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直江兼続の手紙

2014年04月07日 19:02

706 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/07(月) 15:18:03.98 ID:zo7V+3Jg
直江兼続の手紙

二ヶ月ほど前に話題になったものから

2014年2月、山形大の松尾教授は直江兼続が関ヶ原の戦いを前に、会津地方で伊達軍と戦っていた家臣に宛てて書いた直筆の手紙が見つかったと発表した。

写本はあったが兼続の直筆の現物の確認は初めて。伊達軍との戦いで善戦する家臣の頑張りを褒めながら「政宗は油断ならぬ相手、伊達軍の動向を滞りなく知らせるよう」指示を出している

書状は山形市の個人蔵
山形大の松尾剛次教授が花押や筆跡から本物であると鑑定した。
本村親盛と上泉泰綱を含む家臣4人に宛てたもので、日付は慶長5年7月27日。小山評定の二日後のもので、伊達政宗が旧領地の会津地方を奪還しようと攻勢を強めていた時期にあたる。

(つづく)

707 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/07(月) 15:20:27.41 ID:zo7V+3Jg
(つづき)

「すぐに城(福島県川俣町)を攻め落とし、城主の桜田氏をはじめ残ることなく討ち果たしたという。おのおのの頑張りは素晴らしいことである」とねぎらう一方で
「白石に伊達政宗がいるというので(上杉景勝から兼続も伊達の介入を防ぐ様後方支援の)後詰めを申しつけられた。(中略)。政宗の様子を注進するのを待っている」と要請している。

松尾教授は「当時の緊迫した状況がうかがえる。写本には誤りも多く、現物は上杉家の研究に役立つ貴重な資料。
上杉家の歴史だけではなく、東北史を見直すきっかけになれば」と話している。

(つづく)

708 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/07(月) 15:22:44.53 ID:zo7V+3Jg
(つづき)

文書はおおよそ縦15㌢、横75㌢。

他に兼続は書状で会津征伐に小山まで来ている家康が引き返したとの情報を「事実ではないだろう」と指摘。

関ヶ原の戦いを目前にした7月に、兼続は11通の文書をしたためているが、現物が見つかったのは3件目。

上杉文書を書き写した史料「覚書公御書集(かくじょうこうごしょしゅう)」に、この書状に該当する写しがあり、内容は基本的に同じだが、「書状を拝見しました」の部分を「連状」とするなど誤写があるという。
また今回、御書集の原本の一部と見られる書状が見つかり、内容も同じで貴重な資料。
松尾教授は「これにより御書集の資料的価値が上がった。さらなる直江文書の出現を期待している。また、上杉氏が会津に移封後の研究の活性化が期待される」と語っている。





「越境記」「最上合戦記」から長谷堂合戦の流れ

2013年11月12日 19:00

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/12(火) 08:54:57.70 ID:ClsJsM9F
「軍記物」にまつわるちょっと悪い話

特定の合戦においても立場が異なれば、味方と敵とでものの見方や書き残す内容がまったく違ってくる事は少なからず出てきます

上杉家に残る「越境記」「最上合戦記」から長谷堂合戦の流れを軽く拾ってみました

直江兼続の所領は米沢にありましたが、北の山形の最上義光の国人や百姓らが無法にも直江方の所領に侵入する事が頻繁にありました
この報告を受けた兼続は「下々の事は最上の名主に問い合わせよ」と指示を出しましたが、一向に改善なされる様子はありません
兼続は「これは山形の義光が領民らをそそのかし、こちらの出方をうかがって米沢攻めを目論んでいるに違いない」と考えました

白石城を伊達政宗に取られたのも、計略に長けた最上義光が裏で糸を廻し、隙を見て米沢攻めを画策しているのだ、と

ならばいっそお仕置きをかね、山形周囲の城を叩き、義光に痛いお灸を据えてやろう

(つづく)

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/12(火) 09:14:40.08 ID:ClsJsM9F
(つづき)

この事を景勝公にお願いしても、上方の事で大変な時期に出陣の許可は易々と得られないだろうから、後のお叱りは殿のお情けにすがり、お咎めは甘んじて受けようともまずは最上を叩こう

水原親憲が「大兵をもって山形城を囲んではどうか」と提案してきましたが
兼続は「山形周りの城を叩き、義光に反省を促すのが目的である。それでも行いを省みない様ならそれから山形城を囲もう」と評定を締めました

直江軍の動きは予想されていたのか、畑谷には江口五兵衛といった剛の者が配され、山形の最上義光も大軍を率いて後詰めをする手筈を整えていました

しかし直江軍は大兵をもって畑谷城を急襲したために、最上義光は後詰めの兵を出すタイミングを完全に失い、畑谷城は孤立無援のまま数日で落ちました

(つづく)

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/12(火) 09:23:29.92 ID:ClsJsM9F
(つづき)

勝手に兵を動かしたものの最上方の城を落としてしまったので兼続は景勝公の元に伝令を出す事にしました

すると景勝公は意外にも「最近政宗や義光が領内を荒らしわがままに振る舞うのをいぶかしく思っていた。兼続は民を思いこらえかねて兵を動かしたのであろう
これで政宗も勝手な事はするまい。山形方面は時期を見て軍を返せ。畑谷を落とした事は褒めてつかわす」とおっしゃいました

兼続が畑谷を抜け富神山から山形を望むと、長谷堂と山形の方面には雲霞のごとく最上軍の旗がたなびいています
最上義光はまったく話し合いに応じるそぶりもなく、あくまで戦うつもりの様子です

菅沢に布陣して数日後、最上軍からの夜襲がありましたが直江軍は簡単に撃退しました

(つづく)

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/12(火) 09:38:44.13 ID:ClsJsM9F
(つづき)

また、別動隊の上山口の方面では最上方の領民らが中山に侵入し、直江領の民らに喧嘩を仕掛け、張番の足軽が鉄砲で最上方の不法者を撃退するといった話もあった様です

にじりにじりと長谷堂城を取り囲み、最上方からの和議の使者を兼続は待ちました

奥羽の山を越えて伊達の援軍が山形入りをし、数を頼みに散発的に長谷堂城や山形城から菅沢の本陣に奇襲がありましたが、なんなくこれも撃退しました

山形城主の最上義光は無双の大力の強者で、鉄棒を常に携え「義光これを持つ」と象眼させていた様ですが、味方の兵が上杉軍に敗れる報を聞くたびにその鉄棒で地面を突いて怒りを顕にしていたと伝わります

しばらくして会津から「上方で急変があった」との事で米沢に兵を引く事になりました」

(つづく)

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/12(火) 09:52:53.52 ID:ClsJsM9F
(つづき)

兼続「山形進攻はまずはこれまで。上意であるから山形の領民には迷惑を掛けぬ様速やかに兵を引け」

菅沢から兼続が兵を引き始めるそぶりを見せると、「上杉軍に戦意なし」「臆病風に吹かれたか」と
最上軍と伊達軍が米沢勢を残らず討ち取ってやろうと長谷堂城と山形城から一斉に打ち寄せてきた

最上軍は琵琶の小旗を着け総勢一万二千騎余
これに伊達軍も加わり、山形勢の士気は天をも突くばかりだった

見る見る内に長谷堂城から菅沢への平地が最上軍の人馬で埋まった

勝ち誇り追い縋る最上軍
戦う様に見せて幾段にも分けて伏勢を置き、鉄砲を打ち掛けては退く直江軍

なにぶん最上軍は大軍なので鉄砲で打ち払っても打ち払っても簡単に退く事はできなかった

(つづく)

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/12(火) 09:59:19.65 ID:ClsJsM9F
(つづき)

殿軍の兵らはよく戦ったが勢いにのる最上軍は大兵。(直江軍の)味方に戦死傷者が続出しはじめた

こうして直江軍は多勢の最上軍に追い縋られながらも全部これを退け、畑谷を通り米沢方面へと引き揚げた

この撤退時に味方が討ち取り持ち帰った最上軍の首は約三百余である

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/12(火) 10:02:18.17 ID:ClsJsM9F
「最上記」と比べると、大分いくさ観に違いがある様です

最上軍の兵が12000人+伊達の援軍って…

買い被られてたのか
それとも補正で水増しされていたのか…

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/12(火) 11:37:50.05 ID:ClsJsM9F
この「最上合戦記」は長谷堂城主を坂紀伊守(坂光秀)と扱い、志村光安を山形城軍としています。
他にも湯沢に篭城中の由利豊前(楯岡満茂)や既に死んでいる延沢能登(満延)が長谷堂合戦に参戦していたり、鮭延越前(秀綱)が城野越前として重複してカウントされていたりと
気になる部分も見受けられます




725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/12(火) 18:03:13.03 ID:6Xc33ZES
これは検証スレでやるべき話題やね

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/13(水) 14:20:00.37 ID:7Zod2C6F
さすがにたった八人で敵を退却させたという話はないのね

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/13(水) 16:21:25.89 ID:gDVuHnz7
ん?景勝さんがしゃべってる!?

