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”ゆうげき”の丸薬

2009年10月29日 00:03

沈維敬   
839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 02:01:06 ID:IlX4Tek6
文禄四年(1595)の暮れのことだそうだ。

明より和睦の使い、三名来朝し、大阪へ到着した。
その中の”ゆうげき”と言う者、常に丸薬を服しており、秀吉の前でも、紙袋より
その薬を取り出し、飲み込んでいた。

これに秀吉「お前が飲んでいる丸薬は何か?」と問えば、”ゆうげき”答えるに

「私は日本と明、朝鮮の和睦の交渉のため、はるか明よりこちらに参りました。
我が帝は、この大切な交渉の最中に病死などしてはならぬと、直々にこの薬を調合し、
私に賜りました。
この薬は世の常の人が知る事のできない、秘法の大薬でございます。」

秀吉はそれに大変興味を持ち、是非自分にも分けてほしいと言う。
すると”ゆうげき”は

「これはあなた様から見れば異国の薬であり、こちらの方々に合うかどうか。
先ず、お近くにいる方に飲ませて下さい。その上で、10日ほどたっても大丈夫のようなら、
その後あなた様に進上いたしましょう。」

そこで秀吉の近臣二人が”ゆうげき”の丸薬を服したところ、気力甚だ盛んとなった。

「これはよい薬である。」

10日たつと早速、この薬を進上させた。秀吉は朝夜これを服用し、また、小早川隆景、前田利家にも
これを分け与えた。

ところが時が過ぎ、慶長二年(1597)に小早川隆景が死去、さらに慶長三年には秀吉が、
続けて慶長四年には前田利家が死んだ。
また、最初にあの丸薬を飲んだ二人の近習も、三年たってそれぞれ卒した。
それらは皆、突然の病で死した後、筋骨が砕け、五体が崩れ去るという、全く同じ症状であった。

『あの丸薬のせいであろう。異国の智謀とは、まことに恐ろしいものだ』
人々はそう驚き恐れた、とのことである。




841 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/28(水) 02:21:58 ID:sS7azWx+
放射性物質か発癌性のめちゃくちゃ高い物質でまも含んでたのか?

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 02:42:13 ID:WWTiPTf0
家康「馬鹿すぎるw 薬は自分で調合するのが一番だろ。さて、この水銀を……」

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 03:00:29 ID:QYGuzVDb
”ゆうげき”本人はどうなったんだろう。
平岩親吉の毒まんじゅうのようにその身をかけたんだろうか。

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 04:01:00 ID:mIgQwWG9
罠とかじゃなくて水銀とか使った明で当時流行ってた怪しげな漢方か何かなんじゃないかw

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 04:19:20 ID:XDefHtkf
>>839
え、秀吉ってそんな死に方したの?それは知らなんだ…

>>841
胃ガンと脚気と脳梅毒が死因として挙がってるけど、
どうなんだろうね

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 08:25:34 ID:fI+duE/t
気力が盛んになる効果があって数年後に死ぬってアレしかないだろ
おそらく麻薬か覚醒剤の一種だったんじゃないかな
あの薬はやがて全身がボロボロになり廃人にしてしまう

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 08:32:04 ID:lMSPy8AD
小田原のういろうも中国伝来の薬だっけ。
作ってた人を早雲が小田原に呼び寄せたみたいだけど。
幕府で働いてた時のコネクションなのかねえ。

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 09:29:40 ID:NrxVBPfE
沈維敬のことだろう。遊撃という官名を貰っていたが、何の軍歴もない
街の口上手な山師。伝説は多い。

何故か明の高官の目にとまって講和の責任者となったが、最後は
交渉過程での嘘がばれて斬首。

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 10:49:53 ID:2sD29ntC
>>845
そういや石綿も薬ではないけど
高貴な人達の間で貴重品として
扱われたとか何かで読んだな。

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 10:51:52 ID:uZGt3Iot
竹取物語に出てくる「火鼠の皮衣」か

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 10:57:34 ID:J9f9WZIv
マルコ・ポーロの東方見聞録にも出てきたな

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/28(水) 11:16:31 ID:/XyAmSCi
>>851

安部御主人は アスベストの着物 を手に入れた!

