めをせねばならぬ。おぬしも付いて参れ。」

と、その席より立ち、修理もそれに付き従った。
さて、工事現場に着くと、どういうことか長さを測る間竿をなくし、その場の者たちが困っていた。

「何をやっておるのか!早く見つけて縄張りの計測を再開せよ!」秀康公も不機嫌そう。
しかし間竿は見つからずみな慌てている。その時である

「お待ちください!」

秀康の傍にいた吉田修理が声をかけた

「こんなこともあろうかと、家臣にこれを持たせておりました。」

一同「ああーっ!それは間縄(一間ごとに結び目をつけた縄)!!これで長さが測れるー!」

流石は名臣吉田修理。


・結城秀康の嫡男松平忠直の下に、将軍秀忠の娘、勝姫のお輿入れがあったときの事。

吉田修理はお迎えのため、街道まで出ていた。その日は快晴であったのだが、どうしたわけであろう、
にわかに曇ったかと思えば、たちまち激しい雨となった。お輿入れのお供の者たち、突然の雨に打たれ
困惑した、その時である

修理「こんなこともあろうかと。これを用意しておりました。」

一同「ああーっ!それは大量の傘!お供の者全員にいきわたるように2,3百本はそろえてあるーっ!」

流石は名臣吉田修理。


・松平忠直が、その家臣久世但馬を成敗する、と言うときの事。

吉田修理の屋敷は、久世但馬の隣であった。
この久世成敗の時、その混乱の中で屋敷は出火し、大変な家事になったのだが、
不思議と隣の吉田修理邸に延焼することは無かった。

後で人々が、「あなたの屋敷は無事で本当によかった」と言えば、修理

「こんなこともあろうかと、あれを用意してました。」

一同「ああーっ!久世の屋敷に近い長屋には残らず濡れムシロがかけられているー!!
延焼対策は万全だーっ!!」

流石は名臣吉田修理。




95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 06:55:16 ID:jVetBLIH
そんな用意のいい吉田修理ですが、秀次、忠直と主君二人の暴走を止める事は出来ませんでしたとさ・・・

96 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/28(火) 09:10:22 ID:vfKB/cMf
秀次の暴走は嘘だらけだが

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 10:10:38 ID:Hy9SfFOw
吉田修理の家臣、常に大荷物を持って付き従ってそうだな。

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 10:41:41 ID:Uuks431N
>>94某宇宙戦艦の真田技師長かとおもたw

どこかで忠直卿を諌めることができたら名臣に「忠臣」の評も加わったんだろうがちと惜しい。

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 20:37:41 ID:yx6NYlMK
>>94
吉田修理があのタヌキ型ロボットとしか思えなくなったじゃないかw

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 20:47:36 ID:QfIzPQnM
戦国の世で、さすがに虎右衛門と名乗るのはいないだろうな。

末森城攻防戦、後日談・悪い話

2009年03月30日 00:02

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 17:36:34 ID:c616FHnA
前田家家臣奥村永福が末森城で妻共々奮戦した話は有名
が、実際の戦はこれで終わっていないのである

佐々成政軍は突出と後退を織り交ぜ前田軍に追撃の隙を与えなかった
前田軍は追撃に度々失敗し結局は佐々軍本隊を逃す大失態を演じている
逆に久世但馬守率いる一隊がかつての一向一揆の激戦地、鳥越城を奪取し前田軍の侵攻を阻んだのである
佐々成政は秀吉軍本隊接近であっさりと降伏したと思われがちだが実際は前田利家と泥沼の消耗戦を繰り広げていた
事実この鳥越城、数倍の前田軍相手に秀吉の富山仕置まで一年近く保ちこたえた
佐々成政降伏後、久世但馬守も開城して牢人となったが越前に入封した結城秀康の家臣となった
秀康死後に越前騒動(久世騒動)に名が残る事からも久世但馬守は有能であったようだ

