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小早川秀秋、三成との対決を望む

2011年04月03日 00:00

448 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/04/01(金) 22:43:13.86 ID:z9UgwfLL
小早川秀秋は総大将として出陣した慶長の役で、自ら敵陣に突撃し、明兵の首を13も取るほどの戦果を挙げた。
その後秀秋は意気揚々と帰国したが、秀吉に褒められるどころか、逆にその軽率さを叱責されてしまった。

「これは三成が殿下に讒言したに違いない。」

そう考えた秀秋は
「どうか三成をこの場に呼んでください。御前で対決します。」

と訴えた。さらに秀吉が立ち去った後も
「三成はどこだ!」

と喚き続け、三成が現れると刀に手を掛け、駆け寄ったほどだった。
その場にいた徳川家康になだめられ、ようやく矛を収めた。
その後、筑前、筑後の52万石から越前北の庄15万石への領地削減を言い渡された時には

「こうなったらいっそ殺せ!」
と再び怒り狂ったが、やはり家康のとりなしで処分を免れた。この一件で秀秋は家康に恩を感じる様に
なったと言う。

以上、秀秋の関が原での裏切りにつながるお話。




449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/02(土) 00:18:21.72 ID:9BBai6tf
>>448
この前から三成は上杉の会津入りの助っ人に行ってるんだよな
冤罪もいいところだと思うが三成のせいだと
考えてしまう何かがあったんだろうか

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/02(土) 00:31:48.84 ID:GAN6Gvu/
>>448
金吾「こうなったらいっそ殺せ!」

直家
「呼んだ?」

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/02(土) 00:33:49.70 ID:GAN6Gvu/
弾正
「金吾中納言殿、お茶でもいかがかな。落ち着きますぞ。
次郎三郎殿もいかがかな?」

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/02(土) 00:35:19.49 ID:RAq38X+4
>>450
秀家「むしろ秀秋はわたしに殺させてください」

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/02(土) 00:41:17.55 ID:QLbJX2TA
直家や弾正がこんな扱いやすそうな奴を安々殺すとも思えん

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/02(土) 00:48:03.12 ID:GAN6Gvu/
>>453
『殺される価値すら無い男☆秀秋』

もしかしたら、信長の野望の秀秋小姓逆襲惨殺イベントは
K○EIさんなりの思いやりだったのかな

かっこ悪い死に方と言えば

2009年09月14日 00:15

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 10:09:54 ID:iirgn29n
>>329
かっこ悪い死に方と言えばなんと言っても
「小早川秀秋」
百姓を手打ちにしようとして逆襲され、股間を蹴り潰されて死亡。
まあ秀秋の死因は実際の所謎が多いのだが、
例え捏造だとしてもこんな逸話が残されるなんて秀秋位のものだろう。




338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 11:03:13 ID:x5UdnZOb
>>337
これは嫌な死に方w

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 12:01:29 ID:GWn/j0Z5
秀秋が死んだのと同日に秀秋の兄弟二人も死んだって話もあるんだっけ
豊臣の親戚の中でも近さと地位なら断然この人が一位だろうし
家康の暗殺説がある中では一番それっぽいな

それにしても家康は暗殺説だけで何人殺したことにされるんだ
地元の徳島新聞が徳島の伝説を新聞連載してるんだけどそこでも
「阿波の初代藩主蜂須賀至鎮はその器量を恐れた家康の命令で
妻(家康のひ孫)に毒殺されたのだ!」とか書かれてた
亡くなったの元和六年なのに…せめて秀忠と言ってほしかったと
秀忠好きの自分は思うわけで…

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 12:04:16 ID:D3rIz3S8
まあ実際には家康は、暗殺と言う手段を使ったことが無いんだけどね。

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 14:24:20 ID:TTM3pYNn
小早川は隆景と秀秋で評価の落差が激しいよな
隆景は織豊時代有数の名将、秀秋は稀代の裏切り者・・・

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 14:35:42 ID:r8RFQzBD
隆景は本家のために秀秋もらって犠牲になったんだからしょうがない。


348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 14:46:02 ID:bG9HaH5I
>>346
本当は毛利家に養子にいく予定だったんだよな、確か

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 14:51:26 ID:TTM3pYNn
秀秋的には、大毛利の跡取りならまだしも、小早川への養子はかなり不満だっただろうな
隆景に望まれて養子に迎えられたわけじゃないのは本人も十分分かっていただろうし・・・



「毛利秀元記・巻之五」より、小早川秀秋の寝返り

2009年08月30日 00:32

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 11:31:43 ID:dRqFptAZ
「毛利秀元記・巻之五」より、小早川秀秋の寝返り