ミも蓋もないな


887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 21:18:47 ID:ojI9MAfj
亀だが>>839

それ多分「紅鉛丸」だと思う。主材料は水銀と初潮の血で、強壮・興奮効果と共に
服用後の性行為で強烈な快感と共に体温が低下するという凄まじいもの。
明の嘉靖帝・万暦帝・泰昌帝・名臣張居正等が中毒死したと伝えられ、
特に嘉靖帝は宮中に少女二千人を集めて供給させ、泰昌帝は在位一ヶ月で急死した。
明末期の上流階級の退廃ぶりを見ると、日本と清に大敗して民衆反乱で自滅したのも頷けるわ。

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 21:41:34 ID:Z3s+L+TI
何だその薬w
初潮の血とかぶっ飛び過ぎだろw

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 22:05:44 ID:tzJx/Wbm
明はいかれた皇帝多いからな

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 22:53:50 ID:Bb/e3XIO
マトモな皇帝三人ぐらいしかいないもん>明

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/30(金) 23:37:05 ID:fftfMn0m
>>890
個人的な記憶だと、孝宗弘治帝くらいしかいないんですけどw>まとも

申リツと夢の女の言葉

2009年09月05日 00:09

申リツ   
971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 11:16:45 ID:tMsDCP2K
申リツと言う男がいた
朝鮮の科挙を受かり北方の女真族との戦いで功を上げた名将である

そんな彼に急報が届く
日本の軍勢が大挙して釜山に上陸したのだという
急遽日本軍を迎撃する切り札として派遣される申リツ
釜山は既に堕ち日本軍を鳥嶺で迎え撃つ為に陣を張ろうとした

が、ある時申リツが寝ていると夢の中で女が現れた
その女は申リツが若い頃に鳥嶺で助けた女で「妾にしてくれ」と願ったが
申リツは断り去っていた
夢の女は「ここに陣を張ってはいけない、弾琴台で迎え撃ちなさい」と言うと消えていったという

後日、申リツは女の言葉を信じたのか鳥嶺に陣を張るのを止めて
弾琴台で迎え撃つと言い出した
鳥嶺は天然の要害であり部下達はこれに反発したが
申リツはこれを抑え結局弾琴台で迎え撃つ事にした

さて、ついに小西行長率いる日本軍が攻めてきた
申リツは弾琴台で8000の朝鮮の精鋭騎馬軍を率いて突撃
夢の女の加護の下勝利出来る…と、申リツは思っていたのかもしれない

しかし日本軍は倍以上の兵力を持ち鉄砲で突撃してきた騎馬を蹴散らした
一度目の突撃が失敗し果敢にも二度目の突撃を試みるがこれも失敗する
まるで長篠の戦いである
やむを得ず退却を試みるも弾琴台の左右は水田と湿地であり背後は川、
しかも川岸は崖というまさに死地であった
この戦いで朝鮮軍は3000の兵を失い申リツも戦死、
漢城の防衛は困難となって王は疎開することになる

さて、夢の女は何がしたかったのかというと実はこういう事である
申リツが女の下を去った後、妾にしてくれなかった事を恨みなんと自殺していたのだ
幽霊になってもその恨みは消えず申リツを陥れたのであった

女の情念とは死してなお恐ろしいという話
季節的にちょっと遅かったかな?
それにしても逆恨みで敗北した申リツ(´・ω・) カワイソス
史実では自殺みたいだけど




972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 11:55:11 ID:U4PtJjyM
鳥嶺を捨てた理由は騎馬を活かす為
弾琴台に陣を敷いたのは背水の陣を敷いて士気を上げる為
という話もあるのだが…

未知の軍勢の矢面に立たされた気の毒な人物なのかも。

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 12:00:14 ID:tMsDCP2K
まぁ史実としてはそうかもしれないね
これは逸話なんでお目こぼしを

ちなみに弾琴台には十二台って地名があって奮戦する申リツの弓の弦が熱くなりすぎたので
弦を冷やそうとこの辺りを十二回も往復したからこの名が付いた~なんてのもあるらしいが
史実としては眉唾だろうねw

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 17:45:42 ID:NRovJxMK
鳥嶺という地名からして険峻な山岳っぽいですね
騎馬主体の女真相手の武将で山岳地帯での戦闘経験がなく、対女真の戦闘で
武功を立てているということは平原での戦闘にこそ自信を持っていた
このあたりではないでしょうか

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 17:46:49 ID:aYM6Cx9T
>>971
どうやってこの話が残ったんだろうな
本人が他人に話したんだろうけどまさか夢のお告げで陣の位置を変える、
ってことにして部下を説得したのかな

