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徳川頼宣「わーん!わーん!」

2009年12月21日 00:06

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 22:45:33 ID:HMPbJJK7

1615年5月夏の陣の事

戦争は終結、徳川軍にもかなりの痛手はあったものの遂に豊臣家を滅ぼす事が出来た
各大名は家康に挨拶と報告を済ませ、各々が帰国の途に就いた
だがこの時無事に帰れると言うのになぜか1人だけワーワーと泣きわめく若武者がいた

徳川頼宣「わーん!わーん!」

槍をあわせて怪我をした訳でも無し、仲間が死んだ訳でも無しなんで泣いているのだ?
と周りにいた家臣達も訳も分からず泣き出したこの子供に困ってしまったので

本多正信「一体どうされたのですか?」と話しかけた所

頼宣「私は今日が初陣だと言うのに結局なんの活躍も出来なかった、それが悔しくて悔しくて…」と
答えた

すると
正信「若君はまだお若いのだから、今後いつでもお手柄をたてる機会はございますよ」と慰めたが

頼宣「ワシに14歳が二度あるか!」と正信睨み付けたと言う

そこにたまたま居合わせた水野勝成は
( ´з`)oO(コイツ俺と似てできる!)と思ったかどうかは伝わっていないが大変感心し
一目置いたそうな

他にも細川忠興と家康もそこに居合わせて見ており後者は
家康「その言葉こそ槍なり!」と称賛したと伝わる




362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 22:50:20 ID:muOWrPoI
>>360
頼宣の場合大坂の陣以降戦自体が無くなるわけだから泣く気持ちもわからなくもないね。


363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 22:52:04 ID:HMPbJJK7
>>358-359
まぁ忠勝とか13歳の初陣で鬼強だったみたいだし、こんな奴等が周りに居たんじゃ
落ち込んじゃうのもしょうがないかもなw

徳川頼宣と、元堀直寄家臣、堀田九郎右衛門の功名の記録

2009年10月20日 00:12

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/18(日) 23:54:40 ID:edF+Z9Bo
徳川頼宣が元・堀直寄家臣の堀田九郎右衛門と大坂の役の話をした。
そのとき、頼宣は当時の堀家臣の功名記録を見せて堀田をからかった。

「これにはお前の功名について一切書いておらぬぞぉ?」
「それは直寄殿の直筆ではなく、なにも知らない奴が書いたのです。
あとで直寄殿直筆のものを探しだして、殿にお見せします」

さて、このあと堀田が江戸から紀州に帰るときに小田原で宿泊したのだが、
そこに頼宣の重臣から急飛脚が送られてきた。その書状にはこう書いてあった。

「そなたは堀直寄殿直筆の記録を探しだしてくると殿に申し上げたそうだが、
あのあと殿がご自身でお探しになり、確かにその記録を見つけられた。
殿が見つけられたものと、先に見せたものをそなたにくだされるとのことなので
命により急いで知らせた次第だ」

堀田は頼宣の心遣いに涙した。それからの堀田はいつも

「あのときの有難い思い出は忘れることができん。
もしも殿に一大事が起こったら必ずご馬前で死ぬつもりだよ」

と語っていたという。





708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/18(日) 23:58:38 ID:qJ8bat5+
武士にとって武功は何にも代えがたいものだからなあ。
その記録をきちんと見つけてくれた事は確かに、馬前で死ねるほどの恩なんだろうな。


709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/19(月) 00:16:58 ID:VjcdDuWZ
「信長公記」の筆者の太田牛一は池田家に仕官していたが、
池田家のリクエストで「信長公記」における池田恒興の
活躍場面が増えたり、堀尾家に仕官していた小瀬甫庵が「太閤記」で
堀尾吉晴の活躍場面を増やしたって話もあるね。

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/19(月) 00:25:35 ID:a4JG0ZnG
>>709
甫庵太閤記と言えば、前田利家が前後の脈絡なく活躍したりするねw
露骨な宣伝工作。

親を殺した男と徳川頼宣

2009年09月18日 00:29

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/17(木) 19:09:13 ID:MueMAeX2
紀州熊野の山中に住む男が自分の親を殺した。この男は

男「あいつはいつもわがままばかり言うから殺した。
  家中の者も皆困っていたのだ。俺は何も悪い事はしていない」

と悪びれる様子もなく、役人が親の尊さを説いても聞く耳を持たなかった。
これを知った徳川頼宣は

頼宣「山中といっても、わしの城からそんなに遠いわけではない。
   犬畜生でも親の尊さがわかるのに、こんな者が出てきてしまったのは

   わしの政道が行き届いていないのだろう。これは恥ずべき事だ。
   このような者はすぐに処罰せずに、罪の重さを教えてやらねばならぬ」

と言って儒学者の李海渓に命じて、男に孝経を説明させた。
それから3年後……男はすっかり改心した。

男「孝経の教えがよくわかりました。一刻も早く処罰して下さい」
頼宣「本人が罪を認めたのならば、法に従って処罰するほかあるまい」

その後、頼宣は

父母に孝をつくし、法に従い、人には慎み深く、驕らず、仕事に励み、
正直な心を忘れないよう、いつも心掛けよ。

と自ら書き、領内の人々全てに伝えるよう指示したという。




552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/17(木) 19:13:30 ID:8BqIS6dK

