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「すなわち、其の方である」

2014年08月24日 18:59

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/23(土) 20:36:22.20 ID:xmvQs2DI
黒田孝高は衆人を超えた智謀の良将であり、常に天下の望みがあった。

ある時、豊臣秀吉は孝高を呼んで酒宴を催し、「おい孝高、いま天下に英雄や豪傑は
たくさんいるが、天下を保つことができる程の者は誰だと思う?」と尋ねた。

孝高は打ち笑って「それがしの如き者に、どうしてそれを知ることができましょうか」
と答えたが、秀吉は「我は試しに議論しようと思うのだ。まずは言うて見られよ」

と言うので、孝高はやむを得ず、「それがしが考えますに、現在天下に威名高く、
天下をも掌握できる者は、中国の毛利輝元でありましょう」と、述べた。

すると、秀吉はにっこりと笑い、「誠に輝元はいま十余ヶ国を切り従えて、その威勢は
破竹の如くである。けれども、それは皆父祖の余徳であって、輝元の器量によるもの
ではない。であれば、どうして天下を保つことが叶うだろうか。その他に一人おるのを
知らぬのか?」と、言った。

孝高が驚いて問うと、秀吉は「目の前におる」と言う。これに孝高が「目の前とは、
どこにおるのでしょうか?」と言うと、秀吉は「すなわち、其の方である」と言った。

これを聞いて孝高は大いに驚き、額に汗を流して、「どうして愚昧のそれがしが、
そのような大器に当たることでしょうか」と、答えた。だが、孝高は自分の胸中を
秀吉に見抜かれ、針の莚に座る心地がして、その日の酒宴を退出し、

自分の館に帰って、「結局、秀吉に見抜かれた以上は、我が身の命も危うい」と考え、
それからは世(時勢の意か)を悟ってすぐさま入道し『これまでの望みを水の泡にする』
という意味で『如水』と号して、家督を子息の甲斐守長政に譲り、隠居した。

――『常山紀談(異本に拠る)』




26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/23(土) 20:44:46.82 ID:lCeyV+k8
上善如水と違うんかよ

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/23(土) 21:57:34.39 ID:G8Z/X4eg
何度か出てる話だけど如水当人にハッキリそういったパターンは初めてだな

この時のラスボス笑顔だろうけど絶対目は笑ってないんだろうな
汗だらけになって顔面蒼白になってる如水の表情が想像できる
そしてバッサリディスられるTERUw

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/23(土) 22:01:22.34 ID:rw6g+rlZ
羅貫中「雷に驚いて箸を落としておけば、野心を見抜かれずに済んだのに」

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/23(土) 22:34:56.77 ID:nzaMxAU9
三国志に箸か匙を落とした話があって、
華陽国志にその時雷がなって、劉備が雷にかこつけてごまかした、
と書かれてるわけですが、羅貫中?

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/23(土) 22:41:56.42 ID:ou2If9HK
裴松之が悪い

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/24(日) 01:13:49.39 ID:uMH8pU3G
この話法螺の具合から黒田家譜が出所だと思ってるんだか合ってる?

感状を与えなかった

2014年08月12日 18:50

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/12(火) 11:44:39.26 ID:91sz6eqC
黒田家中の三宅若狭守家義が、ある時黒田如水・長政親子にこのように申し上げた

「私も兼々武功をなしてきましたが、今後後代に至った時には証拠もなく、また人も
知らないということに成るでしょう。
これは子孫のためですので、御感状を頂けないでしょうか?」

黒田親子はこれを聞くと

「其の方には、上方口並びに豊前表の押さえのため、小倉の城に近い若松城を預け置いている。
これは天正のころ、上杉謙信の押さえのために、武田信玄が高坂弾正を越後表に置いたのと
同じ意味である。

其の方の軍功のことは、家中の諸士は兼ねてからよく知っている。後代に至っても
その記憶は著しいことだろう。」

そう言って感状を与えなかった。

黒田家においては、封禄を多く与えられている家臣で、黒田如水・長政の感状を持つものは
居なかった、という。

(黒田家臣伝)

それにしてもどうして感状与えなかったんだろう?他家に転職されるのを防ぐためですかね?





首供養

2014年08月02日 18:51

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/02(土) 12:57:09.43 ID:WAwrywSL
羽柴秀吉の軍勢が、東播磨において別所氏と戦っていた頃のこと。
別所家頼の家臣に、数年の武功を重ね、首級を三十三取った武士があった。

この頃、上方から中国地方あたりにかけて、首三十三取った武士は、首供養をする習いがあった。
そのため、この別所の家臣が首供養を行うということで、播磨の国中、甚だしくその話題に染まった。

時に黒田官兵衛孝高の家臣に秦桐若という、優れた剛の者が居り、首級を三十一取ったのだが、
戦場で被った傷が元で死んでしまった。
そのような時に、かの別所の家臣が首供養をするという話を官兵衛は聞き、
家臣の吉田六之助(長利)に言った

「桐若が生きていれば、現時点で首三十三は取っていただろうから、首供養をしたことだろう。
しかし桐若の外に首供養の基準を満たしている者は我が家中には居ない。
であれば六之助よ、お主が別所の家臣より先に首供養をするように。」

これを聞いて六之助は戸惑った
「私は只今までに取った首は二十七です、三十三に不足しているのに首供養を行うというのは
いかがかと思います…」

ところがこれに官兵衛は
「さても汝は小気な者だろうか。お前は今年で、未だ31,2歳であろう?
年若いのに、一生の間に首級三十三を取れないと思っているのか?
先に首供養をして、その後首を取り、三十三に合わせればいいのだ!」

そう言って六之助に米百石を与えた。
吉田六之助は結局その命に従い、別所の家臣より先に首供養を行って、播磨国青山の南の方に塚を築いた。

その後六之助は、日本国内で首数十、朝鮮において首五十を取った。

(黒田家臣伝)

黒田官兵衛、先取りで首供養を行わせる。というお話。



862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/02(土) 15:33:31.87 ID:yR9iIoT7
その別所家臣の名前くらい書いといてやれよ

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/03(日) 06:30:51.93 ID:DuxhY17I
すさまじいプレッシャーのかけ方だなw

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/03(日) 08:32:03.96 ID:mNQ/sHkq
結果的にノルマクリアしたからよい話にしてあげたいw

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/03(日) 11:31:51.82 ID:nTp+xxm0
>>864
先に達成した人の面目を踏みにじったんやで

ところで上方中国では首供養塚って今も残ってるの?

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/03(日) 12:06:10.92 ID:SGDzIMhG
目標達成直前で亡くなった家臣がいるのに強引すぎ

なんとまあ、天の加護を得られなさった!