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 19:56:19 ID:tMsDCP2K
>>976
ところが女真族と違い日本軍は火器で武装しており
集団で突撃してくる騎馬軍団は格好の標的だった
申リツは騎馬戦に絶対の自信を持っていたのかもしれないが
相手の戦術は女真族のそれとはまるで違い敵を完全に見誤った…って所だったんだろうな
新しい戦術にいきなり対応するのは難しいし

それより王都の危機なのに自ら軍を率いない宣祖が情けないというかなんというか
李成桂の子孫ってのが王権の根拠なんだから国難には自ら軍を率いないと駄目だろ…

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 20:15:58 ID:HOAl1D0A
>>990
あっちは文官至上主義だから
軍人は地位が低いのよ

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 20:24:09 ID:Su4m565+
つーより、戦場で右も左も分からん文官に司令官やられたら、
兵士が可哀想だろw
士気は上がるかもしれないが、
色々理由があるにせよ、軍を見捨てて退却し、
兵士に動揺が広がってなんて全軍崩壊なんて例は山ほどあるしな

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 20:25:42 ID:PMn/3CmW
>>990
李氏朝鮮は武備に力を入れられない事情があったんだよね。
李成桂が将軍やってた高麗は、結構な軍隊を持っていたんだが、これは高麗が
元の宮廷に妃を送るなど、元と殆ど一体化した存在で、(今の韓国、朝鮮の人は
絶対に認めないが、風俗までモンゴル人とほぼ同じになっていたらしい)
元の封国内でもかなりの自由を有していた事による。

んで、元明交代のときに高麗は親元派と親明派に分かれて混乱して、その中から李氏朝鮮が
成立するんだけど、この李成桂、親「元」派だったのね。
このため李氏朝鮮は、成立した時から明ににらまれ続け、明を刺激するような軍備など
整備しようもなかった。
この、明の朝鮮への不信感と言うのは、秀吉の朝鮮征伐のときにもかなり見受けられる。

そういうわけで朝鮮は、王が軍隊を率いて華々しく戦うと言うような、そう言う体制じゃなかったのは、
成立時のボタンの掛け違えに遠因があったりする。

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 20:27:43 ID:iPBKCerY
>>993
ああ、そういえば朝鮮は実際に攻められるまで、
明に日本との内通を疑われていたんだっけ。

なるほど、そういう事情があったんだ。

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 20:30:38 ID:tMsDCP2K
>>992
しかし幕末になって家茂や慶喜が出兵してるのを考えると
日本人の感覚としてどうもしっくりこない…
>>993
いや、でも直接指揮を執るぐらいは…
負けるだろうけど
>>994
それどころか攻め込まれた後も疑われてます

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 20:58:54 ID:HOAl1D0A
文官(両班)至上主義は今の韓国の学歴至上主義に似たところもある。


朝鮮の江原道金剛郡金剛山、表訓寺の僧、惟政

2009年08月23日 00:18

惟政   
650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/21(金) 22:57:07 ID:BCZDZNYU
文禄の役の事
朝鮮の江原道金剛郡金剛山は表訓寺に惟政という僧がいた。
日本軍がこの地にまで侵攻した際、寺の僧たちは皆逃げ出したが惟政は動じなかった。
これを見た日本軍は惟政を脅すような事はせず、中には合掌して敬意を表すものもいた。

やがて宮廷は僧達にも抗日戦への参加が命じ各地に公文を発した。
これを受け取った惟政は仏卓の上に広げて仲間の僧を呼び集め、これを読み上げながら涙を流した。
やがて惟政を中心に僧軍が起こされ、勤王の為に西へと赴いた。
日本軍占領下にあった平壌に到着するころには千余人の軍勢となり、平壌回復の戦いで活躍する。

全国の「義僧兵」達の司令官に任ぜられたのは惟政の師である西山大師であった。
当時73歳であった西山大師を理由に惟政を代理に任命
正式に義僧兵の総司令官となった惟政は官軍の南進と共に南下を続け、ついに朝鮮南東部の宣寧まで進撃した。


惟政の活躍は戦場のみだけではない。
惟政は3度にわたって敵将加藤清正の陣地に乗り込んだのだ。
これによって明・朝鮮の真意が秀吉の下に届けられ、小西行長と沈惟敬間で行われていた
早期講和交渉は破綻する。