前田家の文書では末森城以後富山仕置までの話はスルーされている
もちろん主な小説や大河ですらスルーされた
大藩加賀藩の藩祖が小勢に手こずった事実を隠すかの様に

勝者の歴史、その陰の話




284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 18:21:20 ID:Rkh/mFwB
佐々軍はさっさと進軍したんだな。

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 18:26:31 ID:Su2M0lKK
前田に追撃されてりゃ当たり前だ

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 18:34:56 ID:YCtA8wVP
2発続けてコメントしにくいレス書くなよw

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 18:56:39 ID:kg5Ou1DT
川相さん帰りますよ(AAry

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 19:35:01 ID:hV3sgwva
>>287
井端乙

秀康たん、義弟を庇ってみないでもなく・いい話?

2009年03月29日 00:07

267 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/28(土) 01:22:38 ID:wB9Fsvzx
秀頼話がでたので、だしておこう

秀康たん、義弟を庇ってみないでもなく

結城秀康は関ヶ原後に越前に加増されたが、内心は苦々しく思っていた
愚弟は危うく家を滅ぼしかける失態をしたが、徳川家後継者となれた。
が、自分は本家後継者となれなかったばかりか、加越能の前田対策で越前に追いやられたからだ

ある時、家康公にぶちまけてみる
秀康「パパー、どーして僕じゃなく徳川を愚弟(秀忠)へ譲っちゃったの?」
家康公「それはね、秀ちゃんを太閤殿下の養子にしちゃったから、徳川を譲ることはできないんだよ」
秀康「じゃー、なんで僕を養子にしたんだよー!僕だってパパの子だじょー!」
家康公「太閤殿下が秀ちゃんを欲しいといったからだよ」
秀康「太閤殿下の望みで出したということは秀頼たんとは兄弟ってこと?」
家康公「うん。そうだね。秀頼とは兄弟だよ」

と、いうようなことがあったらしい

で、越前に戻った秀康は
「私は秀頼と兄弟なので、秀頼に危害を加えよういう者があれば上坂し、秀頼と共に戦って死んでやる」
と放言しまくる。

ところが、1607年に秀康死去
死に臨んで
「私の命があるうちは秀頼を殺させるかと思っていたが…
私の命が終わるなら秀頼の滅亡も遠くはないだろう」
と言って亡くなってしまった。

越前松平には徳川本家からつけられた家臣が腐るほどいて、これらのことも家康公に知られていたと思われる。

そういう訳で、家康公は大坂の陣の時に越前家(松平忠直)を疑っていたが、
合戦では越前勢が真っ先に攻め込んだのを見て、疑いを解いたそうな。




268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/28(土) 03:40:02 ID:k1deGArv
>>267
最近大河の葵 徳川三代の、秀康の死のシーンをみたばかりのなのでぐっときてしまった

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/28(土) 11:52:14 ID:ZyGK96QD
>>82この横田って戸石崩れで死んだあの横田備中の孫だよな?

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/28(土) 19:34:47 ID:DSunjfG4
>>267
そして忠直卿行状記

結城秀康「得意と不向き」・いい話

2009年03月05日 00:15

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 23:02:23 ID:RBcCZQ7L
結城秀康が越前を拝領した頃の話である。


北条家の浪人に、関根織部という者がいた。彼は武勇の侍として有名であり、
秀康は彼を家臣として招こうとした。が、

「わたくしはかつて、北条氏直様に従って高野山に登ることが出来ませんでした。
それゆえ私は自分を羞じ、世間から隠れて生きております。
このような私がいったい何の面目があって、再び世に出て、あなた様にお仕えする事が
出来るというのですか?」

たちまち断られた。
だが、それを聞いた秀康はますますこの関根が気に入った。
秀康は、利よりも義を尊ぶ人間が、何よりも好きなのだ。

「関根殿、人というものにはそれぞれ、出来る事と出来ない事がある。
失礼ながら頭を丸めて山に登ることは、あなたには不向きな事だ。

あなたは勇者である。戦場に出て戦功を上げる事、これこそ貴殿が得意とすることであろう。

今、貴殿が世に出て私に仕えるという事、それはあなた一人の利のためではない。
あなたが私の下で得意な所を存分に発揮すること、それはそのまま天下の為の備えとなる。
そう言うことではないのか!?」

