秀安は忠家の気質をよく知っていたので

2013年01月30日 19:50

222 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/30(水) 07:46:43.69 ID:ro4mP+NL
ある時、宇喜多忠家は直家の家老・小野田四郎右衛門を討ち、これに直家は激怒した。
忠家は怖れて居城・富山城(とみやまじょう)に引き籠り、直家の呼び出しにも応じないため
もはや叛意は確実と見られた。
ここで岡家利・長船貞親らは日頃忠家と仲が悪く、これ幸いと直家に討ち果たすべしと讒言した。
戸川秀安は忠家の乳母の子だったのでこれを嘆き、某にお任せくだされと願い出て
富山城へと向かった。

富山城に着いた秀安だが、説得など一言もせず城攻めの用意を始め、
仕寄を設け井楼を用意し、これでもかと城攻めの気勢を見せつけたところ、
忠家はこの勢いに恐れをなし、起請文を出して降参してしまった。
これを秀安がうまく取り繕ったので和睦となったのである。

秀安は忠家の日頃臆病な気質をよく知っていたので、こんな方法を取ったそうだ。

(戸川記)


戸川秀安、無言の脅迫で乳兄弟を救ったいい話。





224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 08:58:32.27 ID:7XZCZzFN
・・・で直家に詫び入れるときは鎖帷子を着込んで登場ってわけですね

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 21:43:21.71 ID:4c/Ysv3g
戸川△

宇喜多直家と殉死

2012年11月19日 19:53

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 20:53:32.97 ID:RAK6Tl5l
宇喜多直家と殉死

宇喜多直家と殉死の話はまとめスレにもあったけどこのパターンは無かったので

宇喜多直家が危篤状態に陥った時、左右に居並ぶ家臣達に
「わしが死んだら、誰が殉死してくれるだろうか」
と言った。家臣達は内心慌てたがただ口を閉ざしたままであった。しかし、ある家臣が一人
直家の近くに膝を進め
「殿、よくお聞きください。ここに居る家臣は皆賢臣、忠臣です。
将来世継ぎの秀家様を支えていく者達です。
そのような家臣をあの世につれていって無駄にして良いものでしょうか。
どうせあの世に連れていくならば坊主を連れていくべきです。」
と言った。直家もそれ以降殉死を口に出さなかったそうな。
「閑際筆記」

確かに次世代の事考えると殉死はアレだからいい話っぽいんだが、ただこの家臣が花房某って
記録されてるんだよなぁ

花房氏は結構宇喜多騒動で出て行っちゃってるから場合によっては悪い話かもしれない




478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 22:46:35.24 ID:9Ngaa4lD
>>460
大体どのバージョンも宇喜多騒動で居なくなった家の人間が言ってなかったっけ

明石レジナの事

2012年09月28日 20:59

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 21:50:03.28 ID:NErhFr3o
明石掃部(全登)といえばキリシタン武将として、大阪の陣で活躍したこと、有名である。
その明石掃部にはレジナと言う娘があった。
彼女は大変聡明な女性であり、父からも子供の中で最も愛され、大阪城にも父とともに入城した。
城内では淀殿から大変可愛がられ、ゆくゆくは一廉の領主と結婚させよう、と言われるほどであった。

慶長20年(1615)5月7日、大阪城陥落。
幕府方の兵が乱入し、レジナを見つけると暴行を働こうとした。レジナはこれに、命がけで激しく抵抗した。
そうしているうちに幕府方の兵の中から

「お前は何者か」
と聞かれ

「私は明石掃部の娘である!私を大御所様(家康)のもとに連れていきなさい!」
そう答えた。

兵士たちは彼女の要求を聞きとどけ、家康の元へと届けた。

レジナの事を聞いた家康は彼女と対面した。
家康はレジナの気高い態度にすっかり感心し、それを大いに褒め称えた。
彼女のことは異教徒の間でも評判となり、彼らはキリシタンを賞賛した。
そして家康は彼女の身柄を、家康の側室の一人である”オカモ”という女性に預けた。
その側室や周りの人々も彼女の態度、振る舞いに感心し、丁重に扱った。

大阪の陣の戦後処理にめどが付き、家康が駿府に帰るという時に、家康は再びレジナと対面した。
家康は彼女に、その父で戦後行方不明となった明石掃部の行方について尋ねた。
彼女は「時分は屋敷の中に居たので解らない」と答えた。
また自分の兄弟は5人いるが、そのうち一人はキリスト教の修道士になった、ということも答えた。

彼女は家康の前でも落ち着き、誠実に答えたので、その姿は家康の側近たちも賞賛するほどであった。

質問を終えると家康はレジナに、
「そなたは今後も、キリスト教への信仰を持ち続け、父である明石掃部の霊魂のため祈りを捧げるように。」

と言って小袖一枚と銀子を与えた。その上でさらに

「そなたが自由に、どこにでも行く事を許可しよう。もし北政所の所に留まりたいと思うのなら、私がその斡旋をしよう。」

とまで言った。しかしレジナはこれに

「私は恵まれない環境に身を投じることこそ、キリシタンとして神への純潔を守ることが出来るのだと考えています。」
と答え、その申し出を断ったのだという。

キリシタンの記録に見える、明石掃部の娘、レジナについての逸話である。
(シュッテ「1614-15大阪の陣と日本の教会」)




651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 21:58:22.94 ID:pml4fx5k
Reginaだと女王という意味だが
さすがに大層な名前ではないだろうし

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 22:04:27.16 ID:vYIjAbG1
この頃って禁教令が出てるよなぁ

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 01:33:25.63 ID:m7NvOGZk
「連れていけ~」って言えば家康の所に連れてってくれるのねw

富田知信改易顛末

2012年05月10日 21:00

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 11:32:59.96 ID:vSBf0zO7
ある時、坂崎直盛は近くで召し使っていた小童を罪があったとして処断した。
その小童と知音のあった浮田左門は仇を討とうと決意し、童に手を下した者を
殺害して坂崎家を出奔した。

直盛の父・安心入道は左門が殺されるであろうことを哀れんで富田知信に文を送り、
左門を匿ってくれないかと頼んだ。知信の妻は直盛の姉であった。
知信の妻もこの事態を嘆き、結局知信は左門を匿った。直盛は知信を追及したが
知信は「今は逐電して家にはいない」と白を切った。

頭にきた直盛は直接安濃津城へと赴いて捜索したが、見つからなかったようで
今度は伏見にいた知信と一戦交えようとさえした。さすがにそれは不味いと
周囲に戒められた直盛は家康に訴えでたところ、家康は
「天下のことは将軍に譲った。江戸にて上裁を仰ぐことだ」
と答えた。そこで秀忠に訴えたところ「証拠がない」と突っぱねられたため
直盛の憤怒は相当なものであったという。