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/13(水) 17:49:24.15 ID:jhPTV3QY
景勝「…」
兼続「わしが喋ってもおかしくないだろう、と殿はおっしゃられておる」

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/13(水) 18:36:52.64 ID:cpBuua7P
>>726
大村の三城七騎籠ならあるよ

733 名前:716[sage] 投稿日:2013/11/14(木) 03:48:01.56 ID:TMFzcbhY
>>726

一方組外衆が撤退戦で最上の兵おおよそ二百を足止めした

「二百」

字が「二万」にも読めなくはない

※「花の慶次」のエピソード誕生
-とも思えます

>>728

会津の景勝から山形に出ている兼続への「手紙」での文言でしょうね

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/15(金) 07:15:35.69 ID:aaZ50duI
>>726
遅レスだけど
「上杉諸士書付?」だったかには「八人が最上本陣を襲い、最上方をしっちゃかめっちゃかにやっつけた」とか
いった内容があったと思う

750 名前:749[sage] 投稿日:2013/11/15(金) 07:19:37.78 ID:aaZ50duI
間違えた…

>>726
「上杉将士書上」にあるらしい

直江兼続曰く、主人にするなら

2012年10月04日 20:29

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 18:34:09.02 ID:o3nRy/lW

直江兼続曰く、

「今日本には大身小身の名将が多くいるが、その中から
選んで主人にするならば、太田三楽と我君の謙信公に及ぶ者はいない、
と他家にて話題になっていたと聞くが、実にもっともなことである」

――『名将言行録』



717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 20:41:54.53 ID:DpkzE+6j
実は直江と謙信って会ったことが無い可能性があるんだよな

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 00:52:03.82 ID:ImmTqv4a
>>717
所詮名将言行録だから。
謙信に目通りした事あるかないかはともかく
直江兼続は景勝以外に仕えた事無いし。
まあ上杉の家名箔付けのために
「謙信の家」を強調していた可能性は無くもないかも

雑談・今ニュースで山形県の五色温泉の紹介が

2012年04月05日 21:35

552 名前:sage[] 投稿日:2012/04/04(水) 18:00:29.71 ID:u4CGuhOU
今ニュースで山形県の五色温泉の紹介がされていたんだけど、その説明が
「直江兼続が整備し子宝の御利益があるといわれている」って。
なんか御利益薄そうだなと思ってしまった。

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/04(水) 22:35:05.96 ID:DK9u/joP
>>552
大ふへんもの「利益ならここに」

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2727.html
しかしこの山田風太郎も「くノ一紅騎兵」でネタにしている異聞の男装女も
その温泉にはいっていたりして

雑談・直江兼続のことなど

2012年01月13日 21:59

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 11:38:52.40 ID:kzahPtmK
慶次はともかく兼続に清涼感有る?


413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 15:11:10.20 ID:qzUCVkDt
>>409
直江は上杉と徳川が対立した原因を家康にも景勝にも求められなかった人たちが
江戸時代にスケープゴートにしただけで本人は基本的に忠臣じゃん
直江状も爽快な文章だとして広まったもんだし
水原や安田が直江と対立したような話も
出所は直江を悪臣にして徳川上杉叩きを回避しようとした話が元だし。

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 15:25:35.16 ID:gU7lqkXF
爽快……?

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 15:34:27.22 ID:8NJoN/ZK
何が疑問?

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 18:14:58.81 ID:QXtAUjp+
山城守は地で嫌われてないか?

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 18:17:25.01 ID:AY2+RVW6
そういえば直江状って、「家康を批判したものではない」って説まであるんだよなw
それどころか家康の権威を素直に認めたものだとか何とか。
そうなるともうわけわからんw

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 18:41:06.31 ID:l0leCNf5
武田家における跡部勝資もそうだけど、意思決定に大きく関わる立場にいて、
結果としてその意思決定のために国が害を蒙ったら(武田→国が亡んだり、上杉→石高が激減したり)、
後世非難されたり、嫌われても仕方がないと思う。
国の指導的立場にある人の宿命でしょう。

直江状も、その後がうまくいっていれば、時の権力者に啖呵を切った爽快な文書として素直に受け取れるけど、
結果、主君に土下座させることになったわけだから、
身の程知らずが書いた愚かな文書、と受け取る人がいてもしょうがない。

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 18:44:15.73 ID:Y7hHO2Km
>>409
景勝家臣としては慶次や兼続の方が評価されているけど
水原もいいなって書いただけだよ

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 20:23:08.83 ID:U6GkUUgF
>>418
跡部勝資は本当に可哀想な人間だと思うぞ
側近の同僚だった山県昌景、原昌胤、土屋昌次が一時期にごっそり死んでしまったからな

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 21:02:47.08 ID:l0leCNf5
>>420
基本的に異論はない。跡部勝資の人生は、個人的には気の毒だったと思う。
才幹能力と地位にミスマッチが生じたのは、
偶然と勝頼の人材を見る目のなさに起因していて、そういう意味では跡部勝資の責任じゃないから。

ただ、それなりの地位に就いた人が、その地位に見合うだけの能力がなかったってのは、
現実のステイクホルダーにとって、可哀相で片づけられない不幸だと思う。
前に土屋昌恒の逸話で、跡部勝資の判断の行き当たりばったりさが「無分別」だと激烈に非難されてたけど、
それはやむを得ないことだと思う。
一国の指導者層の人間が、判断を誤って国を滅ぼして、それでも非難されないとしたら
歴史から学ぶことは何もなくなってしまう。

うん。立派な長文スレ違いだw
お詫びに何か出せる逸話がないか、手元史料を探してくるノシ

『餅』と米沢と庄内を結ぶ山道の開削

2012年01月03日 22:00

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 13:32:39.52 ID:B3Fvg6Y3
まだ正月三が日ということで、餅にちなんだ逸話でも。
ただ、出典が数年前の地方紙なので、その程度のものとしてお読みください。


慶長3年、上杉家が会津・米沢及び庄内を領地として持ったころ。
会津と庄内の連絡には他家の領地を通るしかなく、それはそれは不便であった。
この現状をどうにかせんと、上杉家の重鎮・直江兼続は一計を案じた。
それは米沢と庄内を結ぶ山道の開削である。
だが、その道が隣国の最上家や堀家に露見しては厄介なことになるため、あくまでも秘密裏に、かつ早急に完成させる必要があった。
その工事における、人足の食事における一節。
「餅一升を最初に食い、工事に臨む。最初の二日は腹がくちくて苦しく、中の三日はちょうど良く、後の二日は空腹で苦しい」
という記録があったらしい。

……炊煙があがるとヤバいのはわかるが、もうちょっと福利厚生に気を使ってください、山城守様。





562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 19:24:27.32 ID:6FwvJdne
一週間断食して働けとかブラックとかいうレベルじゃねぇなw
干飯とか乾物とかやりようはなかったのか…

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 19:31:13.02 ID:DLPNF1XR
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1419.html
蓼をおかずに食べてたら
>兼続「メシは塩だけで十分だ!蓼まで必要ないだろう!」
こりゃ、おかずも期待できないな

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 19:59:23.78 ID:HuCz4brz
ブラック大名に仕えているんだがもう俺は限界かもしれない 人足編

しかしなんかの悪影響で兼続に文句つけると利いた風な口を聞くなー!と叫ばれるイメージしか浮かばんw

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 20:38:21.83 ID:ftkNyCaV
一升餅1.8キロ×餅235kcal/100g=4230kcal?
約4000kcal一気食いって血糖値が怖いことになってそうなんだけど。


566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 21:45:41.95 ID:B3Fvg6Y3
>561です。
蛇足ですが、このブラック大名が開削した山道、関ヶ原後は存在価値が無くなって使われなくなってしまったんですね。
朝日山道という名の道ですが、過酷な労働に耐え抜いた人足の皆様の心境はさびれゆく道をどのように見ていたのか……

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 22:57:29.79 ID:YHtQx8Fp
謙信は出陣のときはたんまり飯食わせてくれたって話だけどな
所詮三流の人か

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 22:59:17.49 ID:Lyo5d9qt
目的が違うからなんとも

569 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/03(火) 23:20:17.09 ID:lNB70Z3A
~米沢藩からのお知らせ~
 ☆急募・短期アルバイト☆
上杉家では一緒に働いてくれる臨時スタッフを募集しています。
力を合わせて米沢を豊かにしよう!

内容:道路工事人足
場所:上杉領国境
待遇:食事あり、現物支給
連絡は直江山城守まで

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 23:23:21.57 ID:l3XCrJG9
人足たち「わしはこんなとこ、きとうはなかった」

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 11:21:39.51 ID:FJjBq1ri
戦下手なうえに人使いも下手なんだね。
評価できるのは家康への檄文くらいなのかな?

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 11:44:06.02 ID:q7k5tcAy
内政家としてはそれなりじゃね?
あと文化人としても。

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 13:21:26.77 ID:6Wj7V65T
鷹山が評価しなかったら
武田の長坂光堅や跡部勝資みたいについ最近まで佞臣の代名詞になってたんじゃないかって気がする>山城守

574 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/04(水) 15:31:31.47 ID:jPZDSygS
奇襲は上手いかもしれない
春日山城占拠とか

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 15:39:23.77 ID:WSoEXaDF
だから山城守なんだなw

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 15:46:00.49 ID:KqhVrGjC
>>575
だれうまw

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 18:50:53.91 ID:6uGyk9Fu
なんで秀吉に「アイツは頭が足りないw」とか言われてんのかと思ったらこういうことだったのかw

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 18:56:18.56 ID:x6kKMzwc
思いやりも足りてないんじゃ?