そう説得され、関根は深く感じ入り、秀康に仕えると申し上げた。


このような事があり、秀康の士を愛する心が伝わったため、世の、天下の役に立ちたいと望むものは、
知行の多少を気にせず先を争って秀康に仕えようと、越前へと集まった。
毎日のように移り住む者が増え、越前は秀康が入封してそれほども立たない間に、
それまでの疲弊していた雰囲気が一変した、と言うことである。




490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 01:27:43 ID:SQp6sXEP
>>488
越前を疲弊させたのは30年前の一向一揆と富田長繁、と




ヒャッハー

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 03:04:54 ID:fvZM6ZkD
秀康は漢だな。
景勝と気が合うのがなんとなく分かる。

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 08:57:12 ID:o9YZg3wR
>>491
景勝がしゃべらないのにどうやって
会話するんだろ・・・秀康

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 09:14:10 ID:eWMrgogG
文通と筆談

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 10:17:51 ID:X3IAVshc
目と目で通じ合う

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 10:57:11 ID:/gKIgBWT
そういう仲になりたいわ

496 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/04(水) 11:20:53 ID:oa2zyfWU
竿と穴で通(ry

おっと、細川さんちの庭木の手入れの時間だ、いってくる

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 11:51:06 ID:o9YZg3wR
無言意気地なしね

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 12:39:52 ID:0DdggJgY
言えないのよ ヒャーッハー♪

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 12:41:08 ID:QfEE8JdH
>>496
秀康はともかく景勝は洒落にならんw

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 14:02:19 ID:SQp6sXEP
>492
直江山城が翻訳してくれるらしいね

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 14:21:09 ID:M5sopcSK
一瞬「殿様といっしょ」が脳裏をよぎった

大阪夏の陣のかっこ悪い記録・悪い話?

2009年02月04日 00:15

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 01:13:32 ID:Nq5c0Abk
大坂夏の陣のとき、
結城秀康の次男・松平忠昌は兄・忠直の部隊に属して進軍していた。
すると向こうから念流の左太夫という侍が切りかかってきた。
忠昌は防ぐことができず、慌てて飛び降りる。
主君を守ろうと一人の侍が切りかかるが、さっとかわした左太夫に切り殺されてしまう。
今度は二人が向かってゆくが、二人とも返り討ちにされてしまった。
さらに一人が立ちふさがるが、親指を切られてしまった。
万事休す、忠昌は組み伏せられ首を掻かれる寸前になった!
しかし間一髪、忠昌の家臣の一人が左太夫の尻を突き刺し、
従者五、六人でなんとか左太夫を引き剥がして討ち取ることができたという。

なぜ松平家がこんなかっこ悪い話を記録に残したかは不明である。




238 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/03(火) 01:16:22 ID:mZcr0ZUp
>>237
どういう状況で怪我をしたのかも、戦功判断の基準になるからじゃないかな?
現実の戦争はリアリズムのみの世界だから、かっこいい悪いはあまり関係が無いと思う。

上杉景勝と結城秀康、席次で言い?争う・いい話

2009年01月05日 00:09

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 20:21:16 ID:+xI16PLc
大河ドラマ開始記念・上杉景勝と結城秀康のお話

関が原後、徳川の覇権が確立した頃の事
江戸城に出仕した上杉景勝。広間に座っていると、そこに結城秀康がやってきた。

関が原の折直接対峙した二人ではあるが、互いに尊敬しあっている
間柄である。
そうはいっても、秀康はいまや天下人の息子であり、景勝は敗軍の将である。
景勝は座を立って秀康に