「金吾殿、山中の城に居給ひけるが、心替り分明の聞こえありしに依って、手籠もうすべしと
評定ありしかども、夫れも何かと延引なり。
杉の権頭所より、金吾殿心替り必定の由、堅く三箇度安国寺へ申越ししたり。
此権頭は、隆景より金吾殿へ、付け給ひたる者なりし故、斯く申越したり。
安国寺、此由を治少へも長大蔵へも申されにしに、両人乍ら、うかうかとして居られしに、
案の如く金吾殿打って出でられしぞ。」

(訳)
『小早川秀秋は松尾山の城に陣を置いたが、心変わりは明らかであるから捕らえるべきとの
評定があったのに、これも何かと先送りになった。

杉の権頭の所から、秀秋の心変わりは間違いないと言う事を、厳重に三度まで
安国寺恵瓊に申し越された。

この権頭は、小早川隆景が秀秋に付けた者であったので、このように(安国寺に)申し越して
きたのだ。

安国寺恵瓊はこの事を石田三成にも長束正家にも伝えたのだが、両人ともに
うかうかと何の対処もしなかったので、案の定秀秋は(西軍に向かって)討って出たのだ。』


これを見ると、松尾山に陣を張った時点で既に、秀秋が東軍に寝返ったと言うのは、広く認識
されていたようです。にもかかわらず、西軍首脳はこれへの対処を先延ばしにし、結局それが
命取りになった。という認識が、少なくとも毛利秀元周辺にはあったらしい。というお話。





776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 12:37:20 ID:XNdyn0GP
これが小早川隆景隊だったら…と思うところだがそれだとそもそも毛利の動向変わるよなw


778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 14:15:11 ID:m4Akfrd6
>>775
と、いうわりには、毛利には小早川の裏切りに備えた形跡が無いんだよな

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/29(土) 17:50:42 ID:796DllEL
>>778
吉川広家「計画通り」



関ヶ原、伏見城攻防戦の小早川軍・いい話

2009年04月12日 00:05

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/10(金) 23:02:47 ID:k4fGND0y
関ヶ原、伏見城攻防戦の時の事。

小早川秀秋の旗本、大島源次と言うものが、前線に派遣され、この最前線から城の堀端までの
距離を尋ねた。
前線部隊の村上三右衛門は「計って見た訳ではないが、だいたい十二間(約22メートル)くらいでしょう」
と答える。
これに大島、「あなた方の見識を疑うわけではありませんが、ここは正確を期すため、実際に測りに
出ようと思います。」

しかし前線と城の間には多くの兵が集まり、すさまじい銃撃戦を繰り広げていた。
とても距離を測るために人を出せるような状況ではない。
それを説明し、大島には帰るように言ったが、それでも大島は

「もし殿に距離を尋ねられて、『測ってきませんでした』と答えなければならないとは、
そんな恥ずかしく不快な事はありません。是非にも私を出してください!」

これに村上「我ら先手の前を、旗本からの軍使を出すなどとは、これはあるまじき事です!
いらぬことをするべきではない!」

それでも大島は諦めない。彼はこの時20歳。若い彼は、この役目を強く思いつめていたのだろう。
そこでついに村上も、「わかりました。測りましょう。」と、かぶとを脱いだ。
「ただし、私の言う通りにやってください。」

村上は竹を一間に切ると、それを陣地の端から堀端に向けて縦に置いた。その先端に今度は
大島が穴を開け印をつける。銃弾飛び交う中、彼らは急がず、攻撃の合間を見ながら、
それを繰り返した。
そしてついに、十一間半という距離を測りきった。

この、村上の最初の目算の正確さと、あくまで正しい距離を測ろうとした大島の勇気ある行動は、
戦陣において大きな話題となったそうである。

そんな、戦場のベテランと新人のお話。




643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/11(土) 00:12:38 ID:J4aA+U1z
>>635
なにげにカッコいい話だな

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/11(土) 08:34:13 ID:jbP0P+Hs
>>635
もっと安全に測ること出来なかったんだろうか?