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 19:04:00.99 ID:+SG6/CYY
各種の逸話を見るに如才さが足りてねぇな
足り過ぎてて九州に飛ばされた誰かさんも居るが

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 19:04:28.97 ID:RcB7Nasp
そこまで気が回らない、ということは回りすぎるくらい頭回る頃の秀吉から見れば頭が悪い、ってことになるんじゃね

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 19:27:36.66 ID:7twx6ghO
wikiに出典が載ってないが、日本槍柱七本て項目があって
小野鎮幸
本多忠勝
島津忠恒
後藤基次
直江兼続
飯田直景
吉川広家
の七人がラスボスに槍働きを賞賛された、とか
しかし山城守は場違い感があるから、いっそ直江と飯田はまとめて樋口角兵衛に

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 21:00:07.99 ID:FJjBq1ri
しかし大河の罪は重いなw
ぶっちゃけミニ治部ってとこかいね?

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 23:40:25.76 ID:3V3L5IZF
戦国じゃないけど白洲次郎も吉田茂の佞臣ってイメージだったらしいね

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/05(木) 03:23:53.00 ID:SIkx9rm8
治部に比べりゃ政治軍事文芸あらゆる方面で活躍してるが。
つーか戦下手評価も元々大して積極的に攻めてない長谷堂城での話が
元だから下手ってほど下手でもない。
撤退戦で凄まじい働き見せたのも事実だし。

あのクソ大河の影響で不当な過小評価受けてる印象だ。
[ 続きを読む ]

山城は何にて

2011年07月22日 23:11

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 00:33:02.69 ID:MyGGRZ9I
山城は何にて

大御所徳川家康のもとに諸大名が集まった時のこと。
「近ごろ、珍しい物を手に入れましてな。」伊達政宗が異国の貨幣を取り出し、家康に見せた。

「これは面白い。やはり我が国の貨幣とは違うのう。どれ、皆にも見せてやってくれ。」
政宗は家康の言葉に従い、貨幣を諸大名の回覧に付した。末席にいた直江山城守兼続にも回されたが、
兼続はこれを扇子を開いて受け、手に取ろうとはしなかった。

遠慮していると思った政宗が「山城守よ、直に手に取っても構わんぞ?」と声をかけると兼続、
政宗をジロリと見て、
「このような汚らわしき品、景勝様に代わり上杉の軍配を握る拙者の手にするべき物ではござらぬ。」
と答えた。

政宗は赤面して返す言葉もなかったが、上座から兼続に鋭い問いが飛んで来た。

「あぁそうかい。では山城よ、お前さんどうやってションベンを切ったりケツを拭いたりするんだね?
(原文:山城は何にて両便の取捌きするや。)絶対に手を汚さず生きていると言えるのかね?」

怒気すら発して問う家康を前に、兼続も言葉に詰まり顔を伏せるしかなかった。(想古録)

有名すぎる話ですが、こんなバージョンもある、という話。




680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 03:02:03.82 ID:rFPoq8vv
>>679
兼次「何で徳川殿はそんなに怒ってんの?綺麗な手で軍配を握る心構えっておかしい事?何で怒ってんの?
何で糞小便の話までとぶの?ねぇ何で?」
と言いたいのを我慢して顔を伏せざる得なかったという
~民明書房より~

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 06:59:41.91 ID:E6M3PFcZ
秀吉時代と何も成長していない独眼竜と直江兼続。君ら2度目だぞ。

そして焼味噌の話題に定評のある権現様。

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 07:03:37.48 ID:6XDo5rwE
兼続の代りに一物を持つ役の女中とか居たのかもしれん

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 07:09:47.57 ID:uB0t4Aw8
伊達だけならともかく、家康をはじめとした諸大名までバカにしてることになるからな

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 07:26:54.55 ID:Bqvk6PDJ
ま、そのままストレートに受け取ると、不浄と不潔の見分けが付かない家康って話か。
流石に伊達はその辺の見分けが付いているみたいだけど。

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 07:56:26.78 ID:GVFiWex8
どっちにしてもいい話なのだろうか?

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 09:35:59.07 ID:tQN+xXY9
家康が政宗&諸大名の面目立てたいい話だろ

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 09:43:06.32 ID:QDWUTPQT
まあこの話が実際にあったとしたら、大名一同直江に対して「何いってんだこいつ」と
思ったには違いないからなあw

>>684
> 不浄と不潔の見分けが付かない家康
この時代それは一致してるよ。不浄と不潔を分離したのは科学的衛生観念が生まれた
近代以降だね。トイレを「御不浄」と何故呼んだのか、って事。

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 10:09:34.87 ID:rFPoq8vv
家康が直に手に取って諸大名に見学を促してるから、一連の流れを否定する事は家康の面目を潰す事になるな
でも焼き味噌菌で汚染された物体を遠慮したい直江の気持ちも分かるよ
限界ギリギリの断り方で直江にしては十分配慮してるし
まあ、一番の被害者は宝物を汚染された事に気づいて俯いた政宗なんだけど

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 11:48:59.71 ID:yvPFdgCR
直江はこんな珍しいもんもってる俺かっけー、な雰囲気が不快だったんじゃね
現代でも他人の自慢話、知識のひけらかしほどうっとうしいもんはないからな
そんな汚いもん触りたくない、って言う直江の気持ちもよくわかる

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 11:49:30.72 ID:hSN2Eqok
異国の貨幣だから汚いのか?
国内の貨幣だって、敗走兵の便を通過して再利用されている可能性もあるらしいから
そうとうヤバいよ。大丈夫か、兼続。

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 12:18:12.83 ID:qFiIBI56
>>689
そういう感情を表に出してああいうこと言っちゃうんじゃ、
もっとうっとうしくて、汚らしい人間だと思うけどなあ

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 12:20:16.17 ID:QgLcg/Oy
直江は結構ウザイキャラ
近年美化されてるが

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 12:48:35.48 ID:dA8Nkcq0
つまり、
直江「くっ、静まれ、俺の愛染明王…!」
とかやるわけだな…

694 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/22(金) 16:07:31.04 ID:KvRccKRU
くだらんことで自慢する政宗にイラッとする山城
いちいち場を荒立てる山城にイラッとする家康
どっちも解るな

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 16:26:31.55 ID:tpTUAeij
陪臣の癖に生意気

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 16:49:43.34 ID:NGQ3VZEz
神君バージョンでは結局味噌話になるのか

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 21:44:14.25 ID:yvPFdgCR
>>691
いや、潔癖だからいわでものことがついつい口に出るんだと思うよ
汚い、というか人間関係に計算が働く奴なら流した方が得だってわからないわけないからね
直江さんは洒落の通じない真面目委員長タイプと思われ

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 22:12:03.29 ID:nugZd22c
三成と気が合うはずだw

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 22:12:35.50 ID:qFiIBI56
>>697
この場でのこういう発言は損得以前の問題として人としての常識に欠ける

浪人なら好きにしてくれればいいが、
本人の発言が主君にも影響をあたえるんだからこんな発言しちゃ駄目だろ

実際こんなことを兼続がいったとも思わんが、
兼続の逸話でのキャラってこういう独善的なものが多いよね
秀吉の評のまんまのキャラといったところか

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 22:30:27.11 ID:tpTUAeij
色々と商業や産業育成をしてた人だし、本気で金が汚いと思ってたんじゃなくて政宗を侮辱したかっただけだろ。

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 22:34:48.97 ID:wwcRHk7k
何にせよ政宗が一旦は恥じ入り、家康も糞小便と並べているわけだから
武人的に見たら貨幣は汚らわしいという観念はあったのだろうが
実際的な意味ではどうだったんだろうか?
本当に絶対触らないような心構えでいたらやってけないような気がするんだが

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 22:44:05.83 ID:EhZl2g8W
そもそも状況からして兼続のポジションから
金は不浄とか言い出すとこじゃないw

海外の貨幣が珍しいという話なのに
突然見当外れなこといいだしてる。


703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 22:56:58.58 ID:yvPFdgCR
>>699
そういう人間だ、って割り切って景勝も使ってるんだと思うよ
この手の欠点があってもそれを補えるだけの能力があるから重職についてるんだろう
第一、ホントに口喧しいだけの人間なら実力社会の戦国で生き残れないと思う
仮に直江がこの癖で景勝に不利益をもたらしたとしてもそういう人間を重用した景勝の自己責任

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 23:02:47.46 ID:rFPoq8vv
こういうのは場で一番偉い奴の捉え方次第だからな
采配を振るう手で不必要な振る舞いを自重する行為は間違って無いし
この場を仕切ったのが秀吉だったら兼続は知恵が足らんな~って思いながらも
「その程度の事で武運が落ちる山城守でもあるまい、この場にいる全員がその様な者と儂は信じておるぞ、
とは言え儂も伊達も考えが浅はかだったな、三成お前なんか一発芸でもやって場を盛り上げろ」
ってな具合に誰1人として面目を潰す事なく丸く収めたと思う

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 23:07:35.89 ID:Dr4/rFK+
>>713
いや、受けが得られない三成の面目が…

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 23:22:16.62 ID:ey+6MQlO
普通に考えると商業を蔑視する、江戸武士道の影響で生まれた逸話じゃないかね?
まず、有名な天正大判の方の話が生まれて、そこに権現様を参加させて…
って経緯でできた話だと思う。

707 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/23(土) 01:06:53.58 ID:XP9Herdo
なら権現様は兼続に賛同するんじゃないか

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/23(土) 01:14:30.54 ID:FQR0oXNk
まあ江戸期も長くて、社会風潮として貨幣を蔑視する時期もあればありがたがる時期もあるので、
そのへんを調べていけばこの逸話の成立時期も見えてくるかもな。


709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/23(土) 05:29:07.93 ID:fIpRQ7GY
伊達が嫌いで屁理屈こねただけじゃねーの?