それから数年の歳月を経ても、直盛は執念深かった。
直盛は突如として、知信が左門と繋がっている証拠を幕府に提出したのである。
その頃、左門は知信と親しかった高橋元種のもとに潜伏先を移していた。
実は左門と一緒に逃げていた侍が裏切り、坂崎家に帰参するために、
知信の妻が左門に宛てた文を直盛に渡してしまったのである。

狂喜した直盛は証拠をつきつけ、知信と元種は言葉に詰まり、ついに改易された。
一方、左門も捕縛された。左門は土井利勝らの警固で輸送される途中、縄を解き、
警固の刀を奪って暴れまわったが、土井の家臣・藤左衛門に組み伏せられ、
最後には誅せられたという。




102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:07:39.25 ID:wrAZjjBi
知信=信高でその妻ってのは安濃津城戦でピンチの旦那を助けに出撃した例の人でいいんだよね?
なんか釈然としない巻き込まれ方して改易食らってたんだなあ、そして安定のマジキチ坂崎

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:40:01.00 ID:kiMsfJNv
こんな改易のされ方って有りかよ・・・
超がつくほど後味が悪い

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:54:02.15 ID:CBZogoyl
一族郎党皆殺しにされた某せっしょう関白よりマシ

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:59:44.84 ID:4ogxsfHj
殺生なことするよな

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 14:26:05.10 ID:w/K8TT8E
なぜ伯父のような用意周到さと父のような用心深さを身に付けなかったのか残念でならぬわ < 坂崎

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 16:01:03.31 ID:QxmBCIxX
犯罪人をかくまったんだろ?現代でも罪になるよ

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 16:45:23.01 ID:XaNNPDHV
左門も処刑人を殺害するんじゃなくて直接坂崎を仇討ちすればいいものを
坊主を殺すかわりに袈裟を切ったんじゃ、なんだかなぁ

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 17:55:48.79 ID:L+liZV1+
道雪を宿敵とする秋月種実の実子で、紹運に家督を奪われた高橋鑑種の養子である
高橋元種が、この改易後に棚倉の立花宗茂の預かりになって面倒見てもらったっていうのも
元種としては辛かっただろうな

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 20:49:44.40 ID:CC6EiYze
>>109
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4732.html

これのことかな?

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 22:14:25.93 ID:9AcK8kMs
秋月種実って立花・高橋コンビ相手に毎回負けてるのに何故か負けるたびに所領が増えてるイメージ。
1度大友に滅ぼされてから復興して島津侵攻前には30万石以上を領する北部九州1の大勢力だったし。

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 09:12:29.25 ID:C3wWIHI3
>>108
この左門て人は直盛の甥らしいよ。
て事は多分忠家の孫。
血縁だから余計に色々な事情があったんじゃないの?

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 11:54:34.55 ID:44V+1Lhw
>>106
伯父の執念深さを見習い父の臆病な保身を反面教師にしました!

って勢い

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 16:30:33.74 ID:Wog8g69N
泳ぎの達人はどうしてあんなんになったんだろうな~
一族の洋な部分を集めたような性格だよね

009のガンダールさんを思い出すわ~

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 16:33:07.62 ID:FpwYnF0T
秀吉「八郎はわしが育てた。」

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 17:32:22.75 ID:Wog8g69N
ラスボスさんの洋の部分までも…ってことですか?

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 21:26:20.00 ID:bOlIM1Vz
その後
>>118とその家族を見たものは居なかった。

120 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/11(金) 21:29:27.59 ID:ZeoJTVo/
>>119
え?川原に転がってたのを見かけましたよ?

鼻だけね・・・・・

その後のスケベエさん

2012年02月25日 21:52

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/25(土) 14:53:38.68 ID:Ro53h6Zl
その後のスケベエさん

関が原の戦いの際、佐竹家の動向を徳川家康に問われた花房助兵衛職之(職秀)は、「佐竹は動かない」という
見解を示したが、『見解について起請文を書け』との要求を断って「あやつは気が利かぬ」と
家康の不興を買ってしまい
大名への出世の機会を逃した。(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-214.html


十数年の歳月が過ぎた大阪冬の陣。
茶臼山に本陣を構えた大御所・家康は、輿に乗って配下を叱咤する老人の姿を眼に止めた。

「あの老武者を見よ!もはや足が萎え果て、馬にも乗れぬゆえ輿に乗っているのであろうに、あの姿勢、声の張りは
ヘタな若武者どもをしのぐわい。いったい何者だ?」
「ああ、あれは助兵衛殿ですな。」
「助兵衛?助兵衛・・・すけのひょうえ・・・花房助兵衛か!まだ健在であったか!!」

関が原の戦いの後、八千石を給され、備中高松に陣屋を構えた花房家は今回、池田忠継の寄騎として
参加を命じられたが、齢六十も半ばを過ぎんとする助兵衛は、嫡男に任せず自ら出陣して来たのだ。

「さすが助兵衛。日々武辺を心がけた者は、あの齢で出陣しても見事な武者ぶりよ。大剛の者と言うべし。」

将としては評価できなかったものの、老いてなお盛んな助兵衛に感心した家康は、池上本門寺の僧になっていた
助兵衛の次男を還俗させ、徳川四天王・榊原家の養子として榊原飛騨守職直と名乗らせ、将軍秀忠の直属に置いた。
(忠士清談・徳川実紀他)

助兵衛は大坂夏の陣後に世を去っていますが、その後、長崎奉行等を歴任した職直は知行二千五百石の
大身旗本に出世しています。これに本家の知行を合わせると一万五百石。
万石を目指した助兵衛の悲願は死後に達成された、というのは言い過ぎでしょうか。

・・・え?「島原の乱」?「抜け駆け」?な、何のことやら拙者にはさっぱり・・・・・・





71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/25(土) 15:38:01.32 ID:FU7Yeoyp
いい話かと思ったら、余計な最後の一行がw

花房助兵衛職之、友人への書状

2011年12月18日 22:01

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 15:53:40.71 ID:2PhTy4Yv
主君、宇喜多秀家の怒りをかって殺されそうになった花房助兵衛職之は、
家康の仲裁でお預けとなった佐竹義宣の領地から、友人に手紙を送った。

「このあいだ御状をいただきましたが、片便につきお知らせが遅くなってしまいました。
 拙者は思いがけずこちら(常陸)に罷り下り、遠国に住むことになりました。
 罷り退くことになった事の次第はきっとお聞き及びでしょう。
 これ以上生きても仕方のない身ではありますが、是非もありません。
 しかしながら、上様が御慈悲で少々堪忍料を仰せ付けられ、かたじけなき次第です。
 
 ああ、今一度お目にかかりたい!(哀々今一度懸御目度念願迄候)
 御事が親しい仲と思し召されてご連絡をくださったのは本当にありがたい。
 できたら、隆景様にお取り成しをお頼みしたいと思っております。
 