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/11(土) 08:42:55 ID:lXSLm3MD
三角関数を教えてあげたい。

647 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/11(土) 13:14:46 ID:6qRJfVoY
当時すでに三角関数的なものはあったんじゃない?
山の高さとかそれで推定してたような…

小早川秀秋のいい話

2009年04月04日 00:02

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/03(金) 14:42:00 ID:sTCdOOlV
秀秋のちょっと良い話って、何かないのかね?
ま・・・無いんだろうな・・・・

432 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/03(金) 15:07:24 ID:9KDdcSc0
難しいねえ…。おねからはダメ人間扱いされてるしさ…

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/03(金) 15:41:20 ID:vRdgECCb
岡山城の外堀を20日で完成させたりと、そこそこの技量は持っていた可能性を示す
逸話もあることにはあるが…


434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/03(金) 15:46:59 ID:3IoLrvd+
掘るのは得意な金吾

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/03(金) 15:47:23 ID:sTCdOOlV
秀吉に怒られた蔚山城救援(だったっけ?)も話としては単なる蛮勇エピソードになってて、
オイシイとこは全部他の武将に持ってかれてるしなぁ・・・・

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/03(金) 15:55:52 ID:6vwyKgVp
秀秋公には松囃子の話があるじゃん

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/03(金) 15:57:46 ID:/OizTQUV
>>434
うまいなw

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/03(金) 15:58:51 ID:1egCG9Ra
>>436
何ソレ?kwsk

441 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/03(金) 16:15:17 ID:f5bhIlJ0
>>434
片倉重長「我が尻は政宗様専用でございますれば・・・」




445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/03(金) 16:45:56 ID:6vwyKgVp
>>438
秀秋が小早川家の名跡を継ぎ、名島城主となった頃のこと。

秀秋は遠い筑前に一人養子に出されたことと、秀次事件のこともあり、相当に気落ちしていたらしい。
年若い秀秋(当時13歳)が物憂げな様子で毎日を過ごしていることはすぐに領民に知れ渡った。
案じた博多の町人たちは秀秋の結婚祝いと称し、臨時の松囃子(本来年始に福を祝う芸事)を
仕立て
秀秋の居城である名島城へ入って彼らの結婚を祝った。

祭り好き?の町人たちの気遣いが孤独な秀秋の心を慰めたというお話。

なお、この後、博多では松囃子は城内に入ることが許されることとなり、後に領主となった黒田家にもその風習は受け継がれた。
その伝統は明治になっても絶えず、今でも博多どんたくにその姿を残している。




小早川秀秋の初陣・悪い話

2009年02月28日 00:14

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 22:42:45 ID:KVDSXlBq
小早川秀秋の初陣は朝鮮、1597年慶長の役であった。

15歳の少年の率いる軍船は、対馬を後にして数時間後に目にしたのは
待ち受けている朝鮮水軍の船団であった。

これが初陣である少年の補佐役は黒田如水であった。
敵船を見るなり突撃を命じようとする秀秋を制し、
如水はしばらく船足をとどめさせ静かに時を過ごした。

待つことしばらく、前方の朝鮮水軍は戦いを仕掛けるわけでもなく
すごすごと西の海上へ去って行った。

大量の兵員と食料を積んだ船団での海戦は論外であったし、
この海での戦は、文禄の頃より日本にたいそう分が悪かった。

如水は、朝鮮水軍の航続距離を知っていたのである。
彼らはこの日、無理に無理をして櫓を漕ぎ、彼らの勢力範囲の
遥か東まで進出してきたのであった。

日本側が挑発に乗らなければ、朝鮮側も戦火を開くことは
できなかった、つまり帰り道の櫓を漕ぐ事で水夫らの体力は
限界だったのである。

日本側の補給線とは、対馬と済州島を結ぶこのか細い一線だけであった。

半島の西岸からの海上補給が可能であったならば、朝鮮の役の展開は
更にこじれまくっていたことであろうが。




427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 01:48:27 ID:wClgzm9L
秀秋、初陣が朝鮮で海戦で楽な出来レースでも無いって..
ラスボス何考えてんだよ...楽な所当てろよ

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 01:58:12 ID:ny+wWTuU
淀殿「その通りですねー」

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 02:09:44 ID:clwCkyLw
補佐役に怪物がついてたのなら問題ないし破格の待遇だろ。

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 03:17:42 ID:N0r7l0v0
そもそもラスボスは朝鮮なんか眼中に無かったからな

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 07:19:38 ID:J8fm1/YK
手柄立てようと最前線で槍振るったらラスボスから「お前は大将なんだから雑兵みたいな真似すんな」とかえって怒られたり
頑張りが空回りしてますな金吾殿

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 08:01:06 ID:xulAc7Iu
もはや誰もラスボスの本名覚えてないだろ

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 08:30:45 ID:7BmJHXPd
え~と、プロゴルファー猿だよね?

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 09:24:23 ID:9dsimhCW
うちの地元にはラスボスの湯という温泉があるんだが

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 22:00:34 ID:XahcLCRa
>>434
貴方佐賀県の御方?