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/23(土) 09:15:57.41 ID:vZaB3BWG
政宗への嫌がらせにしては愚かなやり方だわ。
結局、権現様以下の諸大名みんなを侮辱してるし。

直江兼続の「戦のやりかた」

2010年08月11日 00:00

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 00:30:25 ID:vKf71HvF
流れは直江の悪い話か?
と思って色々書いてたら、その流れは終わってしまった。(^^;
まぁ、あまり気にせず読んでくだされ。


関ヶ原の合戦に向け、東軍が続々と尾張・美濃に集結しつつある頃。
会津の上杉家では山形の最上攻めが決定された。

「もし三成が敗れた時、会津は攻め口が多すぎるので、守りづらい。最上を滅ぼし、
山形、東根に篭れば天下を相手にしても十分戦える」
と言うのがその理由である。

景勝は「上杉は敵に囲まれている」と言って大軍を動かすコトを渋っていたが、直江兼続の強硬な主張の前に、
やむなく陣触れを発するコトとなった。

山形遠征軍は直江兼続を総大将とした四万。戦目付けに杉原親憲がつき、コレとは別に庄内からも別
働隊が最上領を目指した。

直江の居城、米沢に集結した軍勢は北上。対する最上側は一つ一つは小さいながらも多くの城郭群の連携で
主城、山形城を守る構えであった。

ここで山形の地図を見ていただきたい。現在のモノで構わない。
米沢から山形まで、大勢の人馬が進軍出来る道など、限られているコトが判るだろう。と、言うか一つしかない。

米沢→南陽→上山→山形

という現在のJR奥羽本線沿いに北上するルートである。
勿論、事前の軍議ではこのルートを使い、上山城をまず攻略する手筈となっていた。

しかしココで、
「先祖伝来の領地を安堵してくれるなら、そちらに寝返ります!上杉軍の攻撃に合わせ、城の中から
最上軍を追い出して見せましょう!」
という手紙が届いた。

この手紙の主は畑谷城主、江口五兵衛の配下につけられた豪族。
畑谷城とは、現在の山辺町。山形城からみて、ほぼ真西に位置する山城であった。

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 00:31:19 ID:vKf71HvF
その日の内に、全軍に転進が告げられる。街道を外れ、山道を踏破して山形城の真西、
畑谷城を攻撃するというのだ。

戦目付けの杉原親憲、自分に何の相談もなく転進命令が出たコトに激怒。

「全軍転進って、おま…アホかいっ!?畑谷城なんか小さい城じゃねぇか!しかも内応があるんだろ?
一部隊だけ派遣しておきゃいいじゃん!四万の軍勢だぞ!小さい山城相手に、四万の軍勢が
どう攻め寄せるんだ!?そんなスペースねぇぞ?行軍だってどれだけの苦労があるか……千や二千の
軍勢を率いてるのと勘違いしてんじゃねぇか?」

が、日頃から杉原と仲の悪い直江(この本じゃそーゆーコトになってます)、

「アンタの言うコトが正しいってのは判るんだケドね、ホラ、小人は目の前のコトしか見えないって言うじゃん?
オレもそうなの。アンタみたいなお利口さんじゃないから、目の前のコトしか考えられないんだよねぇ」

と取り合おうともしない。

これ以上言っても無理だ。諦めた杉原は自分の陣屋に引き下がり、
「直江のヤツ、小姓から家老まで登り詰め、秀吉公の覚えも目出度いからと言って、主君を軽んじ、
家康公を侮り、上杉家の処置を自分の都合良い様に捻じ曲げている。
しかも、それが出来るだけの才能があるヤツだから始末に悪い。この度の天下の大乱、すべて
直江と治部三成、二人の為した所業。このオレ自身を含め、直江を抑える者が一人もおらぬとは上杉家も末だな」
と、涙ながらに周囲に漏らしたという。

畑谷城は結局、上杉の大軍と件の内応とによって、江口五兵衛以下、玉砕。
しかしこの山道の行軍によって、三~四日のロスが出てしまい、長谷堂城の防備はその間に
完璧に整えられてしまった。
また、最上義光本人の援軍も、伊達政宗からの援軍も長谷堂城周辺には既に集結していた。
結果から言うと、致命的なロスと言っても良いかも知れない。

また、上山城をスルーしたコトも大きな失策であった。その後、本隊が長谷堂城を包囲している間に、
上山城にも攻撃を仕掛けるのだが、遂に陥落するコトはなかった。

米沢→南陽→上山→(長谷堂城)→山形

先程の位置関係に当てはめると上記の様になる。
撤退戦をしなければならない状況で、まさか来る時同様、山中の間道を踏破するというワケにはいかない。
つまり、長谷堂城からの撤退をする際には、嫌でも大きな街道を使わなければいけないワケで、
それには敵の手にある上山城下を突破しなくてはならないハメになったのだ。


なんて言うか……戦のやりかた見ても、三成と同じ臭いがしてくるんだが、コイツ。




395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 01:06:46 ID:b49sT5xC
>>393
『会津陣物語』(『東国太平記』)の話だっけこれ?
関ヶ原合戦時の兼続の動向については、いろいろ言われることがあるにせよ、
蒲生を三成と兼続がぐるになって毒殺したとか、両者で天下を山分けしようとか、
奸物として、かなり悪意のある描き方をされてるんだよね。

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 01:36:33 ID:Z0rCRL5A
>>395
その類の話は川角太閤記で既に載ってたな
結構早い段階で噂にはなってたようだ

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 01:40:51 ID:JtDnxsV7
関が原で西軍が負けたからってすぐに東軍が会津に殺到する訳じゃないし
最上如きに追撃うけて逃げ帰るようじゃ兼続の采配も推して知れる

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 02:18:55 ID:Pbe0ER0G
天下の三陪臣、直江は大気と勇気はあるが知恵に欠ける・・・か

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 07:18:29 ID:+YqEazOE
直江「きいたふうな口をきくなー」

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 09:27:00 ID:bePCVUV4
まさにそれが知恵に欠け、だな
知者は賢しらな連中もうまく使うだろ

401 名前:393-394[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 13:33:00 ID:vKf71HvF
>>396
出典は395の言う通り「会津陣物語」。
幕府に対して「上杉悪くないヨ!悪いの全部直江ヨ!」ってコトを主張する書物
だから、工場長暗殺ってのも「会津陣物語」オリジナルの創作かと思ってました。

「川角太閤記」で出てるんですか。
考えてみたら「太閤記」って昔、子供向けのを読んで以来だよなぁ、太閤記にも
色々あるってコトも知らず。
なんか、改めて各「太閤記」を読み比べしてみたい気がする。

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 13:53:25 ID:Or3+ctT2
太閤記比較表

・甫庵太閤記:豊臣秀次などに仕えた小瀬甫庵の作。事実よりエンタメ性を重視する傾向を持つ。
         晩年に仕えた前田家ヨイショが目立つ。

・川角太閤記:江戸初期、川角三郎右衛門が、当時未だ生きていた秀吉の周辺にあった
         武士などから取材した豊臣時代に関する証言集。
         史料性は甫庵太閤記より評価されてたりする。

・絵本太閤記:江戸中期、川角太閤記を元に文・武内確斎、絵・岡田玉山で出版された
         エンタメビジュアル小説。
         現在の世間的な秀吉のイメージはほぼこの本が源流。

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 14:01:15 ID:YV+UU1pT
誰か本当は怖い太閤記~ラスボス編~刊行してくれ


405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 15:58:39 ID:Yhjqj+Au
>>403
つ「妖説太閤記」

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 21:10:20 ID:vZ2QzMCe
>>405
 同意! 
 石川 賢先生、健在なら、最高にスプラッターな妖説太閤記を描いてくれたはず。

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 21:44:49 ID:Jf9Lzccp
だれか妖説太閤記を下敷きにして
「やる夫太閤記」を書いてくれないかな~

井伊掃部頭の屋敷前に、ずいぶんと立派な井戸があった。

2010年02月14日 00:10

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/13(土) 12:40:26 ID:2XklYDQo
井伊掃部頭の屋敷前に、ずいぶんと立派な井戸があった。
井伊家の人間が汲むわけでもないのに立派な瓶縄を備えてあった。
そのあたりはかつて鱗屋敷と呼ばれて、直江山城が住んでいた時に
使われた井戸であった。
井伊家では「直江は天下の英雄である」として、直江が使った井戸を
自分たちでは使わなくても代々大切に保存していたという。