>>551
李海渓の根気づよーい話とも言えそうだな
しかし「紀州山中の山の中に住む男」が漢文を理解できたというのは・・・まあ
ゲスな勘ぐりはやめておくかw

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/17(木) 23:50:14 ID:XkRUslHr
>>552
李海渓が読み聞かせて説明したんだろう。
男が自分で読んだわけじゃない。


徳川頼宣、紀州入りの際に

2009年07月17日 00:20

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 03:34:02 ID:Y5HWefcg
徳川頼宣は紀州に入る時に港から上陸した。そこには沢山の麦がむしろの上に
干してあった。頼宣は麦を踏まないように注意して渡ったので民は「あの殿様は
よいお方だ」と喜び、頼宣は満更でもなかった。が、付家老の水野重良は
気にいらない様子である。

その後、重良は出迎えの責任者を罰してしまった。不思議に思った頼宣は重良
にわけを問いただした。

「あやつは麦をむしろに干した不届き者です。だから罰しました。」
「俺が気を使って渡ったから領民たちは喜んでたぞ。」
「領民への慈悲とはあんなセコい行動ではなく、もっと大きいのです。
麦を避けるなんてみみっちい事です。」
(・・・なんだコイツ!)

頼宣の機嫌はすっかり悪くなってしまった。見かねた重良の同僚が重良に忠告した。

「皆が頼宣様を褒めているのになんだあの言い草は。」
「いいや、補佐する人間は主に何をさせるかだけではなく、何をさせないかも
考えなくてはいけない。今回の様な事はあってはならん。麦を片付けなかった
責任者は怠慢だったのだ。」

やがて、この言葉は頼宣の知るところとなった。

「水野の言葉に間違いはない。大名ならばやっていい事と悪い事がある。
俺の気持ちが浮ついていたのがいけなかったんだ。」

頼宣はそのように思い直したのであった。





468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 03:52:36 ID:tRUE9wW3
>>467
頼宣個人の話ではなく、紀州家の組織としての問題だ、ってことか。

469 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/16(木) 04:00:48 ID:rC2bu+yi
>>467
なんかメンツを気にしているような…


徳川頼宣の男気

2009年06月26日 00:10

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 22:28:45 ID:w4IrkY9z
まとめスレに無かったので、投下。
戦国からちょっと離れちゃうけど、戦国の気風を残す遅れてきた豪傑・南龍公の話。


生まれながらの将軍こと、徳川家光公の治世の時のこと。
家光公は上洛後、名古屋城に立ち寄ると告げた。
これを聞いた徳川義直公は、勇んで宿泊の準備を進めた。


ところが。


準備が整い、後は将軍家を迎えるだけという状況になったにも関わらず、
何故か家光公は突如として立ち寄りを中止した。
(義直公が謀叛を企んでいるという噂が流れたためとも)

収まらないのは、全てを台無しにされた義直公である。

義直「この度の将軍家、あまりと言えばあまりな仕打ちをなさる!
ここまで恥をかかされたとなれば、天下の笑い物、家臣にも面目が立たぬ!
かくなる上は名古屋城に籠城し、一戦交えるしかない!」

それを聞かされた頼宣公は慌てて兄を説得するが、怒り心頭の義直公は聞く耳を持たない。
ならば、と頼宣公、とんでもないことを言い出した。

頼宣「兄上がそこまで仰るならば、私としても反対するわけには参りませぬ。
なれば、将軍家を帰路にて襲うため、兵を挙げるべきでございます!
勝ち目のない籠城で詰め腹切らされるよりは、打って出て将軍家に襲いかかる事こそ武門の意地!
しかし、仮に将軍家を討ち漏らすような事があれば、私も兄上と共に討ち死にする覚悟です」


弟の大演説を聞き終えた義直公は、はらはらと涙をこぼしてこう言った。

義直「有り難いことだが、尾張の問題に紀州を巻き込むわけにはいかぬ。
それに権現様の御遺言に背くのもしのびない。
謀叛の話は聞き流してくだされ」


そして、義直公が決起することは終ぞ無かったのであった。



安藤直次に「義直様しか、殿と仲良くしてくれる人はいないんですからね!」とまで
言われちゃった頼宣公の、男気溢れる話。
(家光公の悪い話かもしれないけどw)