 道三(曲直瀬玄朔、秀次事件で連座して佐竹に預けられた)もこちらに逗留しています。
 拙者が居住しているのはいかにも人通りの絶えた山中ですので、
 折につけ道三と行き来して、寂しく語り合っています。どうかお察しください。
 せがれ(職則)も連れてきており、一緒にいます。ご承知おきを。
 それではまた。恐惶謹言
 
  広家様へ      花房助兵衛尉入道 道恵より」(吉川家文書)

秀吉に悪態をつき、秀家に果敢に諫言し、後には家康にも噛み付いた助兵衛さんだって
虚しかったり人恋しかったり友への懐かしさに胸震わせることもあるんだね。

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 16:24:06.14 ID:2PhTy4Yv
>>67の余談ですが。
助兵衛さんは黒田長政とも仲が良かったようで、
同文書を見る限りでも、長政から広家宛の自筆書状に
「花助兵と談合します。私のところでは人が多いから、夜に助兵のところに来てください」
てな感じで登場している。時期が不明なのが惜しい。
このメンツでいったい何の密談をしてたのか激しく気になる。
豊臣政権下で築かれた武将同士の横のつながりって面白そうだ。




69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 16:48:56.73 ID:23WqZsF8
>67
また「広家様」か
名前を書くのさして珍しくないのか
それとも広家だけの現象なのか、どっちだ

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 16:55:18.81 ID:PyQIR91i
>>69
珍しくないよ
口に出して呼ぶのは憚られるが
書状ならOKって感覚なのかな

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 18:52:12.47 ID:7NMiqQFQ
諱って文書や書類用の呼び名なん?

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 19:50:43.33 ID:xGSQNhVv
書状に諱を使うのは、現代でいう欧米でファーストネームを呼ぶような、親しみを込めた表現。
当然ある程度以上親しい人でないと、使うのははばかられるし、逆にある程度以上親しいのに
諱を使わないのは、ちょっと空々しいと取られる。

書状も出す人それぞれで、色々と空気を読んだ表現を使わないといけないのだ。


73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 20:16:03.81 ID:8efod3Ub
広家って吉川広家の事か
>>68は助兵衛がまだ上方にいる時期って事だろうから1595年以前かな?
文禄と慶長の間くらい?

雑談・「秀家は“イケメン”で毎日~」

2011年10月10日 22:02

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 01:04:09.69 ID:FEtpyh3C
【岡山】戦国の貴公子・宇喜多秀家フェス-秋のおかやま桃太郎まつり
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1318170215/
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2011100914061382/

>開会式には、関ケ原の戦いに敗れ、秀家が身を寄せた現在の鹿児島県垂水市から尾脇雅弥市長が招かれ、
>「秀家は2年3カ月を垂水で過ごした。“イケメン”で毎日100人ほどの女性が会いに来たと伝わる」と紹介した。

イケメン過ぎて吹いたw




27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 12:41:00.81 ID:e88ZHWgL
ハーレムというか種馬あつかいだったんじゃねw

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 12:45:08.58 ID:pAe/LEC5
名家の血が欲しいてきなノリだろうね

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:01:19.51 ID:SuUpNvQq
宇喜多はさほどの名門じゃないんだがなぁ

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:09:52.12 ID:rGjYpr2Y
どこから貴公子なんてイメージがついたんだろう
肖像画はすっきりしたイケメンて感じだけどさ
もしかして性格イケメンてことか

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:28:44.85 ID:TtMC7Kev
血筋というより
・備前岡山57万石の太守で
・秀吉の猶子にして養女婿で
・五大老の一人
っていう地位のブランドかねえ

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:31:02.82 ID:rGjYpr2Y
あと五大老で一番若い ってのもあるのかな

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:31:30.34 ID:pAe/LEC5
確かに名家っていうよりは有名人的な感じか

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:35:54.14 ID:ZPuOiCQZ
>>31
それに加え西軍の主力として戦ったという点。
ちょっと前以来、女(歴)オタというと西軍びいきと相場は決まっているしね

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:39:18.90 ID:1pidI2ut
悪久「秀家Jr大量生産の暁には徳川軍などあっという間だ」

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 18:31:42.78 ID:CyP1LWUJ
海から江戸を直撃できるな

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 18:44:17.81 ID:6hEMia+Q
>>29
自称だが百済王家の末裔

わしが離島に流されておる世に、蜂須賀の家はなぜ

2011年08月29日 22:43

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 19:56:56.85 ID:J74Cp+SV
ある時、八丈島に江戸への廻船が漂着した。さっそく宇喜多秀家がやって来て、船頭に本土の事を聞いた。

「ほほう、江戸へ荷を運ぶ舟か!して、どこからの荷を運ぶのだね?」
「はい、阿波からの荷を運んでおります。」
「阿波か……今、阿波のご領主は、どなたかな?」
「松平阿波守様でございますね。」

秀家は、小首をかしげた。
「……?聞いた事のない家だ。徳川殿のご親戚か?」
「おや、ご存じない。なァに、蜂須賀様のことですよ。公方様から、松平姓を下賜されておいでです。」

ますます秀家は、首をひねった。
「わしが離島に流されておる世に、蜂須賀の家はなぜ今も存続している……?」(想古録より)


一方その頃、蜂須賀家政は伊達政宗に『阿波の古狸』と呼ばれていた。




583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:13:16.48 ID:N3FqdAgo
>ある時、八丈島に江戸への廻船が漂着した。さっそく宇喜多秀家がやって来て

また酒をせびりに行ったのかと思ったよw

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:29:52.40 ID:G7S70noy
>>582
蜂須賀家と宇喜多家って何か確執あったっけ?

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:30:31.28 ID:q5Apfb6S
漂着した船に最初に近づくのは宇喜多秀家と決まっていたと想像させるなw

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:36:02.04 ID:EzRAhmuq
何も無くて暇なんだろうな…

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:36:37.99 ID:HzqxeYRg
>>584
「えっ、あのおっさん西軍やったやん?」くらいじゃねーかな?

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:55:35.78 ID:eG7S93P8
関ヶ原時は家政は高野山にひきこもり、息子の至鎮は東軍についたから
西軍じゃなくないか

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:56:32.12 ID:YhD5zXjH
>>582
そういや秀家が知ってるのは「湯漬け三杯食ったと思ったらいきなり領地返上して高野山に引きこもった」ところまでだったな。

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:58:32.01 ID:EzRAhmuq
>>589
西軍に攻められてあっさり城明け渡したから
事情詳しくない人には加担したと見られてもおかしくないかも

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:07:47.30 ID:CSlBG1Vt
しかも至鎮が率いていたのは、十数人程度の小勢じゃなかったっけ?