上杉家が伏見城の普請を担当した時の話

2010年02月13日 00:05

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 19:32:44 ID:LtqFEjH0
上杉家が伏見城の普請を担当した時の話だ。
この時期、伏見城普請に関わって課役負担の不十分などで改易された
武将も多く、作業は難航していたと思われる。

そんな中、豪勇で知られた水原親憲(常陸守)は、普請奉行の直江兼続
と口論になった。キレた直江は水原の頭を思い切りぶんなぐった。水
原は怒ったが、普請奉行と喧嘩して家中を乱してはいけないーと我慢し
て帰った。

しかし思い出すとやっぱり怒りがこみ上げる。「明日直江をぶっ殺して、
自分も死ぬ!」
その前に本庄繁長に別れを告げると、本庄に諭されて、一緒に直江の
もとを訪問することに。迎えに出た直江は水原に言った。

「あなたから訪問させてしまい、私はまたあなたに対して失礼を重ねた。
 重任は威がなければ成し遂げられません。成し遂げられねば、国の利に
 ならない。あなたは天下に聞こえた豪傑です。あなたさえ怒りを抑えて
 くれれば、命令に背く者は出ないでしょう。あなたに失礼をしたのはそ
 のためです。幸いにあなたはあの場で私を許しました。どうか、私の頭
 を存分に蹴って怒りを鎮めてください」

その言葉に水原も怒りが解け、大いに喜んで宿舎に帰った。




856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 19:38:15 ID:Ni+6Nwjx
兼続は水原さんとは結構仲が良いのに、同じ様な気の良く回る豪傑系の安田能元とは仲が悪いよね
やっぱ兄貴が死んじゃった事へのスケープゴートつう事なんかな

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 23:27:48 ID:iqOSZOUT
>>856
水原と直江もだけど、安田と直江も本当に仲が悪かったか分かんないんだよね。
ソースが直江だけを徳川への反逆者にしようとした「会津陣物語」だし。

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/13(土) 00:06:24 ID:+KiVpyx0
>>860
兼継は上杉鷹山が来るまで奸臣扱いされてたらしい

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/13(土) 02:03:20 ID:7MBEdoOk
それもよくわかんないんだよな
時代というか、世代を重ねるにつれてそうなったんだろうか
まぁ跡継ぎが居なかったから当然と言えば当然だろうけど

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/13(土) 02:24:20 ID:H9g4Kupn
>>860
直江自身は、米沢の町割をする際に奉行の平林正恒に当てて「安田と黒金をそっちに送るから、
町割について相談してくれ」というなど、結構安田上総介を重用してるんだよね。
亀岡文殊堂での兼続主催の歌会にも、前田慶次や千坂伊豆なんかと一緒に参加してるし、
正直あまり不仲という印象は受けなかったりする。

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/13(土) 08:40:26 ID:2XklYDQo
綱憲の時代に編纂された景勝公御年譜は長谷堂合戦の内容などに軍記物の影響は見られるけど、
三成との密約なんてスルーだし、特に奸臣扱いはされてないんだよね。直江。

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/13(土) 11:55:22 ID:3GEYLVhe
米沢領に押し込まれて貧乏したから家士たちに恨まれた、てことかもねえ。
主筋(殿様の先祖)の悪口は言いたくないし、君側の奸がいたからだ!ってことになりやすい

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/13(土) 13:40:32 ID:AFBdymou
>>865
後継者が居ないのは、つらいね。松平忠吉とかみたく
後継者なしでも、色々と評判になる松平忠輝みたいなのもいるけど

直江兼続書状(慶長6年7月1日)

2009年10月05日 00:07

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 18:45:42 ID:rs++F5L+
実況にあった悪い話

> 610 名前:衛星放送名無しさん[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 18:37:43.74 ID:0NRk4iPs
> 兼続書状(慶長6年7月1日)
> 「車丹波組のやつらは前線を二度も引き払い、文句ばかり言ってくる。
>  こんなやつら役に立たないのでどこへでも追放してしまえ。車組に
>  限らず扶持方の連中はみんな召し放ちなさい」





異聞・兼続最期

2009年09月01日 00:06

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 10:26:11 ID:I3KpdjS3
異聞・兼続最期

かつて仙北の地を転戦した隠居や浪人たちが集まって世間話をした時、ある浪人が
疑問を漏らした。
「上杉家の直江山城は天下に知られた名臣だったのに、なぜ子孫も祭祀も絶えたのか?」
その問いに、かつて直江に仕えたという新田十助と名乗る浪人が答えた。
「・・・これは拙者の見た“夢”として聞いてほしいのだが・・・・・・」

上杉景勝は謙信に倣ったか、あまり女性に興味を示さず、長く世継ぎが生まれなかった。
これを嘆いた直江兼続は、京美人を男装させ、小姓として景勝に仕えさせた。
景勝も彼(?)を気に入ったが、関係を結ぶようになると、当然女性である事は露見した。

ひとまず彼女は景勝に暇を出され、兼続の庇護を受けたが、この時すでに景勝の子を
身ごもっており、男児を出産したので、景勝も彼女を側室に迎えた。

しかし、これを聞いた景勝の正室、菊姫は激怒した。
「実子がいなければ、諸大名から養子を取れば良い。であるのに、氏素性も分からぬ女が
生んだ子を、直江の謀で御家を継がせるとは!
その女、直江が討て!でなければ、直江こそがお家の敵ぞ!」
この事態に家中も動揺し、兼続に因果を含められた側室はあくまでも“景勝の小姓”として
腹を切って死んだ。

時が過ぎ、側室の忘れ形見は上杉定勝と名乗り、従四位下侍従に任官した。
正式に上杉家の世子となった定勝は、自分の実母がいない理由を旧臣に問い正した。
「・・・母上様は、直江が失い奉る。」
真実を知って激怒した定勝は、兼続を呼び出し「お前のせいで・・・!」と斬りつけた。
兼続は景勝の子の刃を甘んじて受け、果てた。

「・・・が、定勝様は怒り収まらず、直江家は断絶となった。拙者の見た“夢”は悪夢に過ぎ、
今まで誰にも語らなんだ・・・」

奥羽永慶軍記より。時系列がおかしいし、元ネタでも「浪人の見た夢(妄想)」とされてる
ニッチな話ですが、奇説でも一説は一説として。





825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 12:51:56 ID:vXc5jGBP
こわっそんな夢絶対見たくない

826 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/31(月) 13:31:59 ID:JY+DN8+N
やることはやったんだ

てか、やっぱり景勝しゃべってない。

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 13:44:09 ID:TLlOVE7C
へぇ~・・・如何にも“異聞”って感じだな、微妙に怪談チックなのがよりそれっぽい

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 13:55:18 ID:ru9OIsQw
自分で命令しておいて責任取らず、女を自決させるとか格好悪過ぎだろ。
本当にこんなだったらお家断絶されても文句言えんな。

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 14:04:14 ID:HK4aalzW
事の真贋はともかく、蒲生氏郷の死は兼続による暗殺、って言う風説が流れたり、
どうも直江兼続は生きていた当時から死後もしばらくの間、世間には陰謀家的な見方を
されていたっぽい。

>>824の話も、「兼続ならやりかねない」ってイメージがあったからこそ生まれた逸話なんでしょうね。


830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 15:19:54 ID:+OQlyM5L
宇喜多直家
「直江山城殿我らが世界によう参られた。ささこちらへどうぞどうぞ」


突撃!安田の朝御飯・悪い話

2009年02月21日 00:03

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 09:23:35 ID:X2Ekou6/
どこかで見た気もするがまとめサイトを探しても
無かったので↓

突撃!安田の朝御飯

大坂の役が終わったある日
直江兼続さんが安田順易さんのお家に行きました
ちょうど朝食時だったので「食事中で・・・」と
すぐに出て行かなかった順易さん

兼続「今朝のおかずはなんですか?」
順易「え・・・蓼と塩」
兼続「メシは塩だけで十分だ!蓼まで必要ないだろう!」
順易「(・・・ほっといてくれよ)」

朝食時に押しかける、迷惑な兼続爺さん話




199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 11:38:32 ID:40krjqho
>>197
固茹で卵家臣の話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%B8%C7%E8%A7%A4%C7%CD%F1%B2%C8%BF%C3%A4%CE%CF%C3
直江と安田は相性が悪かったんでしょうか
順易は能元の会津時代からの名乗りで同一人物ですよね

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 11:58:59 ID:PfMJ6j7d

>>199
発掘乙
しかしこういう話を聞くとますます「直江兼続は義と愛の武将」なんてm9(^Д^) ・・・としか思えない・・・

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 12:58:02 ID:Ek+bP9Xs
上杉の義も胡散臭いけど、
直江の義は失笑物だよな。

優秀な官僚なのは認めるけど、人格者ではないよね。
それならそれで味がある人物なのに、なぜステレオタイプの聖人君子にしたてあげたがるのか!