戦後朝鮮は日本との国交回復を画策した際も惟政は活躍した。
しかし朝鮮から先に講和使節を送る事を躊躇した宮廷は、民間の僧であり日本側にも名が知られていた惟政を起用する。
「探賊使」として日本入りした惟政は慶長11年に伏見城で徳川家康と会見
この会見によって日朝間は大きく進展し、数千人の朝鮮人捕虜の帰国も決定される。

日朝間で活躍した名僧惟政は慶長15年に遷化した。享年66歳
尊称は「松雲大師」である。




653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 00:13:58 ID:FfsfmqEd
>>650
聖職者って稀に凄い人がいるよな
当時の朝鮮の仏教界はどの程度腐敗してたんだろう?
>>651
島津は動物に愛される家系だな…
ってか政宗より早いから日本初の洋馬輸入か?

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 00:29:30 ID:qSMumW+C
>>653
腐敗するほど栄えてもいないんじゃないか?>朝鮮の仏教界
李朝では国教の儒教が大勢力になっているから仏教は弱小勢力。
というか弾圧対象だった時期さえある。
日本のように俗界の事に介入するほどの力もない。

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 02:40:32 ID:dECKZIEJ
まぁ坊さんって盲僧含めて戦国時代に限らず昔から
外交や折衝役だけじゃなく率先してスパイ活動を担ってきたからな
使い勝手と役割の幅が広過ぎw


壬辰(1592)年四月、柳成龍『懲録』より

2009年08月21日 00:10

柳成龍   
564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/19(水) 22:47:02 ID:CxFPk1fy
壬辰(1592)年四月
朝鮮に上陸した日本軍は各地で朝鮮軍を破り、進撃を続けていた。
この状況に宮廷では日夜守備防御の方策を論議した。

ある人が建議して
「賊は刀槍を巧みに用いるが、我々にはこれに対応できる堅甲がなく故に対抗できずにいます。
 分厚い鉄で満身甲の長い物を作って全身を見えなくし、それを纏って賊陣に入れば
 賊は隙間がなくて刺す事が出来ず、我々が勝つことが出来ましょう。」
多くの人がなるほどと頷いた。

そこで大勢の工匠を集め、昼夜をかけてこれを鍛造した。
私は一人これはだめだと思い
「賊と戦うには雲のごとく集まり鳥のごとく散り、敏捷なるを貴しとします。
 ところが全身に分厚い甲を纏っていては、その重さに耐え切れませんし身動きできません。
 どうして賊を殺す事などできましょうか。」と言った。
数日してその使用しがたい事が分かり、結局中止となった。

また台諫(国王の監察官)が大臣達に会見を求めて、計略について言上した。
そのうちの一人がえらい剣幕で大臣達になんの謀がないことを非難した。
座上の者が「ではどんな策がありますか?」と問うたところ
「漢江畔に数多くの高棚を設けて賊が上がれないようにし
 上からこれに射掛けるという策をなぜとらないのですか?」と答えた。
ある人が「賊の鉄砲玉もまた上がってこれぬのでしょう。」と言うと
その人は一言もなく退いた。
聞いていた人々がこれを伝えて大笑いした。

柳成龍『懲録』




565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/19(水) 22:56:47 ID:mTr/j025
>>564
この頃の李氏朝鮮は戦争らしい戦争もしてなかったし、
「治にいて乱を忘れず」なんてこともなく、政争に明け暮れてたんだよな。
そりゃ、弱兵だと馬鹿にされた鍋島家でも「朝鮮での戦は相手が弱すぎて
手ごたえがない」といわれるわけだ。

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/19(水) 23:19:39 ID:yhZ7Kctd
>>564
「前線から離れるにつれて、現実は楽観主義に取って代わる。
そして最高意思決定の場においては、しばしば現実なるものは存在しない。
戦争に負けているときは特にそうだ……」

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/19(水) 23:26:04 ID:QFxzGWPv
>>565
なんか俺この国の将来が不安になった。
いや戦争より先に経済的に破綻するかもしれんが……。

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/19(水) 23:42:06 ID:yhZ7Kctd
何しろ、秀吉の「明に攻め込むから朝鮮は道案内をしろ」という事実上の宣戦布告を
派閥抗争の具にした挙句、
「日本が攻めてくるなんてありえない。ありえないから対策なんて必要ない。
明への報告?ありえないことを報告するなんて宗主国様に失礼だろう。
わが国は東方儀礼のうんたらかんたら」
でスルーしたくらいだから。

……自分で書いてて頭痛くなってきた。


東来城の宋象賢・いい話?