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:22:08.48 ID:e96XCm4/
阿波国内は毛利氏の家臣団が占拠された上、家政自身は逼塞を余儀なくされたみたいだし、
蜂須賀家政が西軍という認識は秀家にはなかったと思うけど、おそらくは蜂須賀といえば正勝以来の
豊臣家にゆかりの深い家だっただけに、「あれ、取り潰されてないんだ」という違和感を持ったって話かな

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:35:12.20 ID:YhD5zXjH
蜂須賀黒田浅野といえば、ちょっとでも胡散臭い大名には無理やり羽柴姓を名乗らせた秀吉から羽柴姓を押し付けられなかった譜代中の譜代だからな。
一方で揃って松平姓押し付けられてるけどw

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:46:34.91 ID:N6m879jK
秀家が流刑になったの1606年だから知ってるでしょうよ

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:48:24.16 ID:eG7S93P8
福島正則の改易前なら、同じく家康の養女をもらっている
蜂須賀が取り潰されと思うのは変な気も
改易後なら・・・酒をせびる相手がいなくなったから、新しい標的にしようと思ったんだろうか

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:50:28.97 ID:q5Apfb6S
秀家「あれ?酒は?」  って話じゃないの?

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 01:49:45.84 ID:oJQXviBU
羽柴姓受領と豊臣を名乗ることは
この時期どの位の価値があったのかよくわからん
豊臣朝臣清正って名乗ってなんで怒られたの?

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 02:20:33.82 ID:tHRXCUMQ
>>598
朝鮮役の頃は豊臣姓授与が武功への一種の褒美として与えられていたようで(だから陪臣でも
豊臣姓がやたら居る)勝手に豊臣姓を名乗るというのはその褒賞秩序も破壊する行為に成る。

関ヶ原、黒田長政と明石全登

2011年07月29日 23:01

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 13:48:21.08 ID:uTik07+G
関ヶ原についての記事

『内府様(家康)の軍勢を荒らせし者で、明石掃部(Acasicamon)と薩摩の如く甚だしい者は
無かった。

その中でも明石掃部は退却せずして敵中に突入し、自害するよりも敵の手にかかることを望み、
しだいに敵に追い詰められもはや逃れるすべのない事を知ると、甲斐守(黒田長政)の軍隊に
乱入して最後の血戦を試みんとした。

甲斐守は乱入してきたのが、その挙動、及び軍装によって掃部であることを知り、声高に下知を伝えた

「おまえたち、彼を助けよ!殺してはならない!私が彼を生け捕りにする!」

この叫びに黒田軍は皆動きを止め、甲斐守は自ら明石の方に進み近づくと、その頭に手をかけて
抱擁し、涙を流して語りかけた

「我が友よ!我ら互いに敵となってここに見参することの苦しさよ。
勝ち誇る我軍によって敗れたと言っても、あなたの名誉は隠れ無いものである。」

これに明石は
「あなたが真の友ならば、その刀で今すぐに私を斬ってくれ!」

と答えたが、甲斐守はその言葉に従わず、それどころか自分の馬を明石に与え、
それに騎らしめて戦場を脱出させ、敵の命を救った。』
(モンタヌス日本誌)

日本の記録では見たこともない、関ケ原における黒田長政明石全登のエピソードである。




908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 19:35:31.71 ID:ZzTF9sjv
明石は関ヶ原の後黒田に保護されたんだっか。

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 20:13:21.79 ID:xsW++Brm
同じキリシュタンだからな
確かに可能性はあるなw

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:34:28.41 ID:kRyBlpXj
>>908
しばらくは黒田親子の下で厚遇されてたはず
長政としては自分で優秀な人間をスカウトしたい時期だったし
血の繋がりがある明石全登はうってつけだったんだけど
領内でのクリスチャンへのあたりが強くなった時に放置してたら
出奔されて又兵衛と一緒に大阪方に付かれるハメに

雑談・蒸し暑い夜には、スカッと爽やかに直家公

2011年07月16日 23:10

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 19:27:49.42 ID:N/5tXDqe
こう蒸し暑い夜をスカッと爽やかに過ごせる悪い話は無いかね

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 19:36:43.41 ID:f/wwxMmH
>>19
そういう時はやっぱり直家さんだな

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1764.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-640.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-430.html

直家さんの暗殺謀殺話は酷いというよりもはや感心する域に達しているのがすごいw

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 20:50:00.92 ID:UuZl0C3E
ああ解る解る、なんかもう暗殺芸術的な何かになってるよな
どこかの探偵物のライバルみたいな人だわ

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 20:50:43.08 ID:TzUyqRWo
でもなんか直家さんの場合はスカっとするのとはまた違うような……

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 21:34:24.37 ID:d2nX3xIn
流石直家さんだ、そこに痺れるry 的な感覚を覚えるのは否定しないw

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 21:52:41.32 ID:Q4gjw6EX
>>22
なーに、スカッと首を獲ってるじゃないか

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 11:06:25.63 ID:WbTfnz/u
直家さんそのまま放浪して尾張で仕官していたら…

才能年齢的に秀吉抜いて中国軍団長とかになってたろうか?
配下に 秀吉 如水を抱える



26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 11:52:16.37 ID:Lwujg6ar
秀吉が誑し込んで直家が毒殺する……
恐ろしいコンボだ、回避できる気がしない

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 11:56:57.33 ID:J2P+idiO
でも、信長さんに突如さよなら~されそうな気もする・・・

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 12:48:47.51 ID:12+4XvrS
久秀「うむ、やつは信用できん」
村重「ですね」

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 13:11:24.92 ID:1J2aF1RY
松永も直家も未来では新たな資料が見つかって評価が変わってるかもしれん

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 14:06:33.37 ID:12+4XvrS
直家は特にソースのほとんどが軍記物だからね

宇喜多次郎九郎等、千人切と称し

2011年05月09日 00:00

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:22:24.10 ID:sSdH1ro8
多聞院日記と顕如上人貝塚御座所日記の記載より
天正14年3月3日
是より先、宇喜多次郎九郎等、千人切と称し、大坂に於て、人を要殺す、是日、秀吉、之を捕へ自殺せしむ

どうも大名衆の息子4,5人が千人斬り目指して、大阪で人を殺しまわっていて、すでに5,60人も死者が出てから
捕まったみたい。
多聞院日記の同年2月21日に大谷紀之介が、悪瘡を治すために千人斬りをして、殺した人の血を啜っているらしい、
と書いてあるけど、この記述のあとに大谷紀之介のことはただの噂だったね、とあるんで疑いは晴れたようです。
宇喜多次郎九郎がどういう人物なのか不明だけど、そうある姓じゃないんで秀家の親戚だろうね。



97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:27:22.89 ID:iz42pG+B
尋常じゃないな、この話。宇喜田の血族にはなんか呪いでもかかってるのかね

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:36:01.84 ID:h0W2Azpy
娘たちの恨み

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:37:08.96 ID:VboUssdr
前後三代分の良心が忠家と秀家に集中配分されたんじゃね?