730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 22:45:26 ID:B0pYwA/L
ドタキャンはいつの時代でも、どんな身分でも失礼だよなあ


817 名前:亀だけど[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 20:09:31 ID:CCsuFq4Y
>>729-730ホンマどこまでも意地っ張りだなあ紀州さまw
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2115.html

しっかし、頼宣だけでなし義直にいちゃんまでも……
政宗の謀反しちゃうぞしちゃうぞ詐欺なんて幕府にしてみりゃ可愛いもんだ

家光将軍にしてみれば、おじさんだけど年齢はほとんど同世代で、なおこの気概。
弟の駿河大納言なんてメじゃない愉快で危険な親戚だね;

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 22:41:44 ID:svByDm0E
>>817
というか親戚の立場だからこそ
こういうことが通るんじゃないのかなーとも思う。
他の大名だったら、タイミング悪けりゃ潰される口実にもなるし。


徳川頼宣の参勤と松平三郎兵衛・悪い話?

2009年05月29日 00:10

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 23:48:44 ID:+liEFnnL
徳川頼宣の、ある年の参勤の折のこと。

彼は伊勢松坂より渡海して、東海道まで出ようとしたのだが、丁度その頃
風雨激しく海が荒れており、近臣たちは皆

「船は危険です!今回は陸路を行きましょう!」

と諫める。ところが頼宣、これを聞かない。こんな諫言を素直に聞く頼宣ではない。

「この程度の波風を恐れ、陸路を取ってしまっては、これは紀州家の恥辱ではないか!」

それでも、近臣は必死に諫め、特に松平三郎兵衛は激しく考え直す事を求めたが
頼宣は聞く耳持たぬ。そこで三郎兵衛、「ならば一命を賭して」と、切腹をしようとした。
これには流石の頼宣も驚きこれを止め、ついに陸路での参勤を承諾した。

さて、その三郎兵衛はそのまま松阪に留まったが、頼宣一行は松阪から陸路桑名に出、
そこから熱田に渡り、やがて池鯉鮒宿(現愛知県知立市)に付く。が、

そこには居たのだ。そう、松阪に残っているはずの、彼が。
松平三郎兵衛が、ニコニコしながら頼宣を出迎えたのだ。

「ななななななな!何でお前がここにいるんだ!?いつ我々を追い越した!?
お前の姿なんか見なかったのに!」

「そりゃあ当然、船で来ました。」

「船!?お前、船は危険だって諫めたくせに、何で自分は船に乗ってきてるんだよ!?」

この頼宣の至極当然の疑問に三郎兵衛、

「ほら、殿を諫めたのは、実は自分が海路の危険が怖かったからだ、なんて言われたら
嫌じゃないですか。それで自分はあのまま松坂に残って、漁師の船を(海が荒れて嫌だと言うのに
無理矢理)借りて、ここまで来たのですよ!そのため先に着いたのです。」

自信満々に語る三郎兵衛に頼宣、押し黙ったままであった。


その夜、頼宣、密かに三郎兵衛を呼んだ。

「昼間は家臣たちの前だったので、言うのを我慢していたのだが…

三郎兵衛、お前みたいな意地の通し方、嫌いじゃ無いぜ。」

褒めた。褒めた上で、「でもこんな事、家臣の前で褒めたら他の連中もお前の真似して
みんな死んでしまうだろう。だから、ここだけの話だぞ?」

そう念を押したとの事。
しかしやはり、主君も主君なら家臣も家臣である。そんないつもの紀州家のお話でした。





770 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/28(木) 00:11:53 ID:7o4EpLtD
>769
2人の秘密がなんで後世まで流布されてるんだろう?

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 00:15:08 ID:lrYBDX8b
>>770
こういうのは、会話の主のどちらかが死んだ後に、その追憶として語られた、ってパターンが多いね。


徳川頼宣流、武士の扱い・いい話

2009年05月22日 00:13

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/21(木) 00:39:57 ID:9RaxPg8x
徳川頼宣はいつも家臣たちと親しめるように心掛けていた。
頼宣は家臣たちが出仕すると、上座から末座までそれぞれに
相応しい言葉で語りかけた。

ある日、家臣たちが出仕したときに、女中が「上様、侍どもが
出仕いたしました」と頼宣に報告した。すると、頼宣は女中に
「『ども』とはなんだ。我が家臣は名だたる歴戦の勇士であるぞ。
ただ運の善し悪しで、大身と小身に分かれたにすぎぬのだから、
『ども』などと言っては失礼だ。今後は侍衆と呼ぶのだ」と注意した。

また別のときだが、頼宣が若い侍たちに、身体を鍛える目的で
水泳をさせたことがあった。

その侍の中に佐渡与助という者がいたが、彼は泳ぎが不得手で
今にも川の中に沈みそうだった。頼宣と側近の水野十太夫は
船に乗っていたのだが、見かねた水野が「おい与助、無理なら
船に掴まれ」と声をかけてやった。