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 13:01:42 ID:2qL4NgMO
直江に比べれば、まだ三成の方が人格者だろうに。
少なくとも主家に対する忠義と領民への善政を考えれば。
家臣にも慕われていたし。

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 14:34:54 ID:t3FiyS9y
>>197
安田さんは中堅官僚だけど、お家は越後毛利の名家だし、
同系列の北条高広は景虎支援しやがったし、
嫌いになる理由はいくつもありそうだな。

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 16:24:40 ID:i65EcDQm
>>197
何かもう...何コイツって感じ

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 16:52:05 ID:4PYz6iML
自分は>>197の話の
清正と福島バージョンを読んだことがある。

ある日の大坂城殿中にて・・・
清正「おい市松。今日は蓼と塩で飯を食ったがすこぶる美味かったゾ」
正則「蓼と塩だと!?てめぇ、そんな贅沢しやがって!」
みたいな感じ。

きっとこれもテンプレ物なんでしょうな。

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 16:59:02 ID:TsOx9xDc
>>205
20年くらい前に俺が見かけたのは蓼じゃなくて白菜バージョンだった

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 17:26:55 ID:0xNTlQB4
>206
白菜って日清日露戦争辺りで日本に来たんじゃなかったっけ?うろ覚えで済まんが。

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 17:29:54 ID:Ek+bP9Xs
>>207
普及したはそう。
日露戦争で出征していた兵隊さん達が、白菜ウメーってことで帰郷して作り出した。
でも、渡来自体は随分昔かららしい。
ただ栽培に失敗しまくってるだけで。

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 17:45:22 ID:GpgcbTRY
>>208
微妙に寒い時期、寒い場所の方が育つけど…霜ついたり凍らせちゃったら傷むんだよな。
冬野菜の栽培手法てかなり蓄積されないと難しかったかも。

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 17:53:27 ID:GpgcbTRY
>>201
正義ってより任侠・義侠の「義」だろうからね。
御家や君恩への義理であって、他人(同僚)や敵にはあんまし情が向かないタイプの人なんだろう

……関帝様とかね。義理に篤い、約束を違えないから“商売の神様”になってしまったが
兵や民を慈しむかわり同僚・格上の士大夫には『あいつ蝶ゴーマンでむかつく』といわれてたそうな


211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 18:29:07 ID:zjmpXIgf
それを引き抜こうってんだから曹操もかなりこらえ性あったってことかね?

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 18:36:01 ID:Nz7kz+Pf
蓼食う虫も好き好きって言うぐらいだから蓼ってまずいもんだと思ってたが、高級品だったりしたのか?

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 18:41:33 ID:/KNp9/XR
直江が民に悪政を強いたという話は聞かないが同僚からは嫌われまくってるからな。
上条にも「こいつが景勝様のそばにいるせいで…」とか超恨まれてるし。
しかし安田・直江双方と仲の良かったらしい前田慶次は凄いな。

214 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/20(金) 18:47:45 ID:rTasqZra
>>212
刺身のツマに乗ってることあるけどな。
食べるもんじゃないと思うよ

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 19:06:23 ID:cCkZfDo6
蓼ですら余計な贅沢扱いされるのかよ
本当に米だけで栄養まかなってたんだな

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 19:08:37 ID:s7NaiLEP
石田三成と武断派の池田輝政、細川忠興と普通に友人関係を築いていた森忠政も凄いかもしれん。

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 20:09:36 ID:/KNp9/XR
ちょっとぐぐってみたが江戸時代ぐらいまでは蓼は唐辛子と並んで
高級香辛料だったという話が出てきた。

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 20:59:27 ID:K+VEmzvB
>>216
かもしれんじゃなくって、森忠政はノーロープバンジーで生きている時点で凄い人物なのです。

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 02:46:39 ID:KvsHQxTk
>>217
清正や直江の「蓼なんて贅沢な!」は当時としては普通なのか。

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 03:07:03 ID:GFmkOuMf
香辛料としてはどんな味だったのかな?今ではまったく食べんね。

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 03:48:37 ID:NPqfZs2v
毒消しを食べる必要がない程衛生的に高水準なんですよ現代は

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 08:06:12 ID:9B1ZYY/z
蓼は酢の物で食う事も無くも無い。

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 11:44:46 ID:qkNvPHeC
>>225
こう、ちょっとビリッと舌に来る感じがして、苦くて辛い。
料亭で鮎とか食べるとたまに蓼を酢で溶いた調味料が出てくる。

直江兼続と本多家

2009年02月03日 00:07

94 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/02(月) 19:09:47 ID:KUbNwuiJ
いい話スレに本多政重の話がありましたが、それだけじゃいい話にならなそうなんで、直江兼続と
本多家のかかわりについて。

直江兼続の友人といえば当然、石田三成ですが、実は本多正信とも仲が良かったのでした。
天地人での義と愛の人と陰謀家ではちょっと意外かもしれませんが、どっちも能吏タイプの
ひとということです。
関が原後の処分についても、正信の口添えがあったと言われています。
本多政重は親兄弟に似ずに武辺者であったといいますが、残されている甲冑群も実戦仕様の
ものばかりです。
さて、直江兼続には実子がいましたが病弱でした。そこで本多政重を娘婿としてむかえ、後継ぎと
します。幕府の実力者との関係強化でお家の安泰を図ったのでしょうし、婿入りが成ったのも以前
からの正信との関係あればこそです。
なお、上杉家自体の跡取に据えるつもりだったという説もありますが、婿入りは景勝の子の定勝が
生まれた後です。
しかし、兼続の娘は子ができる前に病死してしまい、関係の維持を願う兼続は姪を養女にして
再び嫁がせます。兼続と政重の仲は良かったのですが、兼続実子の景明が無事成長したので、
政重は直江家を離れて、前田家に再仕官しました。
景明は戸田氏鉄の娘を娶りますが、外様大名の家臣が譜代大名の娘を娶ることが出来たのも、
政重と本多家の力です。

95 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/02(月) 19:11:55 ID:KUbNwuiJ
政重は前田家でも親兄弟とのつながりを生かして、幕府から取り上げられそうになった越中を交渉で
守り抜き、二万石を加増されました。この時更に五万石と言われたところを固辞して、替わりに名物
「村雨の壷」を拝領し、以後は「五万石の壷」と呼ばれ今に伝わっています。

兼続と政重の仲は関係は続き、政重は大名並五万石で500人以上の家臣を抱えましたが、大半が
上杉家から連れてきた者でした。関が原後の上杉家の再雇用対策にも協力しているわけです。
大久保事件で景勝の義弟、武田信清がとばっちりを受けそうに成った時も、政重の協力で事なきを
得ています。逆に宇都宮釣天井事件では、幕府から政重は関係無しと影響はありませんでした。

その後。
直江家では、景明が早死にしてしまい、以後養子縁組を断ったので、断絶してしまいました。
政重も長男と妻が亡くなり、三番目の妻の子の政長が跡を継ぎました。
兼続姪との子は、長男早世、次男は正純、政重の末弟(大名)に養子入りするが早世、三男は
他家に養子入りするが出戻って弟の家臣となり、樋口姓を名乗ります。
子孫は前田家直臣となった後、青地家に養子入りして幕末まで続きました。
兼続の親友、前田慶次郎の逸話を語るときによく引用される「可観小説」の作者が青地礼幹で、
礼幹は室鳩巣の高弟、加賀騒動での反大槻派ブレーンでも知られます。




97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/02(月) 19:23:06 ID:jHcr0HH1
そういえば兼続と正信はそれぞれ越後、駿河にいたときから、外交担当者として交流しているね。

直江兼続と大国実頼、樋口家の戦争・悪い話

2009年01月22日 00:06

615 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/21(水) 17:38:39 ID:FPO8fAcL
樋口家の戦争


上杉家家臣、大国実頼。
あの直江兼続の弟、樋口与七さんである。

この大国実頼、御館の乱や新発田の乱でも活躍し、また文化人としても兄に負けない、
ひとかどの武将であった。

だが、関ヶ原終戦後の方針をめぐり、兄と対立。
上杉家の米沢転封後、羽前高畑城7000石の城代を命ぜられたが、これを無視し
京に滞在し続けた。

兄との仲が徹底的に壊れたのは、慶長9年(1604)、直江兼続が家康側近本多正信の
息子、本多政重を養子に迎えようとした事による。
実頼はこれに激しく反発。京まで政重を迎えに来た上杉家の使者を殺害してしまった。

兼続は当然これに激怒、実頼を捕らえようとしたが、実頼はいち早く高野山に逃げ込み、
上杉家を出奔した。
兄弟の仲は完全に断絶した。

実頼には娘がいたが、彼の出奔後、兼続はこの娘を引き取り、養女にし、
これは意趣返しといわれても仕方が無いであろう、実頼が関係を結ぶことを
あれほど嫌いぬいた、本多政重の嫁にしたのだ。

閻魔状の件もそうだが、兼続という人は、こう言うえぐい事をする。

その後も兼続との関係は断絶したまま、元和5年(1619)に兼続が没すると、ようやく
米沢へと入り、そこで没した。




616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 17:48:08 ID:x8/EYQe8
弟が勝ったのかw

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 17:54:15 ID:45errqCp
>>615
大河ドラマではどうするんだろうな?w

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 18:06:40 ID:vaTUpHyq
乱心した弟の娘を育てて一人前になって嫁入りするまで面倒を見る愛の武将直江兼続

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 18:06:44 ID:cHNLUfNp
大局が見えない愚弟の娘を哀れんで養子と娶わせる美談になります