2009年05月20日 00:13

宋象賢   
704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 15:03:50 ID:01mmRi2V
小西行長は釜山に上陸、明に行くから道を貸せと朝鮮側に伝えた
釜山城を守っていた武官鄭撥はこれを拒否、交渉は決裂した
これにより戦闘となり鄭撥は初め打って出て迎撃しようとしたが
銃声にビビって城に戻り守りを固めた
しかし兵力差はいかんともし難い上に日本軍は鉄砲を撃ってくるのに対して
朝鮮軍は弓で応戦するほど軍備に差があった
次第に劣勢となり部下が「一旦逃れて援軍がくるのを待ちましょう」と進言するも鄭撥はこれを拒否
南門の上で「最後まで闘え!」と鼓舞している最中に鉄砲に撃たれて戦死、釜山城は
半日で落城した

釜山城を落とした行長はそのまま進軍、もう一つの要所である東来城に進軍する
東来城を守るのは文官出身の宋象賢
彼は着任して1年にも満たなかった
近隣の蔚山の将が共に闘おうと駆けつけるも敵が大軍である事を聞くと逃走
慶尚道の巡察使も晋州から援軍に駆けつけようとするも
やはり大軍である事を聞くと到着する前に晋州に戻った
援軍の望めない絶望的な状況で東来城に日本軍が到着
行長は「戦則戦矣不戦則仮我道」(抵抗するか道を開けるか)と朝鮮側に伝えるが
宋象賢は「戦死易仮道難」(戦死は簡単だけど道を空けるのは難しい)と返答しこれを拒否
日本軍は戦いと進軍で疲労していたが行長は配下に
「お前らを休ませたいが敵の準備が出来ていない今の内に攻めれば勝てる
 逆に敵の準備が出来てしまってからでは援軍を呼ばないと無理だろうね
 援軍呼んだら俺たちの手柄が減っちゃうぜ」
と鼓舞して東莱城を攻め立てた
たちまち朝鮮側は劣勢となり日本軍に城壁を崩されて城内に侵入してきた
宋象賢はもはやこれまでと礼服に着替え漢城に向かって敬礼、辞世を残して討ち取られた
宋象賢の忠義に行長は感服し丁重に埋葬、既知であった宗氏の家臣が碑を建てた
後に宋象賢の棺は移され釜山城で戦死した鄭撥と共に祀られているという

情けない面が目立つ朝鮮軍だが気骨のある人物もいたのだ




705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 15:32:16 ID:z/jHTRo+
>>704
殆ど居なかったのがあの国の悲劇だな

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 16:36:36 ID:8CQzy6d3
多少いても無理
カンコウが
「たとえ張、韓、劉、岳を再び蘇らせたとしても、この状態では逃げ出す以外ない」
と言ってる
日本と朝鮮じゃ地力が違いすぎたのと社会が纏まって無さ過ぎた
末端が気張っても上がグダグダだと勝ちようがない

戚継光「カミさんが怖くないヤツ」・悪い話

2009年04月09日 00:13

戚継光   
487 名前:亀だけど[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 23:45:13 ID:yqEqpMv9
>>420
戚継光が和冦退治に乗り出したとき、国中の勇者を求め触れを出した

集まってきたのは皆、腕っぷし自慢の凶悪なマッチョ軍団だったが、
彼らを集めて継光さん曰く

「この中でカミさんが怖くないヤツがいたら名乗り出てくれ!」

……出てきたのはたった一人、他のマッチョガイより貧弱そうなボウヤだけだった

だが戚継光、ほんまに彼を先鋒隊で起用したという。継光自身は女房に弱かったらしい

日本でも大陸でも、戦場の勇者や名将が家庭でも強いとは限らんのですね




488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 00:03:55 ID:t8tN3ajM
>>487
秀忠「まったく嫁をおそれるなぞ、明人は情けないのう」

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 00:17:49 ID:Xspg03+E
>>488
保科正之「……」

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 01:02:11 ID:JdbYo4os
>>487
その話にはオチがある。

対応が少し違っていて、戚継光は自分の女房を恐れるものは別の場所に、
恐れないものはそのまま残れといったら、一人しか残らなかった。
戚継光は出てきた男を呼び寄せてほめようとしたところ、その男曰く