景勝「…」
秀康「?」

兼続「秀康様、殿は『秀康殿、どうぞ上座にお座りください』と申しております。」
秀康「いやいや、景勝殿の方が先に着座なされていたのだ。どうぞそのまま。」

景勝「…」
兼続「『ここは江戸城でござる。身分も同じ中納言であれば、家康公のご子息である
   秀康殿が上座にあられるのが当然』と、申しております。」

秀康「何を言われるか。同じ中納言とは言っても任官されたのは景勝殿の方が先でござる。
   後輩は先輩を立てねばなりませぬ。それに私は今は結城家の者。結城家と言えば、
   世が世なら関東管領たる上杉家に従わねばならぬ家。ささ、お気になさらずどうぞご着座を。」

景勝「…」
兼続「『かたじけない思いやり、痛み入る』と申しております」

このようにして景勝は江戸城内において恥をかくことなく、徳川の世になっても、上杉家の
体面を保った。景勝のことを尊敬している秀康も、その事がとても嬉しかった。
そして秀康はいつも思うのだ。直江兼続の翻訳は、本当に正しいのか?と。



797 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/04(日) 20:34:01 ID:CX9MnI11
>>796
実は戦国時代のいっこくどうだった直江兼続w

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 20:35:19 ID:5VfqAVxT
殿いつ景勝やめいw

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 20:40:30 ID:UuipDDzt
>>797
この場合いっこくどうは景勝なんじゃないか?w

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 21:14:56 ID:HkIrpf2e
>>796


オチに焙じ茶吹いた

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 21:22:54 ID:wwQuQyK4
寡黙とは言われるが本当にそこまで喋らない人だったのかw

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 22:06:06 ID:eNMUcf/K
>>796
いくら何でも創作だろうが、落ちにワロタw

秀頼七手組、八番目の大将・悪い話?

2008年12月17日 00:05

327 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/16(火) 13:03:18 ID:JsZ8pz0T
関ヶ原前後のお話し

豊臣秀頼の七手組は当初、八手組あった。現在文献などで確認できる七人の大将はそれぞれ有名で名の通った武将だが八番目の将を知る者は少ない。
彼の名は結城上野守高康。
結城秀康の側が産んだ四男である。(詳細な文献がないため生没年などは不明。)
小田原で初陣を遂げ手勢16騎と共に首級167を取る縦横無尽の活躍を秀吉から認められ、のちの八手組の大将に抜擢された。

さて関ヶ原…
彼は大阪で秀頼を守る七手組とは別に家康の北伐に従軍した彼は東軍の一部隊(1400人と伝わる)を率いていて小早川と大谷に挟まれる形で小早川勢の右斜め前方に陣を張っていた。
家康の恫喝で西軍を裏切った小早川が猛烈な勢いで山を駆け降りた時に当然結城高康軍も大谷軍に襲い掛かった。大将高康を残して…

何と高康は落馬し、勢いの止まらない小早川軍のヒヅメに踏み荒らされていたのだ。高康は命を取り留めるも明日をも知れぬ重体。関ヶ原の数日後、息を引き取る前の遺言は自分を記録から抹殺してくれとの事だった。
秀康も大変恥ずかしく思い息子の記録を徹底的に廃除し、幕府もこれを徹底的に守ったという。
なんとも格好悪い話し。



328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/16(火) 13:08:22 ID:uHUJbZb6
八手なのに七手組

五人なのに龍造寺四天王


つーかこれは悪い話のほうだなw

329 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/16(火) 14:44:44 ID:JUYfPi+b
>>327
しかし、小田原初陣というのは豊臣家に養子に出された当時の年齢・状態を考えるとありえんw

>>328
七手組の将の一人は、剥げ鼠がどうしてもほしいといったからという理由で譲った元徳川家臣で、
大坂の陣の際に捕らえて城に帰さず、豊臣滅亡後も大名として存続させたという神君ならではの配慮という話を思い出した

ここら辺が、数正系石川家と扱いが違ってて面白い

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/16(火) 17:47:16 ID:57UQE5j0
>>329
青木一重だっけ?