2014年07月13日 18:50

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/13(日) 13:31:33.64 ID:9Q5ZG96i
秀吉公が毛利家と備中で対陣なされた時、長谷川宗仁方から信長公御生害の
旨の注進の状が二月二日午の刻に京都から出て、飛脚は同三日子の刻に秀吉公
の陣所に到着した。

これにより、秀吉公は腹心の者たちを呼び、ひそかに書状を見せて各々の了見を
お尋ねになった。皆々は不意の変事故に然と(「確と」に同じか。はっきりと)
した返事にも及ばず、ただ当惑した様子であった。

その中で黒田孝高はその書状を見て、差し当たってのことなどは一言も申さず、
秀吉公の膝元に這い寄りなさり、坐を叩き打ち笑って、

「なんとまあ、天の加護を得られなさった! もはや御心のままになりました!」
と申した。衆人とは異なる器量である。

――『明良洪範続編』



296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/13(日) 13:35:08.79 ID:fBGDZq2o
進言はともかく空気読めと

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/13(日) 16:40:34.90 ID:yUMwnoXm
頭がキレる人なのに時々失言しちゃうのが如水さんのチャームポイントなんで・・・・

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/13(日) 17:07:48.13 ID:XKdLphx1
二月…?

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/13(日) 17:19:29.32 ID:UFBuHeXN
「空気読んでたら天下は取れませんよ。今すぐ明智を滅ぼすのです」

大友義統の降伏

2014年07月08日 19:00

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/07(月) 20:28:43.34 ID:GvJF/riw
慶長5年(1600)9月13日、豊後国速見郡石垣原で、西軍である大友義統の軍と、東軍の黒田如水の軍とが
戦った石垣原の戦いが起こり、大友軍はこれに打ち負けた。


翌14日、如水は義統の籠もる立石に押し寄せると、軍勢の配当を定め、先陣は母里太兵衛(友信)となった。
この時、義統方は昨日の敗戦により多くが逃亡し、残っている人数は800人ばかとなっていた。
黒田家の家老たちは「この軍勢で速やかに攻め寄せ、大友を討ち果たしましょう。あの有り様に成り果てても、
もし時間を与えては、また難しいことになるでしょう。」と申し上げた

しかし如水はこれを聞くと
「いやいや、合戦は無用である。扱いをかけ、大友を降参させて、生け捕って京都に送るべし。
先年、私が筑紫に下国してきた最初から、義統とは別して良い関係であった。今になって敵になったからと
いって、私の方に恨みがあるわけではない。また、今無勢になったからといって、情けもなく飼い鳥を殺すような
真似はしたくない。

それに、大友がいくら弱いと言っても、討ち果たすほどの戦いをすれば、味方にも損害が出る。
今回の戦争は今度に限ったものではなく、何時まで続くかわからないのだから、何としてでも
手勢を損なわないようにしなければならない。

母里太兵衛、扱いをしてみよ。『今日のうちに和議が整わなければ明日押し寄せ一人残らず打ち取る!』と
義統か田原紹忍(親賢)を強かに脅すべし。脅せば必ず降参の詫び言をするであろう。

昨日討ち取った者達は、大友家では名のある勇士達であった。しかし、かの家で身分高い者達のうち、
紹忍の首だけが見えなかった。彼は日頃臆病の名高き者であるから、紹忍方に申し使わせば、
必ず和睦に同心するであろう。物慣れたる者を使いとして、早く申し遣わすように。」

そう命じたため、太兵衛より使いを遣わした所。案の定紹忍は同心して義統に降参を勧めた。
大友義統も今や叶わぬと思い、使者を母里太兵衛の陣まで遣わし、降参を乞うた。
如水はこれを聞くと「降参のこと、一段と然るべきことです。内府(家康)へは良きように
申し上げますので、きっと罪もご赦免あるでしょう。残された士卒皆々の命は助けます。
ですので早くこちらに出てきてください。」と申し遣わした。

かくて大友義統は剃髪の姿と成って、主従10人ばかりにて、9月15日の早天、密かに母里太兵衛の陣屋へ
降伏した。残党たちは思い思いに落ちて行った。

(黒田家譜)

黒田家譜より、大友義統降伏の模様である。



645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/08(火) 19:52:37.87 ID:sx1Vv9RD
>>644
これは官兵衛のいい話じゃないのか?
黒田家譜にしては現実的な。

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/08(火) 20:02:58.14 ID:c9kq5T7b
田原紹忍ってまだ生きてたんだ
とおもったらこの1ヶ月後戦死か

大学が義統に内通する人物だからこそ

2014年07月01日 18:50

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/01(火) 10:36:57.87 ID:LVsMjkKJ
関ヶ原の役でのこと

前の豊後の国主・大友義統は、大阪にて毛利輝元の下知を受け、旧本国豊後を与えられ、
これにより九州へと向かっていた。

この情報を知った黒田如水は、義統を引き込み味方にするため、家来の宇治勘七という者に、
大神大学という牢人を添えて周防国上関に派遣した。

この大神大学という者は、はじめ大友義統の小姓であったのだが、義統が改易された後牢人となり
中津の町に居住していたのを呼び出して遣わしたのである。
この人選に対し、黒田家の家老たちはこのように申し上げた

「大神大学は義統によしみのある者です。もしかすれば我等を裏切り義統に内通することも考えられます。
ですので彼を使いに遣わすべきではありません。」

これを聞いた如水は

「私は、大学が義統に内通する人物だからこそ遣わすのだ。大学は我が中津の城の案内と
兵の多少を義統に告げるであろう。そうすれば、義統はこの城を攻める謀を思案する。

しかし、私は彼が攻めてくるより先に、こちらから速攻して勝負を決するつもりだ。
然ればどれほどこの城の案内を詳しく伝えても、何の役にも立たない。

私は大学に、今回の合戦の作戦を詳しく言い聞かせ、大友に告げさせる。
その上でこちらは、その裏を用いるのだ。

義統と面会した時、彼がもし大学を留めるようなことが有れば、勘七はそのまま座を下がって良い。
また、勘七は大友の船の数がどれほどか、よく見て参るように。」
そう命じた。

勘七・大学の両人は上関に派遣され大友義統を待ちうけ、如水からの、味方に勧誘する書状を渡し
口上を告げた。義統はその返書に如水の好意を謝し

「この分別は大事の思案ですので即時に決断できるものではありません。ですので豊後に着いてから
こちらから使者を以って委細申し届けるでしょう。」

と答えた。そして勘七が返書を受け取り罷り立とうとした所、案の定義統は大学を留めたのである。
勘七が御前を立ち去った後、義統は大学としばし物語った。一体どんなことを問われたのか、
その内容は知られていない。

(黒田家譜)

黒田如水の策謀についての逸話である。




612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/02(水) 08:21:03.61 ID:Wuhtwmpd
さすが官兵衛、そういえば、今週の大河でも敵城視察シーン的なのがあったな。