「実は将軍の声がよく聞こえなくて。そういう時はみだりに動かずじっと
していろと女房にキツく言われているんですハイ」

戚継光がっかり。


493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 03:09:49 ID:dQpTeqxR
>>492うひゃー笑
戚継光のみならず信之兄ちゃんもガックリですな……

>>491
保科さんは養母、義父といい人に巡り合えてよかったじゃんか


494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 04:29:48 ID:e2OyKCRb
>>492
これ、記憶違いかもしれないけど
全く同じ逸話(ていうか元ネタ)がなかったっけ?
それこそ遥か昔の中国で

朝鮮役、相手側の臆病者・悪い話

2009年03月07日 00:13

李宗誠   
614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 00:57:48 ID:ZYmGbFLr

朝鮮侵攻において「日本一の臆病者」と言われたのは大友宗麟の息子である大友義統
そして相手側にはどのような臆病者がいたかというと…

李宗誠は明の建国の功臣李文忠の後裔という名門の子弟であった。
文禄の役の後の和平交渉において明の上使となり1595年11月に副使柳方亭と共に日本軍占領下の釜山までやってきた。
この後以前から交渉を進めていた明の武将沈惟敬のみが渡海し、李宗誠らは長く留め置かれた。

ここである人が李宗誠に言った。
「倭酋(豊臣秀吉)は誠に封を受ける意思などなく、あなた方を誘い出して拘留し苦しめ辱めようとしているのだ。」
当時の状況からすればこのような考えが浮かぶ事は不思議ではないのだが問題はこの後の李宗誠の行動である。

なんと李宗誠は逃げ出したのだ。副使柳方亭や随従の者達、さらには輜重や信任状まで置いたままで。
1596年4月初めのことである。
夜半に服装を変えて軍営を抜け出した李宗誠は大道を避けて山中に潜んだ。
日本軍が李宗誠の脱出に気がついたのは翌朝の事、すぐに探索を始めたがついに見つからなかったという。
李宗誠の逃走は見事成功したのだ。

こうなると気の毒なのは置いていかれた副使柳方亭である。
ただ一人軍営に残された彼はこの事を宮廷に報告し、上使となるように命ぜられ
6月15日に渡海し無事にその任を果たしている。




615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 01:01:07 ID:fIYu3ICb
ヘタレの宗誠のその後はどうなったの?
ヘタレの吉統のその後は散々だったが。

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 01:02:59 ID:LixUx5z3
>>614
朝鮮役は日本側も明の側も、勿論朝鮮も、ギャグかと思うほどコミニュケーション不全だよね。
お互いが全くかみ合わない。意思の疎通が出来ない。

良く講和できたもんだw

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 01:39:58 ID:vol1/OrH
>>616
結局、全面的に引き上げた後での講和だからなぁ。宗義智の偽国書のおかげ。

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 01:53:07 ID:b88VO1Yk
だって日本にしてみりゃ数百年振りの外征だしなぁ。
言葉が通じないし、考え方も違うから相当苦労したかと。 安国寺恵瓊は子供にいろはを教えたりしたそうだけど、助けにきた筈の明は懸賞目当てに撫で切り…!
戦でも此処まで考えが違うと収拾がつかんよ。

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 02:50:25 ID:OWKaOXZH
李宗誠は臆病者というよりはむしろ賢明かな
沈惟敬と小西行長が散々お互いの主君に「敵国は降伏する気満々です」なんて調子の良いこと言って、
それを信じて講和交渉進めてたのに、実際に段取りが決まってその使節になってみたら
沈惟敬から「あれ全部嘘だから(笑)適当に話し合わせてちょ」とか言われてもさぞ困っただろう
後に沈惟敬は欺瞞外交がばれて処刑されてるし、小西行長や宗義智も
西笑承兌のとりなしが無ければその場で秀吉に斬られてた可能性が高かった

本当にこの茶番で可愛そうな目にあったのは朝鮮なんだな
1596年の和議の際朝鮮代表として黄慎を日本に派遣したが、秀吉に
「お前ら約束の人質連れてないじゃん、つうか属国はお呼びでないよ」
なんて言われて門前払いくって会議に参加できず城の外で待ちぼうけ、
で和議が破綻したら小西に「講和が上手くいかなかったのは朝鮮人の所為なんすよ」なんて言われたせいで
秀吉の恨みを買って慶長の役では朝鮮人撫で斬り指令出されてる
朝鮮人はあんまり好きじゃないが、大国の間に挟まれて無視され、
挙句いつも貧乏籤ひかされてるのは少し気の毒になる(まあ笑えるけど)