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:59:01.27 ID:eAI+U6WX
宇喜多って血族少ないイメージあるけどそんな親戚いたんだろうか
そうとう前の分家かなあ

宇喜多騒動への庶民の反応

2011年04月25日 00:00

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 15:59:36.58 ID:PzyMXXmf
慶長4年(1599)、大阪での市街戦にまで発展しかけた宇喜多騒動。
これにより宇喜多家から宇喜多詮家(坂崎直盛)、戸川達安、岡越前守、花房正成といった
多くの有力家臣が出奔。宇喜多の威勢は大きく減退したという。

さてその頃、京大阪ではこのような狂歌が広まったそうだ。曰く

『 われて後 つがれぬ物は備前鉢 つかふものにも用心をせよ 』

つまり、「一旦関係が悪くなればもはや修復できないのが備前を領有している宇喜多家である。
宇喜多の武士は自分たちを使っている宇喜多秀家に用心をせよ。」と言う意味を込めている。

そんな、宇喜多騒動への庶民の反応である。




866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 16:57:35.51 ID:xvelVM71
直家時代を考えると本当に悲しくなるな


867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 18:13:36.90 ID:4ai3Vkfb
直家の時の恐怖政治の反動が出たんじゃね
あんな恐ろしい主君に仕えた後じゃ、穏和な秀家をなめきってもおかしくない

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 18:18:37.52 ID:l6fjEoYG
領主としての秀家は割と残念

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 18:55:03.01 ID:xDvUGg8V
>>867
直家は主家や同僚に対してはえげつないが
家臣に対しては普通にいい殿様だぞ

離反した家臣は直家が苦しい時代を支えたいわゆる譜代格が多いから
家臣は国元を顧みない秀家がはがゆく、秀家はうるさく諫言してくる国元家臣がうとましい
それが積もり積もって爆発したのが宇喜多騒動

870 名前: 忍法帖【Lv=12,xxxPT】 [sage] 投稿日:2011/04/24(日) 19:18:37.95 ID:OrbDoNVM
中央集権化を進めようとした藩は多かれ少かれ家臣団と対立してるからね。
宇喜多の場合はそのための官僚団を前田家から来た連中中心に上方で組織しようとしたり、
キリスト教問題が絡んだりしたので、対立の落としどころが無くなって爆発したんでしょう。

仙台伊達藩なんて江戸時代になっても中央集権化できなくて、やろうとしたら伊達騒動で
挫折。結局、幕末まで寄り合い所帯で、意思決定が不十分なまま戊辰でグダグダになる。

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 21:09:01.56 ID:Q3nTHzMJ
>>869
策謀に使った家臣を外聞気にして使い捨てたりしないで功績に応じて厚く報いるあたり家臣にはいい殿だよな

弟者のあれは娘婿たちの扱い見てればある意味当然の警戒だしw

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 23:25:04.68 ID:iSxkNBar
つーか「いい殿様」じゃないと生き残れないのが戦国

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 23:27:03.85 ID:MCS/5IRz
>>872
鬼武蔵「喧嘩売ってるのか?」

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 23:32:52.87 ID:CbktiT65
武蔵さんも家臣と仲良くやっていた印象がある
上司とも上手くやっていたし

宇喜多詮家(坂崎直盛)と戸川達安、大垣の宇喜多秀家に

2011年04月24日 00:01

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 18:50:56.49 ID:QTs71zTs
宇喜多騒動で主君宇喜多秀家と袂を分った宇喜多詮家(坂崎直盛)と戸川達安
彼らは関ヶ原戦役が勃発すると、東軍に属し美濃にまで駆け上った。
と、ここで、旧主秀家が大垣まで出てきている、ということを知り、二人はすぐに
秀家のもとに使者を派遣した。
使者は二人の言葉を伝える

「御家の大事は今この時です。どうか内府公のお味方をしてください!
そう決意してくだされば我々はすぐに江戸までそのことを伝えるでしょう。」

これに秀家は激怒し、使者に言い放つ

「あの両名にこう伝えよ!私に降参しろと言うのは、お前たちに似合いの分別である!
たとえお前たち二人が我が陣に来て首を並べて諫言したとしても、
私は決して思い通りにはならない!
また、重ねて使者をよこすことも無用である!もしまたよこせば、不憫ではあるは
その使者の首を斬って捨てる!」

使者は急ぎ陣へと帰り、宇喜多詮家、戸川達安にこの事を報告した。
秀家の伝言を聞いた二人はしばし考え、そして使者の男に向かって

「すまないがその方、今回の合戦で天晴な討死をすると思って、再び秀家様の陣に
行ってほしい。そしてこう伝えるのだ

『秀家様の仰せには一理あるかと思います。ですが佞人である石田に従われて
御家を滅ぼされるのは、近来になく不本意なことです。
どうか、只々我ら両人に、その御身上をお任せください。』

これをお聴きいただけるまで、再三申し上げるのだ。」

使者は覚悟を決め、再び秀家の陣を訪れ、秀家のこの事を伝えた。

ところが秀家、今度は少しも怒ること無く、この使者を近くまで寄せ語りかける

「両人が昔のよしみから、二度も異見を言って来てくれることは嬉しい。
だが、八幡大菩薩もご照覧あれ、私が内府に属することはない。
この事をよくよく申し聞かせ、二人に承知させよ。
…これは汝に与える。」

と、この使者に刀を与え帰させた。

帰ってきた使者からこれを聞いた宇喜多詮家、戸川達安は、「この上は力及ばず」と、
秀家を説得することを諦めた、と言う。

この話は宇喜多秀家の領地であった備前の国人、吉村氏が語った事だそうだ。
(関ヶ原軍記大成)




849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 19:14:51.73 ID:Zki/sycl
内府もこの時点で秀家に寝返られても迷惑だろうな
東軍の諸将に分け与える領地が減ってしまうから
ヘタすると合戦終了後毛利のように因縁つけられて改易食らうかもしれん

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 20:14:29.23 ID:d+RVSjSu
848>>
それ、ちょっといい話じゃね?


852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 20:30:33.80 ID:X0H5tkue
秀家の聞き分けが悪い話?

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 20:36:21.24 ID:7OqboPtY
どんなグロイ処刑されるかと思ってたのに普通にいい話だった・・・

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 20:41:52.13 ID:cSwhQj+y
このあと、宇喜多詮家、戸川達安は二人とも宇喜多家を見限って出奔するんだっけか
主君も主君なら家臣も家臣で剛情だのう

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 21:10:50.92 ID:KjvW7OM3
関ヶ原前だから既に出ていってるんじゃないの?


856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 21:13:04.33 ID:JFEwaJzc
まあ、泳ごうぜ!