すると、近くにいた頼宣が「馬鹿者、武士がそんなことを言われ
たら、例え死んでも掴んだりしないぞ。くだらないことで惜しい
家臣を失うことになってまうではないか。この場合は『船に掴まって
少し休め』と言うようにしろ」と言って水野をたしなめたという。

武士に「お前には無理」と言ってはいけないのだ。
でも、もしかしたら与助の本音は
「なんでもいいから早く掴ませて(T-T)」
だったかもしれない。







徳川頼宣のあざ・いい話

2009年04月15日 00:03

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 20:01:44 ID:uTTxgjbL
若い頃の徳川頼宣は父親に似て短気だった。ある時、些細なことで
怒った頼宣は脇差で近臣を殴り、額を傷つけた。これを聞いた家老の
安藤直次はすっ飛んで来て頼宣の膝を両手で押さえつけ、ついでに
つねりあげた。戦国乱世を生き延びた直次は屈強な戦士だったので、
つねられると非常に痛く、頼宣は動くこともできなかった。そして直次は
そのまま頼宣に説教した。

「聞けば家臣を殴ったとか。殿がご自身で手を下されるほどのことが
あったのならば、何故家老の私に仕置のほどを申し付けられなかった
のです。殿ご自身が手を下されるなどみっともないことです。
そんなことでは紀州50万石を守れるような大将の器とは言えませぬ。
此度のことはすべて反省なさい。もし反省なさらないようでしたら、私が
江戸に行って此度のことを申し上げ、頼宣様に切腹していただきますぞ!」

直次にこっぴどく叱られた頼宣は、自分が悪かった、と謝ったので直次は
やっと手を離した。直次があんまり強くつねったものだから、袴の小袖が
両方ともつまみ切れ、頼宣の両ももの頭には黒いあざができてしまった。

老年になった頼宣は行水する時このあざに湯をかけようとはしなかった。
近臣が、湯をかけるとお痛みになるのですか、と問うと

「いや、このあざは直次が私にかたみにくれたものなのだ。このあざなしには
紀州50万石を維持することはできなかっただろう。だから生涯このあざが
消えないように大事にして、ときどき眺めて反省するために湯をかけない
ようにしているのだ。」

と頼宣は答えたという。




738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 20:03:20 ID:yUue795Q
俺のなかでの頼宣株がストップ高!!

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 20:16:45 ID:Y7lsqjrx
>>737
(T△T) ええ話や!

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 20:36:02 ID:ZV2xxgmJ
70近くにして一生残る痣をつけるとはさすが戦闘民族w

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 20:40:55 ID:TLrzZ5EO
イイ話だけど、老年になっても消えないほどのあざができるほど
大御所の息子をつねりあげた帯刀殿マジハンパねーっす。

それだけ決死の覚悟をした諫言だったんだなあ。
三河武士らしい逸話だ。

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 21:16:06 ID:w/rhIabP
>>737
最近、どこかで見たなあと思ったらまとめで見てた
まとめのほうは簡略なんだけどね

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-199.html

744 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/14(火) 22:48:36 ID:p/Q/z/Z0
俺は二十年以上前にカスタネットで挟んだ痣があるんだが、
それよりも強い痣なんだな…

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 23:00:21 ID:vHoJRKN4
帰宅電車の中だが周囲の加齢臭が気にならないくらいこの話ホント大好きだよ…。

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 04:33:55 ID:d8MGAtF4
徳川家の強さって命懸けて諫言出来る家臣がいるとこだな

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 10:17:55 ID:IusRqd4L
どんな形でも死を恐れない三河武士

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 11:05:39 ID:J8grlqPI
>>749
劣化した大坂の陣でも死ぬのが怖いでなく、むしろ突撃バカが大量発生してるし

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 11:28:38 ID:gDHyik7c
>>748
好物の瓜の畑を作れば、踏み荒らされてこんなものは殿様のすることじゃないと罵られ、
生簀で魚を蓄えておけば、勝手に全部食われて贅沢だと開き直られて、
しかも全部家康第一でやってることだから始末に悪いw

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 18:23:03 ID:Pu8Df6ey
>>748
それに引き換え豊臣家は・・・

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 19:09:20 ID:JGPnBOC5
>>752
⊃浅野長政

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 22:18:02 ID:7Nxp/Tx8
>>748-749
逆に言えば、君主権が弱い、なめられているということだがな。

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 22:41:22 ID:CmKuBJr4
そうなんだけど、メンタル的には駿河文化に染まっているはずの
家康本人(と随行者)とか、譜代としては後発組の東三河衆とか
久松松平とか松井松平とか遠江衆とか水野氏とかも、時代と共に
だんだん三河武士(というか西三河衆)のメンタルに感化されて
しまってしまっている気がする。