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 09:26:23 ID:Vp6mmLax
李宗誠は満州でとっ捕まり、北京に送られた。
が、あまりの臆病ぶりを不憫に思った慈悲深き皇帝陛下のご英断で
金三万両の罰金で御赦免となった。

沈惟敬は、称号と異なり武将じゃなくって、市井のおっさん。
倭軍の侵攻で「めんどくセエなあ、対策、誰かいい知恵無い?」という
明政府の怠惰な政策コンクールで選ばれたおっちゃん。

戦いたくなかった小西行長、宗義智とはうまが合い、というか口がうまく
互いに知恵をひねって各々の主君を騙しあった。
外交なんて、今も昔も同じゃないかい。

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 12:05:34 ID:+QLXObws
小西と宗が中心になってやった背信行為は
よく処刑されなかったなってレベル
命賭けてまで秀吉騙すなんてよーやるわ

そいや島津家にいた明の帰化人家臣も不穏な動きしてたって話だな
名護屋じゃ島津が秀吉暗殺狙ってるとか噂流れたんだっけ

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 23:59:18 ID:HTBIg0dG
>>628
小西と宗ってどういう交渉したの?
よく処刑されなかったなってレベルって・・・

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/07(土) 00:01:55 ID:5Ucs4Ket
どうも秀吉は実は戦況を把握してたらしい

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/07(土) 00:49:11 ID:DQEIk7RZ
>>647
>>624がチラッと触れてるが

唐入り前は宗が朝鮮との交渉役だったが、
秀吉には「もうすぐ朝鮮から朝貢の使者が来ます!」
朝鮮には「なんでもいいから適当に使者を送って下さい。」

で、本当に適当な『日本平定祝賀の使者』が来て、直接秀吉と対話してウソがバレる
秀吉キレて文禄の役開始

で、停戦後、外交交渉にあたったのが小西 これがまた
秀吉には「日本に有利な条件で講和ができます!この戦、勝利です!」
明国には「日本は明に朝貢したかったんです!でも朝鮮がジャマしたんです!」

で、明帝から秀吉に手紙が来たんだけど
『日本国王として認めてやんよ』とだけ(ホントにこれだけ)なんでこれまたウソがバレる
秀吉キレて慶長の役開始

と、ウソにウソを重ねるのに公文書偽造までやってんだから処刑されない方が不思議

姜と日本軍の兵卒・悪い話

2009年02月11日 00:03

姜   
776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 17:40:08 ID:oVcwY7bC
姜という男がいた
彼は名門の生まれで朝鮮の科挙を受かった官僚だったが慶長の役で日本軍につかまり俘虜の身となっていた
連れてこられる途中二人の子を海に投げ捨てられ何度も逃亡しようとしたが全て失敗
学識豊かと言うことで生かされていた為、
せめて帰国したときに祖国への土産に敵国の内情を詳細にした内偵書を記すことにした
子を殺されれ生粋の儒学者でもあった為その文は悪意、蔑視に満ちているがそこにこんな問答がある

生を好み、死を憎むのは人も生き物も同じくするであろうに、
日本人だけが死を楽しみとし、生を憎むのは、一体どうしてなのか

するとその兵士は

日本の将官は民衆の利権を独占し、一毛一髪も民衆に属するものはない。
だから、将官に身を寄せなければ、衣食の出どころがない。
ひとたび将官の家に身を寄せてしまえば、この体も自分の体ではない。
少しでも胆力に欠けると見なされてしまったら、どこへ行っても容れられない。
佩刀が良くなければ、人間扱いされない。
刀傷が顔の面にあれば、勇気がある者と思い禄を得る。
耳の後ろにあれば、逃げ回るだけの者と見なされ排斥される。
それだから、食に欠いて死ぬよりは、敵に立ち向かって死力を尽くすほうがましである。
力戦するのは、実は自分自身のために計ってそうするのであって、何も主(公)のために計ってするのではない。

意外に忠誠心がない兵卒の悪い話

ちなみにこの内偵書、後年の江戸の本屋で普通に売られていた
朝鮮通信使はこれを見て

内偵書なのに敵国で売られてちゃ意味が無いじゃないか!

と嘆いたとさ




777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 17:51:06 ID:cJe/Qh87
>>776
武将風雲録で言うところの兵忠30ぐらいかな?