黒田如水はこれを憂いて、秀次に

2014年06月30日 18:54

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/30(月) 05:00:00.79 ID:AJuuPZZO
文禄4年(1595)の頃、豊臣秀次は関白職にあり、天下の人々はこれをあがめ尊んだ。
然れども秀次は、元来強悪の人であったため、その奢りは日々盛んとなり、常に酒色に溺れ
遊宴を事とし、政道に心をかけず、余人を殺すことを好み、その暴悪極まりなしといった有り様であった。

黒田如水はこれを憂いて、秀次に諫言をした

「秀吉公は若年より、弓矢に辛労されたこと数十年に及び、漸次天下草創の功を成し遂げられました。
そして今、年齢は既に六旬(60代)になられ、朝鮮征伐のため自ら名護屋に下り、日々軍事に
お心を苦しまれておられますれば、御精力尽きてお命も縮まることでしょう。

ところで、貴公は一体何者ですか!?太閤殿下の御子ではありません。また同姓でもありません。
たまたま太閤殿下の御寵愛があって、父子の約束をされ、数ヶ国を領し、いまそのように
関白の位に上り、天下の人々から仰ぎ尊ばれ、栄華を極められています。
これは一体、誰の恩ですか!?
その上、太閤百歳の後(死後)、後を継ぎ天下を保たれる人は、貴方でなくて誰でしょうか!?

今、太閤殿下が名護屋に下り、朝鮮の軍務にご苦労甚だしいのを知りながら、太閤殿下に変わって
名護屋に下ろうと思われるお心もなく、京都にいながら日夜遊興酒食をのみ好まれ、身を安楽に置き、
太閤殿下の御恩を忘れられていること、不孝の至であり、天道の憎まれることであれば、必ず御身の
災いとなるでしょう。よくよくご思案なされるように!」

そう言ったが、秀次は終にこの諫言を用いず、また秀吉に変わって名護屋に下ろうと思う心もなく、
悪逆もなお止まなかったため世の人々は漸次彼を疎むようになっていった。
そして秀頼が生まれ、秀次の威勢も衰えたが、関白職を秀頼に譲る心も無かった。

そのような中、この年の7月上旬、秀吉に対して秀次が謀反の企てをしたとの情報が聞こえ、
秀吉は検使を遣わして、秀次を高野山で切腹させた。

如水の諫言を用いず、この様になってしまったことは、頑愚の至りというべきであろう。

(黒田家譜)




606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/30(月) 05:43:37.98 ID:zr1EUZlJ
秀次「ところで貴公は一体何者ですか!?」

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/30(月) 08:36:15.26 ID:eD4z2JJ6
消されてしまうと何でもありなんだなあ
てか、秀次失脚にはやっぱ如水もかんでんのかなあ
吉川みたいにさ(ヲイ

仮に無事に政権を存続させていたとして、家康が野心をあらわにしたときに対処できたかな?

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/30(月) 08:40:39.41 ID:MIU+/IiK
ある意味謀叛を唆してる気がする

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/30(月) 18:44:22.07 ID:DaQJOGCE
秀吉と一緒にいたら本能寺の二の舞になるかもしれんからな

「大将の威」とは

2014年05月29日 18:51

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/28(水) 19:17:23.49 ID:HRPgd+YQ
黒田如水はこのように言われた

「大将たる人には、威というものがなくては万人の押えにならぬものである。
しかしながら、これを悪しく心得て、わざと我が身に威をこしらえて付けようとするのは、
かえって大いなる害となるものだ。

何故かといえば、ただ諸人に恐れられるように身をつくろうのを威であると心得、家老に会っても
威高ぶり、何事もないのに目を怒らせ、言葉を荒くし、人の諌めを聞かず、自分に非がある場合でも
かさにかかって言い紛らわし、我意ばかりを押し通そうとする。
そんなふうだから家老も諌めを言うことをせず、自ずから身を引くようになっていくものである。

家老さえかくの如く成れば、ましてや諸氏末々にいたるまで、ただ怯え恐れているだけで、忠義の思いを
なす者は居なくなり、我が身を守ろうと汲々とするだけになって、奉公を心から務める事もなくなる。

このように高慢で、人を蔑ろにする故に、臣下万民はこれを疎み、それによって必ず家を失い、
必ず滅ぶのである。

だからこそ、よくよく心得ておくべきである。真の威というものは、先ずおのれ自身の行儀正しく、
理非賞罰が明らかであれば、強く人を叱り脅すことはなくても、臣下万民敬い恐れ、上を侮り
法をかろしむ者もいなくなり、自ずから威が備わるものなのである。」

(黒田家譜)

黒田如水による「大将の威」についての説明である。




27 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/05/28(水) 22:51:26.48 ID:D0m0cEfy
>>26
これは現代に通ずる物があるよね

あと春秋戦国時代の孟子だかが言った「彼らは人の目を気にしてばかりの臆病者」みたいな表現を補足すると納得できる
他人から見下されたく無いから威を取り繕ってる時点で心の弱さが露呈する

黒田如水、生駒親正にアドバイス

2014年05月14日 19:00

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/13(火) 19:43:55.67 ID:3t5XuoUG
生駒讃岐守(親正)が讃岐国丸亀から、同国高松に新たな居城を築こうとしていた頃、
黒田如水は中津川から上方へと参勤の途中、丸亀に立ち寄った。
生駒親正は大いに喜び、如水に「高松の山は、築城に適した土地かお見立てしていただきたい。」
と熱心に頼んだため、如水は高松に行き城地を見聞することになった。

高松の地を見た如水は、「非常に良い城山だと思います。」と答えた。
ところがこの高松から半里ばかり西南に、石清尾という山があった。この山は、横幅は十町あまり、
長さは半里ほどもあり、これが高松に近かったため

「あの山は、高松の要害のためには悪しきものではないでしょうか?」

と、生駒親正は尋ねた。しかし如水

「あの石清尾山があるからこそ、高松は良き城になると私は考えます。
石清尾山は、この高松の城のために、味方千騎の強みとなるでしょう。
何故かといえば、この城の一方は海ですから、そちらから敵が寄せ来ることはありません。
そして石清尾山があれば、敵が大軍で押し寄せてきたとしても、道を狭くし不便でありますから、
これは敵の害となります。すなわち、味方の利となるのです。」

おおよそ軍のために地の利のある所を要害というのは、味方のために宜しき要地であり、かつ
敵のために害ある所を言うのだから、それはここに出ている高松のような地なのである。
(黒田家譜)

黒田如水生駒親正にアドバイスをする、というお話。




927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/13(火) 20:02:17.15 ID:voaUdy0i
砲撃に最適な山となるなw

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/13(火) 21:00:21.74 ID:DfE9uIi2
如水は広島城でも要害が悪いからこそ築城に適していると答えてるからなw

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/13(火) 21:20:44.43 ID:bUouYEIf
wikiったら高松城の築城開始は1588年だし大筒の脅威はまだ
それ程認識されてなかったんじゃないの

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/13(火) 21:48:30.01 ID:4hgn4ZEr
讃岐高松城って山どころか丘でもない平地にある平城(水城)だよ