857 名前: 忍法帖【Lv=11,xxxPT】 [sage] 投稿日:2011/04/23(土) 21:39:18.31 ID:CD2zk5HC
>>854
見限ってというか、喧嘩別れして出奔したけど、お家の大事を思えば放っておけなかった二人のいい話と、
武門の意地にかけて寝返りなどできなかったが、二人の赤心はちゃんと受け止めた秀家のいい話だな。

宇喜多氏って、坂崎とか滅んでるけど、旗本で残った家とかあるの?

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 00:07:47.15 ID:R33w7FLf
坂崎さんが、後に千姫強奪事件を起こすとはこの時誰も知らないのであった・・・

859 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/04/24(日) 09:02:25.58 ID:Wfvtl/9r
>>857
戸川家、花房家、角南家等は存続してる
まあ肝心の御大将が流罪で生存してるから
元家臣団も他家に仕官なりして存続してる方が
多いんじゃないかな

薩摩に休復と名乗る人物がいた

2011年02月11日 00:00

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 14:27:56 ID:9mbnNtWa
薩摩に休復と名乗る人物がいた

休復「琉球とか言う国が調子こいてるみたいだね
許しが貰えるなら俺が凝らしめにいって薩摩の臣にしてやろうか?
分かってるって、島津も徳川から沙汰を待つ身でそんな余裕が無い事なんて
だからよォ、俺達だけでヤってやんヨ!」
そう言うと休復は密かに船を借り自らの家臣と颯爽と琉球へ向かうのであった


その後

船は大風で破損し琉球にたどり着く事なく休復は薩摩にトンボ帰りする

休復「あぁ、なんて俺は不運なんだ何もかもが空しい!!」

こうして休復は琉球征伐を諦めました
めでたしめでたし

『西藩野史』から





因みに休復とは宇喜多秀家が使った偽名




680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 14:35:12 ID:T7cOEd3F
どうせ誰かが言うんだから先に言っておこう。
泳いで行け。

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 15:58:33 ID:GnXdaISt
秀家元気いいなあw

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 20:20:57 ID:YSnkna1A
難破したから泳いで帰ったのではないのか。

宇喜多騒動顛末

2010年10月23日 00:00

955 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/22(金) 21:01:41 ID:Jq2pG63p
宇喜多騒動に関する話を一つ。
秀吉没後の1599年、宇喜多家内部で御家騒動が発生した。原因は秀家の素行に問題があったことのほか、
宇喜多家の執政であった長船綱直や中村次郎兵衛らの専横への他の重臣の不満、さらに宇喜多家では
日蓮宗徒の家臣が多かったが、
秀家は豪姫がキリシタンであったことから家臣団にキリシタンに改宗するように命令するに至ったため、
家中で騒動が起こった。
秀家はこの騒動の首謀者を戸川達安としてその暗殺を図るが、秀家と仲が悪く対立していた宇喜多詮家
達安をかばって大坂玉造の自邸に立て籠もるに至り、
両者は一触即発の事態となる。結果的に徳川家康が解決し内乱は回避されたが、この騒動で宇喜多家の
優秀な家臣が居なくなり宇喜多家は弱体化してしまう。
さて、前置きが長くなりましたがここからが本題です。長くなりそうなので分けます。



956 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/22(金) 21:27:24 ID:Jq2pG63p
続き
宇喜多家の調停には当初、大谷吉継と家康の家臣である榊原康政が請け負っていた。どうやら最初は
吉継一人だった所に吉継が康政に依頼したらしい。
しかし、これをよく思わない者がいた。康政の主君、家康本人である。何故なら家康としてはこの騒ぎで
宇喜多家が弱体化してくれれば儲けものだからだ。
ここで騒ぎを沈静化させられたら不味いと思い、康政に手を引くように言った。しかしこの板の住人の皆さんも
ご存知の様に三河人は律儀で義理堅いのだ。
康政もこの例にもれず
「男子たるもの、人に頼まれた以上は最後まで問題の解決に努める所存でござる。」とこれを断った。
そこで家康は策を巡らせた。

家康は周りの者に
「子平太は最早、交代の平岩親吉が大阪に入ったにも関わらず居残り、他家の揉め事に何時までも
首を突っ込んでおる。
 これは上手く問題を収める事で貰えるであろう謝礼に目が眩んだとしか思えぬ。」と愚痴る事で康政が
自ら手を引く様に仕向けた。

無論、康政としては単純に頼られた事を意気に感じ、純粋に宇喜多の騒動を収め様としていた。
だが、謝礼目当てと言われては心外であった。そして康政は吉継の下を訪れ、

「役に立つ事無く、半端に引き下がるのは誠に遺憾ですが、金に汚いと言われては武士の一分に関わり申す。」
と礼を尽くして江戸に帰ったという。

こうして取り残された吉継も手を引かざるをえなくなって調停は破綻し、家康自ら裁断を下したという。
以上、宇喜多騒動に関する逸話。長文になり、申し訳ありません。

 



957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 21:31:48 ID:V4VGphNs
マスコミによるイメージ戦略みたいだな

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 21:36:16 ID:EUbbdrvZ
実際はこれ真逆で、康政が手を引いたために家康が責任持って介入せざるを得なく
なっちゃったんだよね。

家康が権威の確立を考えていたのは確かだが、宇喜多家の弱体化を狙っていた、なんてのは
その後の関ヶ原の結果から逆算した、一種の陰謀論だね。

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 21:53:29 ID:Th8MoU92
つか既出のような気も

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 21:58:38 ID:C1Yfu4/Q
>>956
確か司馬遼太郎が同じような事書いてたね

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 21:59:37 ID:5R8nHzWc
少なくとも日蓮宗対キリシタンという筋書きには無理があるらしいね。

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 22:48:35 ID:0VwW8p0i
>>959
宇喜多騒動の調停を大谷吉継が請け負ったというのも
戸川らの秀家と対立した一派が吉継に依頼したということだし、
これ以前の前田利家と家康との対立以降懇意を深めていた吉継を通じて
家康の仲介を求めていた節がある、という説をどっかで見たな

実際、吉継と康政が仲介をしても秀家がどうしても引かなかったために
戸川ら寄りの調停自体が二進も三進もいかなくなっていたし、
秀家が軍隊率いて上方に登ってる以上、家康が出ざるを得なかったと見る向きもある

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 22:57:17 ID:+ZYPvPzT
>>962
坂崎出羽はキリシタンだったようだし、少なくとも宗派対立ではないのは確かだろうな。
宇喜多氏の場合、直家の代に被官化したような国人が殆どで、秀家の集権化志向に
反発したという面が強いみたい

長船貞親暗殺事件

2010年10月10日 00:01

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/08(金) 23:53:37 ID:P5LyMysU
長船貞親暗殺事件

梟雄宇喜多直家に最古参の家臣として仕え、主家の発展に尽くし大いに活躍した長船貞親。
彼は常に岡山城の直家の元に詰めていたため、居城虎倉城は妹婿の石原新太郎が預かっていた。