小早川秀秋を待ち伏せしていた朝鮮水軍・悪い話

2009年02月28日 00:12

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 10:38:06 ID:jH/QX5xE
小早川秀秋を待ち伏せしていた朝鮮水軍である。

彼らは深入りしすぎた。
気づけば遥か南東方向に対馬の山影がみえる、そんな
所まで流されていた。
慌てて船の向きを変え彼らの本拠地である閑山島を目指した。

この頃、海戦の実状に無知な李王の命令で司令官李シュン臣は軍を追放され
田舎で畑仕事をしていた。替わった元均も嫌々ながらの出撃であった。

潮流と風にはばまれ、舮を懸命に漕ぐが朝鮮水軍の船はばらばらに四散してしまった。
ある者は海に沈み、なんとか漕ぎ寄せた島に上陸したものも島津義弘の軍に討ち取られた。
首尾よく閑山島まで達した艦船の行く手には、島津の軍船が準備万端待ち受けていたのである。

7月15日から16日にかけ、朝鮮水軍は壊滅した。




436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 12:12:45 ID:cFQDRQuq
朝鮮水軍に栗田ターンを教えてあげたい。

豊臣秀吉と小早川秀秋・いい話

2008年10月16日 13:32

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 04:06:05 ID:GMFpiJmZ
あんまり利発に見えなかった小早川秀秋は
養母の北政所に露骨に嫌われた
それを知った秀吉は北政所に
「あいつの親はお前とわしかおらんのだ。
お前とわしがあいつを嫌っては誰があいつを愛してやるというのだ」と怒った

その他の秀吉の事例や秀秋の行動を見るとどうだろ?って気もするが
コノ瞬間だけは今の虐待親とかよりは秀吉は立派な親であったと思う
一方家康は顔が醜かった秀康と忠輝を生涯愛さなかった



180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 04:24:30 ID:3uCv6X3i
>>179
顔が醜かった ってよく言われるけど
親が嫌うほどってどんなんだ?って思ってしまう

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 06:04:39 ID:GMFpiJmZ
家康に限らず結構不細工だから嫌いって親はいるんじゃないか?
史実でもわりとよく聞くし創作の世界も含めれば小説やドラマとかでもよく見る
子供だから無条件に愛せるってのはないよ
「いやそんなことはない。親の心はすべて凌駕する無償の愛」って
言える人は幸福な人生を歩んできたんだろうなぁ
動物とかでも子供殺すし次代への遺伝子の受け皿だから
本能的に無条件に優先するという説も個人的には微妙だと思う

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 09:46:04 ID:uFjkpPlS
秀康も忠輝も、きちんと史実追っていけば、特に嫌われちゃいないわな。
特に忠輝に関しては、逆に甘やかされている印象が強い。

「顔が悪くて嫌われた云々」は、後世の創作だと思うよ。

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 10:54:58 ID:s2T5FOMM
忠輝に関しては、幕府の地盤が固まらないうちに、あまり派手にお家騒動を起こしたくなかった、とも考えられる。
秀康に関しては、年上なのに人質にだされたり、将軍になれなかったりしたことを後世の人が邪推して、というのは十分ありうるな。

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 20:15:32 ID:2eRayQz7
小早川秀秋って
生まれとしては
秀吉の姉の息子でよかったっけ?

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 20:26:31 ID:nLZVX0Fg
ねねの兄の息子

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 23:53:09 ID:AICLSrQm
木下家定の五男だったよね確か。

>>179
秀秋のほかの兄弟(家定のほかの子息)と北政所の交流を見る限りだと、
そこまで疎まれたとも思えないんだけどね

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/28(日) 00:07:18 ID:I7G4X+ls
実の親と子でも兄弟でのえこひいきはあるよ

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/28(日) 00:21:13 ID:Y10BaKfZ
秀吉なり秀長なりが家定くらい子作り能力が高ければなぁw
その点、秀次はさすがというかw

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/28(日) 00:45:25 ID:ryj/geRa
>>179
他のと比べてできが一人だけひどくて秀秋だけ露骨に嫌われてたら
なんかかわいそう・・・

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/28(日) 01:20:20 ID:nO13GXDX
うーん、他に比べてデキが良かったからこそ養子になった
という見方も……何歳くらいで養子になったんだろう?

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/28(日) 02:57:19 ID:ryj/geRa
>>192
俺が聞いた話だと秀秋は幼少時顔がかなり可愛かったらしいよ
あと木下勝俊が品とか歌才とかで「あれと兄弟とは思えぬわ」とかいわれてたらしいから
関ヶ原以前にすでに周囲の評価は低かったっぽい
できが悪いのは本人の責任じゃないのにね