大砲はいいとして城内が俯瞰出来る山の近くに築城するのは駄目だろ。

http://i.imgur.com/a3kMZXg.jpg
a3kMZXg.jpg

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/13(火) 22:55:55.59 ID:A3ljeNf4
権威ある奴の意見をホイホイ鵜呑みにする奴って馬鹿だと思う

まあ、>>926の話の後に別の場所に築城するのもなかなか勇気がいるがw

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/13(火) 23:27:16.65 ID:cPR4X3bD
クロカンはあえて弱点ありきな縄張りするイメージ。

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/14(水) 03:41:10.57 ID:NdIVTJAJ
黒田って本当に築城の名手なのか?自城以外に関してはいつもの黒田家譜な気がするが

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/15(木) 03:29:34.65 ID:8HMDW4Yy
>>931
「森を越えてくるやつなんていないだろ」とたかをくくって他の場所を固めてたら、
森を越えてきたのであっさり突破されたなんてことが20世紀にもあるんだっけ

「海を封鎖できない地形だから山から攻めてきたって大丈夫へーきへーき」とか、
俗に言う「英国面」に近いような実験的城郭だな

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/15(木) 03:44:59.88 ID:sxvNzCY9
どこのマジノ線ですか

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/15(木) 05:42:56.12 ID:8QFvCNjS
会津の鶴ヶ城は山から近すぎるから、直江が会津盆地のど真ん中にある
神指に巨大城郭を建設して移転を目指したけど関ヶ原後の転封で頓挫。

鶴ヶ城は弱点を残したまま戊辰戦争に突入して山から撃ち込まれるアームストロング砲の砲弾の餌食に

939 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/05/15(木) 10:16:26.41 ID:noHdHLZD
>>938
弱点を残したままっていうけど、200年以上間開いてるからね…

人相見の言葉

2014年05月13日 18:56

273 名前:265[sage] 投稿日:2014/05/12(月) 19:21:05.96 ID:FoUPSkt7
同じ感じの話だけど、おそらく未だ出てないものも


太閤秀吉が伏見の城に居られた時、異国より人相を見るものが来て、その人一代の吉凶を言ったが、
その多くは間違いがなかった。

秀吉は諸臣を集め、「この中に天下の主となるものはいるか?」と尋ねた。人相見はあまねく人々を見て、
黒田如水を指さし、「この人が天下の主となるでしょう」と言った。
しばらくして如水の側に来てもう一度観察したが、
「側で見た相は面相には及びませんでした。天下の主となることは難しいでしょう。」そう申し上げた。

黒田如水には生まれついて大志があり、秀吉に疑われている上に、また今、人相見の言葉がこのような
物であったため、これは君主より忌み疑いを受けべき事であると悟った故であろうか、未だ50にもならないのに
禄を嫡子長政に譲り、隠居した。

(黒田家譜)




275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/12(月) 20:36:07.86 ID:OLvNBsLU
中国の歴史書読んでれば天下取った後の軍師の末路くらい分かるわな

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/13(火) 22:28:47.25 ID:Kqrku2VP
>>273
黒官は能力はあっても求心力が無いタイプに見える。

「それは黒田如水である。」

2014年05月12日 18:53

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 20:58:29.00 ID:dfSg0pLf
太閤秀吉があるとき、徒然の話をしていた時の事。
御前に居たのは御咄の衆ばかりで、その雑談の中、ふとこのように尋ねた

「わしの死後に、天下を望むのは誰だと思うか?」

誰ひとりそれに答えようとするものは居なかったが、秀吉は重ねて
「いらぬ遠慮はするな。思いついたままを有り体に申してみよ。」
そう言われて御伽衆の面々は、その頃の大名、もしくは武功ある人物を4,5人上げて、
もしやこの人々ではないでしょうか?と申し上げた。秀吉はつくづくこれを聞き

「いずれも悪しき見立てである。それらの者達より先に、手早く天下を取る者がおる。
お前たちはそれを知らないのか?」

「我らはこれらの人物以外には、そういった人は思いつきません。」

「それは黒田如水である。」

その名を聞いて御伽衆の者達は怪訝に思い、「仰せではありますが、如水殿は小身です。
小身では天下の望みは成り難いのではありませんか?」

しかし秀吉は
「汝らは如水の知恵の働きを知らぬゆえ、そのように思うのだ。
わしは数度の大合戦、また一大事の、息の詰まるようなときも、大体の事は過たず、正しい判断が出来た。
しかし取り分・是非の判断が決着しがたい問題に関して、如水に相談すると、聞いた途端に
『それはこれ。これはそれ』といかにも軽々と結論を出した。その内容はわしが長い時間かけて思案した物と
全く変わらないものであった。また事によってはわしの及ばぬこともあった。
その上心剛にして人の使い方も上手いように見える。あの者の知恵には日本だけでは取り足らないだろう。」

そのように言った。

後で如水に親しい者が、この内容を告げ聞かせた。すると如水は

「殿下が私を、それほど人がましく御覧になっていたとは、私は手柄者ですなあ。」と、嬉しげに
返事をしたが、内心では
『これすなわち我家滅亡の時が至ったということである。如何にして身を全うし家を保つべきか』
と思案し、早く隠居した、との事である。

(黒田家譜)




266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 22:02:02.47 ID:35cHi1Ma
まあ書かれたのが江戸時代だから多少差っ引いて考えるべきなのかもしれないけど
長い付き合いだけあってラスボスの怖さをさすがによく理解してるなあ

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/12(月) 01:22:56.63 ID:i1OwtLk2
激しくがいしゅつな気がするが気のせいだろうか

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/12(月) 08:45:52.17 ID:Yx3t4Jq2
マセた小学生でも知っている逸話
少なくとも小学校高学年の時本郷に聞いたな
ネタ元は張良だし

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/12(月) 10:49:14.47 ID:nXErCQT3
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3101.html
がいしゅつ云々言うならちゃんと過去のを貼るべき
過去に出てた逸話でも出典が明記されてなかったり、細部が違うことはよくあるし

如水激怒「我が家には」

2014年05月11日 18:57

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 19:13:56.80 ID:zoOo+NYE
安田作兵衛は明智光秀に使えた勇士であった。京都本能寺にて、障子越しに信長に槍を付けたと言われている。
後に姓名を改め、天野源右衛門と号した。

彼が上方に浪人していた時、黒田長政はこれを召し使おうと思い、彼を呼び下して一万石を与えて
召し抱えたいという希望を、父如水に相談した。

これを聞いた如水は激怒して
「我が家には源右衛門に勝る勇士がいくらでも多く居る!もし源右衛門を一万石で召し抱えれば、
我が家臣のうちにこれを恨みに思うものが多く出るであろう!」
と、甚だしく諌めたため、この事は中止となった。

その頃、唐津の寺沢志摩守(広高)が、名のある武士を求めて居ることが聞こえてきたので、長政の勧めで
寺沢のもとに遣わされた天野は、唐津において召し抱えられた。

(黒田家譜)