結城秀康と佐渡の金・いい話

2008年12月13日 00:03

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/12(金) 13:36:28 ID:bLO+MiFo
結城秀康が越前の国主だった頃

結城秀康はふんだんに家臣を抱えていることで有名で、当時七十五万石の領主でありながら、
そのうち六十八万石分も知行として与えており、みな、

「秀康様はどうやってお暮らしになっているのだろう?」

と、疑問に思っていた。

さて、彼の城下福井は当時、佐渡から産出された金を江戸に運ぶルートになっていた。
この輸送隊が福井城下に来ると、その頭が藩の家老に「御用はありませんか?」と聞きに来た。
家老も心得たもので、「これだけ必要です」と言うと、その言っただけの金額を、輸送されている
金から分けて置いて行った。

このように、秀康は家臣への知行以外については、幕府からの手厚い援助があったのだと、
伝わっている。



221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/12(金) 14:06:06 ID:lFKw2mZ0
さすが制外の家

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/12(金) 14:14:47 ID:uMveWKWn
我が父、秀康は将軍の兄なるぞ

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/12(金) 17:15:51 ID:eDveHKsX
秀康公は若死にしてるから逸話が少ないな。

結城秀康と加増はどっち?・悪い話

2008年12月05日 02:17

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/04(木) 00:49:03 ID:QXKHsuQZ
慶長五年、徳川家康は、息子、結城秀康の、関ヶ原での戦功が莫大であるとして、
播磨か越前、どちらかの国を褒美として与えたい、と言ってきた。

これに結城秀康は、家臣を集め協議させたが、そのうち長谷部釆女が
是非越前を拝領なさいませ!と、熱心に言う。

しかし秀康は
「世の人は日本の国において、一が播磨、二が越前と言っている。やはり播磨が
良いのではないか?」
と、答えたが、長谷部は、
越前は大国で要害の地もございます。そのうえ江戸まで、播磨よりも近く、京都へ行くにも
便利で、北陸の中心でございます。越前を御拝領なさるのがよいでしょう。と、
あくまで越前を薦める。そこで秀康もその気になり、越前を拝領する事に決めた。



そして後日、冬のある日


結城秀康は長谷部釆女を呼んで、こう言った

「播磨か越前のどちらかを下し置かれるというので、相談したところ、お前は『越前をお望みなさるのが
よろしいでしょう』と言ったが…

お前の生れ故郷という理由で、こんな大雪の降る国へ移させたのだな!!」



長谷部さんそ知らぬ顔でソンナワケアリマセンヨHAHAHAHAHA


結城秀康の初陣と秀吉・いい話

2008年12月04日 00:10

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 06:44:55 ID:hblRdKGn
では、埋めがてらに


天正14年(1586)、豊臣秀吉の九州征伐での出来事。
前線において先鋒、蒲生氏郷は大活躍。厳石城を落とし軍の士気は上がっていた。
が、一人打ちひしがれている物がいた。後軍に配置された、結城秀康、12歳。
このとき初陣であった。

佐々成政が、どうしたのかと訊ねると、秀康は

「氏郷殿の活躍に比べ、自分には何の戦功も無いのが悔しくてなりません。」

と、涙を流しながら語った。これに成政は、何をおっしゃる、あなたはまだ若い。
戦場で功を上げる機会はこれからいくらでもあるではありませんか。と、慰めたが

「この、無念を抱いた今日と言う日は、取り返したくても、もう来ないではありませんか!」


この答えに感心した成政は、秀吉の陣でこの事を語った。
あの御気性、流石は徳川家康殿のご子息である事よ。よく似ていらっしゃる。

これを秀吉が聞きとがめた「それは違う。わしだ」

「は?」

「秀康はわしの養子になったから、武勇も気性も、わしに似たのさ。そうであろう?」

そう、答えたと言う。



988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 06:56:15 ID:ZSW7lu62
秀吉の場合マジで言ってそうだからな、佐々もリアクションに困ったろう。