関東移封までの家康は確かに国人の長という権力構造だったん
だけど、それはそれとして家中の風通しの良さは家康好みでも
あったんだろう。

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 22:41:23 ID:gDHyik7c
>>757
家康の君主権は強いほうだよ。
少なくとも一揆体制を引きずっている伊達・上杉・武田・毛利・島津なんかよりはずっとね。

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 22:43:00 ID:N7PIbVCe
>>760
家康は意識して、家臣が主君に物を言いやすい環境を作っているよね。
この辺は戦国大名の中ではちょっと珍しい。

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 23:01:31 ID:DelLOsLE
黒田の長政さんも異見会開いてるから、
やっぱり名君の資質っていかに部下の言葉に耳を傾けられるかだよな。

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 00:36:28 ID:+qud6yJ9

>>762
そこまでやっているのに
家臣には父親と比較されぼろくそ扱いの長政公が哀れでなりませんw

765 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/16(木) 00:49:01 ID:8ZbaIS8F
>>764
そんな長政たんも、忠之と比較すれば問題なしw

770 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/16(木) 09:04:51 ID:v08yjwj0
>>750
>>752

そんな三河者を大坂の浪人衆は苦戦に追いこんだよね。
太平の世に浪人するような者こそ真のの戦闘バカだったかも。

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 11:01:22 ID:6+rDxgkH
腐っても天下の名城という前提を押さえないと、島原の一揆衆が大阪浪人並みの強さということになっちまうぞw

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 11:54:02 ID:sGj+iCmJ
>>770
後がない人間と、守りに入った人間の違いだろ

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 12:25:09 ID:NKP//6nh
>>771
一向宗徒の例をみるまでもなく、信じるものがある集団は強い

徳川頼宣「全員が褒める人間」・いい話

2009年04月08日 00:14

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/06(月) 23:20:07 ID:7BBdQ2nO
↓の話と似た趣旨の話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1578.html

徳川頼宣の側近・蘆川十休が遠山某を推挙した

十休「遠山は才覚のある男です 何をやらせても難なくこなすでしょう」
頼宣「……」

しかし、頼宣は十休を無視する 十休は話を聞いてほしいので
同じことを三回述べた すると頼宣は口を開いて

頼宣「お前以外の奴も皆遠山を褒めているよ だがな、全員が褒める人間と
   全員が悪く言う人間は十中八九あなどれない悪党なのだ
   考えてもみろ、釈迦や孔子のように後世にまで伝わる聖人でさえ
   誰かに悪く言われていたのだ 全員が褒める者とは忠義の欠片もなく、
   軽薄か媚びへつらいのうまい人間さ 褒める者とそしる者の両方がいる
   人間こそよいのだ だからこそ、全員が褒めるからよい人間だ、とか
   悪く言う者がいるから悪い人間だ、などと安直に考えてはいけないのだよ」

と、述べたという






532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/06(月) 23:57:15 ID:zb3HEyDd
極論過ぎだろwww
真面目に働いて人望もある人って思えないのか

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 00:00:03 ID:mZo7OgO8
>>532
真面目は真面目で「真面目すぎて面白みがない」とか言われるお

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 00:27:32 ID:7y+7ArOr
赤木しげるの墓も

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 00:31:19 ID:yqEqpMv9
>>532
そういう武士は「つまらぬ小物」っていわれるか、

なまじ殿様の覚えがめでたいと
出世基地外とかっていわれるんだよ、それはそれで……

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 01:10:44 ID:4nViTDVj
十人いれば横着な奴もいるわけで、
真面目な奴とはぶつかるからな。
今の日本はおとなしければ真面目だと言うけど、
当時は切腹覚悟の諌言が出来るような家臣こそ真面目だとしていたから、
そういう家臣なら敵もいただろうと思う。

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 01:17:40 ID:2aZBcyYB
>>531
>褒める者とそしる者の両方がいる

まさに三成だな。

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 01:39:35 ID:c2Du6YNr
富田長繁「まさに俺だな!ヒャッハー」

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 09:30:11 ID:wfJDBJLB
>>535
それだと褒めるものも貶すものもいるに該当するぜ?

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 09:59:16 ID:nh1AJUNf
肝心要の殿様に貶されてるんだから他のやつ皆に褒められてるのとイーブンだな

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 10:00:50 ID:I9ZDvO+Y
アンチが居るのは大事ってばーちゃんが言ってた

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 10:03:59 ID:DrLu/LDT
何?誰もが褒める武田信繁は信用ならぬとな?