黒田如水天野源右衛門召し抱えを中止させる、というお話




251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 19:24:12.76 ID:bTyCwBhy
黒田家譜は何でも問答無用で割り込んでくるなー
ある意味、大河ドラマより上かも知れん

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 19:31:26.07 ID:aXqmmMQL
如水が長政に対して「諌める」というのもなんだか

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 21:00:26.04 ID:hYTJMmf6
時期的に当主が長政で如水は隠居だからだろ。

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 22:45:30.09 ID:txbO4TE1
立花家を辞して寺沢家に仕えたのが慶長の役の前くらいだから
中津時代の黒田家で1万石与えるのはな

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 23:58:15.34 ID:KGqV5hwW
後藤基次「うわっ…某の俸禄、低すぎ…?」

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 10:01:41.73 ID:NfYWgIiJ
黒田家も結構めんどくさそうなのが粒揃いだからなあ

257 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/05/11(日) 10:31:31.54 ID:qe8jRmBN
後藤基次さんは、
ご隠居が1000石といったら自分にはそれでも過分ですといい
若殿様が2500石といったら自分には少なすぎると大声で張り上げるイメージ

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 11:01:37.81 ID:5X4ugTox
さすがブラックだ
もとい黒田の御家中

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 11:17:20.07 ID:5F7NBN+E
天野源右衛門は立花家で2千石もらって仕えてたけど、
碧蹄館の戦いのときに千石の十時伝右衛門に一番槍争いで遅れをとったことで、
自分には立花家では2千石の価値が無いって理由で辞したらしいから、
その後に1万石で仕えろって言うのもなんだかな

260 名前:人間七七四年[hage] 投稿日:2014/05/11(日) 14:16:25.38 ID:qcbKdU90
播州人と三河人はホントに面倒くさい人達だな

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 15:14:57.36 ID:2GN5DKbS
忠義とか武士の誇りとかを前面に押し出した本が多いからでしょ
その辺の理想を詰め込みすぎて変態の名産地のようになってしまった

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 15:18:51.00 ID:v6ZzdHEE
忠義とか武士の誇りとかを前面に押し出した「本多」
に見えた

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 17:47:51.78 ID:BDdnVfxT
慶長の役の時の遺言(未遂)でもむやみに新しく家臣を取り立てず今いる家臣を大切にしなさいと書いてたな
対費用効果的な面も内にむけたパフォーマンス的な意味もあるだろうが

黒田如水、聞き間違えて殺す

2014年05月07日 18:46

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/06(火) 19:40:14.89 ID:EPE4j2wn
北条の老臣である松田尾張守(憲秀)とその嫡子である笠原新六郎(政尭)には北条家に対し異心があり、
小田原征伐の折、豊臣秀吉に内応し、豊臣の軍勢を小田原城内に引き入れる謀をした。
しかし、次男の松田左馬助(直秀)はこの計画を聞かされたものの、同心せず去ろうとしたので、
彼は座敷牢に監禁された。ところが左馬助は家臣の者と言い合わせ、具足箱の中に入って
脱出し、北条氏にこの事を伝えた。北条氏は左馬助に褒美として、即座に知行を与えた。

松田尾張守は大身であり、籠城の持ち口(担当箇所)は非常に広かったが、この事件により
混乱し、そこを豊臣軍は攻め立てたそうである。

北条氏の降伏後、豊臣秀吉黒田如水に命じて、松田左馬助を誅殺するように命じた。
ところが如水は「松田を殺すのですね」と、秀吉に内応した松田尾張守と笠原新六郎を
誅殺した。

秀吉はこれを知ると激しく如水を叱責したが、如水は「聞き間違えてしまいました。」とのみ
答えた。その後、如水に特別の処罰もなかった。
この事は黒田如水、一生の勝事であるとされている。

生き残った松田左馬助は後に加賀大納言(前田利家)に仕え、五千石を所領した。
そして最近亡くなったそうである。

(老人雜話)

黒田如水、聞き間違えて殺す、というお話。




893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/06(火) 20:03:11.85 ID:/FPUqS+C
親不孝なりとも君に忠ならば生かすべき、ってやつだったか
そんな如水さんのいい話?を聞いて後藤又兵衛が「君主はかくあるべき」とか言ってました
息子は川に落ちてた

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/06(火) 22:08:09.65 ID:ZwFfFYie
でもさすがに大道寺さんに対する仕打ちはあんまりだと思う




895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/06(火) 23:37:31.30 ID:ewXniT8Z
北条氏政の家老の松田尾張は一老として大身ではあるが返り忠し、それを松田の次男が
北条氏直へ訴えたので、叛逆が露見して父子ともに閉じ込められた。

その後、和談によって開城の時、豊臣秀吉黒田如水に、「松田の次男左馬介は、
父を訴えた者であるから誅し申すべし」と命令した。すると如水は間違えた振りをして
惣領の新六郎を殺し、左馬介を助けた。

これを聞いた秀吉は「どうして新六郎を殺したのだ。左馬介は我に忠のある尾張父子を
氏直へ訴えた憎き奴だから殺せと申し付けたのに」と言った。

これに如水は「それがしが承り違えたのは不調法でした。しかしながら、新六郎は譜代の
主人に背いた者なので武道に欠け、先祖の面まで穢したのですから、忠孝ともに無き
無道者です。左馬介は父には背きましたが、主人には忠のある者です。ですから左馬介と
取り違えて新六郎を殺してしまったからといって損とは申されますまい」と申し上げた。

秀吉はこれを聞いて「またちんばめが空とぼけをした」と言い、左馬介はそのままにした。
この如水の取り計らいを皆が褒め称えたということである。

――『明良洪範続編』





黒田如水「武士の心得たるべきこと」

2014年03月04日 18:58

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/03(月) 22:03:46.52 ID:I6toMUfw
慶長5年(1600)、その前日に石垣原の戦いに打ち勝ち、大友義統を降伏させた黒田如水は、
実相寺山の本陣に、共に戦った細川家の松井佐渡(康之)、有吉四郎右衛門(立行)の挨拶を受けた。
その座には、黒田家の重臣たちが列座していた。

松井が如水に申し上げた事に
「それにしても此の度の合戦では、井上九郎右衛門(之房)殿の手柄は、兼ねて聞いていたよりも増して
目を驚かされました。また九郎右衛門殿が敵と戦っている時、茜のしないの指物をさした武者が、
その手勢を引率し、真ん丸になって敵の横合いに懸かった働きは神妙の至であり、こうやって説明するのも
愚かに思えるほどです。また、その勢の中にあった大指物をさした武者が、特に良い働きをしており、
非常に目立っておりました。」

如水はこれを聞くと
「茜のしないの指物とは、そこの末座におる野村市右衛門の事です。」といって指差し、
「彼は母里太兵衛(友信)の甥であり、16歳より度々戦場に出て、所々の手柄の数もまた多く得ました。
一昨日の働きなどは、特に珍しいものではありません。