関ヶ原の、結城秀康と上杉景勝・いい話

2008年11月27日 00:04

760 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/26(水) 22:15:36 ID:7mlAR6w0
関ヶ原の時の事


家康が小山の陣を引き払った後、下野では上杉襲来の風聞があり、動揺が大きかった。

さて、この時家康に後を任されたのは、結城秀康である。
彼は上杉景勝に書状を出した

「この度、上方に兵乱が起こったため家康はここの陣を引き払い、私が留守居を任されております。
ですが、ここでダラダラすごすのは退屈で仕方がありません。そこで、

戦争でもしましょう。

もしご同意なされるなら、構わないので、 ど こ か ら で も か か っ て こ い !


景勝から返書が来た。
「御使者、ありがとうございます。内府は引き払われ、あなたが留守居との事。私に何か
できることがあれば、何でも承りたいと思います。

さて、合戦の件ですが

我らは謙信以来、人が留守しているところに攻めかけたことはありません。
内府がお戻りになりましたら、どうぞ、先手になってかかっていらっしゃい。その時はいくらでも
相手になりましょう。

あなたのような若者が留守をしているところに合戦を仕掛けるなんて我々には
 思 い も よ ら な い こ と で す !

この書状の内容が広まると、上杉襲来の風聞はピタリと止んだとか。


が、ぶっちゃけて言えば、
秀康「つまんねーからケンカしよーぜー」
景勝「お前みたいなガキ相手になるかバーカ。親父連れて来い!」


と言う書状の内容。秀康は侮られたと不満だったとか、どうとか。




761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 22:19:48 ID:c5Kig2qn
景勝手紙だと饒舌でカコイイじゃないですかw

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 22:26:39 ID:wOBPu57f
そういう返答が来ると見越しての手紙の可能性もあるかもな。

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 22:30:11 ID:7mlAR6w0
>>762
まあ、景勝が合戦を受けるにせよ受けないにせよ、方向性が定まって無駄な動揺を
抑えることが出来る、って計算はあっただろうね。

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 22:40:40 ID:SdTHP6ip
結城秀康は確か関ケ原後家康に上杉存続を働きかけてたんだよな。

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 22:57:18 ID:1gnt7zjq
義光
「そんなカコイイこと言っておいて、圧倒的劣勢で攻撃もしていないうちに攻め込むのは、
弱い者いぢめだと思うんです! せめて伊達を攻めろよ!
べっ、べつにうちはそちらに攻め込もうなんて思ってなかったんだからねッ!」

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 23:17:15 ID:DwhDeG9i
景勝「…」
直江「御屋形様は「最上殿は年上だし
留守でもないから攻めてもおk」と言っておられます」

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 23:20:00 ID:OZc6Tdbd
義光「せめて伊達を攻めろよ!」

景勝「…」
直江「伊達さんの所には留守さんがいるのでダメです

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 23:30:27 ID:d4TIZ9WH
イイハナシダナーと読み進んできたら最後はこれかよ・・・

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 23:32:11 ID:p98KVlPv
ワロタw

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 23:34:16 ID:LGnJsFRz
留守「見てるだけなんで攻めていいよ」

義光「ちょwwおまwww」

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 23:46:12 ID:7mlAR6w0
直江は景勝の、どんな翻訳機能を持っているんだw

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/26(水) 23:59:10 ID:ky3JRudG
>>767は御屋形様の曰くではないのだな

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 00:03:51 ID:DMTbL/Nj
景勝「…」
直江「御屋形様は「石田殿との友誼を重んじ兵を出すので
徳川さっさとかかってこいや」と言っておられます」

結城秀康と下馬しない伊達政宗・悪い話

2008年11月26日 00:03

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 19:03:40 ID:G3t23vu7
あんまり雑談ばっかりなのもアレなので投下!