1588年の正月の朔日、新太郎は貞親に「来る六日に新年の祝賀として料理を進めたい。」
という手紙を送った。
喜んだ貞親は弟源五郎や金光宗廻等近臣を連れて四日の昼ごろ虎倉城に到着し、一行と新太郎は
夜に入るまで酒宴を続け、夜更けにそれぞれの宿所に戻った。

翌朝の十時頃、貞親の末子や甥等の子供たちが集まって碁に興じているのを貞親が見物していたところ
櫓に登った新太郎が銃を撃ち、弾丸は貞親の眉間を撃ち抜いた。
周りに居合わせたものは狼狽し、貞親の介抱をしたが貞親はすでに絶命していた。
するとそこに当時十八歳だった新太郎の長男新介と新太郎の妻が現れ、いきなり源五郎を一刀の元に斬り倒した。
新介はその場にいた者に即座に殺されたのだが、新太郎の妻は薙刀で源五郎に止めを刺し奥に駆け込むと
貞親や源五郎の幼い子供たちを皆刺し殺し、その足で夫の篭る櫓に駆け込んだ。

長船の家来も石原の家来も何故こんなことになってしまったのかがわからないままに斬り合っていたのだが
宗廻が「主君の意趣も知らず、訳もわからず斬り死にすることは全く道理に合わない話である。これは
新太郎が乱心したのだろう。
皆のもの、まずは静まれ」と押しとどめ、事の次第を岡山へ報告した。

暫くすると新太郎夫妻は櫓に火を放って自害し、折からの西風に烈しく煽られた炎は櫓や塀を伝って燃え上がった。
残った石原一族は近くの寺に入り皆自害したという。

さて岡山でこの事件の注進を受けた貞親の嫡子綱直は非常に驚き、取るものも取らず
裸馬に跨り駆け出した。家臣もこれに従い夕刻に虎倉城に到着したのだが
その頃には城は完全に焼け落ち、見るも無残な焦土を化していた。
落胆した綱直は貞親、源五郎や幼子達の遺体を取り収めて岡山へ帰還した。

なぜ綱直が助かったかというと、彼も新太郎から招待を受けていたのだが
日ごろから二人は不仲であったため綱直は仮病を使って参加しなかったのだ。

結局この事件の首謀者である石原夫妻とその一族は悉く死に絶えたので、事件の真相は分からずじまいだった。




573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:07:34 ID:Q1dQHMRj
ニヤリィ

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:14:15 ID:GdHO35lq
直家「私には動機がないんだよ、動機が。どうして私が忠臣であった貞親を殺さなければならないんだね?」

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:24:51 ID:MWbNvv0L
動機以前に直家さんもうとっくに死んでるんだが

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 00:25:43 ID:O8ACmmnU
以上、戦国頭の悪い話ですたw

577 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/09(土) 00:39:33 ID:GdHO35lq
ぬぅ…
勉強してきます…

宇喜多秀家と矢野五郎右衛門

2010年06月07日 00:01

593 名前:sage[] 投稿日:2010/06/06(日) 20:38:14 ID:9Q28q30v
以前読んだ本にあった話だけどタイトル失念
ウロ覚えの部分はサイト検索で補完して投下してみる

関が原の戦場を脱出した宇喜多秀家公と家臣たち
伊吹山中を北上するうちに道に迷ってしまった
一方、近在の村々には触れが回って腕に覚えのある猟師たちが落武者狩りを始める
猟師たちのリーダーの名は矢野五郎右衛門
そして兵糧も尽きて二日間何も食べていなかった秀家公一行と矢野たちが山中で出会う
身なりを見て「これは大物だ」と思った矢野だったが何やら気後れして手出しが出来ずにいると
秀家公自らが矢野に話しかけた

秀家公「ワシは先の戦の副大将で権中納言宇喜多秀家じゃ。すまぬが湯漬けでも振舞ってくれぬか。
その後であれば引き渡すなり何なりと自由にせよ」
堂々と名乗り、何の気負いも無い自然な秀家公の声音に矢野は圧倒されてしまった
矢野「と・・とても討つことなどできぬ」
秀家公の威に感じ入った矢野は逆に匿う決心をし自分の家の穴蔵に案内した
矢野はリーダーになるだけあって猟師たちから信奉があったらしい
宇喜多一行が潜伏していることを誰も口外しなかった
秀家公と家臣たち数名は40数日間に渡り匿われた
一説によると矢野は元前田家臣で宇喜多家臣、進藤の縁戚にあたる縁で匿ったとも言われている

10月半ば、秀家公を重病人に仕立て乗り物を用意し大坂に潜入
備前宇喜多屋敷で愛妻、豪姫と奇跡の再会を果たす
進藤が秀家公自害の偽装工作をして徳川家の追及を誤魔化しと云うが
その辺りは講談などで美化されてて真相はよくわからない
とにかく秀家公は薩摩に脱出することとなった

矢野に感謝した秀家公は黄金(枚数には諸説あるそうです)を褒美として与えるとともに
「自分が他日、再起したときには必ず訪ねよ」と言って朱印状を渡した
その後、みなさん御存知の通り秀家公は八丈島に流罪となって朱印状が役立つことは無かったのだが
矢野家では大切に保管し秀家公の高貴な人柄を子孫に語り継いで行ったそうだ


話が出来すぎてる?
そりゃ子孫フィルターで多少の美化はあるだろう
だが全くのデタラメでない証として「朱印状」は現存しており
八丈浮田家と矢野家の子孫は今でも交流があるそうです

以上、中納言様が泳いで参ったら仕官するはずだった男の話




岡家利の遺言

2010年04月15日 00:00

岡家利   
154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/14(水) 02:49:54 ID:nqPitrgM
岡豊前守家利と言えば、長船貞親亡き後浮田家の家政を取り仕切った重臣であったのだが、
文禄元年(1592)、朝鮮への出陣のさい釜山においてにわかに病を発した。
主君、宇喜多秀家はこの老臣の発病に大いに驚き、医師をして治療に当たらせたがその効なく、病状は重体となった。

秀家は涙を流して家利の枕元に寄り、声をかけた

「何か言い残しておくべきことはないか?思うところがあれば何でも良い、申し置くのだ。」

しかし家利

「わたくしには秀家様のために申し置きたいことがあります。しかし言ったとしても、とても用いては頂けないでしょう。」

「何を言うか!私がお前の遺言に背くなどと言うことが有るだろうか!?殊にお前が、私のためにと言っているのに!
神にかけてこれを誓おう!」

これを聞いて家利は大いに喜び、近習の者たちを下がらせた上で、言った

「これは秀家様、そし宇喜多の御家の長久を考えた上でのことです。
どうか、長船綱直を重く用いることをおやめ下さい!」

長船綱直は長船貞親の子で、この頃秀家にとって最大の寵臣であった。

「処分をしろと言うのではありません。彼の父長船貞親は、御家に大変に忠義をいたしました。その父の功があります。
ですから、長船綱直を外様並の者とし、御前に近づかぬようにしていただきたいのです!
どうかこの事を…」