大指物をさした方は、その野村市右衛門の与力で大塩喜平次のことです。
また、今度討ち死にした久野次左衛門は母里太兵衛の婿でした。彼は常々、野村市右衛門と
武勇を争っていたのですが、その志を立て、終に討ち死にを遂げました。」

と語った。すると松井は母里太兵衛の方を向いて

「次左衛門殿の事、ご愁嘆されていること、お察しいたします。しかし市右衛門殿の高名は、
嘆の中の悦でありましょう、」と言った。

松井・有吉が帰ったあと、如水は家臣たちに向かってこう語った

「武士が戦場にのぞみ、自分の戦功を専一に心がけるものであれば、左右前後の味方の働きを
観察するような暇はないはずだ。たとえ見たとしても、人に向かって語るにはその心得を持って
行うべきだ、ところが、松井が一昨日の石垣原で見て来たという先ほどの話は、あまりにも詳しすぎる。
一心の働きを心がけなかったかのように聞こえて、非常に悪いものだった。

有吉の方は、その心得があったのか、周りの働きの噂はしなかった。これこそ、武士の心得たるべきことだ。」

そうのたまわれたのである。

(黒田家譜)

黒田如水が、戦場での働きの話をすることについて、武士の心得を語ったものである。




641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/03(月) 22:28:37.62 ID:g68+hiSG
>>640
松井さんがディスられてるw

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/03(月) 22:43:05.51 ID:JGNI1skW
康之がディスられてる逸話って結構珍しいな
ソースが黒田家譜とはいえwww

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/03(月) 23:20:05.31 ID:pEDUiE8V
>>しかし市右衛門殿の高名は、嘆の中の悦でありましょう、」と言った。

これにカチンと来たんじゃないかと

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/03(月) 23:49:32.35 ID:txmPMbZ8
細川の筆頭家老ともなれば敵と取っ組み合いするわけねえだろ

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/04(火) 00:14:52.32 ID:34/zPMmv
幽斎「そやね」
荒三位「」

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/04(火) 01:04:00.52 ID:REOKjAkO
>>644
黒田家は若当主が…

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/04(火) 01:58:52.68 ID:tKgXKY+I
>>646
又兵衛乙

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/04(火) 02:27:59.85 ID:Bqg1Lqz/
指揮する立場にある人間が周りの状況何も分かってないってどうなの

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/04(火) 07:24:25.83 ID:4dIDLx/V
本当に分かってない必要はないのでしょ
後で人の働きをペラペラ批評する態度が軽薄に見えるというだけで

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/04(火) 07:40:43.42 ID:gl29t/X6
後で人の働きをペラペラ批評する態度が軽薄...黒田家譜全否定

黒田如水・出陣演説

2014年02月19日 19:00

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/19(水) 12:49:11.70 ID:EyfveLt7
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦役が進行する中。九州では黒田如水大友義統との戦い、すなわち
石垣原の戦いを直前に控えていた。

ここで如水は、士卒に言い聞かせることがあると、軍勢9千あまりを広野にみな留め置き、
そこで大声で語りかけた

「今度上方において治部少輔(石田三成)が乱を起こし、内府公(徳川家康)を敵としたという事が
聞こえてきた。

治部少輔は、天性知恵なき臆病者である!その上総大将も居ない寄り合いの軍勢であるから、
諸大将は下知を受けず、諸人一致せず、彼らは必ず敗軍するであろう!

殊に、内府公は古今無双の良将であり、その下に属する味方も、みな優れたる武将、勇士が多く、
心も一同して内府公の御下知に従うのであるから、必ず、味方の勝利疑いなきこと、この手に既に
握ったかのように思われる!

これにより、それがしは今回内府公に一味して、九州を平らげんと思う故に、先に豊後に出兵し、
かの国にある敵どもを討ち従えた後、残る国々を治めるつもりである。
豊後の城はその大半が留守であり、これを接収するのはいと容易きことである。

そんな中、大友義統がかつて本国であった豊後を賜り、こちらに下ったとの情報が聞こえてきた。
太閤殿下の時代、私は大友の取次をした関係があったので、今回治部少輔に与することをやめさせ、
降参させるため、上関まで使いを遣わしたのであるが、これに同心しなかった。まったく痴愚の至り
であり、もうどうしようもない!まず、彼を退治するための出陣する!

義統は先年、朝鮮において大明人が来るという情報を聞き、敵をも見ずに逃げ退いたような
臆病者である!それゆえに豊後国を召し上げられ、毛利に預けられ、居るのかいないのか解らないような
状態で居たが、今回豊後に下り、私に対して挙兵するとは、実に片腹痛きことである。

今回出陣する士卒たちよ、良く心得よ!義統は大臆病者である!その下にある家人どもも、類を以って
集まり、上を学ぶ下であるのだから、皆臆病者と心得よ!大友の人数が例え何万騎あったとしても、
今度の合戦は百に一つも負けることはない!相手を強敵だと思って躊躇してはならない!

よいか!わたしは九州を片端から平らげようと思っているのだ!だから、合戦は今回に限ったものではない!
鑓、薙刀、刀、脇差しの刃をたしなんで、大事の時の用にたてよ!大友の兵たちは、武器を無駄に
破損させないよう、生け捕りにするか、峰打ちにして打ち倒してやれ!

総じて鷹を使う時、それが逸物であっても、最初から鶴を取らせるようなことはしない。先ず
鷺からはじめて、その後、鶴を取れるようにしていくのだ。
それと同じことである。大友の人数は鷺だ!若き者共もよくこれを捕らえ、諸士にも手柄を
させるであろう!相手は弱敵なのだから、棒で雪を撫でるように何の造作もなく一時に打ち払うであろう。

そして、大友義統を捕虜にせよ!彼を生け捕ったものには、直参や譜代に限らない、例え下人であっても
褒美として領地千石を与える!おのおの、随分精を出して手柄をいたせ!その功により、一層の
恩賞を与えるであろう。

九州には手強い敵は居ない!豊後を打ち従えてしまえば、九州を治めること、その勢いに乗じて実に簡単に
成せるであろう。さあ、はや打ち立て!!」

これを聞いた者達は、いすれも心の勇みが強くなり、たった今からでも敵を手の中で取り拉ぐように
思ったという。
(黒田家譜)

黒田如水、石垣原の戦い直前の、出陣演説である。




403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/19(水) 19:12:17.51 ID:bvc/8DBl
内心治部GJ!ぐらい思ってるんじゃないのかw

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/19(水) 20:09:33.52 ID:pFw0VTHk
まだ吉統登場してないのに既に罵倒が始まっている件

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/19(水) 21:02:54.68 ID:VIWRN4+1
「ゲェ!立花宗茂!」にならなくて良かったな。

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/19(水) 21:21:08.91 ID:/rYhpsZn
安定の吉統ディスり。黒田家譜はぶれない