伊達政宗は、関ヶ原の折、福島の合戦で、岡佐内と戦って軽い怪我をした。

戦後間もない頃、政宗が馬に乗って移動していると、結城秀康にばったりと出合った。
すると政宗、馬に乗ったまま秀康に

「ほら、見て見て!こないだの戦でこんな怪我しちゃってさ!
いや~、おかげで下馬するのも難しいの。なので馬の上から無礼してごめんね!
じゃ!」

と言って、下馬して挨拶せずすれ違って行った。

秀康、笑いながら
「あいつ、なんでもない怪我を、さも大怪我のように言って、俺の前で下馬しないで済ませやがった。
今にはじまったことじゃ無いけど、ホントに根性曲がってるなあ。」

と、仰せになったとか。




589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 19:07:25 ID:q7znD0Qv
流石、秀康はわかってるなw
つーか政宗に甘すぎだぞ徳川一族w

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 19:28:33 ID:F5h9Eouo
徳川家は政宗の事をペットの珍しい生き物みたいに思ってたんじゃないか?w

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 19:46:25 ID:0EX8sEO9
戦国ちょっと甘いスレがあれば間違いなく載る

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 19:52:01 ID:mi7tHH/v
家康も秀吉も幼い信長みたいで面白かったのではないだろうかw

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:08:32 ID:kXIwbf1r
>>589のツッコミ見てて思ったけど
徳川家にとっての政宗って
親戚に1人はいる変わり者のオッサン、みたいな立ち位置に見えるw
戦国期が続いてたらそれどころじゃなかったろうけどなあ

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:14:11 ID:+qL1q+7G
それいったら織田家にとっての松永久秀も
親戚に1人はいる変わり者のオッサンぽいな。

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:19:13 ID:LSWiFdN+
>>588
>『伊達政宗は、関ヶ原の折、福島の合戦で、岡佐内と戦って軽い怪我をした。』
これって以前政宗ファンが必死になって否定してた逸話だ~
俺も半分嘘だろうなと思ってたけど
まさかそこから派生した逸話が有ったなんて驚き
出典知ってたら教えて下さい

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:25:56 ID:mi7tHH/v
>>588
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1225294776/526

この人ね

598 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/25(火) 20:27:14 ID:DeOPHh9h
政宗があまりに小者過ぎて可愛かったのかも
自分が死ぬか生きるか分からない時に出会ったら
容赦なく殺すべき相手だが天下とって気持ちに
余裕が出来ればこの種の奴を愛でる気持ちも
分からないわけじゃない


599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:34:00 ID:G3t23vu7
>>596
「徳川諸家系譜」に収録されている、「浄光公(秀康)年譜」>出典

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:34:24 ID:mi7tHH/v
何かあったらすぐ処分できるし、面白いから飼っておこうって事か
政宗はそこを狙ってやってそうだがw

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:41:16 ID:56mMzOYk
あー、政宗ってキャラで許されちゃう感じがあるんじゃないの。

基準がわからないけど政宗が小者だとは思わないなあ。
つうかあれだけいろいろやっといて
ほんとに小者なら62万石は残せないでしょう。


602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:44:51 ID:0EX8sEO9
甘くて和むが、普通はできんな。まぁ逸話だから別にいいんだろうが(w


603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:45:21 ID:LSWiFdN+
>>599
ありがとうございます

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:48:41 ID:KLvgjXZq
「政宗みたいなクセのある奴も使いこなせる俺すげぇ」
ってな感じで自分の器量の大きさを宣伝するために利用したんじゃないかな?

>>601
もっと小物な前田利家なんて100万石も残してます。
あんま大人物過ぎると取り潰されるか減封食らうんじゃないのかな。
政宗は受け継いだものも大きいしね。
そういう意味で市松は・・・

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:50:07 ID:pqJ2/LqS
市松の一物

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:50:34 ID:0EX8sEO9
>>601
許されキャラ何となくわかるな。
特だわ。

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:52:33 ID:0EX8sEO9
誰か、>>605をとめてあげてください。

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:56:01 ID:kXIwbf1r
「政宗だから仕方ねーな」ですね