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 18:07:17 ID:VlcU3XEl
そんな都合の悪い情報は流さないお!
愛の武将だお(^ω^)

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 18:16:51 ID:GmL3m7fQ
兼続の温情(笑)か、普通にカットか

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 18:40:08 ID:b10zTE3s
ワシは正信の娘など貰いとうは無かった上杉が残るためには以下略(泣)

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 19:39:36 ID:rQDpZjV5
もうラヴ・ウォリアー☆KANEとかのタイトルで月9でやれっつーの
もちろん景勝役は織田裕二な

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 20:00:37 ID:Hz/VA0ea
 兄 .も     /       奴 る 婚 敵 の 同 し 結 思
 と は    /´        は よ .姻 の を 胞 か.構 慮
 し や   li  i /´      、 : う さ 息 見 が し だ 深
 て    ヾ:ー'´      iメト,__-な せ 子 て 殺   : い
 認     、`_フ '、.!  |) ,:':;イテ7トi´゙i.  と   さ 目   こ
 め     `ー':、_i\ .l.イ ´  ̄J | | 、ノ   れ の.  と
 ん       、_ノi`ソ''`   ,.-‐`┴'‐‐`‐、   て 前   は
  !!         `"ハヽ´ __ li r―:: ―-- |   い で
            i゙ヾィiヽ`  》_ > ;; _,,.. -lァ‐ る
          lY^i!)ノiヽ;-;ll (i_);/,r''" ̄

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 20:15:38 ID:541d2uzW
でも政重は出奔して以来、徳川家のためになるようなことは何一つしていないからなあ
関ヶ原でも宇喜多勢として奮闘して死にかけているし
前田家の所領減らすチャンスも全力で潰しているし。
徳川家というより本多家ピンポイントに絞った交誼に見える。

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 20:32:39 ID:ii3M+B/S
一応フォローしておくと本多政重に嫁がせていた兼続娘がその前に病死し
(というか半年で兼続の娘二人は立て続けに病死)
弟の娘を養女にして嫁にする以外選択肢はなかったんですよ。

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 20:37:20 ID:RRvIJMYE
そうか・・・兼続は
官僚制国家の到来→殿様より側近・重臣のほうが偉くなる、を見通していたんだよ!

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 20:41:55 ID:grpVQDci
自分が上杉家でそうであったように、とか思ってしまうのはうがちすぎか。

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 21:34:15 ID:PxOoOb+x
>>630
それフォローかなあ……
余計よくない話のような気がするんだが

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 22:44:14 ID:ii3M+B/S
>>635
ん?なんで?
1604年実頼が政重の婿養子に反発して出奔、
でもそのまま政重は兼続の娘と結婚して直江勝吉になる。
翌年政重の妻になった兼続の娘死去。
1609年実頼の娘を政重に嫁がせる。だべ?
ちなみに政重はその後兼続の実子が成人して結婚すると
直江家後継として上杉から貰っていた知行をそっくり実子に譲り渡してしまった。

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 22:47:20 ID:PxOoOb+x
>>647
だって弟の了承得てないだろう。
自分の養女だからって、弟の意志ガン無視にもほどがある。
別に姪以外の誰かを養女にして嫁がせるなら、そこまであくどくはねーよ。
そりゃ弟だって切れよな。

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 23:45:51 ID:fj6MvW8X
それ言い出したら娘自身の意思は?とかになるし
別にあの時代そこまで父の意思は大事なことかな

血筋よりお家大事の時代だし

手癖の悪い直江兼続さん・悪い話

2009年01月11日 00:01

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 22:27:28 ID:yFB8OBXr
今期の大河の主人公、直江兼続さん。
この人、どうも手癖が悪い。

最上相手に庄内で一揆扇動して、最上義光を完全に敵に回したのも有名だが、
蒲生家改易の折の、例の越前→越後→会津→下野という玉突き転封で、越前から越後に入ってきた
堀家にも、もちろん嫌がらせを残していっている。
越後を出る前に、その年の年貢を持ち逃げして行ってしまったわけだ。

これは、年貢のうち半分は残していくと言う転封の通例に反し、後の細川と黒田がこれで、
江戸期を通じて憎しみあうようになったことからもわかるように、大名同士の仁義としては最悪に近い。
これに、直江と並んで天下三家老の一人とされた、堀直政は怒ったの何の。上杉家に対し
猛烈な講義をした。

が、兼続は直政に

「蒲生も会津で1年分の年貢を取っていったから、うちもやったのだ。
だいたい直政さん、あんたが越前で年貢徴収してこなかったのが悪いんだろ~。」

これは直江兼続と石田三成の、堀家を陥れる陰謀であったとも言われる。
しかたがなく、新潟の代官河村彦右衛門から二千俵の米を借りると、その借米証を
兼続がひそかに手に入れ、盛んに借米返済の催促をし、あまつさえ越後で上杉旧臣を使い
反堀家の一揆を扇動する始末。堀直政、まさに煮え湯を飲まされ続けた状態であった。


さて、関が原である。

三成挙兵の報に、越後の堀家は動揺した。

堀家の主君、堀秀治は家臣たちの前で
「わが家は豊太閤のご恩浅からず。三成と上杉景勝は豊臣家のために挙兵したのだと言う。
わが堀家としてはこれを討つわけにはいかないのではないか?」
この人、西軍に通じていたとの噂もある。

この言葉に猛然と反対したのは、もちろん直政である。
「わが家は信長公によって引き立てられたのです!太閤のみに恩を受けたわけではない!
だいたい先君秀政公は、豊臣の世での信長公の御子孫の衰退を、いつも嘆いておられましたぞ!」

主君の言うこと完全否定

秀治「で、でもやっぱり大名に引き立てられたのは故太閤のおかげ…」
直政「いいですか?間違えちゃいけない。あいつら秀頼公の為とか言っていますが、だいたい家康殿に
三成や景勝が従わないのは、秀頼公の命令ですか?違うでしょ!
勝手に反乱してるんだよ奴らは!これを撃つ事が豊臣家の謀反となることなど、ありえましょうか!」

こうして堀家は、兼続の嫌がらせに我慢も限界に達した直政の強力な指導力により、
躊躇なく東軍についたのだった。


直江と言えば伊達政宗とも非常に仲が悪かったらしいが、なんとなく、
手癖の悪いもの同士の同属嫌悪だったんじゃないかなあ?と、感じることがある。




184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 22:55:13 ID:k8EwxByG
昔の人の事を悪く言うのはあれだけど
義(笑)愛(失笑)

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 23:00:10 ID:Q4ERSAPc
逆に、直江と仲の良かった大名・武将って誰?
政宗には(このスレ的に)盟友・忠興がいるけど

なんか、誰に対しても喧嘩売ってる印象しかないなあ直江・・・
東北新幹線に乗ると見れる雑誌は毎号東北の何かを特集してて
一月が直江兼続だったんだけど、すごく「人格者です!」って具合に描かれてたのになー

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 23:04:10 ID:+floj3mX
何で兼続はこんなに嫌がらせしちゃってるわけ?

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 23:04:43 ID:crJ8zIGh
三成がいるじゃん。

景勝の方は政宗とか堀とかともさして仲悪くはなかったみたいだけど
直江は後年弟とも仲違いしちゃってるな。

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 23:05:26 ID:JqDrBnk/
大河ではその辺のエピソードは軒並みスルーされるんだろうなあ
堀や最上の方が悪いと改変するのもいい加減限度があるし

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 23:20:33 ID:yFB8OBXr
>>186
越後は父祖の地だから奪還を狙ってたとか何とかって話もあるんだけど、
まあ結局は、豊臣政権の後ろ盾で、影響力と領土の拡張を狙っていたのね。
ただ、兼続のやり方は非常にわかりやすく生臭いだけの話でw

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 23:23:00 ID:XXsvZVJu
堀家との年貢騒動って前出てなかったっけ?
兼続は坊主達とは結構仲良かったような。
ちなみに上杉家家中で景勝宛の意見は
全て兼続さんを通ることになってたので
兼続さんは上杉家家中でも結構ウザがられてます。
まあ「直江を離せ!」と言われて
「直江にはいっぱい仕事任せてるからダメだ!」と
答えた景勝も景勝だが。
三成と兼続の友達関係ってなんか空気読めない連合っぽい。

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 23:25:41 ID:Q4ERSAPc
ちょっと前に出た三成の干し柿の話でも、相手が直江なら
「お前の好物だろ、食え」
「お前に施される必要もないが食ってやろう」
「うむ」
で、なんにも揉めずに普通に話が進みそうだ

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 23:34:27 ID:yFB8OBXr
>>190
> 堀家との年貢騒動って前出てなかったっけ?