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/19(水) 22:10:09.50 ID:UIPUBk/8
自分がやった悪事も全部大友がやった事にしとけばOKだ。

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/19(水) 22:41:16.18 ID:jVvDkbWD
知恵なき臆病者か。
つまりこの戦いは知恵と勇気で決まると。

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/20(木) 01:10:47.25 ID:wZinM8o6
>>403
治部頑張れ、勝たなくていいから粘れくらいじゃないかなw

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/20(木) 06:40:34.44 ID:cbil7jZC
仮に長期化したら天下取りの予定だったからな
関ヶ原が100日続けば第三勢力として挙兵し漁夫の利を得る算段だった、そう聞かされた際の長政の顔をご想像下さい

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/20(木) 14:37:29.89 ID:7vkze9SN
まーくんといい酒が飲めそうだなクロカン


功の多い三人の中間

2014年01月28日 19:06

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/28(火) 17:18:14.94 ID:qHOiVRkb
勢州亀山城を攻める時、黒田氏の家来で功の多い内に三人の中間がおり、優れてよく働いた。

このうちの一人は堀や屏を巧みに越したので、後に堀平右衛門(定則)と呼び、稲葉正則に仕えた。
(此内一人堀屏ヲヨクコシタル故後ニ堀平右衛門ト云稲葉美濃守殿事フ)

――『武功雑記』





雑談・大河ドラマ「軍師官兵衛」についてのことなど

2014年01月03日 18:40

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/02(木) 15:12:28.49 ID:VID8jeDk
軍師官兵衛に勝久と鹿助も出るみたいだね

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/02(木) 22:33:21.23 ID:LyJIwPqS
ジャニタレの学芸会放送になるのは火を見るより明らかなのはいうまでもない

171 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/02(木) 23:26:29.70 ID:To0ZX5TF
岡田くんだけなら問題ない
他のもでてくるなら知らねー

172 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/02(木) 23:50:08.02 ID:WH/iy+Ci
黒田官兵衛って秀吉の毛利征伐で軍功があっただけだろ。島津、北条征伐でも多少の軍功があったが、毛利征伐に比べたら華々しい成果はなかった。黒田官兵衛は
もともと中国地方にいたわけだから、秀吉の道案内程度のことはしたんだろうな。道案内役の官兵衛には数万石程度加増すれば御の字だろ。たいしたことをしたわけ
でない官兵衛を持ち上げすぎだよ。

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 00:17:43.57 ID:okVigLc5
NHKは小田原開城の交渉役のクロカンを戦国時代を終わらせた男として持ち上げてましたけど(´・ω・`)

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 00:28:44.02 ID:F73L5x59
ちらっとノベライズ見たけど、赤松や毛利に奇襲かけるのを提案・実行したり、
調略に失敗した上月氏(縁者)を攻める時に、「今すぐ攻めて織田の強さを知らしめましょう。あと、裏切りとか疑われたくないんで先陣を任せてください。」
みたいなこと言ってたから、イクサハイヤダーな天とか江みたいなのにはならないんじゃないかな

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 00:38:08.12 ID:aXfxmR4M
そんなのは製作の都合でどうにでもできるものではないかな

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 00:42:31.61 ID:F73L5x59
天や江は製作の都合どころの話じゃないと思うんだけどな
NHK出版から脚本家の名前で製作の方針で書いたノベライズが改変しまくるとかあるのかな

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 00:44:23.80 ID:Yk5Ey26e
>>172
官兵衛は軍功というか外交官としての功の方が大きい
参謀面では当たり前ながら秀吉の方が戦の経験が豊富なのでそれほど助けにはなってない

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 01:08:20.84 ID:SjsAx2YZ
参謀級武将がドヤ顔で意見具申するのを
既に同じかもっといい手立てを
打ってるか、大規模土木工事始めてるのに
一応話を聞いてあげるやさしい秀吉くん

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 01:12:15.27 ID:Zu8XzJ1n
諏訪勝則氏は中公新書『黒田官兵衛』の中で、「官兵衛は軍師などではなく、秀吉の優秀な前線指揮官」とはっきり
定義している。

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 04:28:59.67 ID:vkwwKi2N
天下統一時の黒田の功ってどんなもんかね
中村一氏には勝って堀尾吉晴には負けるぐらい?

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/04(土) 12:34:03.62 ID:ck5o9GXj
【話題】 苦戦続きのNHK大河ドラマ・・・戦国武将としては地味な存在の「黒田官兵衛」は大河ドラマを救えるか?
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1388804838/

>晩年は『博多』の地名を変えようとして博多商人に反発され断念した

そんな逸話あったっけ?

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/04(土) 15:12:52.43 ID:yWIQ6+Xx
市にするとき、「福岡市」にするか「博多市」にするか論争が起こって
結局「福岡市」で駅名は「博多」になったのとごっちゃになってる?
そういう逸話があるのかもしれないけど

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/04(土) 17:08:41.87 ID:kjots9R+
>>201
そもそも福岡の地名が

黒田如水、朝鮮の役への批判

2014年01月01日 18:58

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/01(水) 11:23:37.71 ID:ue4beeVo
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1386399929/146
この事により黒田如水は太閤秀吉の御前疎くなった。折節に殿中に出仕はするのだが、
久しく対面を許されなかった。

ある時秀吉は大老たちと朝鮮の軍の評議を行っていたが、如水はそれを壁越しに聞いて、
秀吉の耳に入るよう声高に叫んだ

「去年大軍を挑戦に遣わされた時に、徳川家康か前田利家、二人のうち一人を総大将として
遣わされ、万事一人の下知から出るようにすれば、軍法よく行われ滞りは無かった!

しかし、もしその両将を遣わされることが成り難いと考えられておられるのなら、
軍の道を知っている私を遣わされれば、軍法定まって上手くいくだろう。

その上で、和を以って人を懐け、朝鮮人を安堵させ日本人に帰伏させるのなら、大明を征伐するのも
容易いことである。

ところは今はどうか!?加藤(清正)、小西(行長)は若き大将で血気の勇のみしかなく、軍の道を
知らぬ。その上この両人は仲悪しきため、清正の仕置を行長が破り、行長の法令を清正は守らない。
この様に法令一様ではないために、朝鮮の人民も日本の下知法度を信用せず、頼みにならないと思い、
山林に逃げ隠れ、安心することが出来ないのだ!