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 11:57:53 ID:h+AT2u7g
武田信玄が「誰もが褒める人間は信用ならない」と言って信繁の方をみたら、
全く別の話になってしまうなw

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 12:05:36 ID:69ciyiLw
誰もが褒める人間はその腹黒さまで含めて有能なんじゃないかな?
後は主君の器量の問題。

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 12:15:55 ID:EizIKjBN
まあ晴信は信繁を使いこなす自信があって、信繁も晴信の下で
やっていく折り合いが付いていたってことだよな。

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 12:17:46 ID:SECE9dxC
度量の大きい君主ってなかなかいねーからな

李靖最後までつかいこなした李世民みたいな幸福な例は少ない

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 13:33:10 ID:ylEYWbov
蒲生氏郷や堀秀政なんかは「誰もが褒める」タイプだな
彼らも実は腹黒だったんだろうか

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 13:48:05 ID:NDnbZs0y
松永久秀「儂も才能を皆に褒められますなあ」
宇喜多直家「手際が良いとよく言われます」

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 13:55:45 ID:1XyWPqMK
>>548
あなた方が周りに居たら怖いんで褒めますよ、そりゃ。

おや、お茶の差し入れが…

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 13:59:41 ID:oLRX5F4H
>>547
鬼武蔵「蒲生、オマエなんか忠三郎やない!鈍三郎や!」
幽斎「近頃の若い者は和歌も学ばんと茶湯ばっかりで…」

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 16:10:06 ID:bnQYAlfl
その二人にほめられる奴なんて、いるのか?w

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 16:31:20 ID:wfJDBJLB
後者は三好長慶の教養については褒めてた

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 19:07:29 ID:klSAXRsF
>>547
政宗「蒲生は俺の花押を偽装して陥れようとした卑怯者」

558 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/07(火) 19:20:58 ID:XMjIDu6P
>>557
政宗さんは一揆を煽動したそうで、おやこんな時間に宅配便が…

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 20:43:47 ID:uAUvouU3
>>550
義弘「幽斎殿、うちの息子にも言ってやってくれませんか」

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/07(火) 21:19:12 ID:huU0F5+T
幽斎「忠恒殿、和歌の道は…え?蹴鞠や酒と並んで大好物?

…義弘殿、極めて優秀なご子息をお持ちで、うらやましいですなぁ!」

徳川頼宣と獄舎・いい話

2009年03月21日 00:19

40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 20:14:46 ID:5MQ6YBVt
徳川頼宣の家老が、頼宣に獄舎の増設を提案した。
しかし頼宣は乗り気ではなかった。
「正しい政治を行えば
罪を犯す者も現れないのだから
そんなものは必要ない。私がこれから
正しい政治をすればいいのだ。」
だが、賞罰を正しくするのも政道だ、と
諭されたのでしぶしぶ了承したのであった。

そして、頼宣は獄舎が完成するやいなや、
自分が真っ先に獄舎に入ってしまった。
「罪人が出るのは私に責任があるから、
私が最初に獄舎に入ろう。」

その後、これ以降、罪を犯す者が出ないように、
頼宣は僧侶を呼んで獄舎の中で
17日間祈祷させたという。




安藤帯刀さん、ぶっちゃける。そしてご結婚おめでとうございます。お幸せに!・いい話

2009年03月02日 00:15

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 17:50:31 ID:PnLNiH/e
安藤帯刀さん、ぶっちゃける。

江戸において、尾張家徳川義直が、紀州の徳川頼宣の屋敷にフラリと遊びに来た事があった。
ところがその時はたまたま、頼宣が髪結いをしている最中だったので、義直には少し待ってもらう
こととなった。

しかし義直の方は
「いや、この辺に来たついでにたまたま寄っただけだから、特に用があるわけじゃないし
変わりは無いようなのでこのまま帰るよ。」
と言い出した。

そこで紀伊家家老安藤帯刀は、義直に「もう少しだけお待ちください」と言い、髪を結っている
頼宣の下へ行き、このように言上した。

「義直様は帰ると言っているのを、もう少しだけと待っていただいています。
こんなに待たせちゃっていいんですか?殿と親しくしてくれる方なんて、義直様だけですよ!」

それを聞いた頼宣は髪結いを早々に仕舞いにし、義直と面会した。


義直が帰った後、頼宣は髪を梳いていた者にこう言った。
「帯刀が遅いと叱った時、私が落涙するのを、その方見たか?」

「はい、鏡に映ったのを見ました。いくら尾張様の事とはいえ、帯刀様のあまりにきつい物言いと、
私も内心憤りました。」

ところが頼宣は
「そのように推量すると思ったから聞いたのだ。
さっき帯刀が申したような事は、あの者の他誰も、私に言う者はいないであろう。
あのように物が言える家老が付いている事をありがたく思い、それで落涙したのだ。」