これだけのことを伝えると、岡家利は死んだ。
秀家は大いに嘆き、その子蔵人を越前守に受領させ岡家を継がしめ家老職になした。

だが、

それでも秀家は家利の遺言を用いること無く、長船綱直を重用し続けた。
長船綱直は宇喜多家の中で専制と言っていいほどの権勢を誇り、これが後に、宇喜多家を事実上分裂させた
宇喜多騒動を起こす原因となる。

用いられなかった岡家利の遺言、のお話。




宇喜多直家の美作三宮城攻めと岡平内利勝

2009年11月22日 00:11

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 21:58:38 ID:JtFA/qre
天正7年(1579)3月、宇喜多直家は美作三宮城を攻めたが、城主・村上勘兵衛はみずから
60騎を率い討って出る剛の者で、なかなか勝負がつかなかった。
直家は明日こそ城を落とさんと、若手の足軽大将ら4人を呼んで策を授けようとしたが、
隣室でこれを聞いていた、家老の岡平内利勝が進み出た。

「殿が弓を取られて以来、大事の謀を戸川、長船、そして私に明かされぬことはなかった。
しかるに此度、若い者どもと謀を成すとは、誠に心許なし。
この上は、明日我ら城に討ち入り、村上が首を取ってお目に掛けるべし。首を取らずんば、
生きて再び帰りませぬ!」

自陣に戻った利勝は、先駆けするには身軽でなければ、と思い家臣の半井原某を呼んだ。
「おい、オレの鉄の脛当ては重くていかん。お前の脚絆を貸してくれ。」
「お断りします。利勝様は、城中まで騎馬で行けばよろしかろう。私は徒歩で行くのです、
鉄の脛当てでは不自由です。」

翌日、仕方なく鉄の脛当てを着け出陣した利勝は首尾よく村上勘兵衛と遭遇して渡り合い、
勘兵衛を押さえつけた。
その時、勘兵衛の妹が長刀で利勝の足に斬りつけたが、鉄の脛当てのおかげで無事に
済み、そのスキに追いついて来た半井原が彼女の首をはね、利勝は勘兵衛の首を挙げた。

城将の首を見た直家は苦笑しつつ、「また利勝が手柄を立ておった。」と褒め、また、
「脚絆を借りず、長刀の難を逃れたのは運が良かったからだ。半井原は一人、利勝の供を
して難を救い、良く働いた。」と言い、二人に感状と褒美を与えた。




517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 22:07:15 ID:3B2GthLD
従者の活躍って珍しい気がする、乙

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 22:32:03 ID:Jyfg9eSa
>>516
戸川、長船に岡で宇喜多三家老だったか。
直家も昔から苦労してるだけに、
その頃からの家臣との結束はそうとう固かったんだろうな。

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 22:37:37 ID:Zvk1uejw
直家は謀略見事に成し遂げて帰ってきた家臣にきっちり報いたり
切腹させた相手との約束守って子に扶持与え続けたり
いいところも多いと思うが…敵とか自分を脅かす可能性感じた相手とかへの対応は凄いからな。

まぁしゃーないところ。

宇喜田秀家と『神の祟り』

2009年11月07日 00:14

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 02:13:03 ID:tMfKk9i2
讃岐の国には、日本武尊を祭る神社があった(おそらく白鳥神社の事であろう)。
讃岐の大内郡、寒川郡、山内郡、香河郡の四郡はこの神社の神域として、

『この地域で鶴を取るものがあれば、神の祟りあり』

そう、言い伝えられていた。そのためであろうか、この地域にはたくさんの鶴が棲む事で
有名だったそうだ。

ところで、宇喜田秀家がある時、讃岐の領主、生駒親正の屋敷に遊んだ。
この折、秀家が尋ねる

「貴殿の領内に多くの鶴が棲む所があると聞きましたが、そうなのですか?」

「ええ、仰る様に我が領内の四郡に、鶴が多く群生しておりますが、そこは神の祟りを憚って、
狩を禁止しているのです。」

これを聞いて秀家
「なるほど、確かに讃岐の中の人間なら、そう言うものに憚りがあるのでしょうが、
他国の者がにはそう言う憚りは関係ないので、鶴を取っても大丈夫でしょう。
私の鷹をそこに遣わしますから、鶴を取らせていただけませんか?」

まあ、つまり秀家は、そういう禁忌を迷信であるとして、地元の人間には、昔からの風習でもあるし、
世間体などもあって、そういった禁忌を守る必要もあるのだろうけど、他国者にはそう言う
地元の風習を守る必要は無いのだから、狩をしてもいいでしょう?と言っているわけですね。

豊臣家ご一家でもある秀家の頼みである。生駒親正も「どうぞお心のままに」と言うほか無い。
秀家は早速、蒼鷹三羽に鷹匠を添えて讃岐に派遣した。そうして明日の狩の準備をしていたところ、
どうしたことかその夜、三羽の鷹は皆地面に落ちて動けなくなり、鷹匠たちも怪しみ、
備前へと戻っていった。

この事があってから程なく、宇喜多家では家老達との紛争が起こり、さらに関ヶ原で敗北し、滅びた。

これに讃岐の人たちは、「神域で鶴を狩ろうとしたため、神罰を受けたのであろう。」と、言い合った
そうである。




993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 02:39:30 ID:iTGB/2yY
実際に鶴を狩ったのならともかく、未遂で57万石没収&遠島か……
この神罰パネェw

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 07:29:24 ID:kKhLh3ew
>>992
地元出身だが、いまや鶴なんてまったく見かけない。
鷺なら大量にいる。
数百年前にはいたのかなぁ。

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 07:38:13 ID:HQdIirWb
鶴って今は釧路湿原にしかいない
タンチョウヅルのことでしょ。

水の少ない讃岐にも、昔は沢山いたんだなぁ。

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 07:43:36 ID:nlT20loZ
昔はそんなにうどん茹でてなかったんじゃね?

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 08:41:01 ID:XMMmeEfo
白い固まりを大量に茹でて食ってるのみて、鶴が怖くなって逃げちゅったんだなw

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 09:30:56 ID:ru2Gdiw+
カラスは黒いものを見ると仲間がやられたと思って攻撃してくるというのにツルときたら

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/06(金) 18:25:42 ID:kKhLh3ew
前スレの讃岐の白鳥の話の件だが、讃岐は昔から溜池が多いので
湿地を好む丹頂鶴にとって生息しにくい環境というわけでもない。
郷土料理の中に泥鰌料理もあるくらい。