日本から朝鮮への道は遠い。である以上、兵糧や武具などを日本から安定して運送するのは難しい。
我らは朝鮮の民を懐け、元のように耕作に従事させ、敵地においても糧を得られるようにする事こそ
然るべきなのだ。なのに今は仕置悪しき為に、日本軍の通る朝鮮の三道は人民散失し、荒野となって
五穀無し。かくの如く朝鮮が既に亡国となった以上、我々には大明に入るべき基板がないのだ。

朝鮮の人民散失し、日本からの運送もまた安定するのが難しい。であれば、今後味方の大軍は
兵糧が尽き、ただでさえ異国での在陣は不自由であるのだから、士卒の苦労は耐え難いほどとなり、
殿下が考えておられる大功が成就できない!」

この声を秀吉は壁越しに聞き、尤もだと思い

「来年、もし異国に出兵するなら、わし自ら朝鮮に入るか、それが出来なければわしは上洛し、
秀次を名代として遣わすであろう。」

と言った。

(黒田家譜)

黒田如水による、朝鮮の役への批判である。統帥の不徹底が最大の問題だと認識していたのですね。




7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/01(水) 13:13:57.33 ID:O0m81EuD
人取りの停止令さえ徹底してたら朝鮮の役は成功してたと思う
しかし例の九州勢にそれを守らせるのは前田や徳川でも力不足だろうなあ

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/01(水) 14:26:59.95 ID:GlJ5YPJX
はて…その程度で成功するだろうか

西国において第一の弓取りは、

2013年12月17日 19:00

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/16(月) 22:57:22.12 ID:J+RKylM+
天正18年(1590)、小田原の役の時の事

豊臣秀吉は大軍で日々小田原城を攻めたが落城させることが出来ず、無為に日々を多く送ったため、
諸軍の士卒も長陣に退屈しているように見えた。
ここで秀吉は、この時尾張清須に居た小早川隆景を呼び出し、はかりごとを協議した。
隆景は秀吉の諮問に答えて

「この度の長陣は、損害なく勝利するための基礎でありますから、現在の方針をより一層進めるべきで
あります。すなわちこの先は城攻めも止め、弓鉄砲も留められ、仕寄等の設備を入念に構築し、敵が
夜討などを出来なくするよう、用心堅固に仰せ付けられ、若き者には音楽をさせ、下々には小唄を
歌わせ、踊りを踊らせ、味方の気をくつろがせ、長陣の覚悟をさせ、敵の気が先に屈するようにする。
これが宜しいかと思います。」

秀吉はその旨に従い、全軍にこれを下知した。すると味方の諸軍は戦をやめて、至る所の陣所で
謡舞囃子の音、踊りの声が頻繁に聞こえるようになった。これにて味方は長陣の窮屈を忘れたのである。
そして敵の小田原城は、これを聞いて気を屈し、力が弱まった。

その後、黒田如水小早川隆景は敵の気が屈した時節を考え、
「今ははや良き時分です。徳川家康は東国の案内者であり、特に北条とは縁者です。
ですので、家康とご相談をし、和議を提示すれば、北条は城中で気を屈している時節ですので、
必ずこれに同意するでしょう。」
と申し上げた。

秀吉も、いかにもその通りだと思い、北条氏直は家康の婿であるので、北条を降参させるため、
秀吉より家康との相談のため、黒田如水に家康への使いの命令が度々出された。

ある時、如水が秀吉の使いを勤めて家康の御前を立ち去った後、家康は如水のことを
「西国において第一の弓取りは、黒田勘解由(如水)である。」
と賞賛したそうである。

この頃、黒田如水は秀吉の用の無い時も、しげしげと家康のもとに通い物語などをした。
これにより如水は、家康に君徳の有ることを知り、志を通じるように成ったという。

(黒田家譜)





39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/16(月) 23:51:07.49 ID:+KA80BZf
ああ、今度の大河の(戦は嫌でございます系)の最大の見せ場w

40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/17(火) 00:40:58.96 ID:IeyAYl0G
隆景(清洲)→わざわざ小田原に呼んで直接相談
家康(在陣)→黒田を挟んで間接的に相談

41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/17(火) 00:58:03.67 ID:mbHB+0I8
格の違いですね

42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/17(火) 01:00:29.33 ID:v4Tv2YWu
なんで黒田家譜が隆景もちあげてんの?

43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/17(火) 07:27:05.43 ID:vUOMnSW5
>>39
文禄の役で帰国→秀吉激怒を超解釈で最大の見せ場にすると思う。

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/17(火) 08:09:16.82 ID:tTUDACCk
>>42
隆景>如水だから
黒田家譜での如水の活躍の大半は隆景の活躍をパクっていると思われ

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/17(火) 10:01:55.21 ID:88MG7KL0
>>39
例の名場面も、お前の左手は何をしていた(なぜ無益な戦を止めるよう諫言しなかったのだ)ってことになりそうな

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/18(水) 02:59:16.12 ID:h/iLx846
>>42
如水と隆景は良い関係だったみたいだし、小早川家は断絶してるから持ち上げても問題ないからじゃねーの

中間六郎左衛門の臣従

2013年12月08日 18:51

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/08(日) 00:03:43.38 ID:ucKho9tW
中間六郎左衛門統種は豊前国下毛郡山国を領し、中間の郷一戸の領主であった。
黒田官兵衛の豊前入国の時、山田大膳、城井中務と共に、三人はその居所が山中で嶮岨の地であることを
頼って官兵衛に従わなかった。

しかし中間六郎左衛門には官兵衛より内意があって、早くに降参した。

中間が官兵衛に降参しようとした時考えたのは、黒田官兵衛に降参ずれば、本領を失うだけでなく
自身の身も失うのではないかという懸念であった。
しかし黒田官兵衛は聞こえた武将であるので、降参しなければ滅亡すること必定である。
如何すべきかと思案し、一つ思いつき、中間家に仕える者達を一人も残らず呼び出して、
このように言った

「黒田官兵衛に降参すべきが、そうしないべきか、各々の心中の所存を書き付け
入れ札すべし!」

家中の者達の意見を知りたいということである。
家臣たちはその下知に従い、それぞれが思う所を書き付け、入札をした。
乱世の時節であったので、文字の書けない武士もまた多かったが、文字の書けない者は
文字の書ける者に頼んでその意趣を書いてもらった。

皆書き終わり入り札が終わると、中間六郎左衛門はそれを取り出してこれを見てみると、
多く家人がいる中、一人も「黒田官兵衛に降参するのはよくない」と書いた者は居なかった。
皆、黒田に属するべきだと書いていたのである。

中間六郎左衛門は
「では、家人残らず同心の上は、衆議に従うのが宜しかるべきである。」
と、官兵衛への臣従を決めた。

その後城井中務が中間の元に使いを送り、黒田に背き自分たちに味方するように進めてきたが、
中間は同心せず、

「一度黒田殿に従った以上は、重ねて心変わりはしないものだ。」

と返書を送った。
この返書を持たせた使いを、黒田家の家臣が道にて捕らえて官兵衛のもとに連行したが、
官兵衛はその返書を見て、中間六郎左衛門の忠義に感じ入ったという。

(黒田家譜)

使いを途中で捕らえるあたり、それまでは信頼せず監視していたのでしょうね。




993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/08(日) 20:05:00.18 ID:7illiONF
裏切りはよくあることです。

994 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/12/08(日) 20:11:10.97 ID:C81qnjp9
うむ。