まあ、いかにもな名君名臣譚でいい話なんですが。
しかし、南龍公に友達がいなかったという事を暴露して、
記録にまで残さなくても良かったんじゃないかな、と言うお話w




424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 18:12:51 ID:S2FZOGRT
ほんとに友達がいない俺に彼女ができたとき、
母ちゃんから「あんたは友達いないんだから大事にしなよ」って言われたのを思い出した。
あの時の気持ちを思えば文書にして残したいという気持ちもわかるなぁ

ちなみに今年結婚します


425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 18:23:57 ID:AmMCZ94Q
おい、誰ぞ百段を引け。
>>424の祝言に推参してくりょう。

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 18:26:35 ID:2nB8yHrY
>>423
そりゃあ若い頃はメシを食うように手討ちしまくり、家臣は奇人変人DQNばっかり
いい年になってもクーデターの黒幕扱い、なんて治世の鬼武蔵or独眼竜なお方と
まともに付き合おうなんて実の兄貴でなきゃできねーだろ。

>>424
   。*◇☆*。
 ゚゚・*★◎○@。*・゚
゚・*。◇@★◎◇★。*・゚
゚゚・*。☆◎。*☆◎。*・゚゚
  \  ̄ ̄ /
   \  /
  ∧_∧\/
 ( ・∀・)∞
 / つ つ△
~(  ノ
 UU

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 18:29:19 ID:BjF4FNN3
>>424
おめ。
昼の仕事も夜の仕事もかんばってください。

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 19:25:09 ID:AN/b/516
>>424
赤松政秀「ほほう、それは目出度い」

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 19:25:33 ID:nCd6Hrpy
>>423
晏嬰と景公みたいだな
もっとも景公は何度怒られても反省しなかったけど

徳川頼宣足で犬を撫でる・いい話?

2009年02月19日 01:32

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 06:00:55 ID:1wRciNKC
人材マニアとして有名な、紀州家初代徳川頼宣。彼が集めるのは人間に限らなかった。

ある時頼宣に、逸物の猛犬を献上した人がいた。しかしこれはかねて聞こえた荒犬であったので、
二人の男が犬に付き添って庭に連れて行った。そこで頼宣が「これに連れて参れ」と言ったので
縁まで連れて行った。

付き添いの者は頼宣の小姓に向かい「この犬はとても気が荒いので…」と言ったのだが
頼宣は頓着せず

「ふむ、いい犬だ、さだめし猟で活躍するだろう。面構えも悪くない。」

と、何故か足で犬の頬をなでた。
これに犬は猛然と怒りだし、頼宣の足に噛み付いた!

が、頼宣、ここであわてず、かまれた足を犬の喉に突っ込んだ。
すると犬は驚き、足を離して逃げ出した。
以降この犬は、頼宣を見ると尾を垂れ首を伏して従順になったと言う。

この時もし頼宣が足を引いていたら、そのため却って大怪我をしたであろう。
頼宣の咄嗟の判断は日ごろの武芸の鍛錬の賜物である。そのように噂されたそうだ。




966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 09:38:20 ID:mPY8AKIR
>>962
>何故か足で犬の頬をなでた

犬「ちょwwwwwwwww
  足とかwwwww手で撫でろよwwwww」

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 10:27:22 ID:s8/FtnEs
大久保彦左衛門だったか闇鍋の話がなかったっけ?

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 13:04:16 ID:IZFbOLsA
>>962
犬「なんか気持ちよくなってきた…
そのまま足で踏んでくださいハァハァ」

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 13:48:40 ID:/mSCbZSh
>>962
なんで足でなでるんだよw

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 13:59:00 ID:PSjhYXfO
動物に噛まれたら喉に押し込むのって常識だと思ってた
手だともしもの事があったらアレだからかな

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 15:23:11 ID:qXyOCC0d
家康「なに、頼宣、犬が足をくわえて離さない? 逆に考え(ry」

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 15:36:59 ID:/mSCbZSh
>>971
家康「忍耐忍耐!」

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 15:55:26 ID:BXQecEqu
>>971
葵御紋の波紋疾走! ズキュウウウウ~ン

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 16:30:35 ID:s8/FtnEs
素朴な疑問だが犬って臭い足でも躊躇無くくわえちゃうものなん?