778 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/10(火) 17:56:14 ID:V11e2QC5
斑雪白骨城

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 18:28:50 ID:xgm6/TP6
>>777
でも、こんなもんなんだろうなぁ。食うために戦争やっていたんだし。
あと、宣教師の発言でもことごとくやたらと人を殺すとか、人命が軽いとか
評されていたのだし。

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 18:31:04 ID:vaveHD3L
>>776
>力戦するのは、実は自分自身のために計ってそうするのであって、何も主(公)のために計ってするのではない。
逸話だけど家康がこんなこと言ってたの思いだした。

「戦で先駆けて功を立てる者は例え討たれたとしても後世に名を残し、
その死は名誉となり、子孫は繁栄する。だから先駆けは得はあっても
失うものない忠義だ。だが諫言は違う。非情な主君を諌めて妻子を
殺されることもあるだろう。わが身を思う者は諫言などできないものだ。
だから主君たる者は一番鑓の者よりも諫言する者を賞さねばならない。」


781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 18:32:13 ID:esH+wXpP
まあ、江戸中期くらいまでは、武士と言っても主君への忠誠義務があると
みなされていたのは、譜代までだし。

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 18:48:15 ID:GqFcBTWV
意外とドライというかギブアンドテイクの世界

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 18:53:03 ID:CtKCHO/H
浅井家も実際は朝倉家への義理よりもそっちので織田家を裏切ったみたいだしね

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 19:01:40 ID:esH+wXpP
室町から戦国にかけての、処世術のハウツー本である「世鏡抄」には
こんな事が書いてある

「兼参の従者、外様の家来は、万一の時は主君のために命がけで奮戦せよ、
そして主君から賜る論功行賞を注視し、三年の間に賞を賜らなければ、別の主人をたのめ」

そして主君の側に対しても

「所領を持たない侍が二度、三度におよび身命を捨てるような働きがなかった場合は、
主君自身の非と心得よ。」

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 19:06:51 ID:oVcwY7bC
>>781
姜が滞在中学識豊かということで藤原惺窩が教えを請いに言った
惺窩は朱子学を学ぶために明へ渡ろうとしたが果たせず
俘虜の中に儒学者がいると聞いてわざわざ訪ねて来たのだ
姜も惺窩の学ぶ姿勢を喜ばしく思い持てる知識は全て与えた
この教えは惺窩から家康に推挙された弟子へと引き継がれ
本来の儒教とはまったく違ったモノに魔改造されたとはいえ後の安定した政権作りに一役買うこととなった

ちなみに惺窩は姜に触発されたのか姜が祖国へ帰るときに

明と朝鮮が連合して日本攻め滅ぼしてくれ!

と嘆願している
日本の武家社会が本当に嫌いで攻め滅ぼされてでも社会を中華化したかったらしい


786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 19:11:46 ID:Go233VhT
最後の逸話、儒学者の悪い話としてよく挙げられるよな

井沢元彦あたりが儒学を害悪の塊として批判する時とか

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 19:14:04 ID:esH+wXpP
惺窩の場合、滅ぼしてほしかったのは武家政権というよりも、豊臣政権だろうな。
彼は心底秀吉が大嫌いだった。

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 19:20:36 ID:oVcwY7bC
惺窩は公家の出で戦国期に旧来の公家は没落し
武士の地位がどんどん上がっていったのを直に見てるから
儒学者としてより公家の出として武士が嫌いだっただけかもよ?
多分姜に会う前だと思うが明と朝鮮がどれだけ連合しても
日本を攻め滅ぼすのは無理だろうって言ってた逸話があった気がする

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 20:38:40 ID:yAo5z1G7
家康は儒学を重視してるね
もっとも、その他多数の実学の一つとしてだけど

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 20:57:56 ID:oVcwY7bC
そういや姜の内偵書に

賊魁(秀吉)は生まれたとき、右指が六本あったが
人はみんな五本指なんだから六本目なんて必要ないだろ
といって切り落とした

って話あった気がする
意外に秀吉六本指説って奇説じゃないのかもね

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/10(火) 20:59:05 ID:jw26k3ap
とっしーが死ぬ前にばらしちゃったんじゃなかったっけ?

806 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/10(火) 23:33:33 ID:E+jcsKNZ
>780
家康と本多佐渡守の対話なんかそうだね。

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あと、シグルイ理論の「葉隠」を諌言→切腹コンボこそ(平時の)武士の忠義って解釈も