まとめサイト確認したら出てたね orz
関が原のやり取りは初出のようなので、そこで簡便を…。

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 00:30:44 ID:Zirx7zEq
軍法を破った>>192に道雪様が輿に担がれて向かいました

o...rz

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 00:52:10 ID:jIrIUG67
兼続に親しい関係者っていうとあと慶次と本多正信くらいかな。有名どころは。
友達いない代表者みたいに言われる三成のほうがよっぽど友達多い件。

なんか上杉家第一すぎて、あとはあんまり興味なさそうなんだよな兼続。

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 01:16:58 ID:vaWDPLd1
なんとなく直江が三成・正信と仲が良いというのは
分からなくもない。
同じような立ち位置というか。
でも三成・正信と接近してるのも上杉家のためっぽいと思う。

196 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/11(日) 01:31:04 ID:IWI2pbB9
>>195
共通しているのは
「私心がなくて主家一番」
「人情よりも理屈が優先するクールな肌」
ってところかな?
だからわかる人にはわかるが、無関係な第三者からも
嫌な奴と思われやすい。

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 01:32:43 ID:oq5dtPNb
互いに敵になっても、尊敬できる敵と考えそう

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 01:38:12 ID:KLBLMY2w
>>196
関ヶ原での三成の立ち位置を正信が徳川家をまとめ上げるようなものと考えると
西軍の無茶っっぷりがわかるような…


199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 01:46:29 ID:vaWDPLd1
>>196
使ってくれる主人がいなきゃ周囲中敵だらけっぽい。
No.1に信頼されるNo.2にはなれても絶対No.1にはなれない。
武闘派とは特に折り合い悪い。内政向き。
主人に向く不満を全部引き受ける立ち位置。
こんなイメージ。

三成の不幸は主人が先に死んだことだと思う。

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 09:28:43 ID:bxCXrw++
>>199
三成はもし関ヶ原で勝っていても、本多正純みたいな人生送ってしまう気がする。

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 09:52:57 ID:+Sa1CB97
( ・3・)空気が読めないからねー

217 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/11(日) 11:43:52 ID:4DRGYFlV
>>208-209
同じ嫌われるにしても、空気が読めるくせに嫌われる人より
空気読めない人のほうがまだマシだったりする。
長生きしていても晩年はどっかにお預けになり、
人柄も変わり庭木を眺めながら毎日を送って
「石田殿も丸くなったもんだなぁ」
なんて預け先の大名が嘆息しそうだな。

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 12:00:46 ID:aHC4kQaN
いや、長生きしても大阪行くだろ



参照
直江兼続と転封と越後の年貢・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-192.html

直江兼続、最上義光、七夕出羽ラブソング合戦!・いい話

2008年11月20日 00:11

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 00:28:34 ID:vC5Fk8pu
七夕出羽ラブソング合戦!
来年大河でも激突予定の両者に七夕をテーマにしたラブソングがあったので、
対決させてみます。いい話かはビミョーですが。
力一杯意訳なので、ちゃんと知りたい方は自分で調べよう。


 
直江兼続

 「織女惜別(グッバイマイ織姫)」
            
  二星何恨隔年逢 彦星と織姫がまた会えるのは来年だけど、恨むなよ
  今夜連牀散鬱胸 今夜は同じベッドでとことん話そう
  情話未終先灑涙 二人だけの話が終わらないうちに朝が来て、涙が流れるよ
  合歡枕下五更鐘 楽しみ寝乱れたベッドで夜明けの鐘を聞くのさ

側室がいないことで有名な割に、ロマンチックかつエロチックな漢詩ですね~。
彼の織姫って誰でしょうか。
 
最上義光

 「七夕も逢ふ夜となれば偲ぶかな阿古耶の松の木がくれにして」
(星の出会う七夕の夜となれば、私も懐かしいあのひとを思い出します。
そして私は、あこやの松の陰に隠れています……)

余談ですが義光はこの数年前に正室を失っています。
懐かしい人とは誰のことでしょう。ちょっと悲しいですね(⊃ω・`。)




594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 00:46:29 ID:gKlt7FDT
彼の織姫が未亡人だった小説を読んだ事があるな

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 10:43:32 ID:kmZgRTKJ
>>594
われ、謙信なりせば かな?

直江兼続と十三夜餅・悪い話

2008年10月17日 11:46

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/16(木) 23:36:14 ID:PatRZtOG
十三夜の餅は、早く喰え!

山形近辺ではこんな言い伝えが未だに残る。
時遡ること四百年余り前、慶長五年。関ヶ原の戦いがあったころ、
出羽の地でも最上と上杉が争っていた。
怒濤の勢いで進軍した直江兼続率いる上杉勢は畑谷城を陥落させ、
守将江口五兵衛以下三百名を撫で斬りに、さらに逃げる住民を
襲って乱取りを行った。
そしてさらに長谷堂城へと進軍開始! 
その途中で十三夜餅を食べようとしている
民家を襲い、餅を皆食っていってしまった。
住民たちはそれ以来、平成の今に至るまで餅をさっさとついて、
夜が来る前に食べるようになったという。

…でですね、現在ですが。
「愛」を掲げた直江も山形では嫌われていて意外!とか言う人がいるのは(本当)
ちょっと地元の人は気分悪いんじゃないか、という話。
米沢だけが山形じゃないよ。



直江兼続と転封と越後の年貢・悪い話

2008年10月16日 12:32

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 01:37:39 ID:2d68chWV
では直江のちょいわる話。

上杉が会津に移封された時、越後の年貢を丸一年分持っていってしまった。
そのため上杉のあと越後に入った堀は困り
「移封の際にはあとから来る大名のために年貢を半分残しておく決まりのはず。
持っていった年貢半分返せ!」と抗議したのだが
直江は「蒲生が会津から年貢を一年分持っていったから上杉も持参したまで。
そちらも旧領から年貢を持ってくれば良かっただろう。
これはそちらの落ち度だからうちに文句を言うな」と突っぱねた。
しかも直江は石田三成と謀議し上杉はお咎めなし。

当然ながら堀は移封で大変なときに本来あるはずだった収入を
ごっそり半年分持ち去られてしまってたいそう困った。
仕方なく新潟の代官から借金して当面の費用に充てたのだが。

新潟は元々上杉領であり代官は上杉家家老の直江とは旧知の間柄。
直江はこの代官から堀の借金の証文を手に入れ、
堀は借金させられた元凶の直江からちくちく借金返済の督促をされた。




398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 02:27:34 ID:GgWPMhso
なんかこういうの見ると、関ヶ原で裏切った諸候の気持ちが分からないわけでもなく感じるな。
直江も嫌なヤツだが、石田も嫌なヤツすぐるw

なんか狡猾さを感じさせる憎らしさ。
どこか愛せる憎らしさじゃないとこが、この石田-直江コンビの逸話のミソだな。

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 03:26:05 ID:CRYm4P6l
良くも悪くも官僚てかんじ。
狡猾な政治家じゃなくて賢しらな官僚というか。
仕事超できるんだろうがこれだけ読むと
ちょっとこわいよなーw

直江の書いた本とかは何か…ズレてる感じは
したが嫌な奴とは感じないんだがねぇ。

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 08:10:42 ID:2rV+hiuN
まぁ、直江アンチというわけではないが、
有名な逸話からして、スッキリしないものが心に残るようなものが多いし

逸話で本人の性格を語るのは野暮というのも分かるんだけどね

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 08:16:02 ID:BiX96uP0
蒲生が年貢全部持ってったってのはマジ?

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 08:54:04 ID:2d68chWV
そんなやり手官僚直江さんが後世の民のために残したお言葉。

「働かんと井戸端会議ばっかりに精を出す女は
手入れが悪いからあそこも臭いぞ!」

「女房は下着をチラチラさせながら野良仕事しろ。旦那のやる気が出る」



403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/27(土) 09:03:47 ID:9jXWbxSE
直江ぐらい抜けぬけと国益を追求しつつ、
教養深くて冗談も飛ばせる政治家が現代にはいないな。

直江兼続と閻魔大王への手紙・悪い話

2008年10月16日 12:31

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 18:22:42 ID:XqZmN/D5
直江兼続の家臣が領民といざこざを起こし、その領民を斬り殺してしまうという事件が起こった。
調べると家臣の方に非があるようで、兼続は慰謝料を領民の家族に送ることにした。

しかしこの領民の家族は「金はいいから死んだ本人を還して欲しい」、と抗議。
兼続の説得にもどうしても応じないばかりか、一層騒ぎ立てる始末。

ムカついた兼続はこの領民達を斬殺、死体に手紙を持たせる。

「閻魔大王へ
 先ごろ死んでしまい、そちらに行った者だが、家族達を迎えにやるので、こちらの世界に戻して欲しい。

                                                         直江兼続」




383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:03:46 ID:V0pXhiFm
戦国のプロ市民w

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:09:15 ID:bP1pJXFJ
巧みにこの世から不満の種を消し去ったわけですね、わかります

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:14:30 ID:zoc16JUz
この話を聞くたびになんともいえない気分になる
不思議な種類の話だ
兼続も悪いが、ここまでの処置をされるとは遺族もそうとう食い下がったんだろうなぁ
両者共にもう少しやり方があったろうに

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:20:49 ID:mrnvUjWj
「愛」

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:21:46 ID:tfyYMlnq
>>385
まあ、学問的に捉えるなら、当時の上杉家中における、裁決に服せずあくまで我を通そうとする国人勢力の強力さと、
それを制御しようとする直江の武断主義を見るべきなのだろうな。

皮肉に考えれば、あえて直江がそこまで騒ぎを拡大させて、家中統御の見せしめとして処分した、とも
見れなくもない。

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 23:28:58 ID:zoc16JUz
>>387
なるほど 背景あっての遣り様・・・という訳か