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 16:38:51 ID:mPY8AKIR
>>975
父の足の臭いには躊躇なく噛み付くが
姉の口臭には顔を背ける我が家の愛犬

ていうか犬に噛み付かれたら相当痛いよ

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 16:41:19 ID:1wRciNKC
猛犬のイメージ
ttp://blog-imgs-21.fc2.com/m/p/w/mpwright/ap_F23_20080301123238893.jpg

978 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/18(水) 16:46:36 ID:tWfEE0Ud
>>962
猫の頭を足でなでてたらザックリやられた記憶あるw

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 16:56:36 ID:T99WGFGK
>>977
ちょ、それヨハネスブルグのハイエナw

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 17:15:50 ID:bSVmsidq
>>977
猛犬ってレベルじゃねえぞw
でも土佐犬なら勝てる気がしてならん

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 17:30:31 ID:MSw7TfTO
一方、鬼武蔵は猛犬と飼い主もろとも首を刎ねた

徳川頼宣の初陣・いい話

2008年12月06日 00:05

66 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/05(金) 20:09:32 ID:wKEAWBhZ
前スレにあった、結城秀康の初陣の話で思い出した、紀伊家初代、徳川頼宣の初陣のお話

1615年4月、大阪の陣の群議の席で、当時14歳の頼宣が泣いていた。
松平正綱が、どうしたのかと聞くと、

「先日の交戦の折、先陣を望んだのに許可していただけず、人に聞こえるような働きが
出来なかった。それが悔しくて泣いているのです。」

正綱は、そんなに落ち込まないでください。あなたはまだ若い、先陣の機会も
この先も何度かあるでしょう、と、慰めるが

頼宣、涙を拭いて正綱をにらみ
「何を言われるか!この、14歳の私は、今しか無いではありませんか!」
と言った。

これを聞いた家康は、「頼宣殿、今の言葉が槍だ」と、褒めたという。




家康の息子って、やっぱり似てるなw




67 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/05(金) 20:21:33 ID:uj7Q4LOq
>>66
初陣に恵まれたのは信康と忠吉と秀忠ぐらいか

秀忠は徳川主力を温存するという前代未聞のすばらしい武勲を立てたし、
忠吉は抜け駆け一番槍の功績に恵まれた

流石は神君のご子息だけあるなぁ


68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/05(金) 20:24:35 ID:h4sFkDte
お前皮肉がきついぞ



参考
結城秀康の初陣と秀吉・いい話

徳川頼宣、家督を譲るの事・いい話

2008年12月03日 00:11

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/02(火) 00:53:09 ID:ujM+tGaQ
徳川頼宣って人間通で知られてるけどこういう人にいい影響を与えられたんだろうね
便乗して徳川頼宣の話

年をとったので頼宣は息子の光貞に家督を譲ることにした
息子の政治が始まると言った
頼宣「わしの方針を変更したいと思ったらわしが生きてるうちに変更しなさい」
光貞「いえ、そんな恐れ多いことはできません」
頼宣「いや、わしが生きているうちに変更したならわしが許可したこととなり問題ないが
    死んだあとに変更するとわしの意向に背く親不孝者と思われかねないぞ」


晩年領内の獄中には一人も囚人がいなかったという
ちなみに頼宣の孫は八代将軍・吉宗



939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/02(火) 00:59:43 ID:6XtV198e
頼宣って由比正雪事件の黒幕とも言われている。
なかなか興味深いお方。

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/02(火) 01:46:39 ID:gdqST2Tv
人間通と言うか、人材マニアと言うか、奇人変人大集合というか…w>徳川頼宣

個人的な彼のイメージは、戦隊ものとかの悪の総統w

徳川頼宣と三人の福島家旧臣・いい話

2008年11月29日 00:05

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 22:56:18 ID:7fqsM08T
>>821の大崎玄蕃、再士官のときのお話


福島家が改易される時、人材マニアとして有名な紀伊藩、徳川頼宣は

「福島左衛門大夫はよき侍を数多く召抱えていた。そのうちにて名の知られている者であれば
幾人であっても我が家に召抱えたいものだ」

と、語り、熱心に勧誘して、世間にも名の聞こえた大崎玄蕃長行・村上彦右衛門義清・
真鍋五郎右衛門貞成の3人を召抱えた。

その年の冬の事、頼宣はこの三人に御茶を下される事となった。
ところが、大崎玄蕃には頼宣御手前にて御茶を下され、彦右衛門と五郎右衛門には
茶道の千賀道圓の手前にて茶を下された。

彦右衛門と五郎右衛門の両人は、
「なぜ玄蕃には君自らの御手前でわれらには茶道の手前であるのか心外である!
このようなことではお暇をいただき申す」

と、憤った。

これを聞いた頼宣は

「大崎は元は備後国鞆の城主で、福島家の家老までやった、お前達の先輩じゃ無いか。
こっちでの仕官は横一線で一緒だけど、こう言う所で昔の先輩を立ててやってもいいだろ?」

と、体育会系によくある理論で諭す。

彦右衛門と五郎右衛門も、

「言われてみりゃその通りですね。」

と、納得。さすが福島の旧臣たちであった。



850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:00:03 ID:pU7H+KTC
>>849
聞き分けがいいなぁ、二人

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 23:20:08 ID:8sQIaTO6
>>849
家臣は結構良いのが揃ってたのになあ福島家は