>>607
そっとしとこうぜ

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 20:57:48 ID:pqJ2/LqS
早漏で候

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 21:01:49 ID:rTEM3abl
政宗が良くも悪くも平凡な器に留まらないのは確かだが、
それを認めることができる人物ってのも大した器なんだよな
ただのキチガイと見るか、非凡な人物と見るか
その見極めは凡人には難しいね

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 21:22:36 ID:SqTbIyuI
>>605のもとにくだらんダジャレは許せんと、鬼武蔵が走っていきました。

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 21:28:19 ID:J1SbBHut
細川忠興「ID:pqJ2/LqS、三度目は無いぞ」

結城秀康の槍・いい話

2008年11月15日 00:05

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 00:37:21 ID:RYYZqBY3
秀康の槍


結城秀康と福島正則、この二人、気が合ったらしく、よくお互いの屋敷に遊びに行っていた。

さて、ある時正則が秀康の屋敷を尋ねた折の事。奏者が秀康に取り次いでいる間に、正則は
玄関に掛けてあった秀康の槍を何気に手に取り、鞘を外し、刃を爪にかけて見入ってしまった。

これを秀康の目付けが見てしまった。彼はすぐさま秀康に報告した。
たちまち、秀康の顔色が変わった。

他人の槍を鞘まで外して勝手に見ることは、武人の礼に外れた事である。しかも大名の槍であればなおさらだ。
秀康もこんなとき、黙っている男ではない。

「わしの愛刀、新藤五三桐を持って参れ!」

これは血を見る。近習の一人が気を利かせ、秀康に黙って御前を離れ正則の下に行き、
「あなたが槍を見たことを秀康様がお知りになり、ご機嫌が…」と、耳打ちした。

すると正則
「…うっ!突然持病の発作が!すまぬが今日はこれにて!」

帰った。



さて、問題はまだ残る。主君の槍を他人に勝手に見られたこと、これは重大な管理責任である。
秀康の槍の管理を任されていた金左衛門という侍が、御前に現れた。

無論、切腹を覚悟の上である。


秀康はその槍をじっと眺めながら、金左衛門に言った。

「正則に爪をかけられたことは、恥ではない。だがこの刃に塵の一つでもついているようなら
お前を串刺しにしてやろうと思っていた。

…が、金左衛門、お前がどれだけわしの道具を大切に扱っているか、この槍を見て良くわかった。
お前は、俺が見込んだだけの男だ。」

そう言って、新たに百石を加増した。



さて正則、その後秀康が顔を合わせるたび

「先日はせっかく来ていただいたのに、会えなくて残念だったよ。病気はもう良いのかい?」

と聞くので、ほとほと困ったとか。




370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 00:44:13 ID:LknjYju/
※市松パターン

市松が最終的に焦ったり恥をかくパターンである
市松はこのパターンになる機会がとても多く一般化してしまい
焦りっぷりも忠興のヤンデレ時とのギャップに遠く及ばないため、四天王落ちしたと一説に言われている


371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 00:55:28 ID:P8xvgkor
つーか玄関に無造作に掛けてる
秀康にも過失あるだろw

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 01:00:08 ID:B1tE+2mw
>>370
逸話の最後が「…って正則が言ってた」とか「…と○○が切り返したので皆で笑った」とか
だったりするので自虐ギャグ使いか…と思ってた

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 01:05:55 ID:WOvO+jUq
人の家の冷蔵庫を勝手に開ける育ちの悪い友達みたいだw

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 01:06:30 ID:Ls18CP//
結城秀康にもわりとDQNなイメージがある。小説のせいかもだが。

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 08:15:51 ID:Xi3U599S
「爪にかけて/爪をかけて」ってどういう意味なの?

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 09:09:01 ID:HbDFpA5X
>>371
なんで秀康に過失があるんだよw
玄関に槍を掛けておくのは当時は一般的なことだったんだろうよ。

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 14:50:59 ID:RYYZqBY3
>>379
おそらく、刃の部分を「爪でカリカリしながら」って事だと思われる。